「娯楽色が強いナチスもの。」ペルシャン・レッスン 戦場の教室 レントさんの映画レビュー(感想・評価)
娯楽色が強いナチスもの。
ナチスによるユダヤ人虐殺という題材は映画で取り扱うには何かとナイーブな点が多く、評価も難しい。なにせ原爆投下に匹敵する人類史上最大の蛮行なのだから。
その蛮行を余すところなく描いた「サウルの息子」や「シンドラーのリスト」などを鑑賞した後では何かとハードルが上がってしまう分野だ。
最近の「アウシュビッツレポート」や「ホロコーストの罪人」などは真摯に歴史と向き合った好感持てる作品だった。
ただ、一見娯楽作品のように見るものを楽しませながらも深いメッセージがくみ取れるものとして「ライフイズビューティフル」や「ジョジョラビット」のような作品も捨てがたい。
では本作はどうかというと、一見ナチスものだが、その実、娯楽色がかなり強い作品と言える。だが、本作が「ライフイズビューティフル」のような作品かと言われると少々中途半端感が否めない。
本作は主人公が、命欲しさについたとっさの噓がいつばれるのかと見る者の興味をそそる展開なため、あまりナチスによる蛮行という点に重きが置かれていない。というか見る者が重く受け止められないような作りになっている。
だから、本編にあるユダヤ人の虐殺シーンを見てもとってつけたようにしか見えず、気分的にもあまり重く受け止められない。そういう点で本作は他のナチスものと比べてかなり気楽に見れた。すなわちほかの作品よりもさほどヘヴィーではなかったということ。
話の展開も後から本当のペルシャ人が現れたり、コッホ大尉がテヘランに行って全く言葉が通じないなんて、観客の誰もが予想する展開が用意されていて、作り手の浅さが感じ取れる。
ただラスト、創造した言語の数だけ収容者の名前を憶えていたという点はやはり史実に則ったというだけのことで重みは感じ取れた。
それでもやはり作品全体としては深みが感じられない、どっちつかずの中途半端な作品という感じだった。
そして本作を娯楽作品としてとらえるにしても、一番本作で重要なコッホ大尉がジルをペルシャ人と信じるに足る動機づけが弱すぎた。コッホ大尉は初めからジルを信じていたわけでなく半信半疑でその様子を見ていたはず。その段階で果たして彼の話すペルシャ語を真に受けて学ぼうとするだろうか。ジルの噓が後から発覚すれば全く無駄な時間を過ごしたことになる。
まず、しょっぱなにジルをコッホ大尉が信用するに足りる証拠なり客観的事実が説得力を与えるために必要だった。それもなしにあれよあれよとジルを信じてペルシャ語教室は進んでゆく。その後ジルが下手を打って、騙されたと逆上するコッホ大尉。この辺りはどう見てもコッホ大尉が馬鹿にしか見えない。そして寝言で造語のペルシャ語をつぶやいてるジルを見てやはり本当のペルシャ人だと思い込むという、もはや本作はコメディーなのかとさえ思えてしまった。
他にも将校の一物が小さいなどの中傷をしたがために女性看守が左遷されたり、軍人のくせに風呂場を覗くなどの風紀の乱れっぷり。ある意味当時のナチス党の人間がこれだけ愚かだったとコケにして笑うような作品なのかなと思えた。
とにかく、鑑賞中そんな感じで素直に本作をナチスものとしては他の作品同様に印象深いものとは受け止められなかった。