バビロンのレビュー・感想・評価
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自己満映画史
ラ・ラ・ランドで大成功を収めた若きデイミアン・チャゼル監督、音楽のジャスティン・ハーウィッツ、撮影のリヌス・サンドグレンの3人トリオが手掛けるなんと180分越えの超大作。
ディエゴ・ガルバ演じる青年マニーの視点を借りながら、1920年代の無法地帯、狂乱のハリウッドの世界を疑似体験する映画。らしい。
主観映像を多用したカメラワークでまさにアトラクション感覚で体験できる今時の映画。
さらに早くもゴールデン・グローブ賞を受賞したイケイケの音楽でオープニングから盛り上げてくる。
が!!やっぱりハリウッド映画史を語るような映画はスピルバーグやイーストウッド監督等の巨匠の域に達した方に頼む案件かな〜。と思いました。
チャゼル監督には50年早い。
話のテンションとしてはウォールストリートの無法地帯を描いたスコセッシ監督の「ウルフ・オブ・ウォールストリート」に近かったが、狂乱もドラッグもエロもあっちの方が断然上。やはりギャングの街で育って本当の闇を知っているスコセッシ監督と裕福に育ったチャゼル監督とではどうしても差がついてしまう。
また、タランティーノのようにめちゃくちゃB級映画フェチズム全開で歴史改変もしてしまう「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」のような映画にすれば楽しかったのかもしれないが、同じキャストを使っているのでこれもやはり差が出てしまうだろう。
何故このキャスト、この題材を選んだんだ彼は笑
本作は象の糞に始まり、娼婦のオシッコプレイやマーゴット・ロビー渾身のゲロ放射、そして締めはハリウッドのケツの穴と呼ばれる謎の洞窟(空調設備どうなってる?笑)など必要以上に下品な演出が多く、「ハリウッド映画史なんてカッコつけた映画じゃないぜ」というチャゼル監督の意思表示かもしれないが、正直照れ隠しにしかみえない笑
ラ・ラ・ランドの時のようにどストレートな映画でも良かったんじゃないかと思った。
映画愛云々に関してはどんなスタッフ・キャストも映画愛を持って作品づくりに臨んでいると思うので、それを敢えてラストシーンのニュー・シネマパラダイスのような映画のワンシーンを繋いで映画史を総括するような演出にしてしまうのはあざとくて寒かった。
デイミアン・チャゼルは大した演出家じゃないのかもしれない。
ブラピもマーゴットロビーもよくこんな映画に付き合ってあげたと思う。さすがプロ。
ただこれだけ予算もキャストも集まるんだから、やはりアカデミー賞受賞という力はすごいんだなと思いました。巨匠感を出そうとして出て来たのは糞とゲロだけだった笑
映画史はスピルバーグに任せて、厨二病VSハゲの「セッション」のようなアツい映画を待ってます。
来週2/17はポール・バーホーベン、ルカ・グァダルーノ、パク・チャヌク監督作が公開する大混戦!笑
時代の変化で起こる切ない物語
無声映画時代の感動のないラ・ラ・ランド
かつてメインストリームだったが、時代の移り変わりによって滅びゆく文化。
ときに、政治権力によってそれがなされる。ドイツ表現主義はナチスによって亡きものにされた。もっとあの文化が続いていたら世の中どうなっていただろう?とその時代に生きていたわけでもない人間が、想像力を働かせて懐古趣味に浸る。
ときに、テクノロジーによってそれがなされる。ビデオテープは、デジタルディスクに、フィルムはデジタル画像にとってかわられた。
デミアン・チャゼル監督は、彼自身がその時代を生きていたわけではないが、想像上の懐古を売りにしたともいえる『ラ・ラ・ランド』で、自身の好きな音楽ジャンルであり、かつては、世界的に隆盛を誇ったジャズにむけられた。愛するジャズミュージックに対しての哀愁とジャズミュージシャンのキャリアの混乱と衰退、キャリアが落ち目になるとともに、粋の良かった時代の熱い恋愛のアゲアゲ感から、その後のしょぼくれで恋愛もフェードアウト。ジャズと恋愛の切ない収束が感動を誘った。
『バビロン』では、無声映画時代に対して懐古趣味を炸裂させたが、『ラ・ラ・ランド』のように切ないラブストーリーというフォームが存在していないので、観客のだれもが誘われる、ある意味わかりやすい感動を与えくれることはなく、何に感動したらいいのかよく分からなかった。
ブラピもマーゴット・ロビーも、乱痴気騒ぎをしていてクレイジーな人たちだという印象を押し出しているが、無声映画時代のクレイジーな人間たちは、ただのバカな存在として、冷たく描かれている気がして、愛すべき存在たちだったという描かれ方ではない。だから、彼らが時代の流れで、無声映画からトーキ映画の時代に変わった際、声がダサいという変な理由で人知れず追い込まれ苦しい思いをしていた可哀想な存在であることもサラッとしか描かれなかった。だから、涙を誘うような感動もないし、その時代が良かったのか悪かったのかもわからないし、ましてやデミアン監督の特徴である想像上の懐古趣味による哀愁を感じることはできなかった。
チャゼル監督自身だと思われるマニーは、映画業界に小間使から出入りし、キャリアをスタート。たくさんブルシットジョブをさせられて、最初はいい思いをさせてもらえなかったが、あるとき、これまた「ジャズ」のトランペッターのミュージックフィルム(最初期のMTVともいえる)を監督兼プロデュースすることでそこそこ成功する。しかし、出世への意欲を感じさせたり、映画業界にいることの熱意や愛情を誘う演出がこれっぽっちもなく、いつの間にか、出世している。いつの間にか、アカデミー賞をとってしまった自身を戯画化しているかのようだ。
そして、ミュージックフィルムなら音楽映画としての可能性が十分あり、頑張れば生き残れるはずなのに、なぜか無声映画時代の終わりとともに彼は映画業界を去る。なぜなら、彼は映画業界の乱痴気騒ぎパーティに出入りしたはじめの日に出会った、マーゴット・ロビーを理由もなく愛していたから、彼女が落ち目になるとともに後追って自身も去ったのだった。つまり、彼は映画が好きで映画業界にいたかったのではなく、見方によっては、乱痴気騒ぎの業界パーティでイケてるオネエチャンとの出会いを求め、そのオネエチャンとの恋愛を選択した、やりたいことはオネエチャンとの恋愛だった、というチャラ男で、つまらない人間のようにみえる。
彼が歳をとり、ハリウッドを訪れて映画館で声も音楽も入った、当時最新の、今でいう「映画」をみる。それを見てボロボロ泣くのだが、明らかにマーゴット・ロビーが今でも好きだということを懐かしんで泣いている。彼が愛したのは、無声映画時代のハリウッドではなく、マーゴ。正直、個人の恋愛ごとき勝手にやってくれればいい話である。
無声映画時代を懐かしみ敬意を表するために彼は泣いていたのではない。なぜあの時代に存在しないスピルバーグやキャメロンの超大作、大コケした『トロン』のような映画がフラッシュバックするのか?彼がいた会社の名前、シネスコープは、画角を意味するが、ワイド画角への進化をみせた『ベン・ハー』が出てくるし、『トロン』からのCG技術の進歩を感じさせる『ジュラシック・パーク』、『ターミネーター2』、『マトリックス』、『アバター』。SFXからVFXへの進化の過程の歴史から引っ張ってきた映画群の数々。映画史とは、無声映画時代から連綿と続く映像技術、特殊技術の進化のことだといわんばかりのアホな映画史の単純化。なんだこのいきなりのZ級の演出は?映画とはつまり、進歩的な技術を使ったスペクタクル超大作であるという見方は映画はアホであると言っているようにみえる。彼はアホな映画業界の未来を観たのか?
無声映画時代を生きた人間が、映画館で未来の『アバター』を観て泣くわけがない。無声映画時代へのノスタルジーによって泣くべきなのだ。無声映画時代を生きた人たちは出てこない。かつて活躍した人にはフォーカスされず、技術の進歩にフォーカスされる人間味のなさ。それが一番悲しい。彼らの印象は、冒頭から延々と続くバカ騒ぎでありそれが『バビロン』。
彼らをバカだとして笑いものにするコメディを作りたかったのだとしたら、全く笑えない。彼らの存在、活躍があったからこその、今の輝かしい映画産業があるのだから。
主役が目標目指して頑張る映画じゃなかった。
てっきりブラピが主人公で、昔の映画界を革新する話だと思ってたのに、あれ?誰が主人公なのっ?てずっと考えながらの3時間越え。
1920年代、映画はモノクロでサイレント。その頃のスターのブラピ演じるジャック。時代はトーキーになり、古臭い役者は排除されるよね。ジャックもその1人だけど、プライドが高いので、自分なりに頑張ってました。
制作側のメキシコ出身の若者マニー、天才役者気取りの女優ネリー、トランペッターのシドニー、皆んな変化していく時代を生きていく。でも、ただそれだけ。何か目標を目指して頑張ってる感じは一切ありませんでした。
3人の事件が同じタイミングで起きてるせいか、ショートストーリーがバンバン入れ替わっていくので、ひとつひとつの事件が解決無しで軽い。とにかくネリーがひで〜性格。皆んながチームでなんかやるのかと思っていたら、マニーとネリーの恋愛関係以外は絡み無し。で、最後はまさかの〜!
あの時代、女性は裸で踊るのが普通だったの?
やっば銃を待っていい社会は危険だね。自分が被害者ではなく加害者になっちゃうよね。
そこそこ楽しかったけど、全体的には何が言いたかったのか分からなかった。残念。
何かの映画の劣化版
大作なんだろうけど
映画界栄枯盛衰の物語
昔の映画のお話
すごいパワー
歴史の転換期
猥雑で下品なカオス
映画を愛する人間が作った映画讃歌であり、映画に身を滅ぼした人々への哀悼であり。
繁栄ののち、人知れず埋もれ、後の世に発掘されてその時代を知ることになった古代バビロニアのように、フィルムに残った人々の姿もまた、歴史の中で消えたり復活したり。
そんな栄枯盛衰を描いていました。
(その映画への愛も、とっ散らかりすぎて&断片的引用で終わっていて、あまりリスペクトは感じない部分も大きいけども)
ただ、圧倒的に「猥雑」で「下品」。
のっけから、大小便、殺人、ゲロと容赦なく。
『ラ・ラ・ランド』みたいにおしゃれなフィルムかなぁ?って間違ってデート気分で観に行ったカップルが、「調べておきなさいよ」と喧嘩して別れるレベルに下品。
新興産業の初期のカオスを具現化した、と単純には言い切れない。
この点、観に行こうと考えている方々はご注意と覚悟のほどを。
それでも、ラスト近くの老年期に入ったジャック(ブラッド・ピット)のセリフは、輝いていました。
私はマーゴット・ロビーが暴れるってだけで肯定的に観ちゃうんですが……
これは観る人を選ぶ作品です。
絶賛と酷評がありえる、賛否両論にならざるをえない。
ダメな人には生理的に受け付けないでしょうね。
映画関係者には受けるかもしれないから、賞を取る(ないしはノミネートどまり)かもしれないけど……
興行成績は不安な作品だなぁ(特に日本では)。
品がない
1920年代のサイレント映画から
トーキー(音声付き映画)へ進化していく時代
"おい映画好きの観客ならわかるだろ?"
的な魅せ方な作品
テンポ良く進むのはいいが
3時間使ってる割には登場人物の深堀弱く
あまり感情移入出来ないまま進むので
時折、え?なんでその言動、行動になんの?って
おもってしまうこともしばしば。
そして冒頭から品がない
この品のなさが最後まで定期的にある
この下品さを使用して表現したかったこと
伝えたかったことあるかもだけど
私にはそれを受け止める前に嫌悪感が勝ってしまった……
そしてラスト……
またはじまりました
"おまえら映画好きならわかるだろ?"
映画好きだけど
おれぁもっと単純明快ストレートな作品でいいかな
って改めて思った3時間でした。
ララランドみよっと。
ラ・ラ・ランドをもう一度
象の肛門、どアップからの地獄絵図、あんな観たことも無い笑撃的な場面が終わってから遅れて多数の客が入って来た、さすがブラピ、ハーレイ・クイン、デイミアン・チャゼルではなく『ラ・ラ・ランド』の監督としての知名度と宣伝、そしてシネコンって場所!?
序盤の卑猥な乱痴気パーティーが豪華で煌びやか、あのシーンが撮りたくて本作を作ったのかと思える程に全編通して一番テンションの上がる見どころ、明らかに後半から失速する物語展開に三時間の上映時間が間伸びする感覚ヲ。
1900年代から50年代に至るハリウッドのスキャンダルを綴った映画監督でもあるケネス・アンガーの著作「ハリウッド・バビロン」を少し想起しながら、デイミアン・チャゼルがサイレントからトーキーへと移り変わる映画の歴史を捉えながら劇中の音楽も含めて『ラ・ラ・ランド』をもう一度、撮り直したような感じが個人的に!?
ジャズ・トランペット奏者のシドニー・パーマーが主要登場人物でありながら深掘りされずに物語との関わりが薄いようにも、マーゴット・ロビーが演じるからこその愛嬌でカバーできた役柄、他の女優だったらイライラするだけの最悪な女でしかない、エマ・ストーンとか?
マーゴット・ロビーが嘔吐する場面は衝撃的ながらも象の脱糞には敵わない。
芸術的、かつ玄人向け
やはり長かった。もしかしたら面白くて気にならないかも?なんて期待したけど、予定通りだった。。。
前半はそれなりに集中できたけど、後半がイマイチで飽きてしまった。でもラスト40分はそれなりに盛り返したかな。
エンディングは私の感想の表題にもした、まさに芸術的でした。正直ミーハーな私には理解できないものでしたが、玄人、通の方には響く映画だったのでは?
物語では、気狂い女が前年は格好良く、行けいけ!って応援的に観てたが、後半はイライラ、、、
そして、ブラピは主役だったの??
てっきりマーゴットロビーとディエゴガルバの2人が主役かと思ったよ。
あの最後のブラピは3番目って感じを拒めないなー。
ラスト、直前には想像ついたけどなかなか良かった。
何もわからないわけではないが
人には滅びの時が来ても、映画は栄光の時を繋いでくれる
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』と『ラ・ラ・ランド』のコラボ作品⁉️
だって、プラピとマーゴット・ロビーの組み合わせに加えて、音楽もほとんどラ・ラ・ランドなんですから‼️
でも、いいんです❗️
楽しいったらありゃしない。
プラピの話と、マーゴットの話が絡んだり絡まなかったりで、展開として一本筋が通ってる、なんてことにはまったくなってません。
それなのに、カオス(混沌)と絢爛と欲望という人間の営みが生み出す状況に、時代(時勢)という抗うことのできない絶対的な波が押し寄せてくるのですから、片時も目を離してる暇がないのです。
人の思惑なんて、時代の趨勢の前にはなんて無力なんだろう。
必死に抗う姿はなんて美しくも哀れで、こんなに感動するのだろう。
そんなこんなで、あれこれ思ってたら、ずっと気持ちがざわつきながら落ち着くことなく見てるので、3時間を超える映画なのに、まったく長いとは感じませんでした。
消えゆく人の滅びのオーラを絶妙に醸し出したプラピの演技。
そのブラピに語りかけた批評家エリノアの言葉。
→100年後に見られる映画、50年後に生まれた人が見るかもしれない映画、その中にあなたは永遠の命を繋ぐことができる。
そして、ラスト10分の映像体験は、映画ファンへのサービスのようでもあり、コソッとジェームズ・キャメロン監督へのラブレターを忍ばせたようでもあり。
何はともあれ、本当に映画が好きなんだなぁ、という思いが伝わってきて、泣きそうになり、そうか、このための3時間だったのか!とひとりで合点してました。
濃密で心に突き刺さる"The Film"
ラ・ラ・ランドはなぜかあまり好きになれませんでした。でもこの映画はとても好き。
構成もキャスティングも衣装も台詞も演技もスピード感も歴史背景も「セット」も音楽(アレンジ!)も全てが熱い映画愛に繋がっていてとても良かった。上映時間はRRR超えだったが1秒たりとも無駄なシーンがなかった。
ブラピと同じ時代に生まれたことを心から幸せに思った。洋画好きの父が映画の話をする時によく挙げていた女優の名前(グロリア・スワンソンとかグレタ・ガルボ)がブラピの声でブラピの口から発せられたのを聞くことができただけでもう幸せだった。ブラピの役がイタリア出身設定なのでイタリア語をちゃんと喋っていて「イングロリアス・バスターズ」のリベンジができた!一方で1920年代、ヨーロッパはバウハウスだ、なんで未だに僕らは時代劇やってるんだ!これは映画を愛するジャック(ブラピ)の心からの言葉で身に沁みる。そして映画評論家のエリノアがジャックに伝える言葉は辛いけれど真実。溝口・小津・黒澤監督、そして山田五十鈴や田中絹代や京マチ子が居た世界をこんな「バビロン」的フィクション映画に誰かしてくれないかな。
マーゴットはこういう役がぴったりで彼女以外に考えられない。彼女の代表作の一つになると思う。ディエゴ演じる役は一途でピュアなところが最初から最後まで全くぶれなくて映画に愛された天使だった。冒頭から最後までとにかくかっこよくていい映画だった。チャゼル監督&作曲家ハーウィッツ、素晴らしい!
おまけ
サントラCDを入手しました。20年代の音楽(例えばMax Raabeのような)的に敢えてしなかった監督とハーウィッツの気合いと憧憬を金管が吠えつつ羽毛のような優しさで私達を愛してくれる。ワーグナー(トリスタンかな)もムソグルスキーもボレロもタンゴもワルツもハワイアンもロッキーも居る。聞いてるだけで泣ける、踊る。大音量で聞こう!
退屈
結論から言うと退屈な映画でした。
"セッション"を見た時はその世界観に引き込まれ、震えたが、"ララランド"で茶番を見せられ、"ファーストマン"は観ておらず、本作に臨んだ。
冒頭のエログロシーン自体は悪くなかったが、尺を取りすぎ。ショートフィルムやミュージッククリップとしてならシーンによってこれはこれでアリかと思ったが、その後の展開を足して行くと待たされた挙句、残念な盛られ方をした料理を食べて、何の味だったかもよく分からないまま後味悪く店を出た感じでした。
切り取れば良いところもなくは無いが、なんとなく言いたいことは分かるが、特にメッセージ性も感じられず、正直一人だったら途中で劇場を後にするレベルでした。
でも音楽は良かった。
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