「恐怖心は無知からくる。無知は罪になる。」福田村事件 大粒 まろんさんの映画レビュー(感想・評価)
恐怖心は無知からくる。無知は罪になる。
この場合の無知は、勉強ではなく、知る心と理解する努力を示します。
この事件に関する資料に、少年の証言がこう残っている。
少年は、「上層部の方は『日本人だ』と証言してくれるんです。青年団の団長とか消防団の分団長とか村長さんとか駐在さんとか全員が『こういう方言を使うんだ』と言ってくれたのですけど、野次が多かった。『こいつらは朝鮮人に間違いない』『殺ってしまえ、殺ってしまえ』と、来る人来る人が確認もしないで『朝鮮人だ、殺ってしまえ、殺ってしまえ』というものばかりでした。」と、地元の有力者たちが群衆の興奮を抑えようとしていたことを強調している。
その頃には南隣の田中村(現柏市の北端)自警団も連絡を受けて到着していた。その後に起こった惨劇については、元少年のリアルな証言(1986年、石井雍大元香川県歴史教育者協議会会長らによる聞き取り)が前掲辻野弥生『福田村事件』に再録されている。
恐怖は人をモンスターと化す。恐怖は何から来るのか、それは証言を見てもわかる様に、無知であることから始まる。
無知だと何が怖いのか、この場合は言葉の壁だろう。映画の中でも表現している通り、地元の言葉以外を聞いた事がない事が問題を大きくしていく。
指定された言葉を話せても、恐怖に取り憑かれたものは、もう何も信じられない。不安の種を排除しないと安心は得られないと思い込む。無知な者は信じたいことだけ信じるから、結局は意味をなさない。
この映画で言いたいことは、恐らく、朝鮮人なら殺すのか?殺して良いのか?と聞いた、この言葉が、監督の表現したかったことだろう。
村を守ることは、知らない者を排除したり、殺すことじゃない。
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