「なぜ、「しない」?」少女は卒業しない Mさんの映画レビュー(感想・評価)
なぜ、「しない」?
なぜ、題名を「少女は卒業【しない】」にしたのかがよくわからない。
もう一度見直して考えてみたいのですが・・・。
追記
今度は最初から4人の区別もつき、細かいところまで気にしながら見ていた・・・のだが、途中から、自分の高校時代や大学時代を思い出し、後はずっとその記憶にひたっていた。
つまり、そんな映画。
ただ、2回見ても、なぜ「しない」にしたのかはわからないまま。
でも、また見に行ってよかった。
なんか登場人物みんながまぶしい!
コメントありがとうございます。
あの答辞のシーン、河合さんが一発撮りにこだわったみたいで、演者さんが役になりきったからこそのシーンなのでしょうね。
私は原作を読んで無いのですが、パンフレットの原作者の対談を読むと、原作は映画と違って留まってしまっているエピソードが有るみたいです。
なぜなんでしょうね。
前半はフルマークで、「このままの生活が続くといいのに」というセリフに代表される内容かと思うので、「それでも彼女たちは、一歩踏み出していく」という反語的表現なのかな。
私なりの「卒業しない」の解釈は、恐らく誰にとってもかけがえのない少女期は永遠にそこに残り続けるという意味かなと思いました。その時経験したことの記憶は大人になっても永遠に時が止まったように残り続けるというか。
他の女の子や自分の趣味などに打ち込んでいて、自分のことを思ってくれてる人のことに気がつかない。
下手すると大人になっても、〝気付き〟の視野が狭いまま、という経験が、自分の場合かなりありました。
私は、森崎くん以上にバカでした。
Mさん、コメント有り難うございます。
「卒業しない」
のタイトルには考えさせられますね。
悩ましいです。
彼女たちは
「想いを残しつつ、先へ進む」 ので
それを
「卒業しない」
と表現しているのかも
…などと考えてはいます。
もしかして
こんな風にあれこれと考えさせようとするのも
作者の思惑通りなのかもしれませんね。
(手のひらの上で コロコロ あれ~)
いつか必ず卒業が訪れる側面や、仲間や校舎が変わっていくから同じ日々は続かないという側面、そういうものを受け入れて進まざるを得ないけど、未だに戻りたいと思う時もあるし、自分の中には幼いままの仲間とあの時の学校も大切にしまってある、という感じで勝手に解釈しました。
コメントありがとうございます。
あくまでも私見ですが…
荒木茂呂彦さんの『JO JO』のシリーズの中に、ダイヤモンドは砕けない、というのがありましたが、それと同じようなニュアンスかなと…いや、かえって分かりづらい🤣
卒業式という時間的な区切りやこれから経験する出会いがあっても、精神性のコアな部分は決して変わることがない…原石の自分が経験したものなのだから。
という感じで理解してます。