イニシェリン島の精霊のレビュー・感想・評価
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ホラーかよ。
とにかく島の人間が全員狂っているのだ。
島の閉塞感、戦争という閉塞感、そして多分貧しさからくる閉塞感。それぞれが、その閉塞感から逃れるために、創作活動をしたり、本を読んだり、暴力に走ったり、他人のゴシップを追い求めたりして、そこに潜むモノ(それがバンシーなのかも?)を見ないようにしている。それでも少しずつ蝕まれ、狂ってきている。
その中で、1人だけ充足しているのがパードリックで、それは彼の愚かさと、妹(シボーン)や友人(コルム)に何かを肩代わりさせているせいなんだろうと思う。(だから彼は音楽を必要としない。音楽は人々の苦しすぎる生活を紛らわせるものだから)
ある日コルムは「やってられるかよ」と思ったんだと思う。でもなんというか、遅すぎたし相手が悪かった。
って、こういう風に書くと村上春樹の小説みたいだ。
コリン・ファレルがとにかく良かった。一見普通に見えるのに、いつの間にかなんかおかしい役がすごい上手い。
ドミニクもすごく愛らしくて、こういう純粋な人間もこの島でも生きられないのだな。
個人的にはシボーン共感するので、彼女がバンシーから逃げ切って本土で生き延びられたらいいのにと思う。
あとロバがかわいいに1票。飼いたくなった。
退屈な島の生活以上に退屈な映画体験
歯車崩壊系のシュール劇だが「昨日まではうまくいっていた」の「昨日まで」が全く描かれていないために、冒頭から置いてきぼり感が凄い。観客にひたすら退屈な映画体験を強いることによって、作中人物たちが島の退屈な生活に精神崩壊していくさまをメタフィクション的に表現したかったのだろうか。作中人物のうち誰一人としてその心情に共感できる者がいない。死を告知するというバンシーとその依代と思われる老婆の扱いも中途半端で、このストーリーに登場してくる必然性を感じない。予告された死と内戦が何か関係あるのかと思ったらそれもない。あれほど通奏低音のように本土から聞こえる内戦の砲撃音を作中に織り交ぜといて何も無かったはないでしょう。
アイルランド内戦が背景だけど
時代設定は、映画の中に出てくるように1920年代はじめのアイルランド内戦だ。日本人にとってはあまり馴染みはないが、その後のIRAを巡るテロなどの原点になった内戦だ。自らの指を切り落とすという凄惨な設定はテロなどによる悲劇を思い起こさせる。
ただこの映画の中で政治的な背景が語られるわけではなく、登場人物たちが理不尽な行動を取る理由は島の精霊(Banshees)であることがタイトルにより暗示されている。Bansheesは精霊と訳されていて土地などに宿る霊のことだが、妖精、妖怪などと訳したほうが分かりやすかったかもしれない。
このように考えるとこの映画は単にアイルランド内戦を巡る映画ではなく、閉鎖的な社会おいて起きがちが悲劇を表現しているのかもしれない。
ただ、映画に中ではかすかに希望も語られており、一つは動物に対する愛で、コリンは犬の命を救ってくれたことについてパドリックに対して素直に感謝の意を述べている。もう一つはパドリックの妹シボーンが勇気をもって島から離れ充実した暮らしをしていることだ。
映像や音楽は美しいが簡単な映画ではない。
1923年アイルランドの孤島
主人公がどこまでも
おバカなのが
みててイライラしましたが
この時代
アイルランド
本が読めない
孤島
と考えると
あたりまえのことなのかなと
思いました
友達も
狂気でした
禁じられた遊びがよく似合う映画
みえかくれするもの
永遠に続きそうな景色とありふれた毎日
目に見えるものも人の生命も関係もちぎれるように突然の終わりを告げることがある
いさかいは、誰かにはささいなことで、誰かにはささいなことではないからどこにでも起きる
寄り添えばなにが必要で不必要かがみえるのだろうが
そもそもの価値観はひとそれぞれ
そしてそれは変貌性を持つ
タイミングよく察知できなければそのボタンはかけちがいのまま
まわりには、異変を感じ声かけるひとあり、みてみぬふりをするひともあり
こまった噂がはじまれば、波紋は形をかえてさらに広がりだす
垂れこめる灰色の空と海
荒涼とした野原の短い草をたべ
のんびり過ごす家畜たち
ぽつりぽつりと神様が置いたように点在する住居
素朴な人々は
日曜になると古びた教会に通い
小さな店で小さな買い物
午後のアイリッシュパブは馴染みの顔でうまる
誰もが知り合いのその土地の赤土を守る平積み石の壁は濃くてせまいコミュニティの砦のようにもみえ長く長くむこうの風を塞く
いまも歴史を匂わすアイルランド
そこは小さなイニシェリン島
親しかった2人の男の訣別はここで勃発した
対岸の本土に轟く無情なエゴと変わらぬ本質をもって
徐々にひきさかれる心と心が
ダーンダーンと不穏なトーンで
カウントダウンされる
コルムは高齢で一人暮らしの演奏家
人生の残り時間を音楽に費やし作品を遺したい思いにかられる時がきた
胸をおさえる様子がちらりとあるが、体調の不安も本土の内戦状況も時間への思いをより身近なものとして捉え死生観を新たにしていたのだろう
一方、パードリックは同居の妹がすべての家事をこなしてくれ、取り急ぎの心配もない
仕事後は日課のようにパブで過ごし、たわいもない会話と酒が生きがいのよう
黒ビールの泡のような時間をいい気分で過ごせる気力も、若さも、暇も持ちあわせている
そんなパードリックがコルムから「お前は退屈だ、嫌いになった」と急に絶交宣言をくらうが腑に落ちない
自分に落ち度がないと思うから反論する
大切なロバがコルムの指のせいで死んでしまうと、深まる傷がさらに承認欲求を強固にする
コルムの家を焼き払ってでも恨みを示すのだが、事前に犬は避難させるように忠告を欠かさなかった良心の不思議
コルムは自らの約束通り次々指を切り落とす本気度をみせつけパードリックと離れたがる
しかし、何故かパードリックの窮地に居合わせると躊躇なく手をさしのべる
おそらく自然にみせる彼の人間性で、別れたい相手なのに見放しきれないのだ
加えて、何度かパードリックに〝おあいこ〟だと言う
このボールを受け取れば争いはおわると彼にチャンスを渡しているのだ
だが、パードリックはもはや抑制できず、そのボールを除けたりひどく投げ返したりする
ここには、屈辱感が強いほど自尊心を刺激することと相手(彼にとってのコルム)がどれほど大切な存在だったかという真実が出る
不条理なできごとに面した人間の複雑な感情と行動が皮肉なほど裏腹で滑稽だ
渦中を囲む人たちの反応も興味深かった
行動的で聡明なパードリックの妹シボーンは2人のヒートアップに呆れながらも事態の収拾を考え協力していた
だが、いつまでも一方通行で折り合おうとしない兄達
これを引き金に、噂という刺激を求めて湧く狭い近所付き合いにも耐えかね島を出る
自分軸で生きるために居場所を変える選択をした彼女にとって、すべては過去の世界
俺の飯は?俺はどうなる?と最後まで言ってた兄が見送る岸壁がためらいなく遠ざかる
風にふかれる船上の表情はさわやかだ
〝他人が絡みあう人生だけど
自分を生きるのは自分しかいないのよ。前からあなたたちに付き合っている時間はないと思ってたけど踏ん切りがついたわ。〟
そんなふうにふっきれた胸のうちが聞こえるかのようだった
しかし、そんな彼女も後に兄に快適になった近況を知らせ、最後に兄さんもこっちへ来れば?と綴る
彼女もまた見放さない人間性をみせるのだ
時間への思いなど遠の昔に通りこえてきたような老婆ミセス・マコーミックはどうか
そう、やはり既にそのステージにはおらず、だ
深く遠くをのぞく眼光で島の人々の一挙一動を常に眺め、ところどころに現れて無言でたたずむ
そして時折、近寄りぼそっと発する予知的な警告
的中してしまった二つの死の予言は、ロバとドミニクも〝絶交〟事件を発端にした被害者だと暗に語る
ロバは投げられた血みどろの指を喉につまらせ死んでしまった
ドミニクはみんなにバカにされていたが嫌がらず話をしてくれるシボーンに失恋後、彼女の離島を知り滅入ったに違いないし、騒動の最中、父からの虐待について告げ口したことがばれ、よりひどい仕打ちをされただろう
希望も涙も枯れた彼の死は闇に葬られたわけだ
ミセス・マコーミックは、まるで自然災害が発生する前の兆しと同じ気配を漂わせて
〝予兆を見逃すな。警告を軽んじるな。〟と訴えている
彼女の生きる精霊と化したオーラは、アイルランドの精霊バンシーと時空を越えつながっているかのよう…
自分のことだけに夢中になり俯瞰しなくなることの恐ろしさを伝授するための存在におもえるのだ
そして、登場人物に若者やこどもがほとんど出てこないこと、男女比などの違和感がある
それは不自然な操作がまかりとおる地上のアンバランスさの象徴のようにもみえ、権力の乱用(警官は息子を虐待し、違法に酒を取得し、気に入らない相手に暴力で対応する。死刑の仕事に立ち会うのは手当がよいからで、楽しみにしているという。)(船でわざわざやってくる神父は島民に丁寧に扱われ、ご機嫌麗しく、時々良心にさいなまれ懺悔に来る真面目なコルムにカチンとくれば我をわすれて罵声をあげまくる。)は、差別や支配を優位性の中毒症状のごとくやめられない人間の愚かさを言いたかったのではないか
馬やロバ、犬…戦争をしない人間以外の動物は与えられた境遇のなかで立場を全うする
どんな感情にもまっすぐ寄り添うあの子たちと亡くなったドミニクの純粋さはどこかが似ていた
劇伴のケルト音楽は、そんな魂たちを讃え鎮めさせ、風にのり草の海を駆け巡らせる
共有って?
自由って?
他者の考えを認めるって?
自分を主張するって?
他に求めすぎるね
みんなちがうのに
尊重するってことを
ずいぶん難しくしちゃうよね
人間たちって
だから距離がわからくなるんだね
おじさんもさ、ダーンダーンのあの時
〝せいぜいがんばれ なんの戦いかしらんが。〟みたいに
いってたよねー
うん、あのおじさんもがんばって
ゆびをなくしちゃったねー
なんのたたかいかしらんけどね
動物たちはいがみあう人間をみて井戸端会議をひらきこんな話をしていたかもね
そしてもっと妄想すると、作者は相も変わらず繰り返し混迷するこの世に生きる〝私〟という人間を構成するいろいろな断片を、この別れに関係したキャラクターに投影し問いかけたかったのではないだろうか
そう考えると、自分のなかにも否定はできない覚えのある要素がひとつ、ふたつ…いやみっつ…
美しくて長いダークなおとぎ話をそっと閉じたあと、最後のふたつの言葉が胸にのこる
そして、じんわりじんわりなにかが押しよせる後味がたっぷりな個性極まる逸品だ
修正済み
深く考えない
もしかしたら深いいい?話なのかもしれないが…すみません、深く考えられなかった。
突然絶交ってね。
ありえない。
意味わからない。
そりゃショックだし、原因を突き詰めたくなるのは当然でしょう。
パードリック良い人なのにかわいそう。
と、ずっと思いながら見てしまった。
アイルランド好き。景色とか、閉鎖的な島の暮らしも。
バリー・コーガン何をやらせても光る。この人目当てで観たというのもあるけど。
深く考えずに見ると睡魔に襲われそうになる展開。
しかし、ちょろっと働いてあとはひたすらパブで時間潰し?
閉鎖的だけど、うらやましい生き方ではあるな。
おもしろい、おもしろくないの次元で語ってはいけない作品…。
マーティンマクドナー監督作品である以上、「何も起きない」のは覚悟の上でしたが、「映画を観る」というより「舞台を見ている」ような感じでした。
作品全体としては「誰一人感情移入できない」もので、中盤、寝ましたw
(スリービルボードも結局2日に分けてみたな…)
コルム、感染症になったりしないのかな…。
ロバと犬が可愛い映画です。
ドミニクはなんの象徴なんでしょうね。死という形ですが、あのつまらない島から逃げられた…と解釈するべきなんでしょうか。
私、田舎に住んでなくてよかった…と思いながら映画館を出ました。
追記:この作品、元々監督が戯曲として書いたものだそうで。
すべてはAny time
はい。よく私のやんちゃレビューを覗きに来て頂きました。
まずは極めて個人的なお話しです。すいません。
私は神社仏閣が大好きなんですよ。他のレビューでも結構語ってます。
それで一番良く行ってる神社は神田明神。理由が有ります。それは・・・あかりちゃん!
いえね、神馬のドンキー・・・じゃなくてポニー。
可愛いんです。
ある時です。いないんですよ。いつもの場所に。諦めて聖橋方面に行きました。すると、なんと・・・
向こうから歩いて来た‼️神職さんがお散歩させてたんだね。またお正月に行った時なんですが、猿回しをやってたんです。猫も好きだけど、馬も好き、お猿も好きなんです。
とりあえず猿回しが終わって、あかりちゃんの所に行きました。すると猿使いのお兄さんになんか話しています。聞き耳を立てます。
あかりちゃんにお猿を紹介したいんですが?
神職さんはやんわり拒絶。見慣れない動物を見せて興奮させたくないんでしょう。見たかったけどね。
モンキー ミーツ ドンキー
うん。韻踏んでる!
ポニーだよ‼️
あかりちゃんはこんな感じで神職さんや巫女さんに愛されています。ちなみに真夏は放牧に出すのでいません。声を大にして言いたい。
動物好きに悪い奴はいない‼️
さてと・・・どうもこの映画は海外で評判が良いですね。私のフォロワー様も高評価。
ただね・・・低評価の人の気持ちもわかるんです。孤島で高齢者の男性と中年の男性の大げんか。延々と続く訳です。最初から最後まで。何を見せられているんだろう?
実は私もそう思いました。当初は。
大げんかしたのは実は訳があった。最後には仲直りして大団円。
全然違います。
いえね映画を観てる人ほどそう予測します。なんか狐につままれた感じです。咀嚼出来ない。
時代は1923年、場所はアイルランドの孤島、イニシェリン島。いつものようにパードリック(コリン・ファレル)は親友のコルム(ブレンダン・グリーソン)の家に向かいます。
海辺の家。木がない。犬がいる。
おーい、まもなく2時だよー 一緒にパブに行こう。
コルムはタバコを吸ってます。出てこない。
島で一軒しかないパブ。コルムはパードリックを避けます。徹底的に。
コルムは言います。
お前といると退屈だ!二度と話しかけるんじゃねえ!
今度話しかけたら、俺は左手の指を切るからな!
コルムはバイオリン弾きです。左指は命と同義語です。そして確執はエキサイトしていきます。続きは劇場でお確かめ下さい。
あとイニシェリン島の景色が良いんです。一言で言うと・・・めっちゃ
ブエナビスタ‼️
解説 ブエナビスタとはスペイン語で素晴らしい景色と言う意味です。同名のこの映画の配給会社とかけています。
解説すな‼️
はい。終わり・・・にしようかなと思いきや終わりません。ここから先はネタばれ、そして妄想です。読まないでいいです。
まず主役二人に次ぐ最重要人物は・・・
ドンキーのジェニー!
人物じゃねえ‼️
ドンキーって西洋では愚鈍と同義語です。もちろんパードリックの事です。本当に愚鈍でね余計な事ばっかしやがって。
そのせいでコルムは左指全部なくなったじゃねえか!
じゃんけんが出来ねえよ‼️
失礼しました。じゃんけんじゃ有りません。バイオリンですね。
ドンキーの話しの続きです。ドンキーっておっとりして優しい生き物です。ただね・・・犬が大嫌い。何故でしょうか?
犬は狼の末裔だから。
ご先祖さまを散々食い物にしやがってよ‼️文字通りだよ‼️
ドンキーってまだ野性が残っています。犬を見ると激オコになって首筋に噛み付いて踏んづけます。DNAって有るんです。
さてコルムについてですが劇中ではほぼ語られていません。バイオリン弾きですが後輩が来てセッションしています。当時としては高価な蓄音機も持っています。
本土の音楽学校の教師です。セミリタイアして10年前にインシュリン島に移住しました。周りから尊敬されてます。常識人だし優しい人。パブでは煙草は吸わないしね。
ある日の事です。衝撃的な出来事が起こりました。なんと大病に侵されている!余命宣告も受けました。
病名はサイレントキラー 肝臓ガン。
俺が死ぬのはしょうがない。ただなあ・・・
パードリックはどうする。長い時間一緒にいたし家族同然だしな。あいつは俺が居なくなったら凄まじい衝撃だよな。ひょっとしたらひょっとするかも。
実はコルムも同じ気持ち。WW1で死んだ息子の代理だしな。そこで一計を案じてパードリックに自分を嫌いになるように仕向けたのです。
実はこの物語は対立じゃない、愛情の物語。
いやね妄想です。
そう考えるとパードリックが警官に殴られたあと一緒に馬車で帰ったりとか.パブで悪態をつかれたあと面白いと言ったりが腑に落ちます。
指を切ったのも、死を目前にしているのだったら出来る。どうせ死ぬしな・・・
最後近くパードリックはコルムが切った指を飲みこんで死んだドンキーのジェニーの復讐に走ります。実に愚鈍。
明日の2時にお前の家に火を付けるからな!
ここです。不自然な場面。逃げても反撃しても警官に通報してもいいところ。しかし、しない・・・
思惑が当たりました。パードリックは俺を嫌いになった!なんならパードリックに殺されてもいい。
コルムの家は丸焼け。でもコルムの犬は助けて家に連れて帰った。なにしろ不倶戴天の敵、ドンキーは消えていますから。
翌朝、気になりコルムの家を見に行きます。コラムの愛犬を連れて。ところが・・・
コルムは生きていました。海を眺めています。
犬を一晩、面倒みてくれてありがとうな!
パードリックは・・・
Any time‼️
いつでもな・・・です・・・(字幕はお安い御用だ。)
パードリックのドンキーは消えました。察したのです。永くない・・・
心優しいコルムは愛犬の行く末も心配していたのでした。大丈夫。パードリックがいる。ドンキーもいない。
もう一回声を大にして言います。
動物好きに悪い奴はいない‼️
どうでしょうか?私の解釈は?ネガフィルムがポジフィルムに変わりましたか?
解釈は各自の自由。監督がそう言ってますからね。
反対の意見も良し、賛成の意見も良し。そう言う映画だからね。
マーティン・マクドナー監督に聞いてみたい。私の解釈はどうですかと?きっとこう答える。
The anser is blowin in the wind
答えは風の中だよ。わっはっはっ!
もちろん答えは知りたいんですが、同じ熱量で知りたくありません。永遠の嘘を付いて欲しい。
ふうー 久しぶりに考えた映画です。知恵熱が出そうです。しかし長いなあ、ははーん、あいつのせい。あいつね。
イニシェリン島の精霊
お付き合い頂きありがとうございました。
この痛々しい世界に生きている私たち
嫌なことされてるなら仕返しする流れなら理解できるけど、そのベクトルを自分(ブレンダングリーソン)の左手の指に向け、さらに、その指を相手(コリンファレル)の家の扉に叩きつける所業は常軌逸するぐらいでは済まされない。
投げつけた指爆弾が更なる悲劇を生み、指を投げつけられた相手は指爆弾の友達の家を焼く。からの雪解けというか、一次停戦。
一見穏やかな小さな島には、暴力、虐待、セクハラと争いに繋がる種が散りばめられている。イニシェリン島でこうだから、東京ぐらいのサイズ感なら至る所で火を吹いてるってこと。この不幸なループを断ち切るためには、いっそ他人との関係をほどほどにした方が良いのかもと、複雑な気持ちになった。
(鑑賞後10日)——————————————
その後、様々な情報に触れて、この作品までのコリンファレルとブレンダングリーソンの歩み、同性愛、土地柄、知識と無などを知ると、作品が立体的に立ち上がってきた気がする。観終わった後に楽しみ方を知る作品かも。
アカデミー好みだけど
哲学的すぎて難解。
前半部分でコルムが「下らない話で自分の残りの人生の時間を無駄にさせらるのはたまらない」と言うのはよく分かる。
コルム側からすれば「俺のことはほっといてくれ」と言っているのに、パードリックが一方的に接近しようとする、そんな構図は世の中にはよくある話であろう。
男と女が痴情のもつれで犯罪に至るケースは枚挙にいとまがない。
それが男同士の長年の友人関係の破綻でも同じじゃないだろうか。
そこを割り切れない片方がいるとこの作品のような事件が起きてしまう。
小さな島のムラ社会では、ましてや他に楽しみも無いパードリックにとってはなおの事、切実な問題として受け取ざるを得なくなってしまうのだろう。
だからこの作品の中で問題は何なのか見えなくなってしまっている。
コルムが自分の言い分をパードリックが守らないと言って、フィドラーにとって命の自分の指を詰めていく。
パードリックが自分のロバがコルムの切り落とされた指を喉に詰まらせて死んだからと言ってコルムの家を焼き打ちにする。
このような暴力的で狂気に満ちた設定はこの作品の価値を貶めているようで残念。
他の違った設定があったような気がするのだが。
敢えて理屈付けすればロシアのウクライナへの侵攻に対する抗議なのだろうか。
遠くにアイルランド内戦の砲撃の音が聞こえることもあって。
発達障害のようなドミニクが湖で溺死しているシーンは何を言わんとしているのかも不明。
今年度のアカデミー賞の主要部門にほとんどすべてにノミネートされているようで、幾つかは受賞するだろうが、監督のマーティン・マクドナーの以前の作品「スリー・ビルボード」のほうが物語性があって面白かった。
昨日の友は今日の敵
アイルランド内戦
独立戦争ののち英国との
間で締結された「英愛条約」
が警察権や領分といった点で
満足のいくもので
なかったために条約推進派と
自由独立を掲げる
アイルランド共和国(IRA)との
間で起こった内戦
独立戦争を
「ともに戦った仲間同士」
で突然始まった殺し合いとなり
結局独立戦争より死者が出た事
その後のIRAに端を発するテロ
有名な血の日曜日事件など
今に続く北アイルランド
問題など深く爪痕を残した
この内戦は
1922年6月からほぼ1年間行われ
この映画はそんな時代背景で
あることを前置きにすると
馴染みやすいかもしれない
そんなアイルランドの
(架空の?)孤島
イニシェリン島でおこる
人間模様
感想としては
決して時代固有のテーマでは
なく少し間をおいて意味と
考えると色々深い映画だと
思いました
島で読書好きの妹シボーンと
暮らす気のいいパードリックは
野良仕事が終わると
いつものように友人の
コルムを午後2時にパブに誘うと
いつもと様子が違い出てきません
問いただすと「お前とは口を利かない」
とコルムは言い出します
面食らったパードリックは
理由を尋ねるとバイオリンに
心得があるコルムは
「後世に残る曲を作るからお前の
退屈な話は聞いていられない」と
ハッキリ言われていまい落ち込みます
シボーンは病気に違いないと
パードリックをたしなめますが
ますます心配になります
パードリックは確かに
暮らしも凡庸だし
話のつまらなさは
読書好きの妹も認めるところ
ですが少なくともコルムに
そこまで言われるほどの
事はない優しい男
島のクズ警官の息子で
少し知的障害があり
父親にはいつも殴られ
皆に馬鹿にされている青年
ドミニクもパードリックには
よくなついています
コルムはパブにやってくる
音大の学生たちと楽しく
音楽を演奏しており他人との
付き合いも変わらないようです
エイプリルフールかというと
そうでもなく
納得できないパードリックは
周りの人や島にくる牧師にも
理由を尋ねさせますがコルムは
ついに「これ以上話しかけるごとに
自分の指を一本ずつ切り落とす」
と言い出しパードリックは
ますます困惑します
そしてパブで再び
コルムを見かけたパードリックは
スコッチをあおり酔った勢いで
友人より音楽をとって何になると
なじりだします
するとコルムは音楽は後世に残る
友人関係は死ねば消えてなくなる
モーツァルトのように語り継がれる
音楽を残したいと言います
パードリックは妹に連れられ
パブを去りますがその後
家のドアを叩く音がして
行ってみるとコルムの
切り落とされた指が落ちており
大騒ぎ
パードリックは混乱のあまり
指を返しに行くとか
事態を把握出来無くなっているので
シボーンが指の入った箱を代わりに
返しに行くとコルムは悪びれる様子も
なくこうでもしないと
わかってもらえないと言います
そこまでする必要が理解できない
シボーンは二度と関わるなと
コルムをどやしつけます
そんな折シボーンは「本土」から
図書館の仕事のお誘いの手紙が
来ておりこの島を捨てるかと
迷っているところで
パードリックのことで
絡んでくるクズ警官を無視したら
「行き遅れ」と言われ
だいぶ決意が固まっている
ところでした
この島の人間は狂っている
と割り切りだしたのです
このへんのタイミングで島の老婆が
「もうすぐ2人くらい死人が出る」
と告げに来ますがパードリックは
クソババアと追っ払います
パードリックはいい奴で
まだ心配している気持ちの方が
強かったですがパブで音大の人と
仲良くしてるコルムを見て
お前の父親が危篤だと嘘をついて
追い返すなど意地悪をしてしまいます
ドミニクにそれを話すと
あんたは優しいと思ってたのにと
予想外にドン引きされて
立ち去られてしまいます
ドミニクはその後シボーンに
思いを打ち明け断られると
行方が分からなくなってしまいます
パードリックはその後
コルムの家に押しかけその
後世に残す「曲」は出来たのかと
問いかけると今朝出来たと言い
題名は「イニシェリン島の精霊」
であると告げます
その精霊とは「バンシー」という
死を予告する死神のような養成のこと
そいつらがせせら笑っているのが
気に入らなかったとコルムは言います
いまいち意味がわからない
パードリックは
「曲が出来たのなら関係は元通りだ」
と解釈しパブで飲もうと告げます
しかしコルムはパブに来ず
妹がまたコルムに接触したのかと
連れ戻しに来ると家には
コルムの左手全部の指が
投げつけられていました
妹はもう完全に決意し
島から出ていきます
パードリックは俺はどうなると
抗議しますが兄さんも島を出ろと
言われ一人になってしまいます
そして妹を見送り家に帰ると
可愛がっていたロバのジェニーが
コルムの指をのどの詰まらせて
死んでいました
パードリックはパブのコルムの
元を訪ね
「お前のせいジェニーが死んだ」
「報復で明日お前の家を燃やす」
「止めたければ止めてみろ」
「どちらかが墓に入るまで続く」
と宣言します
完全に決裂です
コルムもジェニーの死は
予想外の事故で困惑しますが
もうパードリックは予告通り
火をつけに行きますが
コルムが飼っていた犬はよそに移し
家を燃やすと中にコルムがいました
でもお構いなしにそのまま立ち去り
家は全焼します
コルムは死んだのか?
パードリックがしばらくして
家の周りに行くとコルムは生きており
犬を世話した例を言われますが
パードリックは宣言通り憎しみは
消えないと言って立ち去ります
・・・
結局この映画の感想は
色々あると思いますが
コルムの心境の変化に与えたものが
何だったかは仲間同士が殺しあう内戦とか
島そのものの閉塞的な環境だとか
パブに音大の人間がやってきたとか色々
あるでしょうが「パードリックを拒絶
してまですることだったか?」という
ところ
確かにコルムは音楽を嗜んでいますが
モーツァルトの年代も間違えてる
レベルの知識量で音大の学生に
演奏してもらったところで
本当に後世に残る曲になったか?
作中にそこまでの演出はありません
表現としては
「指を切り落とすほどの決意で
親友を切り捨ててまでして作った
ものではなかった」と言いたげです
最後に家と一緒に
死なせてももらえなかった事が
彼がこれから背負う苦しみ
パードリックもどうか?
確かに島で一番じゃないか
というほどの優しい男ですが
コルムに指を実際に切り落とされても
まだ事態を認識できていないほど
「依存心」が強く思考停止していた
ように描写されています
実際妹が家を出ていく事態も
承服しきれていなかった
でもコルムの家を燃やしたことで
パードリックは完全に変わってしまった
恐らく今後人を信じたり優しく
接することもなくなっていったと
思います
では
コルムがパードリックに正直に
後世に残す曲を作りたいと
夢を語ってしばらく集中させてくれと
言ったら?
この映画の描き方からすると
たぶんパードリックはわかったよと
承服して出来たんじゃないでしょうか?
出来ることがあったはずなのに
コルムの家は燃え左腕は指が全部なくなり
パードリックとの関係は破壊され
パードリックはジェニーも妹も失った
なぜそうなったのでしょう?
時折出てきた魔女っぽい婆さんは
本当は現存しなかったのかもしれません
主要登場人物たちであれが見えた人々
達の周りで死が訪れたのは確かです
「壊すのは簡単
でも二度と元には戻らない」
この映画に
ふさわしいのはこの言葉だけなのかもしれません
とっつきやすいとは言えませんが
いい映画でした
理不尽
なぜ親友だったのに、突然絶縁宣言したのか?
並行して、本島での内戦の様子がちょこちょこっと出てくる。砲撃?の音とか、IRA?の戦闘員の処刑の様子を見守りに行く仕事の話が出てきたりとか。
思うに、仲良し同士が、突然敵味方に分かれ内戦になった事を、この親友からの突然の絶縁宣言とその後の話で、暗に表現してるのかなと感じました。
とはいえ、親友が突然絶縁宣言した理由がよくわからないし、最後、コリン・ファレル演じる主人公が、可愛がってたポニーが親友のした事が遠因で死んでしまった事から、親友の家に火をつけるとか、うーん、何か理解できないというか、共感できないというか‥
ただ、美しい島の風景には癒やされました。
それぞれの幸せの道をダークに描き出した傑作
数年に1度あるかないかの傑作と感じました。見終わった後の余韻が半端ないです。
パードリックが、友人であるコルムから絶縁を突き付けられるところから始まる物語です。
パードリックにとって、退屈な話であっても、友人のコルムと話をする事に幸せを求めていたのでしょう。
一方、コルムの幸せは、音楽の趣味があり、バイオリンを演奏する事に全ての時間を割きたかったのでしょう。
やがて、求める幸せの違いは、険悪なムードへと向かうことになります。
切り落とした指に毒を仕掛けてあったのか、パードリックのロバが殺されてしまいます。
ラストに救いがあったのか、難しいところですが、壮絶な雰囲気で幕を閉じます。
本作は、それぞれの幸せの道をダークに描き出した稀に見る傑作であると感じました。
追記 考察として、実はパードリックもコルムもお互いを憎しみ合っているのではないと感じました。
パードリックが警察官に殴られる場面がありますが、その後、コルムはパードリックを救います。ここがポイントです。
パードリックのロバが殺された後、仕返しにコルムの自宅に火を放ちますが、コルムの犬を外に出して、救います。コルムを直接殺害する行為には出ません。
自宅が火事の中で佇むコルムは、パードリックの仕返しを受け入れます。
以上のことから、2人は憎しみ合っているのではなく、それぞれの気持ちを受け入れてほしいという感情の表れを読み取ることができます。
誰が思い出してくれる?
パードリックには一緒に暮らす賢い妹がいて、
亡くなってしまったけど優しい父と母がいた。
(だからこそ彼が【善い人】に育った)
劇中のコルムには犬しかいない。
『音楽は200年後も残る』
『誰が“優しい”だけの人を思い出してくれる?』
本土では内戦が続き、自分も歳をとっていって、
いつまで生きられるのか分からない。
自分の死を悼んでくれる人はいるのか。
自分の存在を思い出してくれる人はいるのか。
閉鎖された島で、コルムは
『自分が生きていたこと』を遺したかったのかなぁと。
お前は優しかった。(でも今は違う。)と
パードリックがコルムに言うのもまた…ゥグゥ
話しかけるな!関わるな!と言っておきながら、
殴られた元友人に手を貸して、
分かれ道まで一緒に乗って、
降りる前に励ますように手を握ってたシーンは
自分勝手で不器用だけど、パードリックとの友情が
コルムの中にまだ残ってるようにみえて、
そりゃ島の誰もが『親友』だと思ってたくらい
一緒にいて、話をして、酒を飲んでたんだよなぁと
この映画の前の時間軸を想像して
胸がぎゅっとなりました。
ひとことReview!
これはヒューマン・ドラマなのかミステリーなのか、それとも、コメディなのかホラーなのか、どう捉えたらいいのか分からない作品。偏差値55以上の大卒でないと面白さが分からないのでは。
良き変態
アカデミー賞ノミネート作品が徐々に公開されるシーズンに突入し、その中で先陣を切ったのが今作。正直、男同士の友情のもつれだけで映画になるのか?という疑問が強くありましたが、そんなものを一蹴してくれる快作でした。
最初におそらく仲の良かった男性2人が、理由もなく友達を辞めるという衝撃の宣言からスタートしますが、コリムはパードリックの退屈な会話よりも、思考や音楽に時間を費やしていきたいという頑固な考えではありますが、筋の通っているものでなるほどな頷けるもので、それに対するパードリックは信じきれずにコリムに付き纏うシーンが散見されます。
やがてコリムが話しかけるたびに指を切り落とすという残虐な行為を口走るまでになりますが、それでも関係を修復したいパードリックはまだまだ付き纏いますが、ついにコリムが指を切断して…というテンポがゆったりの筈なのに急展開を続ける悍ましさがありました。実際に自分がこの状況に陥ったら指を切り落とされるまでいかないと納得できないと思います。真相心理をしっかり突いてきました。
最終的には指を全部切り落とし、その指を誤飲してしまったロバのジェーンが死に、そこへの怒りが湧いたパードリックがコリムの家に火をつけるという復讐劇で終わりへ向かいますが、おあいこにはならず、互いが互いで違う道へと向かうラストに行き着きます。結局、二人の仲は戻る事なく、失ったものばかりという見方的には悲しい終わりになってしまいました。そうはならないでくれ…という終わり方になってしまいましたが、物語の終わりとしては綺麗にまとまっていたと思います。
登場人物がどこか不穏なのもこの作品の魅力的な部分です。ドミニクが妙に腹の立つ行動をしますし、ドミニクのお父さんも暴力ばかりなのも嫌ーな気分になりますし、店先の婆さんも悪態つきまくりですし、とにかくパードリックを引き立てるためか、周りの奴らがヤバめに設定させられているのも良かったです。
コリン・ファレルの表情が素晴らしくて、困り眉のおかげか良い人感が常に出ており、そこから繰り出される行動の数々がもどかしくも思えてきます。動物たちの表情も素晴らしく、ジェーンも馬も犬もどの子達も愛らしいです。
映画は観るまで分からないと言いますが、これは一本取られました。変態の極みで、突き抜けたものになれば清々しい事この上なかったです。感無量です。
鑑賞日 1/29
鑑賞時間 10:00〜12:05
座席 M-12
荒涼とした架空の島を舞台に内省的で陰鬱な物語が進んでいく
親友と思っていた男からある日突然「もう友達ではないから誘わないでくれ」と宣言される。理由を尋ねれば「残り少ない人生を無駄にしたくないから」という絶望的な返事(悲しいかな、理不尽だけどその理由は筋が通っている。悪いけど下らん世間話に毎日付き合わされるなんてごめんだ)。さらに「おまえがこれ以上俺に関わってきたら、俺は自分の指を一本一本切り落としていく」
海の向こうではアイルランドの内戦。二人の男のやりとり、関係はこの内戦の比喩なのだとか。
愚かなまでに優しい主人公は、何とか元の友達に戻ろうと俺(友)に必死に働きかける。止めとけよと僕は心のなかで叫ぶ。もう関わるな。そして宣言どおりに切り落とされた「俺(友)の指」が主人公のもとに届けられる。俺(友)の絶縁宣言は狂信的なまでに本気なのだ。
自分の身に置き換える。友人関係、恋人関係、何やら心当たりがなくもない。仲が良いと思っていた友が恋人がある日突然冷たくなる。心が苦しくなる。気がつけば、この暗い陰鬱な映像に引き込まれている。
荒涼とした風景。島から見える、聞こえるアイルランドの内戦。主人公とその妹の優しさと対比するかのように嫌な人物が次々と現れ(雑貨屋のおばさん、警官)、そして死神と噂される老婆が二人(誰とは言わないが)の死を予告をする。死の影がちらつく中、果して二人はどうなっていくのか。
それって、自分勝手ってじゃないの?
ってのが第一印象。
最後には理由がもっとはっきりするかと思ったけど…。
奥深いその島ならではの理由か?
…でもなかったし(じゃああのばーさん何者?)
しかも、死んでねーし。
グリーソンさんとファレルさんの演技は良かった!
コーガンさんはまたまたあんな役で残念。
映画批評家や評論家さんってやっぱり一般人とは違うんですね。
絶賛らしいじゃないですか!
私としては配信で十分だと思います。
期限と関係性の地獄
The Banshees of Inisherin
子供じみた喧嘩を始めた相手から聞かされるのは時間の期限の話だ。
優しさは記憶と歴史に残らない
一方で、優しかった人の悪辣さは人を傷付ける
そして去るべき有能な人は去っていく
バンシー(精霊)は、自作の曲のタイトルと一度落として、最後に意味を回収する。対岸の内戦の死者に人は興味を示さないように、バンシーは生物の死を予告し弄ぶが、生物は取り憑かれたかのようにその期限の中で苦しむ。あえて宗教とも隔絶して描くことで、寂寥感の中、非情になりきれない人間性が滲む。
微妙でした
スリービルボードみたいな物を期待しましたがちょっと違ってました。ずっと同じような風景でテーマも同じなのですが、退屈させない作品でした。
しかし、なぜ急に心変わりしたのかが、最後までわからないのが、、、一方的な絶縁宣言なので内戦は関係あるのか?昨日までは仲間だったのに今日は敵だから?死ぬまで終わらないが暗示しているのか?妹の存在は何を意味していたのか?指を切ることは何のオマージュなのか?なんでドミニクは死んだのか?
バリー・コーガンは今回も良かった。ケリー・コンドンも絶妙なキャスティングでした。ジェニーが助演賞でよいのでは?
あんな島、いくら絶景でも絶対嫌だなあ。
後で考えていたら、絶縁に至る経緯の描写はやはり不用だと思いました。そこを描いたらかなり浅い作品になったのでは。
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