バビロンのレビュー・感想・評価
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駄作。3時間超えの長編、時間の無駄。
映画への愛が感じられない。正直な感想は表題の通りである。他人にはとても勧められない。
無声映画からトーキーへと移り変わってゆく時代を舞台にして映画界で成功を夢見る若者及び映画を芸術に高めようとする俳優を描く。
無声映画時代の映画の撮り方がわかって勉強になったが、誇張が過ぎて興ざめになる。導入部の象や人間の排泄物の映像及び乱痴気宴会の描写で鑑賞する気を喪失した。
この映画の監督は、傑作「ラ・ラ・ランド」を作った人らしいが、ゴシップ屋の記者が落ちぶれかかっている俳優ブラッド・ピットを評する言葉を、そのまま監督に捧げたい。時代に取り残されたと。
前半のノリで、後半も突き進んでいれば…
「マーゴット・ロビーいい」
プギーナイツ
クレイジー
破天荒でお下劣、でもとても魅力的
破天荒な女性が魅力的に見えるってのは一種の病気なんだろうか。パーティ会場で楽しそうに振る舞うネリーに魅せられてしまうマニーの気持ちがわかってしまった。それくらいマーゴット・ロビー演じるネリーは魅力的だった。自分のこの感覚はヤバいのかなと心配になるほど。
でも個人的にはこの映画の見どころは撮影シーンだと思う。実際にそうだったんだろうけど、生で楽器を演奏する人たちがいるなんて!しかも考えてみたらサイレント映画じゃないか。なんという贅沢な作り方。それに考えられないトラブルが普通に起こるのも時代を感じるところ。カメラが壊れて急遽借りに行ってなんとか撮影するシーンも面白かった。ジャックとネリーがそれぞれ出演する映画で演技するシーンもいい。テンポがよくて若干ミュージカル的な雰囲気を感じた。
映画愛を感じる映画はいくつか観てきたが、こんなアプローチもあるんだな。糞尿ゲロセックス、たしかにお下劣なシーンもたくさんある。でも、当時の映画業界の大きなうねりみたいなものを感じる物語として楽しむことができた。考えてみると、群像劇の形だった。それも飽きずに楽しめた要因かもしれない。
This Is THE HOLLYWOOD Movie
まずマーゴット・ロビー、ブラッド・ピット、ディエゴ・カルバなどの俳優陣の演技力はとても素晴らしく感銘を覚えた。
HOLLYWOODの映画歴史や映画そのものに対する愛情も感じられたが、敢えて下品で赤裸々なな表現を強調する場面も多くあって私は殆ど拷問に感じるほどこの映画を観て強い苦痛を感じた。
映画というのは当時の演劇ななどとくらべても確かに上品な芸術ではなく大衆向けのお気楽なエンタテインメントだというのはわかるが、ヒロインの性格と同じように監督自身この映画を自虐的に自ら貶めるような表現をしているとも思えた。
無声映画の時代からの当時のハリウッド映画界は狂気じみた熱気と時代の波に乗った勢いがあり、やる気次第でどんな境遇のも人間でものし上がっていける未開拓の希望と、ギャングたちが映画界と繋がっている暗黒面を併せ持つ混沌とした業界の様相を赤裸々に描いた問題作といえる。
けれども鑑賞中と後は酷く気分の悪さを覚えたので他の映画を見ればよかったという後悔に苛まれた。
というのが正直な感想。
オチの既視感
映画と名の付くものなら
デイミアン・チャゼルの映画愛炸裂映画。
昔の下衆でなんでもありなハリウッドも、そこで生き一瞬スポットライトを浴びるマイノリティも、儲かる産業になった途端に涌いて出るお上品な連中も、スターたちの栄枯盛衰も、レイダースも、アバターだって、映画と名の付くものならなんでも好きなんじゃ〜!という吐露。舞台なんぞというお上品なのよりも下世話で大衆的な映画の方がず〜っと好きなんじゃ〜、と…
吐露といえば、吐瀉まで見事だったマーゴット・ロビーと愁いを湛えたブラピは流石であった…
この二人が出ており、映画愛という意味で同じテーマのタランティーノ作とは比較されやすいだろうな〜とは思うが、出来はタランティーノ作の方が良いかとは思うけど、個人的にはこっちの方が好きかな、混沌としてて…ww
いずれにしても、下世話で絢爛豪華な一大絵巻は、劇場で観るしかないですよ。
ただ、トビー・マグワイアのくだりが何故あんななのかはちょっと飲み込み辛かった。こっちは「ナイトメア・アリー」的な…
あと、1920年代にあんな風にコークを吸引する方法がもうあったのかは多少疑問…
WBが配給すれば、権利問題は解決したのか?
まばゆい光ほど影が暗い。繁栄と背徳の都ハリウッド
1926年。サイレントの全盛期が終わろうとしているハリウッド。そのきらめきに引き寄せられる蛾のようにあるパーティーに入り込んだマニー(ディエゴ・ガレバ)は女優志望のネリー(マーゴット・ロビー)と出会う。マニーは子供の頃観た映画が忘れられず、映画界で仕事がしたかった。そこには大スターのジャック(ブラッド・ピット)もいて、二人はそれぞれチャンスをつかむが・・・
しょっぱなから盛大な乱痴気騒ぎに度肝を抜かれます。ゴージャスで音楽の使い方が効果的で、テンポが良いです。
活気に満ちた現場も、当時の強引な撮影方法も面白く、初期のトーキーならではの苦労も興味深かったです。そして時代の変化に付いて行けずに振り落とされていく人間の悲しさ。
ストーリーは面白く、長尺を退屈せずに観られましたが、こんなに下品にしなければ傑作だったのに。
夢見る若者が映画界に使い捨てられる話ですが、本作も俳優を大量消費していて、そこが不快でした。
最初のパーティーはほぼ乱交パーティー。そんな事もあったのかもしれないけど、人数があまりに多すぎて、俳優はちゃんと映してももらえないのにこんな事をさせられるのかという気持ちになりました。
マフィアの巣窟はおぞましすぎました。汚物シーンも1、2回なら、インパクト大で面白いんですけどね。
色があふれるシーンはどぎつく感じましたが、今や映画の技術はどんどん向上して、画質、音質、臨場感を追求する時代になったという事でしょうか。昭和生まれの私は振り落とされそうですが、進化は止めてはいけない、進歩しつつ良いものを目指す、というメッセージとも取れました。
酒池肉林の大騒ぎ
ハリウッドが無声映画で一気に栄えて 浮かれて騒いで乱チキ騒ぎで狂乱する場面を 音楽とカメラのスピーディな動きで暴走列車のごとく見せていく前半と
トーキー映画と呼ばれる音のある映画が流行って
時代遅れになってどんどん衰退していく様を見せるんですが
動の前半 静の後半で2部構成になっているかのように別物感あります
時代考証が正確で 無声映画を撮ってる時のセットや雑な環境で平気で人が死んだり 今じゃ考えられないような事が当たり前だったのも描いているのは面白いです
あとブラピはスーパースターでいつも泥酔しながら撮影している役なんだが時代が変わり人気も無くなって悲しい末路になるのを受け入れる役なんだけど ブラピ自体が実際酒に溺れてアンジェとの子供と会えない環境だったり 役と本人の状況が被っていて笑えない部分もあるんだけど トムクルーズのように俺はまだまだ現役だあーって言うのとは違って ブラピは最後は受け入れて最後を迎える演技がめちゃくちゃよくて 後ろ姿をみてるだけで哀愁漂っていて泣けて来ます!
マーゴットロビーの役も 人に気に入られる能力と 直ぐに泣ける体質なのがウケて一気に登り詰める女優なんだけど これが実際に居た女優さんで小さい頃に家庭環境が悪すぎてその時の事を思い出したらいくらでも泣けるといったバックボーンがあるんだけど映画では描かれては居なかったです!
あと 予告を見たら明るくて楽しいエンタメ作品だと思うけど実際下品でグロくて ウンコ オシッコ ゲロな上にクスリやって乱行騒ぎってのが描かれているから
嫌いな人が一定数居るのはしょうがないと思います
更に前半は情報量が異常に多い映像が多発するから
よく見ないと見落とすような小ネタだらけなので
繰り返し見たくなる中毒性はあるとおもいます
あとこの監督ってクリストファーノーランと一緒で
客の評価が作品を大好きが大嫌いかの2択なイメージあって
どちらにしても極端に評価が分かれる監督だとは思います
下品で何でもアリだったハリウッドを正確に描いていて 時代の移り変わりを見せてくれる作品で映画好きならイケるとは思います。
汚いシーンが多いので飲食はお勧めしません…
昔のハリウッドを舞台にした映画って、すでにいっぱいありますね。
もしこれが最初の一本目であれば、まあそこそこ楽しめるのかも。
でも、そうでなければ…。長いですねー。だらだらしてますねー。
各キャラの背景を深堀りする事もなく、俯瞰で見せられてる感じなので、
誰かに没入する事もなく。素通りしていく、流れるままの風景。
そして「ニュー・シネマ・パラダイス」みたいな終わりで「へ??」
そもそもなぜマヌエルは家族と疎遠になってハリウッドで一旗あげようとしたのか。
そして去った後に何があったのか。そういう部分の描写も説明もゼロなので、
監督の映画愛だけが伝わってきました。
「この役のモデルは、一体誰だろう〜!?」て好奇心も、時代が古すぎて湧いてきませんでした。
あとIMAXで見る意味なかったかも??スクリーン上下、余ったままでしたが…。
長く続く何か大きなものの一部になりたい
長い歴史の一部
1920~30年代のハリウッドを舞台にした映画に魅せられた人達の話。
メキシコ移民でパーティーのスタッフのマニーと、主演映画も契約もない自称産まれながらにスターのネリー、既にうんざりする程客を呼ぶ俳優ジャックを軸にみせていくストーリー。
映画がサイレントだった1926年、ザ・乱痴気騒ぎなパーティーの最中、オーバードーズで死んだオッパイ女の変わりに白羽の矢が立ったネリーと、撮影現場に連れて来られてカメラを手配することになるマニー、酔いどれヘロヘロだけどしっかりスイッチを入れるジャックと始まって、ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドをコント色を強くした様な感じ!?
トーキーになって盛り上がる展開はかなりドタバタ感があるもののまだ面白かったけれど、ちょいクドさを感じるし、ガラガラヘビの後からだいぶテイストが変わり、ドラマは良いけど…長い。クドい。テンポが悪い。
結末も男性2人は良かったけれど、ネリーはちょっと中途半端に感じたし、それなりには面白かったけれど180分超えを納得させてくれる程は入り込めなかった。
とりあえず、マーゴット・ロビーは下品な役が似合い過ぎということでw
世界で最も魔法に満ちた場所 …"クソ"に踊れば、映画愛の虹がかかるやも?もう一つの『ワンハリ』で『雨に唄えば』そして『ニュー・シネマ・パラダイス』!
金のかかった散漫とした混沌と喧騒、人生狂騒曲!市井の人々が暫しのあいだ夢見る映画の醜く汚い内幕劇をド派手にバカバカしく騒がしく下品極まりなく描いてみせた。キレイな世界を作るキレイじゃない裏側。このイカれたコメディが意識的に神経逆撫でしたり居心地悪くしたりするのもその為。カネをバラ撒くように散らかっていて、赤は血の滲むような赤。数百の、幾多の人生が映画を歴史を推し進めてきた。めちゃくちゃ好き勝手やってるように見えて、案外要所要所の展開は分かりやすかった。正直、ずっと面白いわけじゃないのだけど、音楽の力も大いに借りて、ひたすら勢いで押し切るような心意気だけは感じた。
チャゼル✕ブラピ=映画愛。年齢の割に昔の映画への造詣が深い監督と、アメリカン・ニューシネマに育てられ、映画を愛し映画に愛された我らが誇る稀代の大スター。彼ら両人を繋ぐのは紛れもなく映画愛それだ!! トビー・マグワイアは製作にも名を連ね、近年役者としての活動が減っている彼らが揃って出演もしているという貴重な本作。…とは言いつつ、トビー・マグワイアが出てきた辺りくらいから個人的に猛烈に飽きてしまってアイス食べたくなったけど、あの落とし所はズルいよ。いや、"あれ"ありきというか、"あれ"がしたいがためのこの当時の大作顔負けの長尺ランニングタイムとも言えるほどなのだけど。映画の夢に生き、現実に破れ、それでもなお映画を愛さずにはいられない者たちへ。光と影は表裏一体、酸いも甘いも知って少年は大人になる。
マリリン・モンロー?『マイ・フェア・レディ』?…等々、見ているときに色々な作品が頭をよぎった。視点人物は映画に憧れ夢見るメキシコ人マニーなのだけど、ノリノリなマーゴット・ロビーとブラッド・ピットが引っ張る。彼は役者として最終局面に入っている的なことを言っているけど、やっぱり役者として銀幕で動くブラピを見られることは一映画ファンとして大きな喜びなのだ!『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』ではスターを支える側だった彼が、今回はスター。ヒゲは『イングロリアス・バスターズ』を少し思い出した。
そこに黒人キャラも含めて主要人物4人のシーンがトントンと、時に怒涛の勢いであれこれ変わっていくさまは、クロスカッティングでサスペンス効果を高めていくところなど、例えば個人的にポール・トーマス・アンダーソン初期の群像劇もチラついた。カメラは違った方を向いている。スターは生まれつきスターで、映画屋はギャングみたいなもの。その中にも女性監督の存在や同性愛の側面は、実際にそうしたモデルがいるのかもしれないけど、現代的だなと思った。サマラ・ウィーヴィングやオリビア・ワイルドの使い方、豪華。
象のクソからの嘔吐ロングリバーーース。傑作『ラ・ラ・ランド』の冒頭でも発揮した流石の長回しは鼻につくけど、やっぱりスゴい。例えば『甘い人生』や『ゲームの規則』など金持ち達の馬鹿げたパーティーや行き交う人々。今回もジャスティン・ハーウィッツによる素晴らしい音楽を味方につけてシーンを印象付け、作品を形作る。重要なパートを担う。例えば『雨に唄えば』や『アーティスト』などトーキーへの変遷・移行期。虚飾と贅沢、そして時の流れに抗えず落ちぶれていく"盛者必衰の理"という避けられない宿命(さだめ)。"歴史は繰り返す"と言えど、ここはやはり大きな大きな転換期。けど本作はそこで留まることなく映画愛全部乗せ大爆発!! ちっとも綺麗事じゃないイカれた時代を清濁併せ呑んで駆け抜ける高カロリー叙事詩の着地点はピュアでもあった。一つの時代の終わり、そしてまた始まり。そうやって続いていく。
勝手に関連作品『雨に唄えば』『アーティスト』『ラ・ラ・ランド』『ブギーナイツ』『カツベン』『ブロンド』『華麗なるギャツビー』「全裸監督」
全ての映画人に愛をこめて
『デイミアン・チャゼル』の新作は
観終わって、ああ、これは主に二つのテキストに拠っているのだろうなとの感想。
舞台となるのは
「トーキー」の嚆矢とされる〔ジャズ・シンガー(1927年)〕が公開された
前後数年間の「ハリウッド」。
その前では名を売った多くのスター達が、
後ではがらりと様相を変えてしまう。
驚嘆すべき身体性を発揮した『バスター・キートン』はどうなったか。
本作でも名前だけ触れられる『グロリア・スワンソン』が再び
陽の目を見るのは〔サンセット大通り(1950年)〕を待たねばならぬ。
『グレタ・ガルボ』だけは、変わらぬ輝きを見せていたが。
おっと、閑話休題。
1985年生まれの『チャゼル』は当然往時のことを体験するハズは無く
(そう書いている自分も当然知らぬが)伝聞に頼っているハズで、
スター達の乱痴気騒ぎや乱行を知るのに最適なのは
『ケネス・アンガー』著作の〔ハリウッド・バビロン〕。
丘の上に建つ豪邸で
夜な夜なの果てるとも知れぬ桁違いの豪奢なパーティ。
酒とバラの日々こそがスターの証し。
もう一つのテキストは作中でも度々引用される
〔雨に唄えば(1952年)〕で
これも同時代を描いた傑作。
中にはまだ慣れぬトーキー映画を撮るためのてんやわんやのシーンもあり。
発声レベルの大小や、音と動作のシンクロのズレで可笑しく描き出す。
とは言え、同じ手法では監督は善しとしなかったのだろう、
テイクを重ねるとの異なる見せ方に挑んでいる。
一種の繰り返しのギャグも、あまりに笑えぬのはどうにも辛いところ。
サイレント期の大スター『ジャック(ブラッド・ピット)』。
彼が主催するパーティに潜り込んだことがきっかけでスターへの道が開けた
『ネリー(マーゴット・ロビー)』。
『ジャック』に気に入られ、制作会社の重役に上り詰める『マニー(ディエゴ・カルバ)』。
三人の盛衰を通して、同時期の「ハリウッド」の変遷が
喧噪の中に、しかし一抹の寂寥をもって描かれる。
三時間を超える長尺になってしまったのは、
先のパーティの部分は勿論、
撮影現場についても事細かにエピソードを取り込んだことによる。
観ていて楽しいのは論を待たぬものの、
通した時に盛り込み過ぎの冗長さは感じてしまう。
が、各所には、目を瞠るパートはあり。
冒頭の糞尿譚はあまり感心せぬが、
その後の屋敷内でのパーティの場面は素晴らしく
『ラ・ラ・ランド(2016年)』でのハイウエーでのミュージカルシーン宜しく、
綿密な計算のもと、延々とした場面をノーカットで撮り切る。
そして、最後のシークエンスでも提示されるように、
おそらく彼がこれまで影響を受けて来た多くの映画作品と、
その制作に携わった人々へのリスペクトと愛惜に満ちている。
前作、前々作も同様に、
自身が生まれる前のアメリカに
並々ならぬ興味を示し作品化するスタンスには
やや偏執的な気質を感じはしつつ、
その思い入れの深さと表現の強さは並大抵でないのが美点であり才能。
今回は幾多の瑕疵が視られはしたが、
次はそれらをきちっと修正して来るだろうとの期待を込め。
映画の狂気を撮る狂気
2022年。デイミアン・チャゼル監督。1920年代のハリウッド。超大物俳優と新人女優と新人スタッフの3人を中心に、サイレント映画最盛期の狂気の世界、トーキーへの転換と人間関係の変化、求めても求められないものと映画の真実、を大胆に描く。
3時間を超える大作のなかで、映画史への大胆な言及が盛りだくさん。サイレント期の撮影現場の喧噪もトーキー初期の現場の無音状態も「狂気」として描くのが監督の真骨頂。まともな人は映画に関われないし、「何か大きなもの」の一部になることなどできないのだ。大騒ぎのシーンがあるかと思えば、人物たちが感慨をもらす静かなシーンもあって、それこそ監督自身が狂気を実践しているので、観る者はいいように翻弄されてしまう。カットでつなぐことができない監督なのだが、ここまで真摯に映画についての狂気を演じてもらえればそれはそれで満足してしまう。
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