「人物描写に引っ掛かりを感じるところもあるが、劇映画として事件を描く意義を十分に証明した一作」福田村事件 yuiさんの映画レビュー(感想・評価)
人物描写に引っ掛かりを感じるところもあるが、劇映画として事件を描く意義を十分に証明した一作
1923年の関東大震災の最中起きた、自警団による一般人の集団殺害事件を描いた一作。
森達也監督は、『A』(1997)、『FAKE』(2016)などの切れ味の鋭い作品により、ドキュメンタリー映画作家という印象が強いのですが、学生時代から演劇などの創作劇の経験を積んできたという経緯があります。本作は確かに劇場公開長編映画としては初監督作品ということになりますが、物語の構成、そして演出の手際にはむしろ手練れ感が漂っています。
森監督であれば、震災時の恐怖心と疑心暗鬼が、ごく普通に生活していた人々を集団殺人に駆り立てた福田村事件を、もちろんドキュメンタリー作品としてつぶさに描くことができたでしょう。しかしなぜ本作をあえて「劇映画」として作らねばならなかったのか、その理由は、主演の一人である永山瑛太に、ある台詞を言わせるためだった、と言っても良いでしょう。
序盤からの比較的長い日常描写から、一転大震災によって混乱に陥る人々を、観客はいわば傍観者として居合わせることになります。そしておそらく観客のほとんどが震災時の集団殺害事件という許されない事態が起きたことも知っているわけですが、しかし混乱の渦中にある人々のやりとりを見聞きしているうちに、「良識的」と観客自らが思い込んでいた判断に、非常に危うい要素が入り込んできます。永山瑛太の台詞は、観客ですら、いつしか判断力を失ってしまっていることを、これ以上ないほど鋭い形で突きつけてきます。
題材上決して楽しい気分で鑑賞できる作品ではないのですが、震災時に何があったのかを忘れないためにも重要な作品です。
劇映画として完成度が高く、見応えのある作品であることには間違い無いのですが、登場人部の描き方、特に女性の描写(情緒的な側面を過剰なまでに強調する)は、現代の作品として適切なのだろうか、と少し引っ掛かりを感じました。
貴重なコメントありがとうございます!
確かに今よりも娯楽の少ない共同体では、情愛の関係と社会的な関係が密接に関連したり時には齟齬の要因になったりすることもあるかも知れなかったですね(というか、東出晶大みたいな船頭がいたら大変なことになると思う…)。
それをある程度物語の要素に取り入れるのももちろんありとは思うけど、本作ほどに情愛を強調するのは、作劇的な手法としてはちょっと古いんじゃないかな…(特に女性の方に原因があるかのような描き方)、と感じました。
色々考える材料をありがとうございました!
瑛太にあのセリフを言わせたかったから劇映画というのは確かにと思います。また確かに、この人達日本人だから殺さないでーと思ってましたね。
性描写については自分は必要かなと思いました。娯楽もなく狭い世界で性に対する欲求は今よりも強かったと思いますし、実際2人以上の昔の人から戦争中の妻の不貞を聞いたことあります。実はお父さんだと言うことになっている人がお兄さんだとか。脚本家の荒井晴彦さんとしても日常茶飯事のこととして描きたかったのかなと。逆に田中麗奈の境遇は現在自分の周りの友人にいます。