劇場公開日 2023年2月3日

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「「気づく」ために」スクロール R41さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0「気づく」ために

2024年7月14日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

知的

難解な作品
誰しもが自己嫌悪がある。
その過去の自分、その今の自分にネガティブ感を抱いても、「いまは忘れてしまおう」
「記憶というものは、忘れてしまっても、いつか必ず向き合う日が来る。その日が来たら、向き合えばいい」
辛いことがあってどうしようもなくなるときがあって、でもそれを受け止められない自分がいるなら「いまは忘れてしまおう」
思い詰める必要はない。
いつかその日がやってくる。
タイミングは必ず訪れる。
自分にそのタイミングが来た時に、それに向き合えばいいだけ。
「だから今はすべて忘れてしまおう」
この言葉は普遍的だ。
悩める多くの人々に向けられたメッセージ
それで、それだけでいいのだ。
群像
冒頭 チャプター前の映像は「僕」が描いた「絶望のモボ」
拓海君そっくりだが口元に大きなほくろがある。
彼は森と「僕」が融合した人物
抽象的な映像は、「僕」の作品が小説だからだろう。
森の行き詰まった人生を「僕」に置き換え、または融合して表現した作品 森の真実を描くには、ユウスケのような実録ではなく、小説というフィクションの方がわかりやすいのだろう。
向き合えない自分自身に限界がやってくることで起きる「絶望」
その原因の一つが母のプレッシャー
ユウスケは、森の自殺原因を探っていくが、その要因に自分の存在があるのを否定できなくなる。
「僕」の告白 「あの写真」の時の出来事 何もないのに突然謝ってきた森に「嫌いだ」の言葉
それに「笑った」彼
それはおそらく、森にはそんなことが日常だったから、毎回のパターンだったから。
「意味わかんねー」と言ったユウスケだったが、頭の片隅には「みんなそうやって森を追い詰めてきた」事実が浮かんだのだろう。
それは「特定の誰か」ではなく、積み重なっていったこと。そしてそれに必死で向き合いたいと思いながら「自分にプレッシャー」を掛け続けていった森に「限界」が訪れた。
些細な言葉 些細な悪口 すべてのすべてを受取り続け、それを自分の所為にして生き続けた限界。
それに気づいた「僕」
だから何度も登場する「記憶というものは、忘れてしまっても、いつか必ず向き合う日が来る。その日が来たら、向き合えばいい。だから今はすべて忘れてしまおう」という言葉は、「僕」にとってのマントラ。
このマントラを「すべての悩めるものに捧ぐ」のがこの作品
プレッシャー
菜穂は、単純に女の幸せを願っていた。追い求めていた。しかし彼はいつも何かほかのことで頭がいっぱいだった。つい口が滑った婚約という言葉 役所でうわさがまん延し、プレッシャーに押しつぶされる。
「死ぬ」
彼の家に乗り込み、慌てて彼が帰宅。
「オレ無理 結婚とか家とか家族とか いま無理」
二人のその後は描かれていないが、きっと別れたのだろう。
奈緒もまた、自分にプレッシャーをかけ続けていたのだろう。
もみ合った翌朝は自宅で目覚める。
「おはよう」と母に挨拶したのは、吹っ切れたからだろう。
死ぬまで行き詰まっていても、大したことではなかったという事実が描かれている。
あのバーはなぜ閉店したのだろう?
おそらくバーは象徴的存在だ。
客の悩みを増幅させる場所の象徴だったのではないのだろうか?
彼らは皆答えを出せた。
それがあのマントラ。
毎日起きる出来事 受け取れないならすべて忘れること それに向き合わなければならない時が来れば、その時はおそらく自分に準備ができているのだから、向き合えばいい。それだけ。
「僕」は主人公 「私」は何者だろうか? 男女で分けたのだろうか? エンドロールには「私」古川琴音さんは主役として登場していない。ここはわからない。
さて、
この作品は「生きている意味」について問うている。
これを探したくなる時、それはつらい時
そうなってしまっている自分がいるのを知るサイン
私はそう受け取った。だから、それを考えるとき、「すべて忘れてしまおう」
また、
社会という言葉が登場する。すべて社会の所為
「僕」の「社会が何もしてくれなかったのではなく、僕が社会に何もしなかったのだ」というセリフ。
社会とはつながり そのつながりが自分に対する攻撃となり、それをそのまま受け取り、思考で増幅させ自分にプレッシャーを与える。
負の連鎖
しかし、「僕」の些細なSNSのつぶやきが、「私」のイマジネーションを掻き立て、ひとつの大きな作品となった。
これもまた一つの連鎖 誰かの役に立っていた
「火」は、象徴 心の火 心を照らすひとつの明かり 希望の象徴 それを描いた「私」は、火というモチーフを使って「人の心の中に灯る希望」を描いたのだろう。
そしてコダマ
彼を追いかけていた時に見えた「僕」
逃げている「僕」
いつまで経っても逃げていた「僕」
その時が来ても対峙しようとしなかったコダマ そして「森」
「僕」もユウスケからの着信に救われた。
単なる着信に
森の着信を無視したユウスケだったが、おそらくもっと以前から森には誰かから、おそらく母からの「着信」があったはずだ。そこに救いがあったはずだ。
自分に都合のいい「誰か」には、自分が救われるタイミングはないのだろう。
「僕」がそれらに気づいていく物語。
森を知ることで得られた「僕」という人物
この作品を言葉にするのは難しいが、感覚的によくわかる。
素晴らしかった。

R41