The Son 息子のレビュー・感想・評価
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話の構成・見せかたが秀逸
前作のファーザーが、とても良かったので鑑賞。
多くを語らない息子が
態度や表情で訴えるものを
うまく受け止められない親
見逃してしまう親
息子本人もうまく言語化できないもどかしさ
画面上でそれらをうまく観客に見せてくれる
話の構成と、映像の組み立て方が
相変わらずうまい。
愛では力不足
出世のチャンスを棒に振ってでも息子に寄り添おうとしたピーターは、悪い父親ではない。
しかし、目の前に座らせ、腰を据えて、「聞かせろ」と、あまりに真正面から対峙してしまう。
あれで話せる息子はそういない。
恐らく自身が“成功者”であることが、あの対応にさせてしまったのだろう。
そもそもニコラスは、言葉通り自身の“絶望”の原因が「分からない」のだ。
故に性急に出口を求めることは不可能なのだが、「前の学校で何かあった」などと明確な問題があると思い込む。
自分も今では『理解度』や『貢献度』といった実利でなく、『愛情』という中身で量ることが出来る。
だが、17歳の若者にそれを求められるはずもない。
ピーターもケイトもベスも、誰一人悪意などないのに、ひたすらにすれ違ってしまうのが哀しい。
父を反面教師としていたはずのピーターも、結局は「自分の人生だ」と言う。
優しく繊細なニコラスだからこそ、社会的にも精神的にも“強い”父との差に絶望を深めたかもしれない。
病院で、息子の目の前で判断を迫られたら、そりゃ連れ帰ってしまうし、むしろよく一旦断れたと思う。
ダンスやシリアルの投げ合い、そして最後に家族が揃ったときの笑顔に嘘はないだろう。
でもそれすら自身の闇を祓ってくれないことや、絶望との落差がよりニコラスを苛んだのでは。
愛の素晴らしさを謳った作品は溢れているが、愛の無力さを描く作品は稀で、しかし必要だとも感じた。
息子を亡くした親は、この映画は観ないほうが良い。
自身に近過ぎる映画は避けるようにしていたのに、前知識も一切なく、何も仕入れず、油断して映画館に行ってしまった。
後悔の地獄が甦える。
4年を経て気が触れてしまう父親
ベス 「それでも人生は続くのよ」
ピーター「続かない・・続かない!」
嗚咽。
映画を観ることが怖くなった。
映画が怖い。しばらく映画館には行かないと思う。
忘れるためには時間が必要。
死にたい心を救うのは精神科医にも、時に困難だ!
あの事件が夢だったら・・・どんなに救われるだろう。
父親のピーター同様に、観ている私にもとても辛い映画でした。
あの白日夢が現実だったなら?
どんなに幸せだろう。
「人は希望を持たずには、生きられない」
その当たり前のことを強く感じました。
なぜニコラスは生きる希望を持てなかったのだろう?
ニコラスは時に父親を責める。
8歳の時、別の女性を好きになって、母と僕を捨てた。
母は長い間、苦しんだ。
そしてピーターの脳裏にはニコラスが6歳半だった日に、
海で遊び母親の乗るクルーズ船まで、岸から泳がせた日のことが
思い出される。
やっぱり臆病なニコラス。
励まし、手をひき、手を離して・・・
やっと少し泳げるようになったニコラス。
遠い日の幼く弱く可愛かったニコラス。
もっと手助けが必要だったのだろうか?
手を離すべきではなかったのか?
ピーターは後悔に苛まれる。
途方に暮れる父親ピーターをヒュー・ジャックマンを、
とても共感してみました。
誰にどの父親に最善の行動が取れただろう?
ピーターは出来る限り誠実だった。
書くことが好きで、作家になりたかった・・・?
作家の才能がないと、諦めたの?
この映画はフローリアン・ゼレールの原作の戯曲の映画化作品です。
自作戯曲をフローリアン・ゼレールが自ら映画化して監督した
ふたつ目の作品。
前作の「ファーザー」は特別に仕組まれたシーンが多くて、
認知症の父親アンソニーの視点から描かれているので、
アンソニーの妄想なのか?現実のことなのか?
観客も疑心暗鬼に陥る映画でした。
「ファーザー」に比べれば構成はシンプル。
現実をほとんどそのまま受け取れば良い。
しかしそれが簡単なことではない。
ニコラスは父親の家に越してきて転校。
しかし現実には1日しか学校へ行けない。
不登校を重ねる。
「生きるのが苦しい」
「頭が爆発しそう」
「死にたい・・・」
そう訴えられた時、私たちは何をすべきなのだろう?
何が出来るのだろう?
確かにピーターには、はっきりした対応の失敗はある。
(入院を拒むニコラスを退院させたこと)
完璧な親がいないと同じに、完璧な子供もいない。
ラストのピーターの慟哭をみて、
ピーターがこれからの人生でずうっと後悔をし続けるだろう。
子供を失った親の人生は、とても困難だ。
精神疾患の映画
家族愛が主題でしょうが、むしろ精神疾患の家族対応が強烈です。
淡々と、というよりは人物の内面に入り込んだような演出傾向なので、経験者ならその苦労に胸が張り裂けそうになります。
ジャックマン選手の大熱演は泣きそうなうえに、息子もお母さんもかなり困難な役柄のハズですが、それぞれ好演でした。
しかしこのあと、お母さんの方が心配なんだけど。
『The Son/息子』鑑賞。無意識と意識の選択の果てに。天使と悪...
『The Son/息子』鑑賞。無意識と意識の選択の果てに。天使と悪魔のささやきの結果は···。選ばれなかった側の愛憎とやだみ。とても鋭く重い作品だった。
親というのは誰かの子どもでもあるという連鎖の中で、、、
いわゆる勝ち組・マッチョな思考をする父親。息子に対し一時的にシンパシーを感じることはある。しかし、関係性を俯瞰して理解するエンパシーを欠いている。職業が弁護士ということも示唆的だ。ロジカルな戦略と実行で成功してきた。自らの父親によって封印されてきたのだろうか、人としての揺らぎとか、思春期特有の実存的危機に全く無頓着。
「(君は息子の)悪いほうばかり見る」と非難された現在の妻から「悪いところをちっとも見ないあなたの方がもっと悪い」みたいに言い返されるところは白眉だった。息子の訴えに対しても図らずも「イッツマイライフ!」と漏らしてしまったところと共に。
救いは、ない。否、救いと見せてくれた「妄想」があった。
「ファーザー」の時も感心したけどこの監督、舞台としての室内のしつらえ(美術・小物)が示唆的でリアリティもあって素晴らしい。見ていて退屈するところがなかった。
ラストの悲劇はもう見え見えだったので、逆にビクビクさせられて、それはそれでエキサイティングだった。
感情を揺さぶられる映画
新しい仕事の話も舞い込み、かわいい赤ん坊を育てる妻と共に公私に充実した生活を送る弁護士のピーター(ヒュー・ジャックマン)の元に前妻が現れ、前の家庭の子供がしばらく学校に行っていない不登校と告げられて――
親子の問題を抱えて悩む父と子。
ピーターは良き父親として息子の不登校の問題を解決しようとしますが……。
誰かの父親は誰かの息子、ピーターの父親としてアンソニー・ホプキンスも重要な役割を担います。
家庭の問題を描いている為にやや重たい内容ですが、見ていると感情を激しく揺さぶられる映画、ということは良い映画なんだろうな。
愛だけでは…
前妻との息子ニコラスの様子がおかしいとの連絡があり、彼の希望通り一緒に暮らし始めた父ピーターだったが、ニコラスの状態は安定せずに…といった物語。
子供をもつということ、良き親であることの難しさを訴えかけてくるドラマ作品。
とにかく不安定なニコラス。学校で何かあったのか??やはり家を出ていった父親が原因なのか…??でも、ピーターを完全に憎み切っているという訳ではなさそうだが…
そんな彼を取り巻く皆も大変。
不倫はダメだが、仕事にニコラスや前妻ケイト、ベスのケアも出来ることは全部全力のピーター。
また、そんなニコラスと暮らすことを了承するベス。普通こんなことできませんよね。懐の深さに脱帽。
そしてお母さんケイト。急に一人にされて…。
そもそも最初はお母さんが嫌!的なことを言っていた気がするが、結局なんだったの?
まぁ当の家族ですら分からないのだから、不安定になったニコラスの気持ちは誰にもわかりませんよね、本人にさえ。
とにかく状況が複雑ですね。
不倫して再婚してそこには新しい息子もいて、でも助けを必要とする前妻やニコラスがいて…
もとはピーターに悪い部分があったのは確からしいが…かといって出口はもうどこにも無いものなのか?それはキツすぎる。
愛だけでは乗り切れない…まさにその通りだが、答えのない家族の物語をまざまざの見せつけられたような、そんな作品だった。
何が問題なのか、それも大事ですが、どう解決するか、これが大切ですよね!
…って書いた所で、これではピーターやホプキンスおじいさんと同じことを言ってしまっているような気がしたワタクシだ。
繰り返しになるが、家族の問題って本当に正解がないですね。
自分の家族を持ったことのない私が100%理解できることではないかもしれませんが。。
父の息子が息子を
自分には必要ないと言いながら手放さなかった猟銃は「父の息子であること」の象徴。父親に反感を抱きつつも手放さなかった父の息子である生き方が、自身の息子を追い詰めてしまう。
繊細で賢い息子だったのに、、、と後悔の中で見る白昼夢にも、文筆で成功しガールフレンドがいて…と"誇らしい息子"であることを望んでるのがそーゆーとこ〜。
展開はびっくりするぐらい全て読めたけど、俳優陣の強さと雰囲気ある撮影でいい感じの映画になっていました!
息子が染谷将太に見えてくる・・・
家庭を顧みず全国を飛び回っていた実父(アンソニー・ホプキンス)のDNAを継いでしまったかのような父親ピーター。自分では二度と同じ轍は踏まないように心がけ、苦学の末に敏腕弁護士として活躍するに至った。しかし、前妻と息子ニコラスを捨て、新しい妻との生活を始め、新たな息子セオが誕生していた。「どう生きるのか?」
劇中会話の中では「abondon」という言葉が頻繁に使われます。高校時代英単語を覚えるために色んな参考書を買ってみたりするのですが、その中で○○連想記憶術なる本の最初に出てくるのがabondon=捨てる。覚え方は「あ、晩だと勉強捨てる」。もう最初から勉強する気無しの覚え方ですね・・・ちなみに次に覚えたのが「あの胃に悩まされる」。もうギャグでしかありません!annoyという単語が出てきたら、つい「胃」だったかなぁ~などと悩まされてしまいます。
実際は浮気に端を発してベスと再婚したんでしょうけど、息子からすれば母も自分も父に捨てられたと感じたに違いない。弁護士として大成した父を尊敬はしてるけど、どこかで憎んでいる部分もある。そんなニコラスがピーター家族の新生活に乗り込んでくるのだ。これを受入れたベス。いい人だ。しかし、ついニコラスの視線が気持ち悪いとかピーターに相談している会話を彼に聞かれてしまった・・・
リストカットも何度かやっていたニコラス。ついにピーターの家庭の中でもやってしまい、大騒ぎ。入院したほうがいいと医師に告げられるものの、夫婦がサインをすれば退院できると言われ、後者を選んでしまった。愛があれば克服できる!
重いうつ病。やはり周囲が本音を理解するのは難しい。その対処さえ誤ってしまえば悲劇に見舞われるのだ。終盤の銃声には驚愕のひと言。直前の会話ではそんな素振りさえなかったのだから、衝動を抑えていたんですね。メル・ギブソン主演の『それでも、愛してる』以来の衝撃でした。
エンドロール後のテロップにはハイティーンの自殺に関する文が載っていました。悩みを気づいてあげること、医者にかかるように勧めること、考えさせられました。尚、英語がわかりやすいので勉強になるかも。
く〜るー、きっとくる〜
やばい、これ絶対くるやつ!
ほら、ほら、やっぱりきたー!!
くるとわかってたのに、映画館でビクッとした齢五十のおっさん
祖父がレクター博士、父親がウルヴァリンじゃ、しょ~がない⤵️(また、ヒュー・ジャックマンの現妻がザ・クラウンのエリザベス女王の妹のマーガレット役の人で好き勝手なキャラときたもんだ)
結論として、プロの言うことは絶対!
いっそ愛していなければ…
子どもは簡単に親を嫌いになれないし、何があっても何をされても、諦められないのだとまた思わされた。決して愛されていないわけではない、それだけにどうしても苦しくて切なかった。
ニコラスの鬱状態のきっかけになった両親の離婚、多忙で家庭を顧みないピーターの父親、そんな親なら世の中に腐るほどいると思う人もいるだろうが、何だってそれが死ぬほど辛い人もいるし、気にしない、気にならない人もいる。
両親の不仲というのは経験したことのない人には決して理解出来ない痛みだと思う。ピーターが家を出て行った後に、母親が毎日悪口ばかりだったのを「半分に引き裂かれるみたいだ。」と言ったニコラスの言葉と表情が重過ぎて辛かった。
片方がもう一方を悪く言うとき、自分は両親の子だから、まるで大好きな人に大好きな自分のもう半分を否定されたようで、心臓が痛くて苦しいのだ。と私は感じた。
ピーターを何も見えていない馬鹿な親だと言ってしまえばそうなのかもしれない。見たいものだけを見て楽観的で自分勝手。でもピーターは、決してなりたくない父親像があって、彼なりに理想の父親であろうと苦心しているようにも見えた。父親も母親もそれが間違えていて、3人で常にすれ違っていることがまた切ないと言うかなんと言うか。
最後に退院して3人で過ごした時間のニコラスに嘘はなかったと思う。両親が揃って笑うだけで彼にとっては夢みたいだっただろう。もうとっくに絶望しているはずなのに、どうしてもどこかで信じそうになるニコラスを見続けるのが苦しかった。彼自身もそれをやめたかったのではないだろうか。
いっそ愛していなければ、愛されていなければと元も子もない事しか考えられないほど救われないラストに、終わってからもしばらく席で呆然とした。
「親だって人間だもんな。」というのび太の名言を思い出してしまった。
自分が親になった時には全然違う視点で観られそうだ。それこそ辛過ぎて無理かもしれないけれど。
自分のためにレビューします
キャストにはメジャーな俳優陣が揃っているし、どちらかというと軽めな気持ちでの鑑賞機会だったが、結果として非常に考えさせられる内容の映画だった。
大切なことを教えられた気がする。
忘れたくないのでレビューしたい。
一筋縄ではないこの社会。
幸せなことも辛いこともある。
人それぞれが設定した多種多様な幸せに近づくため、
辛い物事には大なり小なり自らの精神を犠牲(ガマン)にして【乗り越える】のだ。
その意味で劇中のグランパの考えは正しい。
それらの集合が人間社会だ。
分かっている。
では社会のなかで形成される「家族」、
特に、子にとって親とは何なのだ。
(逆に親による子の意味合いは常に明白、愛だ)
その答えは、私も知っていたはず。
ただ、大人になり概念が深まった反面、
動物的な意味によるその答えを忘れてしまっていた。
この物語が伝えたかったのはきっと、
子にとって
父親は精神なのだ。
母親は生命なのだ。
ということではないか。
ヒトが人間である以上、
精神と生命はワンセットであるはずだ。
ボートに戻るため海で浮き輪なしで初めて泳ぐシーン。
海で溺れたら生命にかかわる。
それは幼い子供でも理解している。
それを乗り越える精神を伝えた父親。
なるほど、子にとって父は精神性の鑑なのだ。
やがて、、
幼い未熟な心ゆえ、
両親の別れを引き鉄に精神と生命が分裂してしまい、
人間としての自分をコントロールできなくなってしまった子。
家族3人は皆それを理解できない。
ただし当人=子がなぜ社会活動ができないのかメッセージしていた。
「わからない」と。
これは嘘ではなかったのだね。
悲しいことに社会的に成功している両親には理解できない。
これが唯々哀しい…
医師は分かっていた。
生命が失われるリスクを。
しかし際どい線で「理性的に」愛の可能性を選択した親。
愛は精神のかたちなのか?
愛が失われるリスクを選択しない両親。
子は親が理解してくれたことに感謝した。
(親はそれを理解していない)
子は精神と生命が繋がった瞬間、きっと
人間としてその瞬間を失いたくなかったのだ。
その幸せを享受し続けたかったのだ。
ふたたび精神と生命が分裂することをおそれたのだ。
… 落涙だ
心が揺さぶられる。
何という映画か。
素晴らしい鑑賞であった。
それでも生き続ける。
重厚な人間ドラマであるとともに秀逸なサイコスリラーの面も兼ね備えている。前作の「ファーザー」も一種ホラー映画と揶揄されたが、本作を観てこの監督は確信犯だと思った。
まさにイギリス版積み木崩しといえようか。
とにかく情緒不安定の息子ニコラスが離婚した父ピーターの家に来てからの展開は正直サイコスリラー要素が強い。生まれたばかりの弟セオと母から父を奪った新妻ベスとの同居生活はいつニコラスが何かしでかすかと緊張感が一切途切れない。ちなみに終盤の銃声に関しては観客の多くは聞こえる前に身構えしたのではないか。
ただ、やはり本作は人間ドラマの要素がメイン。子育てに正解はないというが、明らかに父ピーターのニコラスに対する接し方に問題はあった。表面的にしか息子を見ておらず息子の心の奥底まで触れようとはしなかった。だからこそ上辺だけ取り繕ってるニコラスの態度を見抜くことができなかった。これは多忙だからでは言い訳にはならないだろう。
ピーターは家庭を一切顧みなかった父を憎みそれをばねにして生きてきた人間。自分の息子も同じ様に強い人間だと思いたかった。フランス人インターンの彼と息子を重ね合わせてもいた。しかしいくら親子であっても人はそれぞれ違う生き物だ。
ピーターは自分は父とは違うと思いながらも、やはりニコラスに対して父と同じ接し方をしてしまった。
この連鎖を彼は止めたかった。何とか息子を自分の手で立ち直らせて自分は父とは違うのだと証明したかった。
しかし、結末は不幸なものとなる。正直、医者が正しかったのか、ピーターたちが間違っていたのかはわからない。ただ、最後の最後で元の三人家族に戻れたことをニコラスが喜んでいたことだけは確かだろう。
息子を救うことが出来ず自責の念に駆られるピーター。その彼にそれでもあなたは生き続ける、セオのためにとベスは言う。絶望の中の一縷の希望。ピーターは二度と同じ過ちを繰り返さないだろう。
父と息子の呪縛
ヒュー・ジャックマンがスーツを着てNYのオフィスで働く役は珍しい。エリート弁護士、そして若い女性と再婚して赤ちゃんもいる。現代のアメリカなら珍しくない設定かもしれないが…でもヒュー・ジャックマンだ。個人的には結構思い切った役に挑戦したのでは、と感じた。
脚本が良かったと思う。努力して仕事で成功をつかみ、家庭も円満で全て文句なし、なんてことはなかなかないのだ。何かを優先すると、必ず何かご犠牲になる。そのバランスをどう取るのかそこが人生重要で、完璧そうに見える主人公に、その迷いや苦悩が見えてくる。息子は親を映す鏡のようにも思える、温かくも辛い作品だった。
好みではなかった・・・。救いがない。。。
監督が作品に込めたものはなんだったのか。。。
説明や内面描写を表出させる演出は多いが要所要所の確信については
意図的に語らない作品。
精神障害(特性)、アディクション。
自傷行為や他害行為について監督自身、見識がある事は作品を観ていて
感じる事ができます。
※周りの対応が最悪な対応のオンパレードでわざと演出している気がしましたし。
※本人の現在ある状態も凄く分かりやすい形で演出されています。
※あくまで個人の感想です。
故に愛情から出ると思われる対応が実は本人を苦しめる事につながる。
その理解があれば、この様な悲劇はなくなるのでは?
病気の症状としての専門的な内容と愛情は分けて考えましょう。
というメッセージなのかとは思いますが・・・。
ただ、個人的に少し演出方法があまりにも直接的で・・・。
無粋に感じて好みではなかった。。。
※特に銃の示唆と最後の小道具としての銃の役割とか・・・。
愛ではどうにもならないというのに。
アメリカの精神領域の理解が、こんなに低い?
そのことが衝撃的。
自分の言葉で、自分が今、どんな状態なのか、こどもは説明できているのに、親は過去の楽しかった話ばかりに終始している。
今、ではなく「過去と未来」のみ。
行動に異変があることも、新しい傷を見つけても普通を求め続ける。
国が違っても、親が子に求めるものは同じなんだ。
こどもの声を聞こうとしない。
親の限界を認めない。
医師の言葉すら聞こうとしない。
本当の愛情って、なんだろう。
三世代にわたる確執も垣間見え。
愛だけじゃ人は救えない。
愛を受け取るキャパがないと。
言いなりになるのは愛じゃない。
自分の限界、知らないと。
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