「もし受け入れ難いものだったら」正欲 muさんの映画レビュー(感想・評価)
もし受け入れ難いものだったら
追記しました。
気がつくと考えたりして再追記。
普通になりたい一人一人とその周りの普通であろう人たちと。自分は普通だと信じて疑いのない人の世界の話のよう。
水音の表現や水が迫ってくる描写があって、はじめは感覚過敏に翻弄されて知らない内に圧倒されている人の比喩なのかと思いながら見ていた。
もしそれが個人の嗜好の自由だとしても自分にとって受け入れ難いものだったら え、別にいいじゃん とは、すんなりならないから社会的にも倫理的にも受け入れたらならないものの対比に水を使ったのかなあと思った。 「そんなわけない」って台詞にまあそういう人もいそうだよねって見る側が思えるように。
パッと受け取った情報で誤解したりされたり、自分でもよくわからなかったりで世界に対して疎外感を感じる感じが映像になるとこういう表現になるのか…と思った。
宇宙人みたいだと疎外感を感じていた人同士が出会えて障害なく話ができて、自分の世界が安定してから他者を理解して受け入れようっていう興味に繋がるんだなあと2人でベッドに重なるシーンで思ったりした。身体の感覚で暖かさや重みで別の星の生き物みたいに感じていた周りの人の言っていたことが実感できて過去のその人に同意できる思いが湧いたり、安心感を知れてよかったなあと思った。
わからないこと理解できないことに戸惑ったり不安になったり強がる感じもなくて稲垣吾郎の役は過度な一般化の記号みたい。
明日生きていたくない人と生きていたい人と、明日も生きていて当然な人みたいな。。
グラデーションありながら3パターンいたのかな。。
ひとつの家庭、母として自分で言いなさいと子どもに促す、こういう子がいるから自分の思いも正しいはずだと話す子ども、父としての?意見。なんだか違和感…?
誰かの意見ではなくてどう感じるから学校に行けないのかを聴くのは難しいんだなとか、お母さんは聞いてあげたのかなとか、正しい夫婦になりたかった奥さん役なのかなあとか。居場所が欲しかったのはお母さんなのかなとか。
子ども自身も自分の感じ方をみんなしているのだと思っていて、みんな我慢強いと思っているかもしれないんだなとか。もしくはお母さんが実はそういう感覚の窮屈さの中にいたのかも知れない。
責めるためでなく「どうして」や「どう思う」、「感じる」を聴くのは練習がいるのかもしれない。自分の感じ方が人とは違っていると知り、わかるまでは時間がかかるし、わかるまでは割合怖い。
違いを面白がりあえる人と出会えたらバリアを張り巡らさずに息ができるような気がする。
動画の内容はよくわからないけどコメント欄に応えるとか遊んで楽しいだけじゃなくて、子ども同士の出会いや大人同士もそういう出会いならいいなと願う。
わからない世界があるって受け入れないと橋が渡らない。決めつけて切り捨てた側の世界はどっしりと揺らがない。
……はずだったんだけど稲垣吾郎の役も家庭がほつれて離れることと外にいる人からのノックで、信じようが信じまいが存在するということばで透明な殻の向こうにそれぞれ別の感じ方のある世界があったりするかもと気づくみたいな感じだったのかなぁ。。
まさかあそこでいきなり終わるとは思わなかった。
いきなり始まり、探り探りそれぞれの世界の日常の流れが合流するのかな、したのかな…でぶちっと終わった印象でした。
もうちょい続きを見たかったので星4つ。