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少し前にドラマ『モアザンワーズ』(全10話)を見て、主演の青木柚君がすごく上手いなあと思って、この人、映画に出演してないかと調べて、この映画にたどり着きました。
主人公樹(いつき・青木柚)は高校生。ある夏の日の13時からの5分間だけを繰り返し、5分経ったら記憶がなくなり(?)、またすぐに、新たな同じ時刻の5分間に突入する。その時間というのは、同級の恵那(坂ノ上茜)との文化祭の打ち合わせの時間。恵那の「ありがとう。って、聞いてる?」という呼びかけに目覚める樹で始まるシーン。
青春タイムループもの、みたいなふれこみがあったのですが、あまりファンタジーを期待すると、ちょっと期待はずれかも。
「あの日、あの時、あの場所で・・・」というのは、某ラブストーリーのキャッチフレーズですが、この映画の主人公は「同じ時間を同じ場所で」過ごしているのに、樹も恵那も少しずつ年老いているのです。どうして、そういう流れにしたのかはちょっとわかりませんが、監督なりの意図があったのかもしれません。無限ループなら、時の流れは止まっているはずなのに。
結局、樹が年老いて死に面した時に見ていた「走馬灯」がその13時からの5分だったわけですが、それにしても、同じ時刻の5分間が繰り返されるのは、ある意味、無限地獄。本人も途中でそれに気づき、5分しかないことに焦り、恵那をものにしようと少し露骨な性的表現もあり。青春の「きらめき」よりも「苦さ」を表現したかったのかもしれません。あくまでも「夢」なので、潜在意識の本能の部分も描きたかったのか?
ラスト近くになって、実際は恵那と文化祭の打ち合わせをしていたのは別の男子だとわかります。つまりは樹の願望妄想だったわけで、ありもしなかった夢を見ていた樹の姿に、すごく切なさを感じました。
恵那が老人になって、死の直前の樹に会いに来て「私のこと好きでいてくれたのね」(だったかな?みたいな言葉)、これは不要のような気がします。くどいというか不自然。いや、年老いた恵那の出番は要らなかったような。年老いた樹と恵那が学生服を着ているのもちょっとなぁという感じがしました。作品を観る側としては、それらがなくても若きの日の1ページと年老いた樹の存在だけで十分理解できると思います。
樹の甥っ子が施した延命治療、「本人の青春時代を振り返るような設定」が(最新医療の一端として)含まれているのだと思っていたのですが、そうではないようですね。考えすぎか。。。
青木柚君はやっぱり良かったと思います。キラキラのイケメン少年(人気アイドル系)だったら、映画じゃなく、薄っぺらいドラマになってたかもしれません。