「対立に終わるのではなく、対話による相互尊重への移行に」正欲 てつさんの映画レビュー(感想・評価)
対立に終わるのではなく、対話による相互尊重への移行に
自閉症者が水にこだわりがある様子はみたことがあるけれども、そのような特性ではなく、フェティシズムとして好む人々がいるということなのだろうか。異性愛者ではなく、偽装結婚までして隠して生きていかないといけないほどのことなのだろうか。新垣結衣氏が演じた「逃げ恥」も偽装だったけれど、異性愛に移行していた。本作ではそうはならなかった。噴水や水飲み場の水を浴びたりするのは社会的にも許容されるけれども、蛇口を盗んだり、ブロックをぶつけて破裂させるのは犯罪行為となるので、止めてほしい。裏切られたと思って、相手の家の窓ガラスを割ったり、自殺未遂をするのも、賛同できない。
セクシュアルマイノリティのパレードをみて少子化に拍車がかかると誤解する年代の人々は、今も確かにいるけれども、30歳くらいの同世代で、結婚しないことに干渉したりする風潮は減っていると思う。余計なお世話だという感じ方が普通になっていると言えよう。
不登校の子どもが社会参加のために動画投稿に活路を見出し、母親が夢中になり過ぎ、父親が非協力的なときに、決裂してしまうのは、極端過ぎると思う。犯罪的な部分について母親に理解してほしいというのは無理からぬところだろう。本作では動画投稿の問題での家庭分解だったが、反社会的な宗教の場合でも、検事の父親の常識的判断が非難の対象になるのだろうか。本作のように無害な宗教であったとしても、『星の子』や『カリスマ』のように、偏見に晒され、偏見を受ける立場でともに生きる覚悟を求められるという描き方もあるのだろう。対立に終わるのではなく、対話による相互尊重への移行は必要であろう。「耳ざわりがいい」という表現は、私にとっては心地良くないものである。