「マグニフィコ御霊鎮魂レビュー」ウィッシュ 畜生道さんの映画レビュー(感想・評価)
マグニフィコ御霊鎮魂レビュー
これを書くためだけに映画.comに登録してしまいました。それくらい個人的にはなかなかとんでもない内容でした。
あくまで個人の感想であり、面白かったという感想を否定するものではありません。気持ちの整理です。文章下手なのでこうして人目に晒すのはお恥ずかしいですが、ディズニーアニメで育った身としてどうしても書かずにはおれず…。
この作品の評判は鑑賞前から耳にしていました。マグニフィコは善人であり、ヒロインこそヴィランであると。
実際に鑑賞したところ、気持ちは正直分かってしまうけれど、それは極論すぎるなとは思います。国民にアメを与え続け疑問を持つことさえない環境を作り上げたのはマグニフィコ自身ですから。願いの検閲は謂わば思想統制ですね。
では何故こんなにも反感を買ってしまうのかというと、最後に受ける仕打ちがあまりにも彼の功績と見合っていないからでしょう。
多数の方が指摘しているようにマグニフィコは、家族を亡くすつらい経験をし、そのうえで独学で魔法を習得し、ためらいなく主人公サイドのキャラクターがクッキーを踏み潰せるほど豊かな食糧を蓄え、老人も母子家庭も障がいを抱える人も安全に生活できる福祉国家を作りあげた神様も真っ青な人間ですから。
こればっかりはキャラクターの描写と設定の問題ですね。マグニフィコがあまりにも苦労人すぎた。(あと主人公サイドの人間がクッキーに鼻水ぶっ飛ばしたり踏んだりしたのはもうマイナス五億点すぎた。)
その点アーシャは父を失った悲しい過去があるとはいえ、何の努力の描写も挫折もないまま願ったら星(以降:邪神)が降りてきて、何の代償も制限もないまま魔法を授けてもらえてチート能力を発揮してしまう。シンデレラ3の継母展開をヒロインでやるとは思いませんでした。しかも何故アーシャが魔法を授かったのか全く理由がわからない。歴代のプリンセスたちの中で、一番苦労描写の無いヒロインという描写はさすがにいかがなものかと。過去ヒロインからは恨まれそう。しかし努力も挫折もないぶん、民衆を先導する能力はしっかりあるので、なかなか一筋縄ではいかない恐ろしいキャラです。
そこで思ったのですが、この映画はベルのいない美女と野獣に近いですね。
アーシャが民衆を先導するシーンはどうみてもガストンで、意図的なのではないかと疑うレベルでしたが、スタッフの現状の告発をしていると言われたら信じてしまいそうになります。
彼女が優しすぎるヒロインというなら、野獣となってしまった孤独な王様に寄り添い、対話を何度も試みて、民衆と手を取り合って"人"に戻してあげてこそだったのではないでしょうか?アーシャだけではなく、国民や、王妃だってそうできたはず。
この作品は最終的に野獣を殺してしまったけど。
小説版ではマグニフィコが親を失ったとき邪神に願ったのに助けてもらえず、何故あのとき助けてくれなかったんだと邪神に問う描写があるそう。しかしノーアンサー。完。
あんまりすぎませんかさすがに。
自戒でもありますが、答えやそれに代わるものが出せず雑に片付けてしまうくらいなら、最初からデリケートな問題を取り扱うべきではないと思います。
必ずしも神は助けてくれるものではないのは誰だって分かっているのです。むしろ神も仏もないと思わざるをえない人のほうがきっと助けてもらえた人よりも多い。分かっているからこそよりマグニフィコの理不尽さとアーシャのチートが悪目立ちしてしまう。邪神があのとき助けてくれれば、そもそもマグニフィコはあんなことにはならなかったんじゃないかと問いたくなる。
没になった初期案が本当に惜しい。王妃が悪役だって、ヴィラン夫婦だっていいじゃないですか。男だって女だってバケモノになるやつはいる。人格者もいる。それが人間です。ヒロインとスターボーイVSヴィラン夫婦、ディズニーでは斬新ですごくいいと思いました。そのうえで悪役と和解なんて流れになったら100周年記念っぽくてめちゃくちゃよくないですか。まあこれは個人の好みなので何とも言えませんが…。
どこかのシュガーラッシュで取り上げられた「女の子は男の子がいないと世界を知れない」という問題だって、アーシャがスターボーイに世界を見せてあげる展開にできたはず。
恋愛にならなくても、淡い恋で止めたり男女バディものにだってできた。対象をどう扱うか突き詰めるのではなく、排除してしまっては、もう何も生まれない。ウィッシュはそれが顕著に出てしまったと思う。
(余談ですが七人の小人も村人AやBといった感じで半分くらいしか顔を思い出せないし全体的に色が暗く同化してて「あれ?」となりました。ミラベルは皆個性的なので一発で大体の顔を覚えられた。)
ディズニーに限った話ではありませんが、最近のいわゆる"ポリコレ"という考え方は結局女性に「こうでないといけない」というステレオタイプをおしつけているように感じてしまう。
説教くさくったっていいんです。結局キャラが魅力的で話が面白ければウケるものはウケるから。どう伝えていくかなんだと思います。ポリコレという"見直し"自体は間違ってないと私は信じていますし。
「女性とは男のように強く、豪快で、リーダー性がなくてはならない」というのは、これまでの男性像をただなぞっているだけです。結局男性のステレオタイプありきなんです。母親に無償の愛をささげる聖母像を押し付けてきた頃と何も変わっていない。
自分の意思での選択なら、王子様を待つ女の子も、自分から王子様を迎えにいく女の子も、それらに当てはまらない女の子もいたっていいはずなのに。
下手に高下駄を履かせたためにアーシャやアマヤ王妃への批判がそのまま女性を揶揄する下品な言葉に繋がる様を見かけて非常に気分がわるいです。フェミニズムとは女性崇拝ではなく、女性の権利を獲得するためにあるはずなのに。
売れた作品の続編ばかり作ってた低迷期を脱出したと思ったら今度は原型を止めていない実写化までついてくる近年。おまけにいつまでも面白おかしく擦り続けるハンス王子のタヒ体蹴り。気分の良いものではないし、こんな下卑た行為をディズニーにしてほしくなかった。ゲ謎の時貞という本物の人間のクズの姿を見せたい。
今のディズニーが探している答えは、すでに「プリンセスと魔法のキス」に全部詰まっています。
スタッフを白い部屋に拘束してプリキスを300回くらい見せたら、あの頃のディズニーに戻ってくれるんでしょうか…。
大共感です!
ディズニーがポリコレとして配慮するキャラクターは逆にそのキャラクターを差別していることになりますねぇ。
まさに「バーカ」って言ってるやつがバカなんです(笑)
なので、アーシャをヴィランとした続編を作ってほしいですね。