スクロールのレビュー・感想・評価
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まずは目の前の人としっかり向き合ってみよう
この作品で一番興味深い人物は中川大志演じるユウスケだろう。
森からの電話に対して「知らない」と無視するのだが、自分の携帯電話に名前も登録されている番号なのに「知らない」とはどういうことなのか。当然、自分で番号を聞き名前を入力したはずなのだ。少なくとも顔見知り以上であることは間違いないのである。
しかしユウスケは「知らない」と言う。
コミニケーション能力が高く社交的であるが、人と深く関わることを望まない刹那的な男。それがユウスケ。
昨日、一緒に呑んだ人の名すら忘れそうな勢いだ。
対して森は、追い詰められた心の状態でユウスケに電話をかけたわけだ。
つまり森にとってユウスケは「友達」だったのである。
実際にはそこまで親しくなかったであろうことは容易に想像がつくが、それでも森にとってユウスケは特別といえる存在だったに違いない。
出会う人たちを通り過ぎる対向車線の車のように忘れていく、もしくは最初から覚えないような生き方をしてきたユウスケも、森からの電話が、森にとっての最期の電話であったことを察し、何も感じないということはなかったようだ。
仕事として森の死に接することで自分を考え直すようになっていく。
そんなユウスケの行動は主人公である北村匠海演じる僕に少なくない影響を及ぼすことになる。
全体的に、実に現代的な物語だったと思う。人と人の繋がりの希薄さや、無気力さ、個人主義的なワガママさ。
物語を牽引するのはユウスケなのに、主人公はユウスケに引っ張られる側の僕なのも現代的アプローチな気がする。
モボの妄想のようなシーンから物語は始まる。モボとは?を中心にしたミステリーのような展開で、次第にキャラクターの繋がりが見えてくる構成は中々面白かった。
なんかお怒りの方もいるくらい評価が低いがそんなに悪くなかったのではないかと思う。少なくともキャストは良かった。
怪物たちよ
役者陣は豪華なのに上映規模小さいなーと思い、だいぶ独自路線の強い映画なんだろうなと思っていましたが、思っていた通り、ただ悪い方に意外性がはたらいていた作品でした。
序盤の謎オープニングで、きっちりした空間の中に突然現れたカップ焼きそばが今作の中では最高のシーンでした。カップ焼きそばとは長い付き合いなので、ここで出てくるのかと不意を突かれました。ここがハイライトだったようにも思えます。
物語が考えるな、感じろと言わんばかりの放りっぱなしな感じが随所に見受けられました。チャプター分けする映画はオムニバス的な要素が強く思えてしまい、映画としての面白さを削っているようでした。それぞれの物語もうまい具合に繋がるわけでもないので、この分け方にした意義がわかりませんでした。セリフ回しも独特なものがあり、会話の締めに「生きてる意味あるの?」で締めるのは違和感がありました。普通にしっかり仕事をこなしている人に向かってかける言葉じゃないよなとも思ってしまいました。クビになった上司の腐れっぷりもさることながら、急速にメンヘラと化した菜穂の情緒の不安定さ、ナイフを刺した際の後始末のくだらなさ、森くんの母親が葬式の際に遺影を持って取材を受ける不自然さ、と抱く疑問は増すばかりでした。
演出面にもモヤモヤするところがあり、MVを見ているかのような感覚に陥りました。一枚一枚の画は綺麗なんですが、映画として見るとどうにも違和感がありました。ライターをつけて場面転換も多すぎましたし、この監督誰だ?と思ってみたら日本版CUBEやコンプライアンスの作品を担当した方…。そりゃそうなるわな…。
役者陣が全く輝いていないのがとても残念でした。北村匠海くん、中川大志くん、松岡茉優さん、古川琴音さん、と邦画の世界をリードしている俳優陣を揃えているにも関わらず、この人だからこの役が活きていると感じることができませんでした。
かなり独りよがりな作品に仕上がっており、原作から好きになれる気がしませんでした。邦画よ…頑張ってくれ…。
鑑賞日 2/7
鑑賞時間 11:55〜14:00
座席 G-8
死んでから縮まる距離があってもいい
冒頭の、詩的でもなくポエティックでもなく、あえて『ポエミィ』と言いたくなる導入が苦手だった。
後に“僕”が自身を森と同一化させた描写だったと分かるが。。
本編自体はリアルなタッチで進んでいくが、やはり“僕”の投稿する文章は自己陶酔的。
彼の小説が出ても読みたいと思わない。
パワハラ上司や空気を読まず詮索してくるお局など、あるあるながら自業自得な面も否めず。
メインで好感を持てるのは“私”のみ。
まぁ、「社会が何もしてくれなかったんじゃない、自分が社会に何もしてこなかったんだ」という台詞から、そのへんはワザとでしょうが。
“僕”と母親の確執はじめ、各キャラの深掘りもないため共感性は薄い。
役者は悪くないが、松岡茉優のクソ重肉食女がやや新鮮なくらいで、他はいつも通り。
むしろMEGUMIの抑えた演技が一番印象的だったかも。
現実的で地に足の着いた映画は嫌いじゃないのだけど、『ポエミィ』な要素との食い合わせが悪かった。
“私”の絵も、あれイラストレーターの仕事じゃないよね。
作品の伝えたい事
ストーリーを把握しようと頑張って観たんですがいまいちわからない。
監督さん?演出?映像の世界観が独特すぎてちょっと話が入ってこない。キャストはいいのに勿体ねーって感じました。
各上司とのやりとりのセリフ回しも最終的に「生きてる価値ある?」がこの話の流れでこのセリフ出るかな?と個人的に違和感あり。
ラストの僕演じる北村匠海、母との電話は殻を破って1歩前進した!と個人的に勝手に解釈しました(笑)
作品の観せたい、伝えたい事がわからなかったです。
人生はスクロール。時が来たら向き合えば良い
原作「スクロール」はそれはそれで面白い青春ストーリーだ。顔も忘れかけていた友人の死をきっかけにして、「死んでから距離を詰める関係もある」ことを示してくれる。
果たして映像化した本作はキャストの勝利とでも言おうか。それぞれの個性が際立っていて素晴らしい。小説の中では想い及ばなかった <僕> や <ユースケ> がしっかり生きている。
賛否を醸す冒頭のワンシーンは、ゴシック調の色彩に可愛らしいけど不安定さを感じるウエイトレスが、次々と頼まれもしないオーダーを運んでくる。
なんかワクワクした!何が始まるのか、と。私が知ってる小説「スクロール」の世界じゃない!と。
レストランへの階段を登る北村匠海の横顔からしてもう引き込まれたもんね。
彼の顔立ちが特に好みというわけでもないのだけれど、あの分厚い部類に入るだろう唇とか黒目がちの大きな瞳とかは映し方によって様々な表情を持つ。だからいつも観ていて役者向けの顔だな、と思うのだ。
一方、ユースケ役の中川大志も良い。運とその場のノリだけで世の中渡ってきたような調子よさが滲み出る。けど、ユースケは気は良い奴なのだ。自殺した森が最期にかけてきた電話が自分宛かもしれない、と知れた途端「俺が電話に出ていれば森は死なずに済んだかも知れない」罪悪感に苛まれるのだから。
だもんで、その気もないのに出会ったばかりの菜穂にプロポーズしてしまう。ちゃんとやれば出来るんだという自分の証明のためだけに。
菜穂は令和にあって昭和の価値観を引き摺る女だ。結婚が女の幸せと言われて育ったような箱入り娘。だからお堅い職場に勤めている。千切りにするきゅうりをぶった斬る松岡茉優の演技に唸ったわー。
原作ではもっとはっちゃけてます、菜穂。
そんな菜穂とバーで知り合った <私> は、菜穂から「気をつけたほうがいいよ、重い女と思われるから」と言われて返すひと言が秀逸だった。自分の足で立って生きている女と誰かを頼って生きている女の違いが「重さ」の違いなのだ。
物語は観る者に答えを委ね、正答を導き出してと言わんばかりに会話の間合いを長く取って、ハッピーエンドともそうでないとも取れる方向に進んでいく。
合間合間に入る何気ないカットも素晴らしい。
「キャンバスを前に100円ライターをこすって見える炎の画」や「東京タワーの見えるオフィス」のワンシーン。また、再会した僕とユースケが「銭湯の湯船で癒されている2人」のカットなど。
それこそスマホの画面をスクロールしてスクロールして見つけたある日のワンシーンのようにフレームに収められていく。「その時が来たら向かい合えば良い」のだから。
なんと言っても森くんの遺影が笑える。あごの部分にユースケのピースした指が丸く差し込まれた遺影。20数年間生きて遺影に使える写真がコレしかなかったのか、と彼の人生がわかる1枚になっていた。
登場人物の全員を救って欲しかった
主要な登場人物は4人で、それぞれに焦点を当てた章によってストーリーが展開していくが、その中核を成すのは「僕」の物語である。
パワハラ上司によって人生に絶望し、死にたいと願っていた「僕」が、自分を理解してくれる女性である「私」と知り合い、前向きに生きられるようになる経緯には共感が持てるし、観ている側も救われたような気持ちになる。
特に、「社会が何をしてくれるのかではなく、社会に対して、誰かに対して、何ができるのかが大切だ」というメッセージには、深く胸に刺さるものがある。
また、何か嫌なことがあっても、スマホをスクロールするように気持ちを切り替えるという生き方も、現代における有効な処世術であるように思える。
その一方で、大学の同級生の「ユウスケ」は、最後まで「生きる意味」を見つけることができないし、その恋人の「菜穂」も、結婚願望を叶えられないままエンディングとなる。
できれば、こちらのカップルにも、人間的な成長やハッピーエンドを用意してもらいたかったし、そうでなければ、何のためにこの2人を登場させたのかが分からない。
現実に苦しむ若者たちの「救い」の物語であるならば、登場人物全員を救って欲しかったと思うのである。
【前半は重く、キツイ映画だが、”辛い記憶はスクロールして生きる。自死は駄目だ!”と言う生の大切さを発信する作品である。古川琴音さん演じる強き”私”が印象的な作品でもある。】
ー 章立てで物語は構成されている。
序盤は可なりアーティスティックな作りであるが、世界観は嫌いではない。-
◆感想
・パワハラ上司、コダマ(忍成修吾)の標的になった”僕”(北村匠海)は、辛い社会人生活を過ごす日々。
コダマに対しては”マジ、死んで欲しい”と内心思っているが、言えずに鬱屈しSNSでその言葉を呟く。
ー ”僕”が経験する辛い日々の描き方が、アーティスティックな風合があるのだが、やや分かりにくい。ビルの屋上から飛び降りるシーンなどは、虚実混交である。
だが、飛び降り自殺したアイドルが、誰もいないレストランで”僕”に供したカップ焼きそばや、戸棚から溢れ出した母からの未開封の封書などは、印象的である。-
・”僕”の呟きに、夜中”良いね”が付き、”僕”が居ない時に、コダマに対し、”コダマ、まじ、死んで欲しい。”と面と向かって言い放った”私”(古川琴音)の姿。で、サッサと会社を辞める。
ー 今作では、混迷する日々を送る4人の男女がメインキャラクターで登場するが、”私”だけが無理をしていない。そんな”私”に”僕”が惹かれるのは、必然であると思う。
更に言えば、パワハラで会社を辞めさせられたコダマの鬱屈した想いを発散させる行為は具の骨頂である。-
・”僕”の大学の友人であるユウスケ(中川大志)も、表面上は明るいキャラだが、中身が無い。多くの女性と同衾してきたようだが、名前も覚えていない。
自殺した“森”を始めとして・・。
ー ユウスケの中身の無さが露見する幾つかのシーン。
”私”の友人である菜穂(松岡茉優)とバーで知り合った頃、森の自殺を知る。
そして、自分のスマホに残されていた森のラストメッセージ。
それを聞いたユウスケは激しく動揺し、菜穂との結婚の約束を反故にして、”僕”と森の自死の真相を図ろうとする。
ハッキリ言って、ユウスケの不甲斐なさが、菜穂に刃を持たせた事は、間違いない。
”女性に対して礼を尽くさなかったユウスケは一度、もっと深く刃を身に受けるべき!”等と思ってしまったシーンである。-
・そして、二人は”社会が僕に何をやってくれたかでなく、僕が社会に何をしたのか”が大切だという事に徐々に気付いて行く。
特に、それまで笑顔無き”僕”が強き”私”の存在により、笑顔を取り戻していく姿が良い。
<今作のストーリー展開は粗いが、心に残る台詞が幾つかある。
”社会が僕に何をやってくれたかでなく、僕が社会に何をしたのか”が大切という台詞は特に秀逸である。
真面目な社会人であれば、仕事の95%はキツイと思うが(私だけであろうか?)残り5%で仕事の達成感を得られれば、上等ではないか、と思った作品。
そして、どんなにキツイ事が有っても、自死しては絶対にいけない!という、この作品が発するメッセージは、とても大切な事であると思った作品でもある。>
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