「参りました❗️本当に色々と考えさせられました」正欲 グレシャムの法則さんの映画レビュー(感想・評価)
参りました❗️本当に色々と考えさせられました
参りました🙏🏻
素晴らしい出来に平伏しております。
数年前、あの朝井リョウさんの新作ということで期待の大きかった原作ですが、面白くないな、という印象しか残らなくて内容もすっかり忘れてました。
(そもそも、面白さで感じようとしてた自分が浅過ぎたのかもしれません)
映画が進むに連れて内容も蘇ってきました。
そして、こんなに深くて重かったのか、と自分を恥じることとなりました。
もちろん、脚本、演出、俳優陣の、この映画に込める気持ちの一体感の成せる技。それが一番の要因なのかもしれません。
稲垣吾郎さんは、我々一般大衆の常識🟰正しさと信じて疑わない〝愚昧な部分〟を一身に背負って演じ切りました。いわば、ひとりで人間の原罪を背負ってくれたイエスのような存在。
常識というのは、よくよく考えたら、そういうものだと考える人が多い、というだけのことで、〝正しさ〟を担保するものなんて何もない。
広告や宣伝でも〝常識を疑え〟というキャッチコピーはよく見るのに、本気で常識を疑ってる人は現実社会では少数派。
今や、各種ハラスメントやLGBTQへの配慮や寄り添いが〝常識〟となりましたが、それ以外への(性的)指向についてはまだ常識化していない。
と書いてるうちに、もしかして、常識にも一般大衆への浸透度合いによる序列が生じやしないか?という疑問が浮かびました。
(以下は、極めて個人的な、ということは、極めて非論理的で情緒的にも未成熟な見解です。不愉快に思われる方がいらしたら率直にお詫び申し上げます。)
〝理解されないことによって生じる孤高の精神〟にはある種の高潔さを感じる。
一方で、常識の範疇に入ることについて、〝大衆への迎合〟みたいな、どこか割り切れない心地悪さもあったりする。
少数派で世間からの理解が広まっていない時には、常識派からも一定の支援や応援が得られるが、常識として認知されると、根強く残る差別的な待遇にも自己責任で頑張ってね、と割りと簡単に突き放されるようなことになりはしないか。
ふざけ半分に聞こえるかもしれませんが、〝水〟があるのなら、〝火〟のフェチもある(もしかしたら放火魔というのもそれかもしれない)。排気ガスフェチとか加齢臭フェチとかの性的指向だってあるんじゃなかろうか。
とっ散らかってしまったけれど、色々と考えさせられる映画であることは間違いありません。
おはようございます。
常識は〝正しさを担保するものなんてなにもない〟
その常識の〝浸透具合による序列の生じ〟について頷きながら読みました。
そして、グレシャムの法則さんの見解にもなるほどなと思いました。
とても興味深いレビューでした。
今晩は。改めてレビューを拝見させて頂きました。
実に興味深く、グレシャムの法則さんの寛容さが溢れた素晴らしいレビューですね。
私も同意見ではありますが、全てを許容してしまうと、おかしな方向へ行ってしまうのではないかと危惧してもおります。線引きする必要もあるのではないかと。
しかしながら、それが漠然としており、未熟な私は少し混乱しています。