バビロンのレビュー・感想・評価
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“盛者必衰”の様式美を守った悲劇
「バビロン」(原題:Babylon)。
いやー3時間9分。圧倒的な物量投入で飽きさせないところは見事というしかない。作品の評価には賛否両論あるけれど、お金かかってます。
『ラ・ラ・ランド』では、映画の”テクニカラー”時代をオマージュしていた。本作でデイミアン・チャゼル監督は、”無声映画からトーキー映画”時代を舞台にしている。映画愛好家のための大河ドラマPART2とでもいうべきか。
ネタ的には『アーティスト』(2011年)の焼き直し部分もあり、下品なシーンを笑えない人にとって、ひどくガッカリさせられることは間違いない。クールな悲愴感があった『アーティスト』とは大きく異なる。
本作のいいところは、栄華を極める支配者が転落していく「悲劇」のフォーマットに忠実なところ。“盛者必衰”の様式美を守っているところがうつくしい。「平家物語」である。
いつの時代も自信過剰なトップは反吐が出るほど下品で、序盤でそれを強調しながら、後半の転落とのコントラストをつける。一方で、多くの悲劇作品がそうであるように、人間の愚かさが浮き彫りになるサマは「喜劇」とうらはらだったりする。見方によっては笑いが絶えないコメディでもある。
ストーリーは、夢を抱いてハリウッドへやって来たメキシコ青年マニーと、彼と意気投合した田舎出の女優ネリーのロマンスを軸に、無声映画の大スター・ジャックとの出会いにより大きく動かされる2人の運命を描く。もちろんネリーはスターの階段を駆け上がっていくわけだが、やがて、トーキー映画の革命の波が業界に押し寄せてジャックとともに没落していく。
ある意味で、昔の人気俳優=ブラッド・ピットと、新進気鋭の女優=マーゴット・ロビーというキャスティングは皮肉っぽい。いま一度、俳優業に力を入れはじめたばかりのブラピの実力は間違いないが、なにも悪いところはないのにその演技に苦笑してしまう…。
音楽は間違いない。すでにゴールデングローブ賞の最優秀作曲賞を受賞しているジャスティン・ハーウィッツの音楽はキャッチーさは、耳に強烈に残る。『ラ・ラ・ランド』と同様だ。
それにしても最近、3時間級の映画多くない? 『RRR』(179分)、『アバター ウェイ・オブ・ウォーター』(192分)、『レジェンド&バタフライ』(168分)、『バビロン』(185分)…。インターミッション(休憩)入れるべきかはどうかは別として、映画が終わってから時計を見てギョッとしてしまう。
(2023/2/10/ユナイテッドシネマ豊洲/Screen8/G-12/シネスコ/字幕:松浦美奈)
前半良かったけど、ラストに向かって大混乱
まず、音楽は最高!
前半の1920年代の退廃感と弾けたパーティも最高!
ラストに向かって、オマージュ的なものはわかるけど、ちょっと観客は置いてきぼり感が強いかも。
映画と名の付くものなら
デイミアン・チャゼルの映画愛炸裂映画。
昔の下衆でなんでもありなハリウッドも、そこで生き一瞬スポットライトを浴びるマイノリティも、儲かる産業になった途端に涌いて出るお上品な連中も、スターたちの栄枯盛衰も、レイダースも、アバターだって、映画と名の付くものならなんでも好きなんじゃ〜!という吐露。舞台なんぞというお上品なのよりも下世話で大衆的な映画の方がず〜っと好きなんじゃ〜、と…
吐露といえば、吐瀉まで見事だったマーゴット・ロビーと愁いを湛えたブラピは流石であった…
この二人が出ており、映画愛という意味で同じテーマのタランティーノ作とは比較されやすいだろうな〜とは思うが、出来はタランティーノ作の方が良いかとは思うけど、個人的にはこっちの方が好きかな、混沌としてて…ww
いずれにしても、下世話で絢爛豪華な一大絵巻は、劇場で観るしかないですよ。
ただ、トビー・マグワイアのくだりが何故あんななのかはちょっと飲み込み辛かった。こっちは「ナイトメア・アリー」的な…
あと、1920年代にあんな風にコークを吸引する方法がもうあったのかは多少疑問…
WBが配給すれば、権利問題は解決したのか?
オープニングのハリウッドの乱キチパーティも、
後半の闇ショーで熱狂するギャングも、
どちらも同じ人種で有ることを言っているように思えた。
“映画”は夢を与えるが、関わったモノの夢を剥ぎ取ってしまう。
ディミアン・チャゼルの嘆きが聞こえた作品だった。
まばゆい光ほど影が暗い。繁栄と背徳の都ハリウッド
1926年。サイレントの全盛期が終わろうとしているハリウッド。そのきらめきに引き寄せられる蛾のようにあるパーティーに入り込んだマニー(ディエゴ・ガレバ)は女優志望のネリー(マーゴット・ロビー)と出会う。マニーは子供の頃観た映画が忘れられず、映画界で仕事がしたかった。そこには大スターのジャック(ブラッド・ピット)もいて、二人はそれぞれチャンスをつかむが・・・
しょっぱなから盛大な乱痴気騒ぎに度肝を抜かれます。ゴージャスで音楽の使い方が効果的で、テンポが良いです。
活気に満ちた現場も、当時の強引な撮影方法も面白く、初期のトーキーならではの苦労も興味深かったです。そして時代の変化に付いて行けずに振り落とされていく人間の悲しさ。
ストーリーは面白く、長尺を退屈せずに観られましたが、こんなに下品にしなければ傑作だったのに。
夢見る若者が映画界に使い捨てられる話ですが、本作も俳優を大量消費していて、そこが不快でした。
最初のパーティーはほぼ乱交パーティー。そんな事もあったのかもしれないけど、人数があまりに多すぎて、俳優はちゃんと映してももらえないのにこんな事をさせられるのかという気持ちになりました。
マフィアの巣窟はおぞましすぎました。汚物シーンも1、2回なら、インパクト大で面白いんですけどね。
色があふれるシーンはどぎつく感じましたが、今や映画の技術はどんどん向上して、画質、音質、臨場感を追求する時代になったという事でしょうか。昭和生まれの私は振り落とされそうですが、進化は止めてはいけない、進歩しつつ良いものを目指す、というメッセージとも取れました。
酒池肉林の大騒ぎ
ハリウッドが無声映画で一気に栄えて 浮かれて騒いで乱チキ騒ぎで狂乱する場面を 音楽とカメラのスピーディな動きで暴走列車のごとく見せていく前半と
トーキー映画と呼ばれる音のある映画が流行って
時代遅れになってどんどん衰退していく様を見せるんですが
動の前半 静の後半で2部構成になっているかのように別物感あります
時代考証が正確で 無声映画を撮ってる時のセットや雑な環境で平気で人が死んだり 今じゃ考えられないような事が当たり前だったのも描いているのは面白いです
あとブラピはスーパースターでいつも泥酔しながら撮影している役なんだが時代が変わり人気も無くなって悲しい末路になるのを受け入れる役なんだけど ブラピ自体が実際酒に溺れてアンジェとの子供と会えない環境だったり 役と本人の状況が被っていて笑えない部分もあるんだけど トムクルーズのように俺はまだまだ現役だあーって言うのとは違って ブラピは最後は受け入れて最後を迎える演技がめちゃくちゃよくて 後ろ姿をみてるだけで哀愁漂っていて泣けて来ます!
マーゴットロビーの役も 人に気に入られる能力と 直ぐに泣ける体質なのがウケて一気に登り詰める女優なんだけど これが実際に居た女優さんで小さい頃に家庭環境が悪すぎてその時の事を思い出したらいくらでも泣けるといったバックボーンがあるんだけど映画では描かれては居なかったです!
あと 予告を見たら明るくて楽しいエンタメ作品だと思うけど実際下品でグロくて ウンコ オシッコ ゲロな上にクスリやって乱行騒ぎってのが描かれているから
嫌いな人が一定数居るのはしょうがないと思います
更に前半は情報量が異常に多い映像が多発するから
よく見ないと見落とすような小ネタだらけなので
繰り返し見たくなる中毒性はあるとおもいます
あとこの監督ってクリストファーノーランと一緒で
客の評価が作品を大好きが大嫌いかの2択なイメージあって
どちらにしても極端に評価が分かれる監督だとは思います
下品で何でもアリだったハリウッドを正確に描いていて 時代の移り変わりを見せてくれる作品で映画好きならイケるとは思います。
チャゼルの映画愛に魅せられる
こんな下品な映画、久々に見たわ!
序盤のパーティシーンとか最高かよ!
このご時世なかなか感じられないエキサイトさ
マーゴットロビーにしか出来ない役柄だとは思ったけど
もうああいう役ばかりで、なんだかなぁ
malegazeからは解放されないのね
とはいえ、レディフェイとのケミストリーは
良かったなと思いつつ……。
個人的には監督とのペアも凄い好きだった
あのガムのシーンね!!!!ああいうのね!!
あと、キャリーマリガンとの対談で本人が言ってたけど、
マーゴットは実際にああいう涙の流し方できるらしい
訓練したんだそう。本当にすげえ役者だわ……
ラストも映画好きを黙らせるような閉じ方で、
なんだか終盤でトビーマグワイア出てきたり
グダグダしたりしたけど、あれ以外ないよね
ジャック・コンラッドの人生の終わらせ方も
感慨深かったし、ネリー・ラロイの死も
新聞の訃報だけで終わってたのが妙にリアルに感じた
あと何と言ってもシドニー・パーマーね!?
あの侮辱される屈辱は堪らないよ、涙が出たよ。
あれ以上の冒涜ある??
それでも真摯に演奏する姿に痺れた
入館証返すシーンも格好良かったし、
彼が最終的に流れ着く居場所も、そうだよなとなった
どのシーンも人も衣装も風景も美しく楽しかった
何シーンかもういっかい見直したいんよな
汚いシーンが多いので飲食はお勧めしません…
昔のハリウッドを舞台にした映画って、すでにいっぱいありますね。
もしこれが最初の一本目であれば、まあそこそこ楽しめるのかも。
でも、そうでなければ…。長いですねー。だらだらしてますねー。
各キャラの背景を深堀りする事もなく、俯瞰で見せられてる感じなので、
誰かに没入する事もなく。素通りしていく、流れるままの風景。
そして「ニュー・シネマ・パラダイス」みたいな終わりで「へ??」
そもそもなぜマヌエルは家族と疎遠になってハリウッドで一旗あげようとしたのか。
そして去った後に何があったのか。そういう部分の描写も説明もゼロなので、
監督の映画愛だけが伝わってきました。
「この役のモデルは、一体誰だろう〜!?」て好奇心も、時代が古すぎて湧いてきませんでした。
あとIMAXで見る意味なかったかも??スクリーン上下、余ったままでしたが…。
長く続く何か大きなものの一部になりたい
サイレント映画からトーキー映画に変わりゆく節目の時代のお話。
田舎者のマニーと同じく田舎者のマーゴット・ロビー、そしてNO1俳優のブラピが出会うところから始まるストーリー。
序盤は馬鹿騒ぎで、酒、女、ドラッグやりたいようにやりまくる乱痴気ムービーだったが、徐々に田舎者二人もスターダムをのし上がっていき、、
トビーが出てきてから急にテイストが変わったけど、久々にトビーが見れてよかったw
エンタメムービーではないので素直に楽しめる映画というよりは、こうゆう時代があったんだと映画の歴史を勉強するような感じでした(^_^;)
チャゼル監督、ミュージカルが見たいです……
いつしか魔法は解けて…
ハリウッド
言わずと知れたアメリカ
西海岸の映画の都
元々20世紀初頭は
NYやシカゴが映画の
中心だったものの
権利管理がうるさく
独立系の製作会社の
目を逃れて西海岸に
こぞって移動したとも
言われている
また単純に西海岸の方が
天候が良い日が多く
撮影に適している
といった事情もあったとか
今作は1920年代からの
映画産業をたどりながら
サイレント映画で隆盛を
築いたジャック・コンラッド
という俳優の栄光と没落
また映画産業に夢を見て
やがて果てた人々を
ディミアン・チャゼル監督が
独特のエッセンスで仕立て上げた
チャゼル監督は前作の
ファースト・マンで
史実通りあまりに謎めいた
男だったアームストロング船長の
描写において非常に面白く
今作も楽しみにしていました
で感想としては
200分近い尺ながら
そう長いと感じることもなく
作り手たちの映画に対する
思いを受け止められたし
非常に「割り切った」描写が
ポリコレ配慮でヤワヤワした
表現に終始する昨今の
映画界に一石を投じる
ものである印象を受けました
…ただアカデミー賞だとか
賞レースにする感じの
作品には思わなかったかな
お金もかけすぎかと…
1920年代のアメリカ
いわゆる映画にまだ音声がなく
字幕を挿入することで構成していた
時代のムービースター
ジャック・コンラッドは
昼間は撮影
夜は屋敷で(これぞの)
乱痴気騒ぎを繰り返す毎日
そんな現場で助手を務める
マヌエルは気まぐれで
ネリー・ラロイという
女優の卵を助けて
出演するはずだった女優が
オーバードーズで使えなくなった
機会にネリーを売り込み
チャンスを貰います
マヌエルも泥酔したジャックを
家まで送ったら妙に気に入られ
近くで働くようになります
当時の映画撮影の
「現場」はすごいもので
荒野の炎天下のど真ん中で
なんでも撮影
モノクロだし音声も後入れ
照明もないのでそこら中で
色んな映画を撮影
戦争のシーンでは
安ギャラでテキトーに集めてきた
エキストラにとにかく戦わせ
戦争さながら死傷者が続出
死者が出ると
酒を飲んでいたので…
っていうのは当時の禁酒法を
揶揄しているのでしょうかw
無声映画なのに
ムード演出なのか
現場で生演奏しているのが
印象的でした
そしてネリーは破天荒な演技や
いつでも泣ける特技を披露し
一気に注目の新星になります
マヌエルはネリーに惚れて
いましたがあっという間に
手の届かぬ存在に
そんな自分はジャックの補佐を
しながら要所で役に立ち
信頼を得ていきます
カメラが回ってないと酒で
ぐでんぐでんなものの
やる時はビシッと決める
ジャックに尊敬を抱いて
いたようです
しかし時代は進み1920年後半
映画に音声が乗るようになり
いわゆるサイレント映画から
トーキー映画が実現します
そうなると現場は一気に
音声を撮るために静かに
細かなマイクの位置
劣悪な録音小屋など様々な
困難があり
新しい体制に慣れない
現場やネリーが苦しむ
シーンは時代の移り変わりを
如実に表していました
そしてジャックもネリーも
トーキー時代にあっさり
対応できないという烙印を
押されてしまうのです
何より悲しいのは
上手いとか下手とかでなく
サイレント時代に輝いた人々の
「時代は終わった」という風潮
だけで片付けられてしまった所
いわゆるヒット曲がある歌手が
その後の活動を続けていても
「一発屋」の烙印を押され
揶揄されるようなもの
ジャックは当初は気にしないで
いたもののマヌエルは
トーキー時代にそれまで
裏方同然だったシドニーを
役者側に抜擢することで斬新な
ミュージック映画を仕立て上げ
時代に乗っかっていきます
かたやジャックは自分の能力を
一番認めてくれていた
フラれるとその都度
落ち込みやすい友人ジョージが
ついに自殺してしまったことで
精神的に後ろ盾を無くし
時代に置いて行かれた自分を
自覚していきます
ネリーもマヌエルに支えられ
これから映画産業の主流に
なりつつあるハリウッド進出を
目指しコネクションを作るべく
頑張ってみますがどうしても
馴染めずに大暴れ
マヌエルの顔を潰してしまい
ギャンブルに溺れ借金まみれ
マヌエルもシドニーに
出資者に要求されたとはいえ
人種を蹂躙するほどの
無茶な要求をして愛想をつかされ
うまくいかなくなっていきます
それでもネリーには泣きつかれ
一度好きになった女だからと
いうのもありネリーの借金返済
を工面しますがそれは
小道具が作った偽札で切り抜ける
というとんでもないものであり
結局バレてメキシコに逃げよう
とネリーに持ち掛けますが
それも叶わず…
そしてジャックは
すっかり魔法が解けた
ように消えた自分の将来を
悟り自ら…
冒頭の乱痴気騒ぎの中心人物の
あまりに悲惨な最期には言葉も
ありませんでした
日本でいうと
石原裕次郎は映画の世界で輝いて
いこうという時代にテレビ放送が
始まったことでいち早く
テレビドラマの世界に打って出て
石原軍団を作り上げ時代を作りました
でも流れに乗れずに消えていった
歌舞伎役者たちがいたのです
そして石原軍団もその後
活躍できるフィールドを託す
後継者を創り出せず消えていきました
生き抜いていくやり方が何か
あったのかというとやったところで
世間にはもう過去の人にされていた
というあまりに悲しい事実を
この映画は表現していた部分には
チャゼル監督の意図を強く
感じられたところです
エンディング近くは
なんとか落ち延びて
家庭を築き旅行がてら
ハリウッドに戻ってきた
マヌエルが遠ざかっていた
映画館に映し出される
ジーン・ケリーの美しい歌声に
涙する姿は野望に燃えていた
若い自分の情熱を惹起する
ものであったという
印象的なシーンでした
ニューシネマパラダイス
のあのシーンさながらです
過激なシーンが多分にあり
あれマーゴット・ロビーのあれ?
っていうびっくりするシーンも
ありましたが
自分はこの映画の映画をテーマに
した「つくりもの」であるという
部分のセルフパロディなのだろう
と解釈しているので
あまり真剣に考える必要は
ないと思っています
チャゼル監督らしい
独特の余韻を味わえる作品でした
長い歴史の一部
1920~30年代のハリウッドを舞台にした映画に魅せられた人達の話。
メキシコ移民でパーティーのスタッフのマニーと、主演映画も契約もない自称産まれながらにスターのネリー、既にうんざりする程客を呼ぶ俳優ジャックを軸にみせていくストーリー。
映画がサイレントだった1926年、ザ・乱痴気騒ぎなパーティーの最中、オーバードーズで死んだオッパイ女の変わりに白羽の矢が立ったネリーと、撮影現場に連れて来られてカメラを手配することになるマニー、酔いどれヘロヘロだけどしっかりスイッチを入れるジャックと始まって、ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドをコント色を強くした様な感じ!?
トーキーになって盛り上がる展開はかなりドタバタ感があるもののまだ面白かったけれど、ちょいクドさを感じるし、ガラガラヘビの後からだいぶテイストが変わり、ドラマは良いけど…長い。クドい。テンポが悪い。
結末も男性2人は良かったけれど、ネリーはちょっと中途半端に感じたし、それなりには面白かったけれど180分超えを納得させてくれる程は入り込めなかった。
とりあえず、マーゴット・ロビーは下品な役が似合い過ぎということでw
世界で最も魔法に満ちた場所 …"クソ"に踊れば、映画愛の虹がかかるやも?もう一つの『ワンハリ』で『雨に唄えば』そして『ニュー・シネマ・パラダイス』!
金のかかった散漫とした混沌と喧騒、人生狂騒曲!市井の人々が暫しのあいだ夢見る映画の醜く汚い内幕劇をド派手にバカバカしく騒がしく下品極まりなく描いてみせた。キレイな世界を作るキレイじゃない裏側。このイカれたコメディが意識的に神経逆撫でしたり居心地悪くしたりするのもその為。カネをバラ撒くように散らかっていて、赤は血の滲むような赤。数百の、幾多の人生が映画を歴史を推し進めてきた。めちゃくちゃ好き勝手やってるように見えて、案外要所要所の展開は分かりやすかった。正直、ずっと面白いわけじゃないのだけど、音楽の力も大いに借りて、ひたすら勢いで押し切るような心意気だけは感じた。
チャゼル✕ブラピ=映画愛。年齢の割に昔の映画への造詣が深い監督と、アメリカン・ニューシネマに育てられ、映画を愛し映画に愛された我らが誇る稀代の大スター。彼ら両人を繋ぐのは紛れもなく映画愛それだ!! トビー・マグワイアは製作にも名を連ね、近年役者としての活動が減っている彼らが揃って出演もしているという貴重な本作。…とは言いつつ、トビー・マグワイアが出てきた辺りくらいから個人的に猛烈に飽きてしまってアイス食べたくなったけど、あの落とし所はズルいよ。いや、"あれ"ありきというか、"あれ"がしたいがためのこの当時の大作顔負けの長尺ランニングタイムとも言えるほどなのだけど。映画の夢に生き、現実に破れ、それでもなお映画を愛さずにはいられない者たちへ。光と影は表裏一体、酸いも甘いも知って少年は大人になる。
マリリン・モンロー?『マイ・フェア・レディ』?…等々、見ているときに色々な作品が頭をよぎった。視点人物は映画に憧れ夢見るメキシコ人マニーなのだけど、ノリノリなマーゴット・ロビーとブラッド・ピットが引っ張る。彼は役者として最終局面に入っている的なことを言っているけど、やっぱり役者として銀幕で動くブラピを見られることは一映画ファンとして大きな喜びなのだ!『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』ではスターを支える側だった彼が、今回はスター。ヒゲは『イングロリアス・バスターズ』を少し思い出した。
そこに黒人キャラも含めて主要人物4人のシーンがトントンと、時に怒涛の勢いであれこれ変わっていくさまは、クロスカッティングでサスペンス効果を高めていくところなど、例えば個人的にポール・トーマス・アンダーソン初期の群像劇もチラついた。カメラは違った方を向いている。スターは生まれつきスターで、映画屋はギャングみたいなもの。その中にも女性監督の存在や同性愛の側面は、実際にそうしたモデルがいるのかもしれないけど、現代的だなと思った。サマラ・ウィーヴィングやオリビア・ワイルドの使い方、豪華。
象のクソからの嘔吐ロングリバーーース。傑作『ラ・ラ・ランド』の冒頭でも発揮した流石の長回しは鼻につくけど、やっぱりスゴい。例えば『甘い人生』や『ゲームの規則』など金持ち達の馬鹿げたパーティーや行き交う人々。今回もジャスティン・ハーウィッツによる素晴らしい音楽を味方につけてシーンを印象付け、作品を形作る。重要なパートを担う。例えば『雨に唄えば』や『アーティスト』などトーキーへの変遷・移行期。虚飾と贅沢、そして時の流れに抗えず落ちぶれていく"盛者必衰の理"という避けられない宿命(さだめ)。"歴史は繰り返す"と言えど、ここはやはり大きな大きな転換期。けど本作はそこで留まることなく映画愛全部乗せ大爆発!! ちっとも綺麗事じゃないイカれた時代を清濁併せ呑んで駆け抜ける高カロリー叙事詩の着地点はピュアでもあった。一つの時代の終わり、そしてまた始まり。そうやって続いていく。
勝手に関連作品『雨に唄えば』『アーティスト』『ラ・ラ・ランド』『ブギーナイツ』『カツベン』『ブロンド』『華麗なるギャツビー』「全裸監督」
最高に下品で、最高にオシャレ
これまでに幾度となく題材となったテーマ&時代ですが、さすがのチャゼル監督。天才的な編集で3時間以上の長尺を一気に魅せてくれます。およそ100年前の物語。ある登場人物たちが100年後を語るシーンにはグッと来ました。
全ての映画人に愛をこめて
『デイミアン・チャゼル』の新作は
観終わって、ああ、これは主に二つのテキストに拠っているのだろうなとの感想。
舞台となるのは
「トーキー」の嚆矢とされる〔ジャズ・シンガー(1927年)〕が公開された
前後数年間の「ハリウッド」。
その前では名を売った多くのスター達が、
後ではがらりと様相を変えてしまう。
驚嘆すべき身体性を発揮した『バスター・キートン』はどうなったか。
本作でも名前だけ触れられる『グロリア・スワンソン』が再び
陽の目を見るのは〔サンセット大通り(1950年)〕を待たねばならぬ。
『グレタ・ガルボ』だけは、変わらぬ輝きを見せていたが。
おっと、閑話休題。
1985年生まれの『チャゼル』は当然往時のことを体験するハズは無く
(そう書いている自分も当然知らぬが)伝聞に頼っているハズで、
スター達の乱痴気騒ぎや乱行を知るのに最適なのは
『ケネス・アンガー』著作の〔ハリウッド・バビロン〕。
丘の上に建つ豪邸で
夜な夜なの果てるとも知れぬ桁違いの豪奢なパーティ。
酒とバラの日々こそがスターの証し。
もう一つのテキストは作中でも度々引用される
〔雨に唄えば(1952年)〕で
これも同時代を描いた傑作。
中にはまだ慣れぬトーキー映画を撮るためのてんやわんやのシーンもあり。
発声レベルの大小や、音と動作のシンクロのズレで可笑しく描き出す。
とは言え、同じ手法では監督は善しとしなかったのだろう、
テイクを重ねるとの異なる見せ方に挑んでいる。
一種の繰り返しのギャグも、あまりに笑えぬのはどうにも辛いところ。
サイレント期の大スター『ジャック(ブラッド・ピット)』。
彼が主催するパーティに潜り込んだことがきっかけでスターへの道が開けた
『ネリー(マーゴット・ロビー)』。
『ジャック』に気に入られ、制作会社の重役に上り詰める『マニー(ディエゴ・カルバ)』。
三人の盛衰を通して、同時期の「ハリウッド」の変遷が
喧噪の中に、しかし一抹の寂寥をもって描かれる。
三時間を超える長尺になってしまったのは、
先のパーティの部分は勿論、
撮影現場についても事細かにエピソードを取り込んだことによる。
観ていて楽しいのは論を待たぬものの、
通した時に盛り込み過ぎの冗長さは感じてしまう。
が、各所には、目を瞠るパートはあり。
冒頭の糞尿譚はあまり感心せぬが、
その後の屋敷内でのパーティの場面は素晴らしく
『ラ・ラ・ランド(2016年)』でのハイウエーでのミュージカルシーン宜しく、
綿密な計算のもと、延々とした場面をノーカットで撮り切る。
そして、最後のシークエンスでも提示されるように、
おそらく彼がこれまで影響を受けて来た多くの映画作品と、
その制作に携わった人々へのリスペクトと愛惜に満ちている。
前作、前々作も同様に、
自身が生まれる前のアメリカに
並々ならぬ興味を示し作品化するスタンスには
やや偏執的な気質を感じはしつつ、
その思い入れの深さと表現の強さは並大抵でないのが美点であり才能。
今回は幾多の瑕疵が視られはしたが、
次はそれらをきちっと修正して来るだろうとの期待を込め。
映画の狂気を撮る狂気
2022年。デイミアン・チャゼル監督。1920年代のハリウッド。超大物俳優と新人女優と新人スタッフの3人を中心に、サイレント映画最盛期の狂気の世界、トーキーへの転換と人間関係の変化、求めても求められないものと映画の真実、を大胆に描く。
3時間を超える大作のなかで、映画史への大胆な言及が盛りだくさん。サイレント期の撮影現場の喧噪もトーキー初期の現場の無音状態も「狂気」として描くのが監督の真骨頂。まともな人は映画に関われないし、「何か大きなもの」の一部になることなどできないのだ。大騒ぎのシーンがあるかと思えば、人物たちが感慨をもらす静かなシーンもあって、それこそ監督自身が狂気を実践しているので、観る者はいいように翻弄されてしまう。カットでつなぐことができない監督なのだが、ここまで真摯に映画についての狂気を演じてもらえればそれはそれで満足してしまう。
「俺はもう孤独じゃない」
中々の阿鼻叫喚の地獄絵図が繰広げられる群像劇 ネット上では既に考察やネタバレがあるので
大体、そういう話で間違ってはいないし、兎に角品行方正とは真逆の映画に仕上がっている
映画史を紐解くという側面もあり、無法状態がベースでの、映画界とマフィアのアプローチも又興味深い
自分の感想といえば、兎に角今作品、ガラスの割れる音が多すぎる 多分意図的ではあるのだろうが、粉々に砕け散ったガラス片は絶対に誰かを傷付けていることだろう 勿論作品中にそういうシーンは出てこないが、ガラスコップや窓ガラスの破片はそれ単体は美しいと同時に凶器にもなり得る 破裂音も高く、驚きと恐怖ももたらす "映画"という表現方法のメタファー、そのものではないだろうか そしてラストの抽象シーンでのインクの滲みは、フィルムの薬剤、嘔吐、排泄、人間の感情、そしてガラス片や撮影中の事故死での夥しい血が、それこそ"ミソ○ソ"に混ざり合う様を暗喩していると考察するのだが、間違っているだろうか・・・
計画性も何も無い、行き当たりばったりで一攫千金を勝ち獲れた野蛮性をノスタルジーという蜜でコーティングした時代を検証する上でも重要な作品である
100年前のハリウッド大転換期を3時間で駆け抜ける!
大作なのはわかっていましたが、ハリウッドに詳しくないし、予告を観てもそれほどそそられず、スルーしようかと思っていた本作。しかし、公開初日の高評価レビューに誘われて鑑賞してきました。期待以上におもしろくて、睡魔に襲われることもなく、あっという間の3時間でした。
ストーリーは、1920年代、ハリウッドの映画業界のパーティーに潜り込んだ、大スターになることを目ざすネリーと、映画製作に携わることを夢見るマニーが、それぞれ関係者の目に留まり、そのチャンスをものにして着実に成功の階段を上っていくものの、時代はサイレント映画からトーキーへと大きな転換期を迎え、俳優も製作陣もその大きなうねりの中に飲み込まれていくというもの。
まずは序盤、予告で観たエキサイティングでクレイジーなパーティーシーンが描かれます。ネリーとマニーにとっては、目ざすべき場でもあり、挑戦すべき相手でもあり、文字通りここからすべてが始まっていくことになります。しかし、終わってみれば、その刹那的で退廃的な雰囲気は、二人のこの先の運命を暗示するかのようで、本作の象徴とも思えます。
パーティーの翌日、舞台は屋外セットの撮影現場に移りますが、前夜のノリはここでも同じ。いかにもアメリカンな感じの映画撮影は、撮影エリア、スケジュール、真剣と冗談の境界線まで曖昧で、勢いだけで突き進む現場の雰囲気に圧倒されます。そんな100年前のハリウッドの撮影風景はとても興味深かったです。そして、したたかな立ち回りでチャンスをものにして、スターへの階段を駆け上がるネリーの姿が印象的でした。
しかし、時代の流れはトーキーへと移り変わります。ここでも当時の撮影の苦労が偲ばれるシーンが、興味深かったです。素人考えで、サイレントに字幕をつけるよりトーキーの方が楽かと思ったらとんでもないです。当時の機材や技術では、相当な苦労があったのだと勉強になりました。そしてこれが、時の大スター・ジャック・コンラッドやネリーらにとっては、終わりの始まりとなり、徐々に不穏な影が見え隠れします。トーキー撮影の細かい要求に困惑したり、しだいに観客に受け入れられなくなったりと、苛立ちや苦悩の日々が続きます。
栄光と没落、それは役者に限ったことではありません。いみじくも、コンラッドに向けられたエリノアの言葉が、時代も国もジャンルも超えて突き刺さります。時代の流れは、誰のせいでもなく、どうにかできるものでもありません。それを知りつつ、現状からの脱出のため、自らを断ち切る者、別の道を模索する者、最後まで抗う者と、それぞれの方法を試みますが、そこに正解はありません。それでも、その証は残ります。そんな思いを込めてか、ラストで映画を見ながらマニーが流す涙がとても印象深かったです。
キャストは、ネリー役にマーゴット・ロビーで、ハーレイ・クインを彷彿とさせるキュートでクレイジーな感じが魅力的でした。マニー役のディエゴ・カルバは知らない俳優でしたが、映画とネリーにすべてを捧げる青年を好演しています。この二人の憧れとも言える大スター役はブラッド・ピットで、ハリウッドの顔として本作の象徴的存在となっています。
自分のような映画知識が浅薄な人間でもこれだけ楽しめたので、ハリウッドに精通したかたなら鳥肌ものの喜びを感じられるのではないでしょうか。とはいえ、上映時間が3時間というのはやはり長く、必要以上にグロ描写を入れたり、移民や貧困や人種差別的な問題を中途半端に入れたりせず、本筋だけで描ききったほうがシンプルでよかったのではないかとも思います。
古い映写機のフィルムから繋ぐ現代へのエンターテイメント
冒頭部分の象を車で輸送中の坂道を登る途中での出来事、女性が獣になる姿、低俗な場面もありました。男性の傍若無人な振る舞いがありました。1920年から1950年までの
映画を通しての俳優やレトロなファッションや音楽を知ることが出来ました。
サックスの音色が響くなか、古い映写機のフィルムから現代に繋ぐ新しいデジタル化した時代を感じ取りました。
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