湯道のレビュー・感想・評価
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お風呂は気持ちいいよね
主人公(生田斗真)はあまり売れない建築家で、実家の銭湯を売っぱらって金にしようとやってきた。
銭湯は弟(濱田岳)と女性従業員(橋本環奈)が切り盛りしていた。
やってくる客たちのちょっと面白いエピソードがいい。
原作は漫画かなと思ったが、小山薫堂のオリジナルだった。
他のと比べると
類似のものだとテルマエとかサ道とかパッと思い付くけどそれに比べるとB級C級映画だなって思った
湯道っていう架空の組織を題材にしてるけど完全に脇役というか単なる怪しい組織になってます
主役は潰れかけの銭湯でそこでの人情物語って感じだったけど、まあダラダラと長いだけって感じだった
これなら湯道vs温泉評論家vs銭湯みたいなスタイルにした方がよかった気もする
マジで退屈でした
亡き父が遺した銭湯でのお話。 お風呂に浸かることは幸せという内容だ...
亡き父が遺した銭湯でのお話。
お風呂に浸かることは幸せという内容だが、ストーリーが薄くてあまり伝わってこないのが残念。
ラストのエンドロールはキャスト全員で合唱してる雰囲気は楽しそうで良かったです。
湯の道
銭湯を続けようと頑張る弟と、閉めて新しく今風に立て替えたい設計士の兄。今まで弟に任せっきりだったのにそんなこと勝手に話進められても、、、ねえ💦
いろんなお客さんの人生も様々で、ほっこり。天童よしみの息子がクリス・ハートとは、、、小さく産んで大きく育ったのね。横山さんが、自宅のお風呂が念願の檜風呂に改装できておめでとう㊗️定年退職お疲れ様でした。
湯の作法のお教室が面白い。窪田正孝のキレイな作法があっぱれ。お師匠の1番好きなお風呂がいづみの実家、おばあちゃんのお風呂だったとは。
私が子供の頃、家の斜め前に銭湯があって、母と姉と3人で週一くらいで行っていたことがあって、懐かしい。私は風呂上がりに毎回、牛乳ではなく、エリスのりんごジュースを飲むのが楽しみでした。
ほっこりできた楽しめる映画でした。
bathhouse(バスハウス)ムービー‼️
料理を食べる人たちのおいしそうな顔を見てるだけで、幸せな気分になる "グルメムービー" というジャンル(?)がありますが、これはその入浴版‼️湯船につかって気持ちよさそうにしている人たちの顔を見ているだけで幸せな気分になる‼️そんな映画です‼️亡き父が遺した銭湯「まるきん温泉」を切り盛りする弟と、取り壊してマンションを建てたい兄‼️この兄弟の物語を軸に、住み込みで働く女の子、お風呂を愛するあまり "湯道" を学ぶ郵便局員、薪を持ってきて見返りに入浴する風呂仙人、カタブツの評論家、娘の婿に外国人を迎える一家、息子の出所を待つ母親、近くで食堂を営む夫婦、妻を失った老人など、様々なエピソードが展開‼️メインの兄弟のエピソードを始め、一つ一つのエピソードが深みもなければ、ひねりもなく、意外性もない、いわゆる "フツーの良いお話" ‼️しかし、そのエピソードたちをスケッチ風に羅列して見せることで、作品全体からホントに銭湯が大好きな人たちの気持ちがダイレクトに伝わってくる‼️秀作ですね‼️
ほのぼのタッチだが、飽きない展開に芯からあったまった。
生田斗真のコメディは好きだ。濱田岳との相性も良い。
俺の話だけでなく、俺の風呂も長くて良い。橋本環奈の役どころはこれくらいが最高。
他の豪華キャストもこれ見よがしではなく適材適所で、
演技力を発揮していて心地よかった。
風呂派とかシャワー派とか時代とかの次元ではないだろう。
こんな作品がなくなってしまうと寂しい。
自分が「生かされている」ことに感謝ができるようになる一本
<映画のことば>
特別なことは何もありません。
天から降った雨をいただいて、
山から木をいただいて、
火をつけるくらいでしょ、
人間がするのは。
ぜんぶ自然のおかげです。
評論子ですが、映画の鑑賞方法の主力はレンタルと宅配のDVDが主力という評論子ですけれども。
そのために必要なテレビもDVDも、評論子が作ったものではなくて、どちらも誰かが作り出してくれたもの。
2年前からようやく映画館のある街に住むことができるようになった評論子ですけれども。
その映画館だって、雨後の筍のように自然に地面から生えて出てくるものではなくて、誰かが経営してくれて、それで、大スクリーンに映し出される映画が楽しめるというもの。
映画作品としての本作は、長く疎遠・不和だった兄弟同士の、共通の肉親(父)の死と、父が守ってきた銭湯の存廃の危機をきっかけとするお互いの見直しあいをヨコ糸に、人が生きる上でのための希望や喜びの「在りか」「受け止め方」がタテ糸が織り込まれているようなも、評論子には、思われました。
決して「風呂好き」というほどのオタクでもないのですけれども。
でも、風呂に入り、生活のリラクゼーション・モードとすることが日常生活の中では楽しみの一つにはなっている評論子には、楽しく観ることのできた一本でした。
佳作であったと思います。
<映画のことば>
風呂は、夢であり、希望だ。
(追記)
初めて知りました。本作を観て。銭湯の「ぬ」の板と「わ」の板の意味が。
聞いてみると「なるほど」と得心がいくのですが、聞かされてみないと、その意味はとんとわからないという、銭湯にまつわるトリビアだったと思います。
こういう一面もある作品で、その意味では日本の古き良き伝統習俗を伝える映画なのですから、文化庁あたりから「特選」ぐらいのお声がかかっても、不思議でないと思います(笑)。
風呂は暖かく気持ち良いもの、だから映画も
ゲラゲラ笑うようなコメディじゃないが、そこそこに暖かい人間模様が展開される。
出てくるキャストが端役でも見知った顔が出てくる。
主演の生田斗真、橋本環奈、濱田岳、柄本明と皆さんご存知の人々だ。
これだけのメンバーを揃えて、この抑えぎみのコメディを拵えた事は凄いのだが、メチャクチャ客が入る映画と思って作ったとは思えない。
だって、湯道の家元が毎回サブいダジャレ言うんだもんな。
お風呂の映画だよこれは…もっと熱くしてくれよ。
とまぁ文句は言いたいがそんなに悪い映画じゃないのは間違いないので、キャストのファンやこういったコメディに理解のある人なら問題なく楽しめる作品です。
予定と調和
日本人にはコンテンツにたいする独特の“思いやり”(とでも言うべきもの)があり、じっさいには面白くないものを愛でることができる素養をもっている──と感じることがある。
たとえば萌えやかわいいや和み要素を脳内で“面白い”と変換してしまえる能力がわれわれにはあるのではなかろうか。
かわいいに感興できる日本人の能力は、わびさびを解する日本人の心が現代社会に置き換わった因果であると、個人的にはみている。(キリッ)
たとえば孤独のグルメは松重豊ふんする井之頭五郎がいろんな飲食店でめしを食う映像作品になっているが、それに対して「くそつまんねえ」と一蹴するひとはいない。なぜならわたしたちの感性の中に松重豊や飲食店めぐりのデバイスを蔑ろ(ないがしろ)にできないという不文律が組み込まれているからだ。
たとえば「赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。」というネットフリックス映画があったが、橋本環奈や福田雄一というデバイス群がわたしたちの“思いやり”を介することで駄作があるていどのポジションを確立するわけである。
つまらない会話と展開であっても「きっと面白いことをやろうとしているにちがいない」という未達成の意思を汲み取って、なんとなく微笑んであげることもできるわけである。
これがじっさいには面白くないものを愛でる日本人独特の“思いやり能力”であり、この能力はクリエイターの素人化や、日本映画/ドラマの没落の遠因に繋がってくるのだが、それはさておき、今やこの“思いやり能力”に当て込んだ映像作品が映画/ドラマの主流になりつつある。
グルメやおひとりさまなどといった流行のデバイスをだしにしつつ、ただたんに西島秀俊や内野聖陽や武田梨奈がめしを食ってる様子を撮る作品があるように、じっさいには何でもないことを“思いやり能力”に当て込んでつくり、それを見ると「和めますよ」あるいは「癒やされますよ」と喧伝するわけである。じっさいにそれで癒やされる人がいるかいないかはともかくそういう不文律がまかり通っているという話である。
つまり松重豊がめしを食っている映像に「和める」もしくは「癒やされる」という慣用句・不文律があり、じっさいわたし/あなたが松重豊がめしを食う映像に一ミリも癒やされていなくても、それを「癒やされる」と表現せざる得ない“思いやり能力”が日本人にはある──と言いたいわけである。
この映画もそんなわたしたちの思いやり能力に当て込んであり、あたかも和めたり癒やされたりするかのような要素がてんこ盛りになっている。
まず銭湯というレトロデバイスからしてそれだし、そこへ橋本環奈や濱田岳や生田斗真といったかわいいやなごみ系やイケメンのデバイスが絡むことによってオールスターキャストの当て込み映画になっており、じっさいに当て込みどおりの評価を獲得している。
が、個人的には退屈した。いじわるで言っているのではなくふつうにつまらなかった。じぶんが爆笑した映画を比較検証してみるのがいい。たとえばわたしは熊のぬいぐるみが狂奔するTEDを見ながら爆笑した。思いやり能力なんて使わずに笑えた。しかしこれはどうだ。笑えるか?笑えなくてもいいが、面白いか?窪田正孝と角野卓造の湯道家元のシーンはどうだ?湯へ入る所作を教えてくれるが、あれ面白いと言えるのか?
そうは言っても鈴木雅之の演出なのでアート臭や日本映画臭はなく嫌なところはひとつもない。たんにつまらないだけで、嫌な要素はまったくなかった。
また、ほのぼの要素があり、ほのぼの要素は思いやり能力と相性がいい。それはauの三太郎シリーズCMみたいなもので、牧歌性には「つまらない」評価を避ける効果がある。
全体としてそのような“思いやり能力”に頼っており個人的には笑えたところも面白いと感じたところもなかった。
近年にわかに市民権を確立した“整う”という言葉がある。そういうものを権威化する意図がさっぱりわからない。サウナへ入って「整った」だなんて、なんと空虚な矜持であることだろう。
風呂だのサウナだのじぶんの好きなように入ったらいい。映画があるていどそういう結論だったのはよかったがいかんせんつまらなすぎた。
そうだ、お風呂に入ろう!
観終わってすぐお風呂に入りたくなった。お風呂にゆっくり入った時の幸せな時間。忙しい毎日を忘れ去れてくれますね。
銭湯確かに少なくなりました。近所の銭湯も閉まってしまいました。
「銭湯は昭和の異物ではない、未来に必要なお風呂」このセリフは良かった。未来に残すべき日本の良い文化なのかもしれない。
映画もお風呂と同じで、暖かかったですね。それぞれの人生、思いがお風呂でつながる。そして役者さんも素晴らしかったなぁ。たまにある笑いも良かった。
これぞ日本映画という感じ。
さて、今からお風呂に入ろう!
湯 are my sunshine
お風呂、入浴が人の心と身体をリフレッシュして
疲れがとれ、汚れがとれ、気分晴れ晴れ、生き返る。
お風呂は毎日の憩い。
癒しです。
無くてはならない時間。
一組の兄弟がいる。
三浦史郎(生田斗真)と三浦吾郎(濱田岳)
銭湯「まるきん温泉」の息子として生まれた。
弟の吾郎は、「まるきん温泉」の責任者。
秋山いづみ(橋本環奈)とともに、薪を割り、湯を沸かし、
タイルを毎日清掃してお客さんに「いい湯」を提供している。
兄の史郎は建築家。
仕事に行き詰まり、「まるきん温泉」を売却して、
マンションを建てようと帰ってくる。
まあ橋本環奈が番台にいること自体が事件だけれど。
「まるきん温泉」は実に気持ち良さそう。
毎日一番風呂に入りに来て、伸び伸びと歌を歌う天童よしみ。
後半で息子の○○○と男湯と女湯に分かれつつ歌う
「上を向いて歩こう」
ハートフルな歌声に聞き惚れる。
彼女にも彼にもドラマがある。
お客さんの人生が交差する。
特に定年退職する小日向文世。
「湯道、家元・二之湯薫明(角野卓造)と梶斎秋(窪田正孝)の元へ
「湯道」を研鑽に行っている。
彼は内風呂を檜風呂に改修するのが夢。
兎も角「風呂愛」と「湯へのこだわり」が心を打つ。
銭湯は「昭和の遺物なのか?」
廃れゆく文化なのか?
答えは一つ。
湯 are my sunshine
日本人に生まれて良かった!!
湯船に肩まで浸かれる幸せを、噛み締めました。
ほっこり
亡き父が遺した銭湯「まるきん温泉」に戻ってきた建築家の三浦史朗(生田斗真)は、店を切り盛りする弟・悟朗(濱田岳)に、銭湯をたたんでマンションに建て替えることを伝える。
最初は銭湯の何が良いのか全くわからなかった史朗が、店主を務めたりで徐々に考えが変わっていく…というストーリー
全体通して意外にも中弛みするような展開はなく(小日向さんと窪田さんところは謎な感じだったが、それも最後は回収)人との繋がりを感じるような素敵な物語だった。
銭湯に限らず、こういった古き良きものが今でも継がれているということは、そこに一定の必要としている人がいるから成り立っていることを改めて感じた。
登場人物ひとりひとりの個性と演技も素晴らしく、思った以上に楽しめた。
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