「村人も薬屋も馬鹿ばっかと涙した」福田村事件 たんさんの映画レビュー(感想・評価)
村人も薬屋も馬鹿ばっかと涙した
一人一人誰かを見下して一人一人自分の正義を持ち今日も生きてる
日本人だと叫べばよかったのに でも日本人の中でも虐げられてきた今何も変わらない
現在は口にすると差別だ理解が足らないとか言われるから心の奥底に 言葉にすることはないけど嫌いだとか苦手だとか怖いって思ってる人もたくさんいるそれは差別とは違う感情だと思う これも消さなきゃならないなら生きてるんでしょうかね僕は何のために生まれてきたんだ 答えはありませんいい映画でした
失礼します
貴殿のレビュー、多分今作の核心を突いているのではと勝手ながら考えさせられました
『嫌いだとか苦手だとか怖いって思ってる人もたくさんいるそれは差別とは違う感情だと思う』
個人間の中で嫌悪感が擡げることは日常生活では当然起こり得ます しかしそれは相手と直の意思疎通(お互いの存在を認識済)の中で結論付けられる感情です
そして、例えば相手の出自を知った場合、又は元々その情報を得ている場合、その感情の理屈を簡単にジョイントしてしまう機能を脳は備わっております そうしないといつまで経っても思考の落ち着きどころが失い、浮遊が続くからです 日々生活してる中で、キチンと碇を付けて船は停泊しておきたい、そうしないと未解決がオーバーフローしてしまうから・・・ 碇を降ろせばスッキリするのです これは脳内に酷く快楽を及ぼします
次にスッキリしたいのは『正当化』の保証です 自分だけではなく他人も同じ結論を抱いている ハイ、保証書が発行されました ましてや国や自治体、報道機関がお墨付きを追加すれば、鬼に金棒です
金棒は持っているだけでは意味を成さない 振り回して初めてその存在を発揮します
最初に、きっかけを作った、東京で夫が殺されたと思い込んでしまった奥さんの唐竹割(そして夫は生きていたというオチ)
あそこから地獄絵はスタートします あの田舎の様な閉鎖的社会に於いて、女性が配偶者を理不尽に失うこと それは社会からの追放と直結です(冒頭のコムアイの役)
愛情以上にヒエラルキーからの転落はしかし理不尽を訴えられない社会的弱者が、自分の立ち位置よりも下を攻撃することで理不尽を溶解するしかない脳のメカニズムです
きっかけさえもたらされれば、保証の名の下にそれぞれの人生の鬱屈を解消すべく我も我も・・・ そして惨劇は古今東西繰り返される・・・
一番の解決はそもそものきっかけである対象者への個人的訴求なのですが、現在でもそれは残念ながら実現出来ておりません
しかし、自分が楽になりたいと思考してしまうことの行く末が正に"バタフライエフェクト"的事象を知るという意味で、今作のストーリーテリングは荒削りながら興味深くありませんか? 感情はだれも否定し得ない しかしその先は意図しない結果の可能性・・・
長文、駄文、失礼な物言い、大変申し訳ございませんでした