「偏愛と無知により暴走する村社会のお話。」福田村事件 DEPO LABOさんの映画レビュー(感想・評価)
偏愛と無知により暴走する村社会のお話。
▼明確な主人公がいない
主人公キャラを強いて挙げるなら、朝鮮から戻ってきた男、未亡人の女、行商のリーダーのどれかが主人公なのだろうけど、明確に誰というのがいないのが印象的。
その誰を主人公に据えてもいいぐらい、全キャラの存在感が際立っているし、むしろ明確な主人公がいないからこそ、本当の主人公である村の空気というか、当時の日本の雰囲気をより強く感じることができる。
その感じは多面的な取材をしていくドキュメンタリーの印象に近いものがあって、森さんが監督を務めた大きな意義はここにある気がした。
▼村人のディティールが生々しい
差別上等だぜ!という村人や、国を守るためなら何やってもいい的な暴走軍人、僕も国のために役に立つもん!な若者の感じをとにかく痛々しく感じさせる演技がすごい。
この手の伝記ものの映画はなかなか商業的な成功の担保が難しい背景から、どうしても再現ドラマ感が否めない作品が目立ってしまう中、キャラ造形、照明、シチュエーション形成の随所に本気度を感じた。
特にキャスティングの説得力がハンパない。いわゆる日本人が日本人をディスる作品に出ること自体がリスクにもなりうるなか、これだけの俳優陣が揃ったのは、キャスティングする側もされる側も相当な覚悟があったと思う。
特に柄本明さんのいろりに手をかけた、小指の演技がすごかった。
田中麗奈さんの色気がありながらも、うざったい愛嬌のある感じとか、コムアイさんの幸が薄そうなエロい感じとか、東出さんの身を削りまくってるキャラ設定の演技等々、役者陣が光りまくってる。
村の妻たちの群像劇の生々しさももの凄くて、もののけ姫の女衆の実写版を観ているような気にもなったし、国のために、村のために、自分の正しさのために躍起になる男衆の必死さもよく出ていた。
薄気味悪い善良な雰囲気をまとっている村長もめちゃくちゃ良い。
シナリオの中では悪役という存在のキャラの中にも、人間性や妙な愛嬌を感じさせる工夫があって、それが異様な生々しさを生んでいる気がする。
▼善悪のバランスが絶妙
抑圧された側、意図せず加担してしまった側の心情を描くのは当然だけど、
差別をしている側、暴力を振るう側が圧倒的な悪として描かれるとそれはそれで偏った表現になってしまうところを、
そうしてしまった背景には、国を守りたかった正義感があったからだというところをしっかり強調していて、うまくバランスがとられている。
しかも、ド右思想のキャラを水道橋博士が迫真で演じていること自体のカウンターパンチがもの凄い。
▼朝鮮ヘイトの根幹にあった思い
震災時の朝鮮人ヘイトによるデマの流布に至った背景に、当時の村人の中に「いつも虐めているから、いつ復讐されるかわからない」という意識があった描写が衝撃的だった。
この描写について裏が取れていて事実であるなら、常日頃から加害者意識と、その後ろめたさを自発的に感じていたということだし、かなり踏み込んだ表現だと思った。
日本人の徹底的な異端排除の精神を煎じて煮詰めたような作品である、マーティンスコセッシ監督の『沈黙 -サイレンス-』よりも、より具体的に昔の日本人の異様性を描いている気がした。
劇中では差別を正当化する理由として「国や村を守りたかった」としていたが、
日本人が「日本人の血」を守ることに固執するのは、神話に基づく天皇制の影響もあるのかもしれないけど、血を汚されたくない、文化を侵されたくないという意識からくるものなのかもなぁと思った。
そのジャパニーズ精神はどこか美しくもあるし、イカれてもいるという修羅さを、和太鼓に込めまくった鈴木慶一氏の音楽もヤバすぎた。
(以下ネタバレあり)
▼差別の根幹
江戸時代の身分制度で、商人以下の身分をえたひにんと呼び、住む場所を限定されたりと差別されていた層があり(現在も地続きだけど…)、
その中には外国から渡ってきた人々も含まれているだろうし、抑圧されてきた人たち同士で結束感のあるコミュニティを形成するのは当然のことだと思う。
そうすると必然的に混血の日本人が生まれてくるだろうし、そのことを本人達も、社会も知っていたからこそ生まれる差別なんだろう。
劇中の行商のリーダーが朝鮮飴(엿)売りに情けをかけたり、事件渦中の騒動で、「日本人なら殺さない、外国人は当然殺してOK」という論調になる集団にブチギレる&扇子出すのは、そりゃそうだよなぁと思う。
この手の軋轢は今も普通にあるし、劇中の雰囲気は今の日本にもあるどころか、今後より強まっていく予感さえある。
入管での難民強制送還の実態や、難民受け入れの許容ライン設定が異常に厳しいというような事実を見ると、現代の生活のすぐ近くで福田村的な空気が漂っていることがよくわかる。