桜色の風が咲くのレビュー・感想・評価
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僕の世界が遠ざかっていく 〜 支えた母、家族の思い
幼い頃から辛い治療を続ける我が子を支えた母・令子を小雪さんが演じる。慈愛に満ちた小雪さんの表情が美しい。不安や罪の意識に苦悩する母親を熱演。息子から届いた点字で書かれた手紙を読むシーンがいい。
挫けそうになる気持ちを奮い立たせ、前向きに生きる福島智さんを田中偉登さんが熱演。
夫( 吉沢悠さん )や二人の兄が抱える複雑な思い、さり気なく気遣う言葉が切ない。
吉沢悠さんのナチュルな演技も光っていた。
ー 自分らしく生きたい
ー「 指点字 」
Eテレを録画にて鑑賞
これぞイノベーション
号泣しました。見て良かったです。
ある男性が徐々に五感を失う中、家族で悲しみを乗り越えていく物語。病気の中でも明るく生きようとする姿に心打たれます。
しかし智さんの人生は壮絶の一言。片目が見えなくなり、次に視覚が全てなくなった段階で絶望だったと思いますが、それを乗り越えた後に今度は聴覚が…
目も耳も聞こえず、コミュニケーションは当然取れません。世界に取り残されているようだとの言葉や、智さんが令子さんに手を触れながら歩く描写が、その辛さを本当に際立たせていました。
そんな中、令子さんが指点字を編み出します。指点字とは指で点字を表すものです。盲学校で一人暮らしをしていた智さんに点字のタイプライターで手紙を作って送っていた令子さん。
子と何とか意思疎通したいと点字を学んだ彼女が、聴覚も失い孤独にくれる息子と何とか意思疎通を取ろうとして指点字を思い付いたのでした。
2人は指点字を元に再び通じ合えるようになり、智さんも孤独から解放されました。この指点字の瞬間は本当に美しく涙が止まりませんでした。是非見て欲しい映画です。
認められる意義といくつかの問題性
この作品の存在を知ったとき、27年前に浜木綿子氏が「おふくろシリーズ」で同様の母子物語を演じたテレビドラマや、ご本人たちが NHK教育テレビ『ようこそ先輩』に出演して生育歴を語られた映像を思い出し、それらをできるだけ思い浮かべながら鑑賞に臨んだ。大きな違いを感じたのは、『ようこそ先輩』では、令子氏が智氏の段階的に障がいを深めていく過程を明るく語られていたので、ショックはそれほど大きくなかったのかもしれないと誤解していたのが、この映画を観ると、それぞれの段階でかなり深刻な悩みを抱えられていたのがまざまざと伝わってきた。そういう点では、
このたびの制作には意義深く感じた。赤ちゃん時代を演じた子を生き生きと演じさせるに当たって、パンフレットには、令子氏役の小雪氏がすっかり懐くまであやして関係づくりを進めていた努力が説明されていた。智氏は、母がモデルの映画なら断れない、と引き受けることになり、誤解や誤認が生じないように脚本のチェックを条件とし、特に可哀想な人の話にしないこと、苦悩してものを壊したり暴れるということはなかったので、そういう脚色はしないでほしいということを要望していて、第1稿からかなり注文をつけ、二十数回に及び、智氏は、視覚障がい者や盲ろう者に属する部分はかなりリアリティのあるものとなったという手応えを得るとともに、小雪氏に対しては、チャレンジ精神にあふれ、パワーがあり、「母親」であるところが令子氏と共通しており、田中偉登氏に対しては、ガッツに柔軟性、ユーモアもあるところが、自分に似ており、この作品で描かれる智氏の例を通して、世の中には色んな人間がいる、ということを感じてもらえれば良い、と述べていた。
悪い印象を受ける父の正美氏も、映画で描かれるように、両眼とも失明の恐れのある智氏に気遣って、実際にご自分もサングラスをかけていたことが明らかにされている。撮影条件の制約から、盲学校生活での影響を受けた友人や教師の出演機会が限られ、集約された役柄の造形がなされたところは評価したい。ただし、なぜ東京の盲学校を選んだかの理由がわからなかったので、説明がほしかったところであった。
この母子がたびたび深い絶望に襲われ、指点字の発見から新たな世界への扉を開かれた様子は、ヘレン・ケラーがサリバンとの格闘の末に指文字を綴り、言葉の認識を得た瞬間にも相当するところだと思えた。そうした格闘の努力は確かに敬意を感じるところではあると思うけれども、監督の松本准平氏が焦点を当てているのは、母の息子への献身であり、プロデューサーの結城崇史氏が観客に伝えたいことは、乗り越えられない苦難はない、ということのようである。私個人としては、抵抗感のあることがらである。まさに、世の中には色んな人間がいる、と受け取るに止めたいところである。あえて気になったことを挙げるとすれば、時代的制約でもあろうとは思われるし、徐々に姿勢の変化はみられるものの、結城氏の意向であえて加えられた父親の正美氏の言動で、家族のなかで障がい児のケアが母親任せにされるだけでなく、さらに父親の自分も含む他の家族の日常的ケアの負担をも求めるように追い込んでいったこと、いじめへの対処において、本人が強くなることに解決を求める傾向があったこと、本人の進路選択に当たり、常識的な限界を想定し、諦めることを選択肢として提示したことは、長尾医師の冷淡な姿勢とともに、反面教師として、これからの時代では、障がい者の社会進出を進めるために減らす努力をしていかなけらばならないところではないかと思われた。智氏の妻の光成沢美氏が、これもドラマになった『指先でつむぐ愛』で提起していたような、妻が障がい者の夫のケアをすることが無償で当然とみなされるのは良いのか、ということとは対照的な性別役割分担意識を温存させたり、母親のケア役割の負担増大やいじめ被害、そして進路選択肢の少なさも、乗り越えられない苦難ではない、と看過されることにはならないように願いたいものである。智氏を含め、全国の様々な盲ろう者の日常生活実態をドキュメンタリー作品にまとめた『もうろうをいきる』も併せて御覧いただきたい。
世界で初めて盲聾者の大学教授となった福島智さんと母・令子さんの実話...
世界で初めて盲聾者の大学教授となった福島智さんと母・令子さんの実話を基に描いたドラマ。
兵庫県で暮らす5人の家族。
夫・福島正美(吉沢悠)は学校教師、妻・令子(小雪)はやんちゃ盛りの3人の男の子を育てるのに忙しい。
幸せな一家だったが、末子・智の目の見え方がどうやらおかしい。
正月休みの間に気になっていたのだが、医者は休み。
休み明けしばらくして、近所の眼科に連れて行ったところ、大病院での検査が必要と告げられ、そのまま入院となってしまう。
県立病院の眼科医がいうことには、珍しい病気で失明の可能性がある、とのこと。
入院して治療を続けるが、幼い智は片目を失明してしまう・・・
といったところからはじまる物語で、片目をうしなった智少年は、周囲からのいじめに遭いながらも、その後も元気に育っていったが、残された目も視力を失ってしまう。
普通なら全盲というハンディキャップを負ったならば、意気消沈、生きていくことが嫌になってもおかしくないのだけれど、智少年は、入院中に仲良くなった年上の全盲青年から点字を習っており、それゆえ点字本を数々読み、またラジオから流れる落語にも喜びを見出す。
高校生にならんとする智(田中偉登)は、東京盲学校へ進学、ひとり暮らしを始めるようになる。
同級生に、「カフカの『変身』読んだか? なんでザムザは、ある朝、突然、虫になったかわかるか?」と問いかける。
答えられない同級生に対して、「理由なんかない。なるときはなるんや。そういうもんなんや」と言う。
彼は盲の中で学んでいるのである。
盲であっても、蒙ではない。
考えることで、蒙を啓いているのである。
しかし、そんな智を次なる試練が襲う。
頼りにしていた耳が聞こえづらくなっている。
想いを寄せる同級生の女の子が弾くピアノの音も、ひずんだり、聴き取れなくなっている・・・
全盲の上に耳まで聞こえなくなったら、いくらどんなに考えても、それを周りに伝えられない。
周りのひとも智に何も伝えられなくなってしまう。
完全な暗闇、完全な孤立がやってくる・・・
「そうなったら、男版ヘレン・ケラーやな」と軽口を言ってはみるものの、気も狂わんばかりの恐怖・・・
その智を恐怖の淵から救うのが、母・令子が咄嗟に思いついた指点字。
左右3本ずつ計6本の指を使って相手の指にタイピングし、点字同様に一音ずつ相手に伝える方法であった。
幸い言葉まで失わなかった智は、相手からのコミュニケーションがあれば、自分の声で思いや考える伝えることができるのである。
蒙を啓くためのコミュニケーション。
コミュニケーションで「つながる」というのはそういうことなんだ。
映画は、その後、智の大学受験と合格を描いて終わるが、タイトルどおり、桜色のさわやかな風が吹いたかのような余韻を残します。
前半は母親からの視点、後半は成長した智の視点と変化するあたりの劇作ぶりも好感が持て、要所要所に挟まれる智の視点による映像も効果的です。
すっかり母親ぶりが板についた小雪、頭脳明晰なれど嫌味もなく、時にはユーモアも交えて、ヴィヴィッドに演じた田中偉登ともに好演でした。
たとえ目が見えなくとも、たとえ耳が聞こえなくても、人の愛情は肌で感じ取ることが出来る。
福島智さんの自伝的作品。氏が幼少期の頃から視力、聴力を失ってゆく様を見せられるので見ているほうもかなり辛い内容。
氏自身の自伝は過去にも漫画化などされたらしいが、その中では聴力まで失われてゆく際には我を忘れて取り乱したりした描写があった。しかしご本人によると逆に取り乱したり、周りに不満をぶちまけたりすることはなかったようだ。ご本人曰く、そんな次元ではないほどのどん底だったということらしい。あまりの絶望から外へではなく、内に向かって行ったのだと。
彼の友人の「思索は君のためにある」という言葉通り、その性格が彼を救ったとも言える。
彼は言う。何故に自分はこんな目に合うのか、これはこんな境遇になった自分にしか出来ないことをやれということなのではと。これは物凄いポジティブシンキングだと思う。ある意味通常では耐えられない試練を逆転の発想でモチベーションとし、難関と言われる大学受験を成功させ、ついには全盲聾者で初の大学教授にまで上り詰めてしまう。米国タイムズ誌がアジアの英雄と讃えるのも至極当然。まさにピンチをチャンスに変えるとはこのことだろう。もちろん生半可な努力ではなしえないことではあるが。
そして本人の持ち前の性格に加えて何よりも彼を最後まで支援し続けた母の愛情、家族の絆、これらのどれか一つでも欠けたなら現在の氏の存在はなかったであろう。
命はそれのみでは完結しえない。花が受粉するには風や虫の介在無くしてはなしえないように。
桜の花が咲く頃、母とともに入学式へ向かう智。彼は間違いなく桜の美しさを風で感じ、海の潮の流れを感じている。そして、母の愛情も。
けして宇宙に一人放り出されたのではない。視力聴力を失ったからこそ得ることができたものもあったのではないだろうか。
いまやALSの国会議員が活躍するほどにまで一見バリアフリー化した日本ではあるが、反面まだまだネットによる心ない誹謗中傷も後を絶たないし、国会議員でさえ先頭切ってそのようなことを行っている現実がある。目が見えない、耳が聞こえない、それよりも深刻なのは心がないという障害ではなかろうか。
智を演じた田中偉登が福島さんのもとに通い、役作りに専念しただけあって素晴らしいものであり、他の役者陣も子役を含めて素晴らしかった。少々説明台詞が多いのはノイズだったが、総じて万人に見てもらいたい作品だった。
ちなみにPG12なのは何故だろう?
勇気をもらえた、今年一番の映画!
勇気をもらえた、今年一番の映画でした。
目が見えない。
耳も聴こえない。
主人公の言葉を借りると、
「男版ヘレン・ケラー」の物語。
視覚と聴覚がまるっきり失われる恐怖。
世界にひとりぼっちでポツンと放り出された孤独。
その辛さは、想像するにあまりある。
けれど、父も母も優しい。
劇中では小雪演じる母親に目を奪われがちだが、吉沢悠演じる父親もステキだった。
息子が失明する直前、少しでも景色を目に焼き付けておこうと、家族5人で旅行に出かける。
主人公の智と同じように、サングラスを掛ける父。
なんでお父ちゃん、サングラスかけてん?
と無邪気に尋ねた智に、
なんでやろなーと優しく返す父。
息子の辛さを少しでも思いやろうととしたのだろう。
個人的に好きなシーンです。
母から指点字を教わり、
大学に進学し、
少しずつ変わっていく智の人生。
目が見えないとは、どういうことか。
耳が聞こえないとは、どういうことか。
先輩のアドバイスで内省を深め、
もう聾者になった自分にしかできない使命がある、という境地にたどり着く。
これが、ラストの吉野弘氏の「生命は」という詩に繋がる。
ぼくたちは足りないことに対して、いつも不平不満ばかりを言う。
けれど足りないことがあるから、お互いに補い合い、助け合って生きていける。
だから、足りないことを恥じたり、引け目を感じたりする必要もない。
世界の奥深さ、生きることの味わい深さを、
改めて教えてもらいました。
実話を元にした気持ちの良い素敵な作品。
良い作品だった…。
「視覚も聴覚も使えない方はコミュニケーションどうするんだろう。周りはどうしたらいいんだろう?」と何も知らない状態だと全然想像ができない。
でも本作を観て、盲ろうについて「わからないもの」ではなくなった。まずそこが良かったと思う。
(でも福島智さんは中途の盲ろうなので最初から全盲ろうの方の場合はまた違うのだろうな。)
そして、本作で描かれる福島智さんはとても魅力的で素敵だった。教養やユーモアがあって、人とのコミュニケーションが上手。家族に憎まれ口を叩いて笑わせる姿が印象的。
置かれている状態は自分に置き換えると相当過酷なものだと思うのに、その孤独や苦悩はちゃんと描きつつ、作品自体は悲劇性は全然漂わない。
その全体的なバランスの取り方が本作はとても良かった。
福島さんの置かれた状況に同情するのではなく、一人の人間として魅力的な福島さんを好きになってしまう。そんな描かれ方をしていたと感じる。
でも序盤は母・令子さん視点が多いので同性目線、母視点で見てしまうと胸が詰まった…。
(そしてリリーフランキーさん演じる医者の横柄さと不信感を煽る態度は心底憎たらしい…。)
令子さんで印象的だったのは、やはり指点字のシーン。コミュニケーションを発達させるものは「足りなさ」と「相手へ伝えたいと思う気持ち」なんだなと、令子さんの姿を見ていて改めて思う。
家族のシーンも良かったなあ。
家族みんなで海にお出かけして写真を撮るところ(智さんのお父さんが智さんとおそろいのサングラスをかけてるところ、説明はされないけどお父さんの優しさが感じられてとても良い…)が好きだし、お父さんと智さんが一緒にビールを飲むところも良かった。
あと智さんが同級生の増田さんのピアノを聴くシーン、なんて美しいシーンなんだろうと思った。
そこで流れるベートーヴェンの「悲創」のピアノのまた美しいこと…。
美すぎて泣きたくなるような尊いシーンだった。
あと作中で引用されていた吉野弘さんの詩も素敵で印象的。「生命(いのち)はその中に欠如を抱き それを他者から満たしてもらうのだ」というところが素敵だなあと思う。
そう、振り返ってみると本当に素敵なシーンがたくさんキラキラと胸の中に残る作品だった。
人の障害を扱う作品って重くなりがちだけど、この作品はそ鑑賞後の後味も良いので、尻込みせず色んな人に見てほしいなあ。
PG12
予告編から気になっていたが、良い子に観てもらう作品なのに何でPG12。
未成年の飲酒シーンが問題なのでしょう。キャサリン・ヘプバーンの旅情も少年の喫煙シーンがあるのでPG12(R15かも)。
あの飲酒シーンは必要だったのか。
海外での上映を意識しているみたいで、演者、スタッフともに横文字表記もされていた。国によっては上映不可とならないか心配になった。
良い映画で、もっと多くの人に観てもらいたいと思ったのに、もし飲酒シーンが問題になるようだったらもったいない。
【”何が自身の身に起きようと、前向きに生きる。”視力を失い、聴力が衰えて行く中、必死に前を向いて生きようとする福島智さんの姿と、息子を必死に支える母を始めとした家族の尊崇な姿が、心に沁みた作品。】
ー 恥ずかしながら、福島智さんの存在すら知らずに鑑賞・・。
冒頭にクレジットでBased on the true story と出て、踏ん反り返って見ていたが姿勢を正して鑑賞した作品。-
◆感想
・福島智さんを演じた、田中偉登さんの視力を失っても、明るさを失わない姿から、聴力が衰えて行く過程で、自暴自棄になるシーンが、観ていて辛い。
ー 自分で、”男版ヘレンケラーや!”とお茶らけた態度で言うシーンと、毎朝、独り、電話で時報を聞くシーンのギャップの凄さ。ー
・母を演じた、小雪さんの”何で、智ばかり・・。”と呟きながらお百度参りをする姿や、自分を責める姿が、哀しい。
ー だが、聴力まで失いつつある息子の姿を見て、神社を恨めし気に見上げる表情・・。-
・智を支える、母及び父や兄弟たちの姿も良い。
ー 点字を覚えている妻の姿を、見ていた父が息子に渡した、点字の紙。そして、大学を受験する!と言った智が、家を出る時に兄二人が智に渡した、家族で海に行った際の家族写真。
智が、如何に家族に支えられていたかが、良く分かるシーンである。-
・盲聾者になった息子と、コミュニケーションを取るために、母が考えついた指点字。
ー 母の息子を想う気持ちが、結実したコミュニケーションツールである。-
<日本に、視力、聴力を失っても常にポジティブに生き、東京大学教授になった人が居るんだ!という驚きと、智を支える母を始め、家族の姿、聾学校の友人達の姿に、素直に感動した作品。
驚きと、尊崇の念を抱いた作品でもある。>
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