「2つのアイデンティティ」イニシェリン島の精霊 かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
2つのアイデンティティ
前作『スリー・ビルボード』では娘の強○殺人をきっかけに、怒りで周囲が見えなくなった母親が巻き起こす騒動をブラック・ユーモアたっぷりに描いていた本作を監督したマーティン・マクドナー、戯曲も手掛けている両刀使い、かつアイルランド人の両親を持つイギリス育ちで二重国籍保有者である。
1923年内戦勃発中のアイルランド本島が向こう岸にのぞめる架空のイニシェリン島が舞台。お互いの素性がバレバレの島の住民同士、道ですれ違うたびにお互い挨拶をかわすほのぼのとした様子が冒頭映し出される。妹シボーン(ケリー・コンドン)と二人暮しの兄パードリック(コリン・ファレル)は今日もパブで駄弁るため飲み仲間のコルム(ブレンダーン・グリーソン)を誘いに家に立ち寄ったのだが、様子がどこか変だった.....
無二の親友に「お前が嫌いになった。話しかけたら俺は指をきるぞ」と一方的に突き放され途方に暮れるパードリック。この不条理劇の主役パードリックとコルムはつまるところ、マクドナーの2つに引き裂かれたアイデンティティ(イギリスとアイルランド、映画監督と戯曲作家)のメタファーなのではないだろうか。70年生まれのマクドナーは現在52歳で、最終クォーターの人生を映画監督として生きる発言をしているという。
ブレンダン演じるコルムの部屋に飾ってあった能面は、まさにそんなマクドナーの2二面性を暗示していたのかもしれない。パードリックに絶縁状をつきつけ余生を音楽に捧げたいと語るコルムの姿は、2足の草鞋を捨て映画監督として生きることをきめたマクドナーの決心とまんまオーバーラップするのである。それは自分の身体に流れているアイルランド人の血を捨てるという暴挙でもあるわけで、突き放しても突き放しても自分にすり寄ってくる精霊のごときパードリッジに内心未練タラタラなのではないだろうか。
妖精バンシーに死を予告され残された時間があまりないことを知った時、心の平静(生活の安定)を得られる道(イギリス人映画監督)を選ぶべきなのか。それとも、自分のオリジンに逆らわない素朴な生き方(アイルランド人劇作家)を選ぶべきなのか。そんなマクドナーの心の葛藤を2人のベテラン俳優に仮託した作品だったのではないだろうか。おりしも、ブレグジットの影響により監督の母国アイルランドではイングランド帰属派と北アイルランド統一独立派との間で内紛が激化していたのだ。
音楽家としての命ともいえる指をなくし家まで失ったコルムと、仲のいい妹と可愛がっていたペットを失ったパードリッジはラスト、「これで手打ちだな」「いや、まだあんたが死んでない」とかいいながら一応の平和協定を結ぶのである。「戦争をしてればいいこともある」との物騒な発言は一体何を意味していたのだろう。より深いレベルにおける相容れない両者の理解、あるいは、(死ぬまでの)最高の暇潰しともとれるマクドナーらしい毒のある意味深な言葉なのである。