「楽園追放を目論む蛇 救いは特にない(気がする)」イニシェリン島の精霊 うさぎぐさんの映画レビュー(感想・評価)
楽園追放を目論む蛇 救いは特にない(気がする)
『イニシェリン島の妖精』を見ました。
途中までは、突然の友情を断ち切られ、不意に自分自身のつまらなさに気付かされ、才能と仲間にも恵まれた元友が羨ましくも妬ましくもあり、みたいなSNSでありそうな話しのアイルランド版なのか、という感じがしていました。それは痛切ではあるものの、劇中でもあるように、12歳かよ、という話でもあります。
ここからネタバレします。
しかし、本当に指を切って投げつけるあたりから、話しは、一気に深刻な感じになってきます。創作に没入しようと思えば、別にもっと無視すればいいだけの話なのに、わざわざ指を切って投げつけるとは! これは、『死んでやる!』みたいなのと同じで、相手側にも好意があるのを前提にしてますよね。「ふーん、それで。そこらへんに捨てとけば」とは言われずに、心を揺るがす事を知っていて、それを狙っている。
楽園追放を目論む蛇。
ちょっと『トーマの心臓』のユリスモールとサイフリートも思い出した。
到底、善意とは思えないけど、「良い人」の楽園から連れ出して、人としての苦しみを味合わせる事が彼の計画であり、芸術だったのではないかなー。
でも、ロバが指を食べて死んでしまって、計画は狂い、蛇自身も傷を負う。
随所に挿入される十字架とマリア像。窓から(動物とか)何かが見ているシーン。神様は、この諍いすら見ていて、(終極的には)許している、という事なのか。そして人は、どこに行こうとも逃れられない(劇中にもあるように「満喫するってなんだ」)。
私自身としては、神様は全て見ているからと言って、救いには感じられないので、もっと救いが欲しかったなー、とは思う。
ドミニクは、あえて楽園を出ない選択をしているように見えるけど、死んじゃうって事は、その不可能性を意味してるのかな。あるいは、背負って死んだ、みたいな事になるのか…。
予言では、2人が死ぬと言われてるけど、1人しか死んでないように見えるけど、あと1人は??