福田村事件のレビュー・感想・評価
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傑作だと思う
おおまかなあらすじだけ押さえてから鑑賞しました。知らなかった日本での、朝鮮半島での壮絶な事件に、涙が出ました。他、クライマックスでも涙、涙。
あちこちからすすり泣く音が聞こえてきて、泣いてるの私だけじゃないんだな・・そりゃそうだよね・・・と思いました。
差別など人の醜さ、犯罪は「恐怖」からくるのであろうこと、集団心理の恐ろしさを感じました。
今も、殺しなどはなくても、こういうことはあると思います。
上映中、何度もハンカチで涙を押さえないと見れませんでした。メイク直ししようと思って、終わったあとトイレ行ったら、同じように直されてる方がいました。
ねぇ・・・、泣いたよねぇ。
(余談ですが、お気に入りのウォンジョンヨのマスカラをつけて行きましたが、あんなに涙出たのに全然取れてませんでした。すごい、さすが)
私は心に深く刻み込まれ、もう二度はなかなか見れないけど、パンフレットを買って帰りました。脚本も載ってるので、つかみとれなかったところとか後からつかめました。(上映中に朝鮮語が出てきますが、訳が無かったので)
パンフレットもおすすめです。
南米の悲劇を描いた「ミッション」との対比
「福田村事件」は関東大震災直後に起きた悲劇であり、事件のあらましは公式HPにも、本作の紹介文にも書かれている。起きる結果は最初からネタバレしている。どんな事件か知りたいだけなら、Wikipediaの記載を読んだ方が、お金も時間もかからない。本作が描きたいのは、加害者と被害者の日常であり、不穏な状況を醸成したマスコミや警察や政府の所業。
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①知っていても胸糞悪いラスト
そもそも、町山智浩さんのラジオで本作を知り、Wikipediaで詳細を補完していた。それでも、終盤の惨劇はひたすら胸糞悪かった。村民が陥った狂気は、確かに誰で陥いり得る暗黒面なのかもしれないが、自警団の面々は大義名分さえあれば、朝鮮人を殺したくて仕方ないように映った。加害されるのが怖いなら、行商人を拘束し警察等に引き渡せばいい。自分なら、安全な処に女子供を退避させ、その周辺を護ったろう。しかし、村民は怖がってはおらず、殺してもいい奴らなんだから、早く殺させてくれと殺意に満ちていた。当時の空気は体感できないので、朝鮮人なら殺してもいいという差別意識の蔓延は理解しきれないが、現代にもネトウヨに限らず、韓国人に口汚い親族が自分にもいる。ユダヤ人、チベット人、ツチ族など虐殺された事例は少なくないが、日本人だって加害者だったし、これからも加害者なり得る事は忘れてはいけない。
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②待ち時間が長すぎる映画
差別やヘイトへの警告として本作は重要。ただ、映画作品としての評価を求められると答えに窮する。前述の通り、本作の観客は終盤に起きるクライマックスを、最初から知っている。正直2時間近くは、待ち時間である。その間に描かれるのは、農村の生活や部落民の行商の日々。それなりに起伏はあり辛くはないが、オリジナリティに乏しく既視感のある場面なのも確か。正直、幾つかのエピソードを削って尺を短くした方が観やすくないか? あるいは、部落について説明する時間に割いた方が、若い聴衆に親切ではないか? 加害者もそこらに居るパンピーだったと描くだけなら、冗長な映画だった。
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③『ミッション』との対比
悲劇で終わる作品として『ミッション』を想起した。『ミッション』は、スペイン植民地が舞台の歴史映画。「福田村事件」との決定的違いは、終盤の悲劇がタイトルや紹介文からは、分からないこと。公開当時ヘビロテされたCMから、終盤の展開は予想できなかった。『ミッション』は、自身の愚行で大切な人を失い心を閉じた主人公(ロバート・デ・ニーロ)が、先住民に布教する宣教師を手伝うことで再生していく映画。宣教師が奏でるオーボエは美しく、エンニオ・モリコーネ作曲の『ガブリエルのオーボエ』は、映画史に残る名曲として演奏され続けている。しかし、終盤の悲劇が全てを無にする。その悲劇の間にも、流れ続ける旋律は美しく、涙が止まらなかった。
「福田村事件」も、終盤の展開を知らずに観たら、より心を抉られた気がする。「福田村事件」と謳っていないと、それまでのありふれ過ぎた日常に、観客は耐えられないかもしれない。ただ、作劇の仕方次第では『ミッション』級の名作になりえた気がする。
見るべき映画
未来よ明るくあれ
正しさとか正義とか
時代や立ち位置でどうとでも変わるものなのかも
どこかで誰かが声をあげても小さければどこにも届いてくれない
今も、大衆はどこへ向かって進んでいるのだろうか
正しい道を歩んでいるのだろうか
誰かが泣いていたら、その手を引いて共に歩けるのか
今よりもはるかに多くの他国の人々が日本に来るでしょう
今ではない時代になった時、私は同じ人間として対等に接する事ができるのか分からない
社会主義も民主主義も理想は同じはずなのにどちらも権力者が思うままに振る舞っている時代はまだまだ続きそうですね
平和ボケした私の頭では到底未来の危機に対する備えすらままなりません
追記
高橋源一郎さんがラジオでこんなことを言っていた
関東大震災朝鮮人虐殺事件にまつわる小説を読んでどんな事があったのか事細かく描写されていて凄まじさが伝わると
小説家はその時何があったのか伝えなければならない
己の感情を抜きにして淡々と書き記していかなければならないのだと
この映画に出会ったのはたまたま休みがあり、さてどんな映画を見ようかとサイトで探していたらつい最近ラジオで聴いた内容の映画に辿り着き多少鳥肌が立ったのだ
これも何かの縁なのだろう、そのまま導かれるようにこの映画を見たのだった
それまで関東大震災朝鮮人虐殺事件など聞いたこともなかった
ラジオで聴いた時、どれほど恐ろしいと思ったことか
そして直ぐに映画を見ることになるとは
過去にも幾つかの作品があるようなので何とか探して見てみたいものです。
フィクションであるから
水道橋博士のXをフォローしていて、
「宣伝大使を務める」
とあったので、
さぞ感銘を受けたのかと思ったら、
出演してんのかいっ‼️
しかも劇中一番の悪役として‼️
そしてへっぴり腰て🤣
博士は先の選挙で当選し議員となったが、
病気に拠り議員辞職。
その病気の所為では無いが、
良くも悪くも堅苦しかった😅
多少フィクションとは言え、
こんな事件あったんですね。
無知でした。
それ以前に、
妄言流布の震災直後の東京の惨状は、
ともすれば震災の犠牲より、
煽動による殺人の方が多かったのかも、
とすら思わされる。
所謂“アカ”狩も行われていたとは😱
大正時代の話とは言え、
妙に性愛描写が多くてちとゲンナリ😩
久々にモテモテの東出くん😜
田中麗奈はさておき、
もう1人はコムアイだったのか⁉️
元水曜日のカンパネラのボーカルです😳
大正時代の話だからなのか、
女性陣の没個性感が際立つ。
そして、クライマックス。
某レビュワーの方も仰られたが、
自分があの場面にいたら、
さてどの立場だったろうか❓
やはり名もなき農民で、
竹槍で追いかけ回していたのではないか。
下手すれば殺される。
そんな状況で大勢に歯向かう勇気は無い😭
コレが日本人なのか⁉️
愕然とした😓
村長が記者に返した言葉が、
その当時、
果ては今の日本にも通ずる、
全てを表している。
もう少し面白く観せられるのではないか❓
と、今後の森監督、
並びに脚本家たちに淡く期待。
現代日本への警鐘
森監督の現代の日本社会に対する、警鐘というか怒りの発露? 映画としての外型は、説明的な演出など、制作予算も少なかった事だろうから・・イマイチな点も無くもないですが・・。取り上げたテーマ、伝えたい事、中身は素晴らしい映画だと思います。
無責任で理念を失った新聞メディア、システム、お上に盲従し、威を借り多勢を傘に着る暴力的な輩達、声をあげず傍観する烏合の衆。 顧すれば、政治に忖度するマスメディア、SNSやヤフコメに群がる暴力的かつ卑怯な輩たち・・。社会的な発言につきまとう冷笑・・。日本は事件から何も変わってないのではと??突きつけられた。
殺人を犯した人々、恩赦を受けたようですが・・その後はどうなったのでしょう?その子孫は? 震災の時に多くの朝鮮人の命を奪った、普通の人たちは、その後の人生をどう歩んだのだろう?
何でもない、普通の人間、隣のおじさん、おばさんが、お墨付きをもらうと、平気で残酷なことを犯してしまう・・普段隠している残忍性を発露してしまう・・ネット社会にも通じるところがあって怖い。
事件が起きたのは神社の境内なのだけれど、日本の神道、神社、もしくはお寺もかも・・は、そういう倫理にもとる行為の歯止めにはならなかったのか? 今は・・?もともと、倫理は説いてないのか?
私たちの《望》
日本人なら、誰もが知りたがらないアレ。アレを映像化した挙げ句、商業映画として興行する根性に、驚きと敬意を捧げます。誰の解説かは覚えてないですが、何故、今、アレが映像化されたと思います?。
先日、とあるクニの公共ニュースで、アメリカ国防総省のそばで、爆破事件があったと云う報道がリリース。実はこれ、ネットにアップされた一つのフェイク画像に騙された結果の誤報です。
問題のフェイク画像が、フェイクとバレるまで、30分かかったそうです。その間に、9.11の再来を恐れる心理は、世界を駆け巡り、件のフェイク画像を、ガチのニュースに昇華してしまったようです。
素人がフェイクとリアルを判別するのは、まず、不可能とのこと。AIを活用したフェイク判別システムを開発しているそうですが、いずれその判別システムを悪用したフェイクが、生成されることでしょう。
誤報に躍らされるのは、福田村の村人さんだけか?。何かに恐れを抱くヒト達が、何かのきっかけで、集団心理を暴発させるのは、過去の出来事なのか?。皆様は、どうお考えです?。
マイクラってゲームありますね。何を考えているのか分からない村人さんが、多数登場します。プレイヤーは、主人公としてバーチャルな世界で、いろいろ遊べますが、リアルな世界では、私達のほうが、村人さんのような…。
以上、映画を観る前に、予備知識だけで書きました。つまり、私のレビューは、レビューとしてフェイク。皆様、気付きました?。
この映画の評価は、確実に割れますね。
クニに蔓延する不安と猜疑心
疑心暗鬼はデマとなり 世を駆ける
粛清される民族と思想
大本営におもねる報道機関
傍観する罪なきヒトの罪
やがて訪れる 軍靴の響き
その代償として降り注ぐ 黒い雨
この事件、教科書に載ってたいたような気がするのですが、テストで点数化されなかった歴史です。
私達は歴史から何を学んだの?。
私達に《望》があるとすれば、それはどんな形なの?。
私達は、私達の《望》を自ら抹殺していませんか?。
その答えを、皆様に託します。託すだけで傍観する私もまた、罪人のようですが…。
今の私には、流れに身を任せる小舟すら、ないのだから…。
「ルワンダの涙」
社会的不安×集団心理=虐殺とくれば、この映画。
ところで、当時の福田村を覆っていた不安と恐怖の正体って、何だったのでしょう。そしてその不安の種は、今、何処にいるのでしょう。併せご覧下さい。
目を逸らしちゃいけない
朝鮮人やったら殺してもええんかっ!
森達也監督のはじめての劇映画ということで期待していた作品。
100年前の関東大震災後の混乱に乗じて行われた惨劇。
埋もれていた事実を今、劇映画の形で伝えるということはとても大切で有意義なことだと思う。
客観的な視点を入れたかったんだろうが、朝鮮から帰国した澤田夫妻(井浦新、田中麗奈)を中心に持ってきたことが上手く活かされていないように思った。
柄本明やカトウシンスケのシーンなど、詰め込みすぎ。もっと瑛太率いる讃岐の薬売りたちや新聞記者、朝鮮人の飴売りの娘に絞った方が良かったように思う。
あと加害者になる側を演じた水道橋博士や松浦祐也は決して悪くはなかったが、瑛太や東出昌大と同じレベルの役者さんに演じさせた方がよかったのでは。(敢えて彼らなんだろうとは思いますが)
ラストの惨劇、太鼓の音楽が興奮を煽って凄まじく、
かつてないほどの恐怖(いろんな恐怖)に胸が締め付けられた。
このシーン以外の音楽(ピアノ)はあまりよくなかったのと、音声、音響が酷くて台詞が聞き取れないシーンが多く、足音や物を置く音などがまるで「雨に唄えば」のサイレントからトーキーに変わった撮影現場のドタバタみたいに大きな音で、残念だった。
(翌日に今敏監督の「パーフェクト・ブルー」を観た、音楽、音の効果が素晴らしかった。)
森達也監督にはこれからも劇映画を撮り続けてほしいです。
失われる個人
食らった。恐ろしい程に。
終わってすぐ席を離れることは出来ず、帰り際もスマホを一切触ることなく、ただひたすらに落ち込んでいた。この事件を知らなかった自分、100年後の今も変わっていない現実、そして日本で起こったという事実が、悔しくて悔しくてたまらなくなり、胸が張り裂けると同時に涙と震えが止まらなかった。
被害者、なんて可哀想なんだ。
加害者は最低だな。
事件の概要だけ聞けば、そう思うのも仕方ない。だが、そう思うこと自体、このような事件を生み出した原因なのではないか。この映画は、被害者側ではなく加害者側をメインに話が進んでいくため、上記の感想は抱かない。文字だけ、見た目だけ、噂話だけから物事を判断する。結局、現代を生きる我々も、100年前と何も変わっていない。本作を見てそれを実感した時、酷く自分とこの社会を恥じた。周りが言うことは全て正しい。同調圧力と多数派意見の尊重という、個人が無視される世の中は、いつから生まれてしまったのだろうか。
誰かを馬鹿にしたり、蔑んだり、虐げたりすることで、自分の気持ちを落ち着かせる。「自分は、あの人よりは上だ。」第三者目線でこれらの様子を見ていると、なんて酷いことをするんだと罵りたくなるが、じゃあこのようなことを100%自分はしていないかと聞かれると、悲しいことに言いきれない。命の重さは皆平等なはずなのに、鮮人だからと当たり前に暴力を振るうし、都合の悪いことには目を逸らし、自身を正当化しようとする。100%そんなことはしない、善人になれとは言わない。この映画に出てくる登場人物だって、皆完璧では無い。だが、正しいことを正しい、間違っていることを間違っていると言えなくなれば、この事件をもう一度繰り返してもおかしくないはずだ。
男性陣の演技が傷跡に水を垂らしたように痛く、染みる。井浦新の噛み締めるような丁寧な口調からは、重く苦しい過去が見えてくるし、瑛太の明るさには、"家族"を抱える責任感が伝わる。でも1人、異彩を放っている。そう、東出昌大。彼の勢いが止まらない。2023年のノンフィクション劇映画は東出昌大主演の「Winny」一択だろうと思っていたが、本作が超してきた。女性たちの体当たりな演技も心をえぐる。もう、見てられないほどに。
劇中、福田村は常に哀しく寂しい空気が流れる。
沈黙が流れたり、怒号が聞こえたり。そんな村なのに、鮮人の噂話や団の結成となると物凄く盛り上がる。人の不幸は蜜の味。攻撃が動力となっている。「昔はこんなことがあったんだ」で片付けていいのだろうか。
とんでもないメッセージが込められた作品です。上映館は少ないし、公開から3週間経っているので上映終了となる映画館も多いとは思いますが、是非とも多くの方に見て頂きたい。「何も変わっていない」ということに、異常なまでの恐怖を覚えてしまいます。しばらく立ち直れないほど胸糞の悪い映画(事件)ですが、この事実に目を背けず、体感して欲しい。今年1位です。この衝撃を、ぜひ劇場で。
日本の映画業界にとってエポックメイキング
ドキュメンタリー畑の森達也監督が初めて手掛けた劇映画。若松プロ一派の荒井晴彦、井上淳一、白石和彌との対談で、森監督が意外にもドラマ好きで、彼らと共にこの作品の企画を進めていることを知って、大いに注目、期待していた。
観終わった感想としては、とにもかくにも、このような題材が劇映画として作られ、興行として成立したことは、日本の映画業界にとってエポックメイキングだということ。名のある役者陣が顔を揃え、一般の映画館で公開され、お客さんを集めているというのが、いかにすごいことか。いわゆる「放送禁止用語」がこれだけ交わされる作品は今ではないだろう。
荒井晴彦的な男女の性愛シーンあり、ジャーナリストの葛藤を描くシーンありと、アンバランスな感じはあるし、主人公夫妻の過去を台詞で語らせるところなど、冗長な部分もあるが、とにかく物事を一面的でなく、重層的に描きたいという作者の想いがわかる。その行き着く先が「集団と個」の問題なのだろう。
役者陣は、端役も含めてよく頑張っていた。中でも、東出昌大が印象的。敵役が水道橋博士とは気付かなかった。柄本明の家族のエピソードは、なくてもよかったかな。
この作品が関東大震災から100年を迎えた今年に世に出て、ロングラン上映されていることは奇跡的と言えるが、森監督がインタビューで語っているように、ナチスや奴隷制を描く劇映画がジャンル映画としてあまたあるように、日本の歴史を真摯に描く劇映画もこれから続いていくことを期待したい。
集団心理は恐ろしい
評判は様々有るけれど、まずは自分の目で確かめましょう!
地元ではミニシアター上映で座席が少なく連日満席状態が続き追加上映も。森監督にとって初の劇映画になるがドキュメンタリー映画を撮ってきているからか、ふっとドキュメンタリー映像を観ている感覚になることもまま有った。
100年の長い間、重い蓋をしてきた千葉県福田村でおきた村人たちによる殺人事件。
1923年9月6日たまたま四国讃岐から行商に訪れていた一行15人のうちの9人(幼児や妊婦も含む)が虐殺されてしまった。「自分たちは四国から来た」とどれだけ訴えてもまったく聞き入れられず集団で襲い掛かられる。この事実が100年間歴史の闇に葬られていたという。
行商団の親方が「鮮人なら殺していいんか」の言葉は何にでも置き換えることが出来てしまう。「被差別部落出身の人たち」「社会主義者たち」「様々な障害がある人たち」など社会的に弱い立場に置かれている人たちやマイノリティーな人たちにに刃が向けられてしまう現実。
どこにでも居る普通の村人たち、国家権力に寄りかかる在郷軍人や自警団、警察、中立的良心的な村長や朝鮮から戻ってきた夫妻、政府に阿る新聞社、それに抗う新聞社社員etc様々な立場の人間がいても大きな波が起きてしまうと止めようがないと言う恐ろしい現実を見せつかられた。真実でないことでも多勢の力で捻じ曲げられてしまうことは何時の時代でも起こりうる事。
集団で襲い掛かる場面を観ながらこの時自分はどこに立っているんだろうか?と考えさせられた。私は弱いから、心の中では「違う」「やめろ」と思っていても大勢の中の一人になってしまっていただろうなと思う。
少しでも正気でいるためには常に「なぜ?」「これで良いのか?」「どうしたい?」と自問自答し続けて暮らして行かなければいけないと改めて考えさせられた。
この作品は観て良かったと思うし、観るべき1本だと私は思う。
森監督「福田村事件」を映画化していただいてありがとうございます。
ラスト直前までは面白い!
全体として、丁寧に市井の人々の暮らしを描いている。
村人の心理は度々グラついていきながら、震災によって一気に決壊してしまう。それは戦時中の日本国民全体に言えることだっただろう。
人々に生まれた不安心が膨れ上がり、行商の団体を追い詰めていくシークエンスには息を呑むほどだった。
しかし、この映画はラストになればなるほど安っぽい。劇作家の首をはねるシーンで少し生まれた違和感が、村人の虐殺時に確信へと変わった。
アホみたいな血しぶき。どう見ても刺してない竹槍。腰の入ってねえ袈裟斬り。映画制作陣はここがいちばん重要なシーンだと気づいていないのだろうか。虐殺が見るも無惨なものであるからこそ、観客に思考を促すのである。チープな映像では現実感が生まれない、なんてことは言うまでもない事のはずだ。
加えて、新聞記者の脚本もありきたりすぎる。新聞の果たすべき役割を訴える女性記者を、我々はあと何度見ればいいのだろうか。
それでも"望"あれと
また起こるとも知れない昔の話
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