「世界のすべてからの卒業」少女は卒業しない sankouさんの映画レビュー(感想・評価)
世界のすべてからの卒業
朝井リョウは洞察力に優れた作家だと常々思う。どれだけ平凡に見える日常も、誰かにとっては特別なものであると気づかせてくれる。
彼の作品では大きな事件は起こらないが、それぞれの人間の人生の欠片が集まった時に、そこには感動的な物語が生まれる。
この作品は卒業式を翌日に控えた高校生たちの群像劇である。
設定としてはありふれたものだが、実は今の三年生が卒業した後に、学校は廃校になることが決まっている。
生活の、もしくは世界のすべてだった学校が、たとえもう二度と顔を出すことがないとしても、卒業した後に失くなってしまうというのは、多感な時期である十代の少年少女にとってはセンセーショナルな出来事である。
そしてこの設定が入ることで、これはより儚さを感じさせるエモーショナルな作品になったのではないかと思う。
派手な演出はなく、淡々とカメラは卒業を控えた少年少女たちの姿を追っていく。
心理学を学ぶために東京の大学への進学が決まっている後藤は、地元で学校の先生を目指す恋人の寺田と気まずい関係になってしまい、卒業前に何とか笑顔で別れたいと願っている。
高校三年間で友達の出来なかった作田は、卒業間近の教室の雰囲気に馴染めず、穏やかな物腰の教師坂口がいる図書室を訪ねる。
軽音楽部の部長神田は、卒業ライブを控えた自称刹那四世こと森崎に想いを寄せる。彼女は他の誰も知らない彼の秘密の姿を知っている。
そして卒業生代表で答辞を読むことになった調理師を目指すまなみ。
彼女はいつも同級生の駿のために手作りの弁当を用意していた。
この映画を観て、あの頃はとても眩しかったと懐かしむ者もいれば、高校生活ほど息苦しいものはなかったと思い出す者もいるだろう。
この作品はそのどちらにも共感出来る余地を持たせている。
卒業なんかしなければいいと思っていた者もいるだろうし、早く卒業したいとそればかりを願っていた者もいるだろう。
そしてそのどちらにも等しく卒業の時はやって来る。
三年間など長い人生の中ではあっという間だ。まだ自分が何者であるかも自信が持てないまま、学校を少年少女たちは卒業させられる。
場面のひとつひとつがとても愛おしく、それぞれの登場人物の想いに共感させられた。
大きな事件の起こらない作品だが、ひとつだけミステリーの要素があり、それもまた物語に厚みを加えていた。
観終わった後に、もう二度と戻らない10代の貴さを改めて考えさせられて切ない気持ちになった。
まなみ役の河合優実を筆頭に、皆が等身大の自分を演じているようで、とても好感の持てる空気感をまとった作品だった。