「「意味」と「退屈」の終わりのない内戦」イニシェリン島の精霊 Takeyan555さんの映画レビュー(感想・評価)
「意味」と「退屈」の終わりのない内戦
この映画がここまで私の心に触れるとは思っていなかった。最近、人生の意味について考えることが多いからであろう。恐ろしい映画である。
冒頭の見たこともないような美しい景色。「こんなところで住んでみたいな〜」って思うのも束の間、現代人には死ぬほど「退屈」な生活であることが分かる。
自分の「人生の意味」を求めて友人は別の道を歩もうとする。それはかつての友との絶交という過激なものであった。人生についての「意味」「向上」「変化」という新たな思想が、ときに退屈かも知れないが「良き人であれ」という旧い価値観と対立する。
観ていると、我々の住む情報化社会がいかに「退屈」から遠ざかっているか、むしろ「退屈」を悪しき価値としているか、そして人生に「意味」を求めずにはいられないものであるかに気付く。これには「新規さ」「変化」「向上」という変革に付随する価値も含まれている。郵便局を営む中年女性が求めるのはニュース(新しいもの)という刺激である。中身は問わない。むしろ悲惨であるほどいい。姉は「変化」を求め、コルムは「向上」と「意味」の追求に囚われている。
それに対して数少ない村に残っている若者としての主人公パードリックは、愚鈍極まりないキャラクターとして描かれている。彼は砲弾の音を聞いても興味を示さない。ほとんど取り柄のない男に見え、私はコルムの理屈にいつも納得してしまう。しかしパードリックの執拗とも思える執着心を見るにつけ、彼についてもまた考えさせられるのである。「友情」こそが生きる意味である彼は自身の存在をかけてコルムに迫る。もうストーカーであるマジで。
しかし、これらを観ながら何となくどちらにも共感してくるから不思議である。何故なら私もかつては退屈に耐えられない衝動を抑えられずにそのような(と私が認識した)人を軽んじたこともあった。ときにパードリックは「人間に大切なのは人間関係ではないのか?」と訴えているようにも思える。そのせいか私も誰かとの大切な時間を削っている気がするのも確かである。
鑑賞中に様々な思考が駆け巡る。
唯一パードリックに見せ場があるとすればラストしかない。彼がコルムへの復讐を果たそうとしている時の、彼の表情は凛々しく、その姿を頼もしく思ったのは私だけだろうか?