福田村事件のレビュー・感想・評価
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燃えあがる女たちの情念
森達也監督がこの事件を偶然知ったのは2000年とのこと。わたしが全然知らなかったのは当たり前。香川(讃岐)から全国各地に行商して廻る一団は「穢多(被差別部落出身者)とわかったら、薬を買って貰えなくなる」という瑛太のセリフ。これは映画の設定に過ぎないと思っていたら事実そのもので、犠牲者の遺族や生き残った証人は表沙汰になるのを嫌ったため、長年埋もれていた事件だと後で知った。村の自警団の中心となる在郷軍人たちは実刑判決となるが、恩赦で刑期半ばの1年ほどで釈放されたのも事実。この映画であきらかにフィクションの登場人物は半島で教師をしていたデモクラシー思想の澤田(井浦新)とその妻、静子(田中麗奈)と女性新聞記者役の木竜麻生。関東大震災の混乱のなか甘粕大尉に殺された大杉栄と伊藤野枝の事件はこの事件の10日後だが、水道橋博士が演じる鬼気迫る病的キャラと濃いえんじ色の軍服に甘粕大尉を想起。在郷軍人会なんてアメリカではポピュラーだが日本にはないと思っていた。循環式浴槽で増殖するレジオネラ菌による肺炎の別名である在郷軍人病は初めて発見されたきっかけはアメリカの退役軍人の集会で集団発生しだことから付けられた病名。水道橋博士のこの演技が決まらないとこの映画のバックボーンが決まらないので、よくガンバった。
そして、行商の親方の頭を斧で叩き割り、虐殺事件の口火を切った若い女役。MIOKOが韓国が世界各地に設置している従軍慰安婦の少女像にソックリだったのにはドキリとした。
この監督、只者ではない。
この映画のレイティングはPG12だが、それ以上にエロく感じた。田中麗奈が情動のままに船頭(東出昌大)に迫り、舟の上で自らズロースを脱ぎ捨てる。それを岸から見ている夫。白磁の結婚指輪を豆腐に忍ばせて置くコムアイ。シベリアに抑留され白木の箱になって帰って来た夫の遺骨を抱えた女は船頭ととっくに出来ていて、寂しかったからどうしょうもなかったときっぱり言い放つ。夫が出征している間に義父の子供を身籠った女(向里祐香)も積極的。乳房を露にして義父(柄本明)の亡骸を抱き寄せた。これらの女たちの情念に私は伊藤野枝のそれの激しさを見たような気がした。
松浦祐也も目立たないが実に達者である。
人気俳優も皆達者だったけど、水道橋博士と松浦祐也がいい仕事。
アメ売りの娘と行商団の交流もあざとい演出。木竜麻生が彼女の手を取り、自警団をやり過ごそうとする場面での撲殺シーンはエモ過ぎた。アメを買ってくれた一行に丁寧に御辞儀していた娘の清らかで素直な様は白眉だった。
行商に出発する少年にお守りを渡す橋の上の少女。御守りの中身は単なる御守りではなかったのも実に憎い。
本所での火災旋風では何万もの命が奪われた。火災で生じた竜巻に吸い込まれて飛ばされる人間を見た人の証言も物凄くショックだったが、この映画の旋風もすさまじいものだった。
芸能界は在日朝鮮人がたくさんいるのよと当事者ご本人の口から聞いたことがある。この映画に出演している俳優の中で公表している人はいないと思うが、演じている俳優が互いに意識することはないのだろうか?そんなことも考えながら観た。最近じゃ政界もそうかもしれません。つい、疑心暗鬼になってしまいます。
千葉日日新聞の女性記者役の木竜麻生(新潟新発田市出身の美人)は生粋の日本人だと思うが、彼女の甘ったるい感じはなんだかこの映画の緊張感を少しユルくしてしまったような気がした。上司役のピエール瀧との対比はよかったけど、私は大好きな黒木華がよかったなぁと思ってしまった。
映画の感想は人それぞれで、そんなことを思いながら観ていた映画ファンもいだということで🙏
高評価ばかりなのが怖い
香川県在住。森達也の映画、本が結構好き。
制作を知った公開2年くらい前から気になっていた。
予告を観たとき「テレビの再現Vみたいなクオリティになっているのでは…」と大いに不安になった。
しかし、事前に武田砂鉄のラジオでの監督インタビュー、水道橋博士と町山智浩の監督インタビュー、好きな町山智浩さんの紹介情報などでテンションを上げ、鑑賞。
感想は、「テレビの再現Vなら良かった」である。
この歴史的事実、朝鮮人虐殺の事実にスポットが当たる事には大いに意義がある。
だが、映画の出来は最低。思想ではなくクオリティの話。日本映画の悪いところが詰め込まれている。
さらに、SNSでは絶賛の嵐、町山さんや宇多丸さんも絶賛。柳下毅一郎だけは映画の出来には直接触れずに、脚本家の色が強く出ていると言うに留めていた。(ドミューン出演時。この時その場に水道橋博士も居たので言いづらかったのかもしれない)
批判レビューにはイチャモンコメントまで付いている。まるで言論封殺。
この映画を一ミリでも批判してはいけない雰囲気が漂っている。
それはこの事件が内包する「集団心理」「言論封殺」と完全に印象が重なる。
(ただ、この事については、東京都の対応など朝鮮人虐殺がなかった事にされそうな風潮の中、この映画を批判する事でそれに加速がかかってしまうのではないか…という心配から、皆あえて言わないのでは…という事も考えられる)
繰り返すが、この歴史的事実をピックアップする事は意義があるし、私は森達也のドキュメンタリーや著作、考えにかなり共感している贔屓者だ。
しかし映画のクオリティは酷い。どう酷いかは他の低評価レビューを見ると概ね同じだ。
何故こんなに出来が悪くなってしまったのか。
柳下毅一郎さんのコメントからいろいろ考えてみた。
まず、脚本が最大の要因である事は間違いないだろう。(批判の多い説明的なセリフ…エロシーンなど)
そして、森達也監督は役者に自由にやらせて、演出をほとんどしていなかったのだと推察する。脚本を読み、役者が各々考えて作ってきたのだろうその演技は、全体の統一や自然さからはかけ離れていった。監督は役者に自由にやらせ、それをドキュメンタリー撮影時と同じように、「目の前で起こる事」を忠実に追いかけて拾っていったのだと思う。
結果、脚本に引っ張られて出てきた役者の自意識や過剰さ、クセ、統一性のなさなどがそのままカメラに納められてしまった。監督の目の前で起こっているのは役者の「演技」であり、それは舞台を撮影しているようなものになってしまったのだ。ドキュメンタリー監督としての性質が物語作品では裏目に出たのだと思う。
映画に映し出される演技は、役者への演技の付け方だけで決まるのではない。優れた監督は役者の自意識を編集でコントロールすることができる。ほんの一例だが、スコセッシの「沈黙」では、窪塚の癖のある演技や前のめりな自意識を、編集と演出でここまでコントロールできるのか…と感心した。
インタビューなどの発言から、森達也監督は、脚本も、役者の演技も、往々にして受け身だったのではないかと推察する。しかし監督とは全体をコントロールしするものではないのか。だから映画は「〇〇監督作品」と冠するのではないのか。
もう一度言うと、この事件にスポットを当てた事には大きな価値がある。
ならば、この事件を調査したドキュメンタリーを作るか、いっそテレビの再現ドラマのように、事件の概要を丁寧に説明するくらいが良かった。アンビリバボーなどの再現ドラマは面白い。そのように作れば良かったのだ。
コムアイなど役者は良かった。彼らの演技が不味く見えるのは、脚本家と監督の責任である。
舞台と映画は違う。映画は編集によってまずいセリフも、下手な演技もうまく処理できてしまうのだ。それが劇映画の醍醐味だ。そして、森達也はドキュメンタリーにおいて「映画は嘘をつく」という事にこれ以上ないくらい自覚的であったはずだ。しかし、大嘘をつかねばならない劇映画では上手く行っていないのだ。
今回の劇映画の下手さ=監督の「嘘のつけなさ」はやはり森達也はドキュメンタリー監督として優れているのでは…などと思った。
沈黙
この作品が上映されると聞いた時に初めて福田村事件というものを知りました。関東大震災後に朝鮮人が差別されていた歴史があったという事は歴史の授業でチラッと習いましたが、日本人同士でも疑われて殺されたなんて残虐な事件があったというのはかなり衝撃的でした。
戦争で死ぬことが名誉と言われることがまだ普通だった1923年が舞台になっています。今考えるとやはり戦争はおかしい事ですし、死ぬ事が素晴らしいなんて全く思えません。時代が時代なのでこれが普通だったと思うとそこでまず恐怖を覚えてしまいます。
前半ではゆっくり村の描写や当時の過ごし方、人々の関係性をじっくり描いていきます。だいぶスローなのでかったるいと思うところはちょくちょくありましたが、そこは役者陣のパワーでなんとかカバーしていたなと思いました。
朝鮮人を差別していたり、主義者を殺す描写を挟み出したあたりから不穏な雰囲気が漂っていき、それが終盤の事件の大爆発に繋がっていったなと思いました。
福田村で詰め寄られるシーン、本当に怖かったです。10人そこらに村中の人々が寄ってたかって言い詰め寄りますし、確認するまで待てと言ったって無駄な正義感が働いて何度も何度も暴言を吐いては威嚇をする、同じ人間でもやってはいけないラインを余裕で越えてしまっていて、1人の行動で村人のリミッターがぶっ壊れて商人たちを襲い始める映像が静かに、そして獰猛なくらいに激しくなっていく様子が末恐ろしかったです。
邦画洋画問わず、子供を殺す描写ってあまり多くないんですが、直接的には見せずとも子供を斬り殺すシーンがあったのは衝撃的でした。リンチの描写も無抵抗な商人をこれでもかと滅多刺しにして川に流したり、積んだりと人扱いしていないのが見て取れました。
最終的に日本人という事が証明された時も、反省の弁なんて一切言わず、お国のために村のためにとほざくだけなのも拍車をかけてムカつきました。話も聞かずに自分たち優先で行動したのにその言い分はなんだと、殺戮をあれだけ起こしておいてあんな態度なんて信じられないです。とても辛かったです。
全体的に寄り道が多かったのが今作の残念なところだと思います。3組ほどの描写を見せつつも、それが最終的に事件のパートへ合流する構成になってはいるんですが、不倫の描写を長々と映す必要性はあまり無いと思いましたし、震災の描写の嘘っぽさが拭えず、そこまでの緊張感がプツッと切れてしまいました。
後から知った情報で夫婦をはじめフィクションの人物が多く、そこは映画に昇華するためには致し方ないのかなと思いました。実在した人物にも少し色を加えてしまったのはリアリティを薄めてしまったのかなと思いました。テンポも特段良いわけではないので、台詞回しに違和感を覚えてしまったのは惜しかったなと思いました。
主人公としての役割はかなり薄く、主人公はおらず、一つの物語に多くの登場人物が同じくらいの頻度で登場しているといった見方が一番良いと思います。
時代は1世紀ぐらい違いますが、直近で観た「キリング・オブ・ケネス・チェンバレン」と同様、思い込みで衝動的に行動してしまった結果、あってはならない事が起きてしまったという悲劇を映像越しで体験する事ができました。自分が当事者で被害者or加害者の立場にいても行動を起こす事はできなかったと思いますし、誰かに従って失敗の策を選んでしまうのではないかなと色々考えされられました。
しっかり劇場で観ることができて本当に良かったです。これは書籍でじっくりと読んでまた考えを深めたいなと思いました。
鑑賞日 10/17
鑑賞時間 15:45〜18:10
座席 C-12
被差別部落
大正の時代にしては汚れ感が少ない画面と、不必要に多いお色気シーンにハズレを引いたかと思いましたが、途中からこの世界へ引き込まれました。
村人達が普段の生活の延長線上で、突然気が狂った訳でもなく(1名以外)、虐殺を行っている様子。
第三者として見ていると、何で?と思ってしまいますが、村の当事者だったらどうにもできませんね、これ。
また思わぬところで穢多の生活が少し垣間見られて嬉しかったです。
水平社宣言を御守りにして行く穢多達、襖もある良い宿に泊まっているようにも見えましたが、行商で稼げているからでしょうか。
より下の身分の物を漁る浅ましさ、笑えます。
お上に逆らうと碌なことはないとか、船頭に絡んだり、人を見て態度をコロコロ変えるような信念の親分と一緒にいるような輩だから、一歩間違うとこんな運命になるのかもしれません。
あ、あの記者さんには、何故あの場に居合わせたのか不思議でイラッとしますが、村長の言葉を引き出してくれたので良いのかな
100年目だからか
関東大震災の数日後、千葉県福田村で実際に起きた事件。
話の2/3程事件が起こる迄の村や東京や被害にあった薬売りの人々の話。
東出昌大扮する船渡しの女性関係っているのかな?
wikiを見ると、事件の全容に関してはほぼ事実通り。
やはり、ナチのユダヤ人虐殺が頭に浮かぶ。
『十円五十銭』を言わせるところ、卑劣すぎて情けなくなった。
現在と違い、情報伝達が上手くいかず、地域の独特な方言だと伝わりにくいのはわかる。
また、薬売りの人たちは、被差別部落なので素性を詳しく言いたくないのも禍いしたのか❓
遠因として当時日本政府が、新聞社を使って朝鮮人の印象を凶悪殺人犯放火犯に仕立て上げたからとしている。
実際に目にしていない村人に不安を持たせるに充分である。
村人=自警団=ちょっとしたきっかけで殺人集団となり得る者たち。
wikiには、自警団での暴力とあるが、れっきとした殺人であり、恩赦などで許されるものではない。
昔だから有耶無耶にされたのか。
今ならこんな事件が起こりもせず、きちんと
断罪されるだろうか⁉️
現在情報手段が発達しているが、その拡散により凶器となって人々の命を殺めてしまう事象が多々見られる。いつ何時当事者被害者になるとも限らない。また、加害者になりはしないか⁉️
自分があの薬売りだったら、あの場をどのようにして切り抜ければ良かったのか⁉️
団長の永山瑛太さんが、
「朝鮮人だったら殺してもいいのか⁉️」
と叫んだ途端に、夫が殺されたかもしれないと不安に苛まれる妻に殺されて、それを発端にやる気満々の村人たちが、怒涛の如く殺戮し出した。
本作を観た感想だが、あの言葉は正論だが、あの時点で言うべきではなかったのではないかと思ってしまった。実際にはどうだったかはわからない。
本事件は、当時の朝鮮人差別により間違って日本人を殺してしまった、日本人に申し訳ない、というわりには恩赦が出てほぼ無罪となる。
殺人して無罪とは⁉️
これは、部落民だったからなのか?
当時の朝鮮人差別、部落民差別を炙り出し切れていないので、と言っても、やはり無理なことかとも思う。
そういう現社会だからか、何が起こるかわからない。
知らなかった事件を提示してくれたのは良かったが、100年前だからと決して油断できない状況だと気を引き締めねばならないと感じた。
何でもすぐ古くなる人種どこかの虐殺への怒りさえおいてきぼりだよ
B'zの稲葉浩志が作詞した『HOT FASHION -流行過多-』の歌詞の一部だ
あまりにも素っ頓狂でダサく初め聴いた時はびっくりした1990年
虐殺とは当時のソ連崩壊東欧情勢が関係してるのかもしれないが稲葉の地元岡山県津山の30人殺しの可能性もなくはない
いまだによくわからない
深い意味はなくその当時のノリだろう
2023年映画館鑑賞52作品目
10月8日(日)フォーラム仙台
スタンプ会員1500円
監督は『i 新聞記者ドキュメント』の森達也
脚本は『湯殿山麓呪い村』の佐伯俊道と『止められるか、俺たちを』の井上淳一と『Wの悲劇』『海を感じる時』『この国の空』『火口のふたり』『あちらにいる鬼』の荒井晴彦
東北では全国に遅れて仙台でやっと先月末から公開
配給会社が弱小の太秦のせいだろう
この会社の公式サイトを見ると無理もない
フォーラム仙台で初公開する際は遅れて申し訳ないと感じたのかわざわざ森達也監督が挨拶に来たらしいが
これも一種のキャンセルカルチャーだろうか
それにしては死ね死ね団じゃあるまいし分母が大きすぎる
安倍亡きあとの左翼の迷走を象徴している
讃岐から薬の行商として千葉にやってきた被差別部落出身のグループが朝鮮人に間違われ殺される話
方言のせいか聞き取りづらい台詞が多い
雰囲気でなんとか理解した
DVDや動画サイトで日本語字幕付きで再度鑑賞したい
地元民のレビューなのか千葉の方言としてはおかしいらしい
そこは森達也監督の落ち度ではなく脚本家が悪い
プロデューサーのチェックも甘い
俳優のアドリブの可能性もなくはないが
差別に男女の痴話話を絡めている
これは森達也というより経歴を見るにつけ脚本家たちの趣味だろう
日活ロマンポルノとかに拒絶反応が強い女性は要注意だがそれほど性描写は激しくない
ただ向里祐香が乳房を露出する必然性は疑問だ
ビゴーによれば明治の人々は暑いとどこでも裸になるらしいのでこの時代もその流れがあるのだろう
当時の異常なまでの不穏な空気は感じさせる
シベリアといえば大東亜戦争末期のシベリア抑留かと思いきや時代が違う
日露戦争におけるシベリア出兵
秋山好古とかのアレだろう
予算の都合なのか関東大震災の情景が薄い
いくら田舎でも千葉だって被害は甚大だったはず
それがあまり感じられないのが残念
事実と時系列が全く違うのもおかしい
岡田斗司夫氏は自警団側がブサイクで被害者側や庇う地元民が美男美女というのは差別だとそういうニュアンスの発言をYouTubeの自分のチャンネルでしたがそれには共感できなかった
そもそもブサイクとまでは思わなかった
だからと言ってそれだけで岡田斗司夫を全否定するような激情型ではない
ただ若干だが重要人物の長谷川秀吉を演じた水道橋博士の演技力がイマイチだった
兵隊上がりの無骨さというキャラでカバーしているがそれでも出始めの頃は特に酷い
ビジュアル的にも悪くない仕上がりで芝居も努力は認めるがあれこそ本業の演技力高い俳優に任せてほしかった
日本人の良心として女性新聞記者が登場するが作品全体が青臭くなってしまう
メッセージ性が強い重要人物ほど俳優の選択に気を配ってほしい
演出が悪いのか演技力が悪いのかまるで彼女1人ロボットのようだ
そもそもジャニーズの会見など観るにつけマスコミを絶対善に描くのは強い抵抗を感じる
この映画で改めて感じたのはマスコミや社会主義者に対する自分自身のヤバすぎる並々ならぬ憎悪である
酒の席でさんざん煽られたら殴ってしまうだろうがインテリと関わることはないのでその機会はないだろう
井浦新が田中麗奈とのシーンで「朝鮮」と言うべきシーンを「韓国」と言い間違えるシーンがあるがそのまま作品として上映されている
韓国とは戦後誕生した国の略称で当時は韓国とは呼ばなかったはず
監督も気づかなかったのだろうか
こういうところを見てもやはり雑味を感じた
ドキュメンタリー専門監督の初挑戦とはいえ擁護できない
田中麗奈が良かった
田中麗奈といえばCMのなっちゃんと実写版ゲゲゲの鬼太郎で演じた猫娘の印象しかないが
特に舟で誘惑する件は案外良かった
彼女は脱がなかったがそれで充分
見せ場は朝鮮人の若い女が自警団に殺される場面と讃岐の薬売りの人たちが殺される場面である
特に後者の方だろう
しかしせっかくの見せ場だがいまいちだと鑑賞後しばらくすると感じてしまう
確かにショッキングではあるが映画俳優ファーストなら物足りない
被害者の無念さと自警団の狂信的残虐性を表現するにあたって全くもって不十分
なんとか子供にも見てもらうためPG12ギリギリでとどまる必要があったのだろうか
子供向けとは到底いえないのでR15になっても良いからふっきるべきだった
特に河原での妊娠中の女性はうまくいえないが編集が不自然だ
熱演のさいとうなりが可哀想だ
この映画を知ったのはNHKのおはよう日本だった
あの時間帯は左翼っぽい特集が多い
担当ディレクターの趣味だろう
自分もどちらかというと左翼寄りなので共感する回も多い
ただこの回でネットでデマに騙されてはいけないと女子アナが語っていた
コロナワクチン死亡報道関連の件にしかりNHKが自分たちを棚上げにしてネットを名指しで批難できるとは正直驚いた
ネットで少し話題になっているから映画館で鑑賞した
自分にも映画に好みがあって星3がいいところだ
若干悪趣味だし
こういうタイプの映画で星3つならかなりの高い評価と言える
コメント欄は今回はやめようと思ったが逃げるようで癪に障るのでやっぱりそのままにした
右寄りはプロパガンダとか左翼映画だと言うが本編見る限りまあまあありのままでそれは感じなかった
しかしエンドロールに慰安婦がどうのこうのとか直接関係ない団体が目についた
あれがデマなら慰安婦の件も南京の件も全て真実かといえば怪しいものだ
いまさら虐殺に対する怒りを感じるほど自分は若くはない
NHKのポルポトのドキュメントで充分だ
虐殺の評価は立場によって変わってしまう
織田信長は英雄だしアメリカ人からすれば広島長崎の原爆は正しいことだしパスレチナ人からすればアドルフ・ヒトラーは批判する対象ではないはずだ
なぜか虚しいのだ
だから何の抵抗もなくおバカ映画として『バービー』を鑑賞することができた
『新聞記者』は賛否両論だがこっちはあまりにも一方的で不自然だ
右寄りの批判的なレビューは徹底的に削除されたのだろう
それが仕事だから仕方がない
残念だがそれは間違いない
Gメンのレビューが800人近いのにこっちは300人未満とあまりにも少ない
3年以上映画.comにレビューしているが経験上『福田村事件』のレビューなら400人近くでもおかしくない
ヒットはしたのだろうがコナンくんや『ミステリと言う勿れ』に比べたら大したことあるまい
世の中では左翼もそうじゃなくても1番の関心はジャニーズで私はとっくにうんざりしてる
あの東京新聞の名物女性記者も今は福田村事件なんて頭にないだろう
ヤフーニュースを見ても『福田村事件』なんてあまり話題になってない
複雑な思いである
差別はなくならない
不平等も貧困も
社会主義国家がダメだったからではない
差別反対を訴える人たちにもほんの一部だが差別主義者が見られるからだ
ここのレビューやヤフコメやYouTubeのコメント欄にもそれを感じる
悪びれる様子もない
寛容のパラドックスであり左翼には寛容であれば良いという新左翼の父の方針だがそれでは不公平を嫌う大多数の一般民衆には支持されない
日本人も酷いことをしたと訴えたいのだろうがそれらほぼ全てが他人事に感じる
実際に他人事なんだけど
自分は違うと言いたいのだろうが森達也監督のメッセージが全然分かってない
私はこの国が好きだしこの国以外に住むことはできない
この国の民度はまだ良い方だ
なぜなら自分でも生きていけるからだ
5ちゃんねるのVIPとか嫌儲とかああいう人たちは全く理解できない
この映画のおかげで福田村事件を知った人は多い
森達也ならびにこの映画の関係者の功績は非常に大きい
なんらかの映画賞を受賞することなっても意外だとは思わない
森達也監督とも大変親しい宮台氏が襲撃された
政治家だけでなく知識人を逆恨みする人も多い
森達也監督もご自愛ください
配役
朝鮮で教師を務め故郷に帰ったきた澤田智一に井浦新
智一の妻で洋風かぶれの澤田静子に田中麗奈
讃岐からやってきた薬売りの行商団でリーダー格の沼部新助に永山瑛太
日清戦争で兵隊に同行した経験がある村の老人の井草貞次に柄本明
千葉日日の編集長の砂田伸次朗にピエール瀧
ほぼいつも軍服を着ている福田村在郷軍会分会会長の長谷川秀吉に水道橋博士
村で舟渡しの田中倉蔵に東出昌大
シベリア出兵で夫を亡くした村の未亡人で出兵中に田中と不倫関係があった島村咲江にコムアイ
貞次の息子ではじめに讃岐の行商団を朝鮮人と思い込んだ井草茂次に松浦祐也
新聞記者の恩田楓に木竜麻生
茂次の妻の井草マスに向里祐香
プロレタリア演劇の劇作家の平澤計七にカトウシンスケ
福田村村長の田向龍一に豊原功補
行商団の妊婦の坂下イシにさいとうなり
イシの夫の坂下彌市にコガケースケ
行商団の少年で薬売りの仕事を始めたばかりの谷前信義に生駒星汰
讃岐で帰りを待っていた信義のガールフレンドの川島ミヨに葉山さら
新助の妻の沼部ユキノにミズモトカナコ
行商団のメガネ青年で読書好きの藤岡敬一に杉田雷麟
行商団の青年の高畑朝明に浦山佳樹
朝明の妻の高畑サダに金井美樹
村の女たちのリーダー格の矢島ツネに辻しのぶ
秀吉の妻の長谷川稲子に樋尾麻衣子
夫を帰りを待つ村人の下条トミにMIOKO
大震災の難から逃れ東京の出稼ぎから帰ってきたトミの夫に岡崎叶大
咲江の夫の父の島村幸定に大久保鷹
幸定の妻の島村フネに岩崎聡子
在郷軍人会の大橋に佐藤五郎
行商団の青年の西村厚に髙橋雄祐
厚の妻に西村ソデに伊藤歌歩
計七の妻の平澤ヨシに佐藤果穂
朝鮮飴売りの少女に碧木愛莉
すごかった
これまで数多く映画は見てきているのだけど、ここまでひどい朝鮮人差別や部落差別を描いたものは見たことがない。部落民が朝鮮人だと勘違いされて惨殺されるというねじれが生じている。福田村の人々は部落差別をしていない。なので正確には部落差別は描かれていない。しかしその誤解を生むのは瑛太ら行商人の彼らが被差別者で、差別に対して「ほらきたな」みたいな構えがあったことが遠因になっているのではないだろうか。「ほら来たぞ、あれ?ちがうけど」みたいな、その頃には誤解が深まっているような感じだったのではないだろうか。
「その人らは日本人だ」という言葉に対して「朝鮮人なら殺してもいいのか」と返す。
しかし、自分自身ひどいなどと思っているのだが、あの情報のない状況で強い同調圧力があって、すっかりその気にならないとも言えない。普通の善人みたいなそこらの人々が簡単に鬼になる。竹やりで殺されるなんて恐ろしすぎる。また子どもを平気で殺すのもドン引きだ。
水道橋博士さんに注目していたのだけど最初はどこに出ているのか分からなかった。月の家圓鏡みたいな人がいるなと思ったら水道橋さんだった。喉がつまったようなしゃべり方で、立場が強いってだけで威張っているすごい意地悪な男だった。
身近な問題として朝鮮人差別や部落差別がない地域で暮らしてきており、平和であることをありがたがることも忘れている。もしこんな事態が発生したら家族全員で誰も来ない山奥に逃げるしかない。加害も被害もつらい。
デマに踊らされ国民を守るためと、自己を免責するおぞましさ
行商の部落民、在日朝鮮人を中心に、ハンセン病患者、在郷軍人会、町長、軍隊内暴力、朝鮮での虐殺への加担、出兵で死んだ兵士の妻など多くを絡ませて、よくできていると思います。多くを盛り込みすぎかもしれません。
官憲のデマに踊らされ、国民を守るためと言って自国民を虐殺したのだと、事件後自己を正当化し免責するおぞましさ(水道橋)が、最も生き生きと感じました。
しかし、いくつか不満が残ります。
軍隊内で暴力を受けてた経験を持つ渡し守の描き方に違和感を覚えた。シベリア出兵で死んだ兵士の葬式での発言だけで良かったのではないか。色恋2話は話題の中心から大分それてしまった印象をもった。
朝鮮民衆に近づこうとして心ならずも軍の虐殺に加担させられ、夫婦関係が冷え切って帰農しようとする元教師の描き方も、違和感がありました。夫婦の反省の浅さこそを描くべきではなかったか。
事件後の描き方があっさりしすぎているように思います。
新聞記者も戦前の痛切な反省をしているように見えません。
口を閉ざした関係者すべての心の闇と不徹底さを抉り出すことが、必要であったのではないかと感じました。
消えることのない差別の歴史
現代にも続く差別の歴史の痛ましさを見せつけられた。人は愚かで残酷な生き物なんだと。結局はじぶんが可愛いのだ。
震災の時に大量の虐殺があったことは史実としては知っていた。でも,この映画を見るとそこに至る群衆の心理が浮き彫りにされて怖くなるのだ。
この映画で1番ショックだったのは日本人たちが朝鮮人を差別して酷い目に遭わせてることを自覚している所だ。だからこそ,彼らの反逆を過度に恐れ,そのためにさらに攻撃を加える。取り憑かれたように刺し殺す群衆、もう普通の心理状態ではなくなっていた。
朝鮮人なら殺していいのか,と叫ぶ瑛太の言葉は一瞬その場を支配していた。
日本人として,国を守るとか,村や家族を守るとかの大義名分をかざして竹槍を振り回す彼らは,この後,自分の行いをきちんと悔いているだろうか。
私たち日本人はこの歴史の事実をきちんと悔いているだろうか。みんなが見るべき負の歴史だと思った。
人間のエゴと醜悪さを徹底的に突きつけられる傑作!!
人間の恐ろしさと醜さをこれでもかというほど徹底的にえぐりまくった森達也監督の演出に圧倒され、終始 全身に力が入りっぱなし
良い意味で物凄く疲れましたが、ドキュメンタリー作家出身の森監督らしく、ストーリー・映像共に重厚感があり、とても見応えのある一級の作品に仕上がっています
ストーリーは差別を受け世の中の底辺で生きる香川の部落民が、彼らがさらに底辺として見下す朝鮮人の疑いをかけられ虐殺される
そんな彼らを殺したのは「朝鮮人が攻めてくる」という”ただの噂”に怯え、戒厳令に近い状況下で村を守ろうと一致団結した村人たち、という何とも皮肉で救いようのない最悪の結果となった実話をベースにした骨太の社会派ドラマ
とにかく本作では以下に羅列する、人間のエゴと醜悪さ、噂だけで簡単に間違った方向へ突き進む人々の迎合主義、一旦転がり出すと止められなくなる群集心理、といった人の不完全さ・弱点を容赦なく突きつけられ、終始 緊張感漂う不穏な空気に心身共に硬直状態に陥ります
・効きもしない物を良薬と言って人々に騙し売りする部落民が営む行商
・ゴシップや噂好きで、悪しき常識に乗せられ”朝鮮人”や”部落民”を見下す民衆
・東京に行っている夫が朝鮮人に殺されたかもしれないという噂だけで平気で朝鮮人の疑いをかけられた他人を殺せる若い女性
・徴兵された夫の留守中に義父や義弟とデキてしまう若妻達
・夫とのセックスレスの不満を他の男で満たす女性
・真実を解っていながら圧力に屈し、事実を隠蔽、歪曲するメディア
そんな骨太な作品、100年前の日本を背景にした映像が見事でしたが、それ以上にキャスティングが良かったです
最も存在感があったのは田中麗奈さん、毅然とし、他人には出自にとらわれず慈悲深いながらも、自分は夫との関係性に苦悩する、精神的に複雑で難しい静子役を艷やかに力強く演じており見事でした
部落民の行商リーダーを演じる永山瑛太さんも久しぶりに熱く激しい永山さんでした
昨今あやしかったり印象の薄い役が多かったですが本作はとても良かったです
豊原功補さん、群集心理を抑え込めず苦悩する村長がとても合ってました
最後に東出昌大さん、彼もまた出来のいい兄弟と比べられて辛い思いで生きてきたんだろうなと想像させる役を、ワイルドな風貌で男気を全面に出して好演しており良かったです
と、演出、ストーリー、キャスティングの全てがバランスよく完璧に混じり合った必見の名作です
戦時中の思想と似ているが、現代における偏見にも問いかけている
福田村事件について、詳しいことは知りません。福田村の村人が行商団を朝鮮人と勝手に決めつけて、殺してしまうといった事件のようです。
まず、映画の中で事件まで行き着くまでの間が意外と長いです。
劇中では、行商団の親分を襲ったのは若い女性でしたが、なぜ駐在が来るまで待てなかったのか、疑問に思いました。そこが群衆心理の混乱を表しているのかな?
逆に言えば、若い女性が親分を襲わなかったら、駐在が来るまで待てたのではないかと思います。
現代のSNS等でも、言論の自由はありますが、特定の国や人物の悪口の書き込みをよく見かけます。
劇中では、新聞が正しい内容を伝える役目を果たしているかについても言及しています。
現代における偏見にも問いかけている重要な作品と感じました。
記者役の木竜麻生さんの真剣な眼差しがとても印象に残りました。
いや~この映画はすごかった~
その映画の言わんとすることがすぐ浮かぶ場合と、何日かしてからおぼろげながら出てくる場合とに分かれるけど、この映画は明らかに少し頭の中で熟成させる必要があるかな。
『福田村事件』という悲惨な事件をテーマとしながらも、この映画は完全に今の日本社会の問題点を映し出そうとしているように思った。
一人ひとりの登場人物が、何に影響をうけて、どう考え、どういう行動をとるか、丁寧に見るととても興味深いし、同時に悲しくもなる。
自分の価値観との対比の中で、それぞれの登場人物に同情や嫌悪感が湧きそうになるけど、まずは、それを手放しそのまま受け取ることが大切なのかなと思う。そうすると、日本ってこういう国だよな~というのがだんだん見えてくる。
その上でわれわれはどこに進むのか?映画の中にヒントが隠されているように思った。
これからの日本は?
この事件、初めて知りました。
集団心理の恐ろしさを感じました。
情報を流す側の新聞も偏った記事しか出さない。それにおどらされた人達。昔は情報が少なくて自分で考える力が無かったから…と考え。
でも、今だってコロナが流行り始めた頃、コロナ差別があったりと、変わりないじゃないかと思った。
今は逆に情報過多で、どの情報を信じるか どの情報が目に入るかで、判断が変わってくる。
とても考えさせられる映画で息子にも見て欲しいと思ったけれど、濡れ場が多くて勧められない。
この映画の内容に必要だったのか?と疑問。
フィクション映画として最大の賛辞を送りたい
監督自らフィクションと言っているようにこの映画はフィクション。ファンタジーという部分ではドラマ仁や戦国自衛隊と変わりない。
少なくとも殺害シーンはそんな事実はなく
命を脅かされた状況で朝鮮人を庇うはずがないだろう
ファンタジー映画を鑑賞して、事実のように村人を非難するものがいることに戸惑う
現代であっても、簡単に噂を検証もせず信じ込め人達、私には「お前たち現代人も大正の人々と変わらない、寧ろそれ以下じゃないか」という映画監督の痛烈な皮肉に感じた
俳優陣の力の入った演技、テンポ、一番心が動かされたのは朝鮮人の疑いを晴らすために水平社宣言を朗読するシーン、命乞とはそのようなものであろう。
だからこそ、瑛太の「朝鮮人なら殺していいのか?」
自分のみならず、仲間が危険に晒されている中での浮いた台詞には冷めた。
悲しい史実があったんだ。
福田村事件を知り上映待ちでした。
記憶の継承が語り継がれる意味のある映画だったと思います。
日本と朝鮮人に対する差別や迫害、同じ人間でありながら集団となった狂気が潜んでる社会の裏側の怖さ、身震いする程伝わって来ました。
関東大震災から100年経過したこの時代に事件を風化させる事なく伝えていく事件でもあると思いました。
誰も止める事が出来なかった殺戮、湾曲した背景に《お国のために》を称える人々の浅ましさが当時を物語っていたのてしょう。
まさか飴を買ってくれたお礼にと貰った扇子が命取りになってしまった事や亡くなった九人の名前を呼ぶ少年を見た時、身震いする自分がいました。
人間の複雑怪奇な多重性、個と集団での存在における変化(へんげ)を描いた大傑作
長文ですが、興味を持たれた方はよろしければお読みください。
■人間の持つ「多重性」を当時の日常生活に据えた描写
少々長いな・・と思って見ていた時間もあったが、終わってみれば「必要だった」という感想。出てくる人たちは善人ではない。普通の人々。
・すぐに女の人に暴力を振るう粗野な男
・村に戻って来た静子さんにいろいろ詮索する村の女たち
・記者が見たことよりお上の伝達を信じるのかと、ジャーナリストとしての矜持を問われる新聞社の部長
・讃岐の薬売りのリーダーは、嘘も方便とばかりに商売では強かに振る舞うも、癩病のお遍路さんに施しをする。また、朝鮮飴売りの女の子に優しくする面を見せ、この人物も食べていくための表の顔と心根の優しさとが多重性として描かれる。
・東出さん演じる船頭も、単なる好色な若者なのかと思いきや、集団虐殺の時にはもめ事のきっかけを作ったことをすぐに悔やみ、皆を制止するような正義感も発揮する。
・その船頭を静子さんに寝取られた腹いせに豆腐に結婚指輪を仕込んで届ける咲江の気持ち。
みんなみんな、生々しい人間のいや〜な部分だが、誰もが普通に持ち合わせている性質。
・新さんが演ずる主人公「澤田」は最も多くの日本人の型を体現している。
→「見ているだけ」と静子さんに嫌というほど指摘され、クライマックスでも「またあなたは見ているだけなの⁈」と言われ、そこで漸く一瞬正義の人になる。
が、「嫌なものを見てしまったらそこから逃げる」(福田村に戻ることになる動機が表している)のがやっぱり人間の本質なんじゃないかと思わされる。
そういう「見なかったことにする」「見て見ぬふりをする」私たちを今回の主役で表している。
・薬売りの瑛太さんへ最初にマサカリ(ナタ?)を振るい、集団虐殺の口火を切る「トミ」。
→この人が強く印象に残った。彼女は本所に出稼ぎに行った夫が殺されたと思っている。その恨みは「火を放った」「井戸に毒を入れた」と言われている朝鮮人…この恨み、負のエネルギーがここで一気に爆発する。
頭で考えるより先に手が出てしまうこの描写。ホントにすごい。驚愕。
こういう、人の多層性というか多重性の描写には唸らされた。
■入れ込まれたテーマと、そこから受け止めた感想は大きく三点
・集団になった時の人間の残虐性(ヘイトや戦争に通じる)と、そうなったらどうにも止められない状態になることの恐ろしさ
・メディアやジャーナリズムとはどうあるべきか
→メディアに踊らされぬ「熱い心と冷たい頭」(by緒方貞子)が必要だということ
・集団(ムラ社会)のもつ異質排除、日本の持つ個を認めない社会構造と、そこに含まれる問題
感じたのは以上3点だが、新さんの舞台挨拶にあったように、澤田が受けた「日本人による朝鮮人の虐殺を目の当たりにした心の傷(感情が死んでしまった、見ているだけになってしまった状態)も一つ重要な要素としてあると後で思わされた。
さらに、プロレタリアートのサイドストーリー(亀戸事件。ここだけ実在の人物=平沢計七)も入ってきて、ちょっと情報量多すぎ感もあるが、まあそこは映画が「見せる」ので許容範囲。
木竜麻生さん演じた記者は確実に「作り手の思いで足したフィクション」だと思ったが、澤田夫妻もフィクション。そこはちょっと意外だったが、彼らが外側から村人やムラ社会を俯瞰するというつくりの映画だからそれも当然か。
人として、一番やってはいけないことは弱いもの(自分より下の者)いじめだと思っている。
だがそれは人間の最も醜い本質として誰の心にもあり、時に怪物のように出てくる。
これを、理性でコントロールできることこそ、また人間の本質である。
その究極の「弱いものいじめ」にどう至るのかをわかりやすく、説得力のある形で描いた凄まじい力と、ドラマとしての高揚感を持った大傑作のエンタメ作品だと思った。
■その他印象に残ったところ
・自分たちが穢多だとわかったらだめ、と行商の先輩がのぶ少年に諭す場面。
・瑛太扮する薬売りが村人に「鮮人なら死んでもいいってことか⁈」とつかみかかる場面。
・殺される薬売りの敬一(子どもたちをよろしく、の杉田雷燐)が
「俺は何のために生まれてきたんだ…」と呟きながら絶命する場面。
→このセリフはパンフ収録のシナリオと異なる。こちらの方が良いとされたのだと思う。
・音楽が素晴らしかった。エンドロールのピアノ曲も良いなあと思っていたら、鈴木慶一。
虐殺のクライマックスの太鼓による劇伴音楽が、止められない勢い、行くとこまで行ってしまう凄さを表すのに非常に効果的に使われていると感じた。
・ラストシーン、のぶ少年は生き残りとして讃岐の村に帰り、そこで好きなミヨと再開する。この結末が、映画冒頭のミヨがお守りをのぶにかけてやり「これがいつかあんたを守るから」にバックデートする、一筋の希望につながる作りになっている。
一度死んだも同然の壮絶な体験をしてもなお、良くも悪くも、のぶは生き残りとして人生を積み重ねて行くのだ。ラストにこれを持って来たことこそが、作り手が後世に残したい言葉なのだと思った。
■映画から派生して考えてしまったこと
なぜここまで観客を動かすことができているのか、自分なりに考察してみた。
今の日本で起きていることが100年前と変わらない、「変えないと」「それでいいのか」と思っている人が多いということではないか。
自分が職場で、学校で、いじめられている、あるいは、社会や政治にいじめられている
…と感じている人が多いということではないか。
ネットでのヘイト攻撃や外国人に対する日本社会や政治のあり方、自分たちが国(政治や社会)から受けている苦しみや閉塞感(分断や格差)、疑問等もあるのではないか、というところに落ち着いた。
映画全体から本当に、本当に、多くのことを考えさせられた。
・朝鮮人と日本人の対立構造
・被差別部落問題の歴史的背景
・軍人や警察のヒエラルキー
・男性の従属のもとで生きている当時の女たち
このように学びの材料が詰まりまくった映画。それをよくここまで消化、整理できたと感心する。
シナリオ(脚本部)、演出(監督)、演者、その他すべてこの映画にかかわった人々に最高の敬意を表します。
八つ墓村的 エンタメ要素強くて観客飽きさせない
重いテーマに対して申し訳ないけれどこれはエンタメとして十分楽しい。社会問題として真剣なものを期待して観に来た人は肩透かしだろう。自分はもう少し淡々と悲しさとかとか芸術性を期待してやってきたが、そこがなかったのでマイナス★1つ。主要登場人物のひととなりはよく書かれていたと思う。変な音楽が入ってこないのがまた良かった。
まずセリフが多く特に無名役者ほど演技が劇団みたいに大袈裟。田中麗奈の冒頭と遺骨を前に大袈裟に泣く女優さんに映画の方向性が期待してたものと違うがっかり感。気持ちをリセットして見ていけば慣れてくる。一番良かったのは東出。セクシーこの上なかった。恵まれた体格。未亡人が豆腐持ってきたときの笑顔の自然さ。これは今の日本で一番カッコイイ男だと思った。柄本明と嫁さんの関係も昔はよくあった話だと聞いていた。特に戦争で留守の奥さんは不義が多かったようだ。旦那さんがその自分のやりきれなさを人殺しでストレス発散というのも納得できる。水道橋博士も背が低いし優秀な村長と井浦新に比べ色々なコンプレックスがあって優越感にひたりたかったのだとう。希望はないような話でも井浦新が奥さんと一緒にみんなに呼びかけたところ、未亡人が恋人を寝取った奥さんを恨みで貶めなかったところ、東出くんも女にだらしないが人間としては良い人であったのが救われた。瑛太のハンセン病患者に詐欺まがいなことして、ブラシーボ効果になるから良いんだ 、そうでもしないと自分たちは生きてけないといった直後にお遍路さんに寄付してるところが全く今の世に生きる自分に通じてるようで良かった。いらないものを売りつける営業をやっていると身につまされるから。クライマックスは瑛太がチョウセンジンだと殺していいのかと言ったセリフが一番の見せ場だったろう。友人は話が散らばり過ぎと言ってたが自分はこのくらいカオスのほうが逆に臨場感あって生々しくて良いと思った。部落差別についても考えさせられる。SNSでスシローペロペロを過剰に叩いたり自殺に追い込んだり、集団で弱っているもの攻撃し過ぎるのは魔女狩りの時代から変わらない。実際の人を標的にしないで芸術や運動で気持ちを発散しないといけないね
追記 インタビューを見てわかったこと。制作陣は今調達できる人、モノ、カネで最高のモノを作ったと感じた。演技が大袈裟で芸術性にかけるのもしょうがない。お金が無い中で頼るものは人。溢れ出る演者の熱量を監督もあえて止めなかったのだろう。芸術作品は監督の細部のこだわりが求められるがそういったものはあまり感じられない。逆に
何度もとりなおしできない状況での監督の演者に対する期待と信頼感、それに応える演者達の意気込みと皆の熱い想いと勢いで作ったものでその勢いが飽きさせない。荒いとこが多くても所々とても良いシーンがあった。芸術的でも退屈な映画よりよっぽど良い。興業的にもっともっと成功して新しい戦前を作ろうとしている若い世代に波紋を投げかけて欲しい。
前半はNTR、後半はモテと非モテの話
関東大震災後の混乱時期に、野田で起きた殺人事件がモチーフ。朝鮮人と間違えられた行商人が9名惨殺された話で、詳しくはWikipediaで。
前半は、ひたすらに寝取られ(NTR)の話。朝鮮帰りのインポの元教師と田中麗奈の夫婦が主役。この二人がインポ先生の地元の野田に戻るところから話が始まり、汽車のなかでシベリア出兵で旦那を亡くした未亡人と出会う。
シベリア未亡人は実は利根川の渡し船の船頭と出来ている(NTR①)。で、船頭とソリの合わない百姓の家では、舅の柄本明が息子の嫁と出来ている(NTR②)。インポ先生に愛想を尽かした田中麗奈は船頭と船の上でNTR③をやっているところを、インポ先生とシベリア未亡人に見られて、前半NTRパートが終了。
このままインポ先生とシベリア未亡人のNTR④をやっていると「福田村NTR事案」となってしまうので、慌てて朝鮮人差別や被差別部落や社会主義運動と関東大震災にご登場頂き、水道橋博士が日本刀を振り回して大団円、って映画です。個人的にはインポ先生とシベリア未亡人の「豆腐」の先の話が気になります!
田中麗奈は良い女優だと思うのですが、どうも年相応の役に恵まれませんね。シベリア未亡人の元水曜のカンパネルラのコムアイは良いですね〜、「エロくない壇蜜」と言われていますが、充分に艶っぽい。
全般的に舞台を観ているような、大仰な演技ですね。ラストの乱闘も大きく声を張り上げるだけで、惨殺シーンをどう観せたいのかがよくわからなかったです。
私はNTR映画として観ましたが、あえて後半を考察すると、、、
なぜ村人は行商人を惨殺したのかって部分は、インテリへの反感、なのかな?と思いました。村長にしろ、警官にしろ、新聞記者にしろ「帽子を被っている」インテリ連中と、ほっかむりの村人とでは、野田と讃岐と同様に会話が成り立たない、ってこと。在郷軍人会は徴兵で帽子を被せられているものの、非インテリ側なんですかね。
それを現代に当てはまると、イケメン・美人と非モテ。ラストで行商人を守る連中はみんな「モテ」の役者ですね。船頭、インポ先生、田中麗奈、カンパネルラのNTR4人衆が庇い、水道橋博士以下の非モテ衆が槍で突き刺す。
明治大正はインテリ、令和となりモテが世の中の中心である、ってことかな〜と。
ヒトという動物の醜悪さが上手く描かれている
ダンサー・イン・ザ・ダーク(私にとっては、美しかったけど吐き気がするほど辛くて心にガッツリ残っちゃった。次は観ない。)みたいなトラウマ映画じゃないと良いな、と思いつつ、田舎の単館上映映画館へ。
平日の日中にも関わらず、50人ほどの観客が!普段は多くて4〜5人しか入っていない劇場なのでビックリ!年齢層はとっても高くて、平均70才くらいかな(私が一人で平均年齢を下げている感じ)。
誰が出演しているのかとか全然リサーチせずに観たので、好きな有名俳優さんがたくさん出ていたのが意外でした。
動物種としての「ヒト」の凶暴性や醜悪さが上手く描かれているなと思いました。
終盤の演技が心に残っています。アメ売りの少女の「私の名前はー」のシーン、頭領の「朝鮮人なら殺してもー」のシーン、学ぶことが好きな子の「私はなんのためにー」のシーン、村長の「私は止めたんだー」のシーン、亡くなった仲間の名前を言うシーンなど、どれも良かったです。
私は、子どもの頃から社会が大の苦手で、特に歴史なんて大嫌いだったので受験は倫理政経で乗り切った根っからの理系なんですが、最近、子どもが受験用にお風呂に年表を貼っているので歴史年表を見る機会が増え、「ヒトの歴史って常に戦ってるなぁ。2000年以上も常に殺し合い戦い続けているなんて、DNAから好戦的で攻撃的な生き物なんだろうなぁ」と思っていた今日この頃。
この映画でも、ヒトという生き物がもつ「理性」や「論理的に思考できる力」や「温かな愛情や思いやり」というような〝正の側面〟が、同じヒトという生き物がもつ「原始的な不安や恐怖、強い怒り等の情動にあらがえない性質」「攻撃性や好戦性」「社会性の暴走」などの〝負の側面〟にあっさりと押し流されてしまうという、ヒトの歴史の原理を上手く表現しているな、と感じました。
記者が事件を客観的な事実として書き残そうとしているのが唯一の希望なのかな。
最後はどうまとめるのかな、と期待しつつ観ましたが、結局、逮捕された村人は恩赦で釈放され、被害者側は以後事件を語らないという史実のみが語られ(それはそれで事実としての重みがあって良いんですが)、ヒトという種の〝救いのなさ〟みたいなものが、ポツンと心に残りました。
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