劇場公開日 2023年9月1日

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「背景にある不安と群衆心理の怖さ」福田村事件 talkieさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0背景にある不安と群衆心理の怖さ

2024年5月9日
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鑑賞方法:その他

大きな災害が起こった時には、きまってデマの問題がクローズアップされます。
もちろん、中には「話題で関心を惹きたい」という、いわば愉快犯という確信犯もいないわけではないでしょうけれども。
しかし、多くは、背後に(被災してしまったことの)漠然とした不安があることは、間違いのないことと思います。

「災害時にデマが広まりやすい背景として、社会全体が不安に包まれていることが挙げられる」(2024年1月6日閲覧:東洋経済オンライン)という指摘もあり、「デマとの闘いにおいて、まず重要なのは自己省察である。つまり、私たちは容易にデマにだまされる可能性があることを自覚し、情報に対して謙虚な姿勢を保つべき、ということだ」(前同)という論者の指摘に、評論子も無条件に賛同するものです。

実際、その竿頭に立ったときに、同調圧力が決して弱い社会とは言えない中で、どれほどの「自己省察」ができ、「謙虚な姿勢」がとれるかどうかは、評論子自身もはなはだ心許ないところではありますけれども。

しかし、そういう知識や平素の心がけがあるか、ないかでも、また結果は違ってくるのではないかと思ったりもしています。

本作は、そういう実相を余すところなく描いた一本として、佳作の評価が適切と思います。

(追記)
生成AIの普及は、個人が容易に偽画像や偽動画を作成できる環境を生み出し 、ディープフェイクの大衆化が起こった。これは、偽情報や誤情報の爆発的な増加を意味し、「Withフェイク2.0」とも称される新たな局面に突入しているとも指摘されています。(前掲の東洋経済オンラインの論者)
そういう現実を前にして、人は本作によって浮き彫りにされるような無意識の深層心理から自由でないことを、改めて、常日頃から意識しておく必要を、本作は訴えかけているようにも思います。
評論子は。

(追記)
とくに、本作の場合には、この件に特有の背景があり、その背景が事件の直接の「引き金」になっているように思えてならないのです。評論子には。

それは、当時の在邦朝鮮人の方々は、社会の下層労働力として、平素も、日本人にいじめられ、酷使されていたことには、疑いがなかろうと思います。
(後の戦時中などは、略々(ほぼほぼ)強制的に日本に連れて来られた方々ということで、畑で日常の野良仕事をしているところを、無理やり軍のトラックに乗せて連れてきたりもしたらしい)。
だからこそ、大震災などの世情不安に乗じて、ここぞとばかりにそれらの朝鮮人たちが暴動を起こすのではないかと危惧した。否、むしろその現実化を確信してしまったという背景です。
ふだん、彼・彼女らを虐(しいた)げていることは、日本人自身も、明に暗に、認識はしてはいたことでしょうから。

その意味ではとても、とても切ない事件ですが、その反省の意味でも、そのことはしっかりと受け止めなければならないことだと思います。評論子は。

(追記)
本作を観終わって、公安条例でデモ行進を規整することの合憲性を論じた判例の一節が脳裏に浮かびました。
デモ行進は「動く集会」ともいわれ、もちろん表現の自由(憲法21条)の保障下にあることは、間違いのないことなのですけれども。
ある場合には、それを規整する(あえて「規制」とは書きません=届出制として、警察当局が必要な警備体制を敷くことを可能とする)ことは、やむを得ないのかも知れません。
この判決を下したときに、最高裁の裁判官たちの脳裏には、きっと本作のようなケースが思い浮かんでいたことは間違いのないことと思います。

「およそ集団行動は、学生、生徒等の遠足、修学旅行等および、冠婚葬祭等の行事を除いては、通常一般大衆に訴えんとする、政治、経済、労働、世界観等に関する何等かの思想、主張、感情等の表現を内包するものである。この点において集団行動には、表現の自由として憲法によって保障さるべき要素が存在することはもちろんである。ところでかような集団行動による思想等の表現は、単なる言論、出版等によるものとは異なって、現在する多数人の集合体自体の力、つまり潜在する一種の物理的力によって支持されていることを特徴とする。かような潜在的な力は、あるいは予定された計画に従い、あるいは突発的に内外からの刺激、せん動等によってきわめて容易に動員され得る性質のものである。この場合に平穏静粛な集団であっても、時に昴奮、激昂の渦中に巻きこまれ、甚だしい場合には一瞬にして暴徒と化し、勢いの赴くところ実力によって法と秩序を蹂躙し、集団行動の指揮者はもちろん警察力を以てしても如何ともし得ないような事態に発展する危険が存在すること、群集心理の法則と現実の経験に徴して明らかである」(最高裁判所昭和35年7月20日判決)とし、「本来平穏に、秩序を重んじてなさるべき純粋なる表現の自由の行使の範囲を逸脱し、静ひつを乱し、暴力に発展する危険性のある物理的力を内包している」(前同)と心配したのは、まさに本作のような事態であったことは、疑いのないところだと思うからです。

talkie
きりんさんのコメント
2024年6月18日

こんにちは
本作のレビュー、何度アップしても削除されてしまうので、こんなことになりました。

きりん
talkieさんのコメント
2024年5月24日

humさん、こちらこそ、いつもありがとうございます。
いやぁ、私にも衝撃的な一本でした。
観終わって、ぱっと脳裏に浮かんだのが「甚だしい場合には一瞬にして暴徒と化し、勢いの赴くところ実力によって法と秩序を蹂躙」という、くだんの判決文の一節でした。ごく普通の奥さんが、あんな方法なんて…。
考えてみれば、映画も、裁判(法律)も、現実に生きている人間を見ているので、ときとして共通点が出てくるのかとも思います。「cinema de 憲法」としても、優れた一本だったと思います。

talkie
humさんのコメント
2024年5月23日

いつもありがとうございます。

本作、とても衝撃的でした。
身近にも知らないことがたくさんのなかを生きているなと🥲

hum
talkieさんのコメント
2024年5月23日

だいまつさん、さっそく拙文を修正させていただきました。
ご指摘ありがとうございました。
これからも、よろしくお願いします。

talkie
だいまつさんのコメント
2024年5月22日

関東大震災当時(1923年)は戦時ではありません。労働力も過剰気味でした。朝鮮人の大量内地動員は戦時体制が固まる1940年辺りからです。
 ただ指摘の通り、黙々と下層労働に従事する朝鮮人への恐怖が爆発した、という指摘はその通りだと思います。いつか社会の規範が外れた時がきたとき、この方同様に自覚して行動したいと心がけるものです。

だいまつ
talkieさんのコメント
2024年5月10日

トミーさん、りかさん、コメントありがとうございました。
この最高裁の判決が出たときは、法学者の間では「最高裁の暴論」「デモを必要以上に危険視」と酷評されましたが、本作のような作品を観ると、その意味あいが分かるような気もします。
私にも重たい、重たい、重たいレビューでしたが、なんとか脱稿できてホッとしています。(笑)

talkie
りかさんのコメント
2024年5月9日

共感ありがとうございます😊
人の心なぞ、わかりませんね。一人であってもコロッと変わることがあり、ましてや多人数となれば、予測不能。
人が大勢いるところには近寄らないのが一番。しかし、ネットもあり目立たずおとなしくしていないと自分を守れない気がします。

りか
トミーさんのコメント
2024年5月9日

共感ありがとうございます。
今作の時代背景として、震災の不安感は当然としてもそれ以前から有った日本の侵略ヘの正当性を信じる思想が有ったと考えます。高等教育を受けられなかった者でも自分の存在意義は叩き込まれている、そんな世の中で声を上げる危うさ、せめてこの映画を観て想像したいと思いました。

トミー