「なんともシュールな、二人の男のいさかいの成り行き…。」イニシェリン島の精霊 kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
なんともシュールな、二人の男のいさかいの成り行き…。
時は1920年代、アイルランドは独立戦争から内戦へと局面が転換していた、そんな最中。
アイルランド島の西側、ゴールウェイ湾に並ぶ3つの離島をアラン諸島というらしい。
その中の一番大きな島が主な ロケ地のようだが、イニシェリン島は存在しない架空の島だった。
島からは、海の向こうにアイルランド本島が見えるのだが、木更津から東京湾越しに見える川崎よりもはるかに近い。小豆島と高松くらいの距離だろうか。
島の人々は、海の向こうで鳴り響く砲弾音や、立ち上る煙で内戦の戦火が止まぬことを認識するのだが、文字どおりの「対岸の火事」といった体だ。
監督&脚本のマーティン・マクドナーは、アイルランド出身だと聞いた気がしたが、両親がアイルランド出身で、本人はロンドンで生まれ育ったらしい。
ただ、ルーツであるアイルランドの紛争には特別な思いがあるのだろう。両親はやはり離島の人だったようだ。
この映画の二人の男の仲違いが意味不明にエスカレートしていく様子は、独立戦争を終結させるための講和条約締結が着火点となったアイルランドの内戦を皮肉っているのだろうか。
それにしても、二人の男のいさかいは唐突だ。親友だと思っていた男から実は嫌われていたと知ったときのショックは、いかばかりだろう。
二人は20歳くらい離れているだろうか。
ロバを可愛がり、パブでビールを呑むくらいしか楽しみがない男パードリック(コリン・ファレル)と、ヴァイオリン(フィドル)を弾き作曲をする初老の男コルム(ブレンダン・グリーン)とでは、人生の密度が違うだろうことは想像できる。
人生の残り少ない時間をパードリックのつまらない話に付き合って消費したくないと言うコルム。
親友が自分を退屈な男だと思っていたと知り、島の人たち皆が自分をバカだと笑っているのではないかと、不安を感じ始めるパードリック。実際、この男は気が良い分思慮が浅い。
この映画は、よく考えれば声を出して笑ってもよいほど可笑しいユーモアに溢れている。
突然のコルムの絶縁宣言に、パードリックが理由を問いただした会話が秀逸だ。
「お前は、牛の糞の話を2時間も続けた、2時間もだ」
「牛じゃない、馬の糞だ。人の話をちゃんと聞け」
パードリックと二人で暮らしている聡明な妹シボーン(ケリー・コンドン)が、コルムがパードリックを退屈な男だと評したことに対して言い放つ。
「この島に退屈じゃない男なんているの?」
他にも随所に散りばめられているユーモアは、荒涼とした島の風景、小さな集落の人々の閉鎖的な暮らしぶり、対岸で勃発した同一民族の戦争の様子、などが作用して可笑しいのだけれど意味深に感じる。
パードリックはシボーンが言うようにナイスガイなのかもしれないが、パブの店主や常連客が彼のためにトラブルを仲裁しようとはしないあたり、人望があるとは思えない。
彼に寄り添ってくれるのは、少し知恵が遅れていそうな青年ドミニク(バリー・コーガン)だけだ。
このバリー・コーガンが見事な演技を見せる。是非とも、彼に助演男優賞を❗
ドミニクを虐待しているらしい警官である父親、雑貨店の女店主など、異様なキャラクターが登場すると物語の混沌は加速していく。
そして、二人の闘争は次第にバイオレンスの様相を呈していくのだ。
もはや、コルムの行動は残りの人生を充実させたい思いとは乖離している。
だがしかし、これはパードリックを主体に描いているから、コルムや他の登場人物たちが不可思議に見えるのだ…とは言えまいか。
パードリック自身が薄々感じたように、彼は島では好かれた人物ではなかったとしたら…
空気が読めないパードリックと頭が切れて生意気なシボーン。島の住民たちはこの兄妹と距離をおいていたのだとすると…
長年、毎日パブでビールを呑み交わす相手をしていたのはコルムだけだった。
コルムは自分の老い先を考えて、自分だけがパードリックに付き合っていることに嫌気が差したものの、簡単には見捨てられない。言って聞かせても理解する男ではないので、自らの身体を犠牲にしてまで空気を読めていないことを自覚させようとしたのだ。
コルムが時折見せるパードリックへの優しさは、鬼になりきれなかった証だろう。
パードリックは、島の厄介者ドミニクを唯一構ってやる善良な男だと自分では思ってるだろうが、実はパードリック自身、コルムだけが構ってくれていたのだ。
…そう考えると、このブラックユーモアには、俄然サスペンスとしての凄味を感じてくる。
結局、パブでパードリックの隣にいてくれたのはドミニクだけではないか。
不良警官のドミニクの父親は、島の連中に成り代わってパードリックを凝らしめていた。雑貨店の女店主は、他の住人たちとは違ってあからさまに態度に出していた…ということになる。
ドミニクは、頭が弱いようで自分のことを理解していた。
彼がシボーンに想いを伝えた後の悲しい末路は、彼自身が選んだのだと思う。
妹が島を去り、ドミニクにさえ背を向けられたパードリックは、愛するロバの死という決定打を浴びて暴走する。
それを受け止めたコルムが「これでお相子だ」と言う。
この物語の結末は見事なまでにシュールで、驚愕するほどにミステリアスだ。
「犬の面倒を、ありがとう」
「いや、またいつでも」
この二人は、この島の人たちは、この先どのように生きていくのだろうか…。
kazzさん、これまた新解釈かつ説得力大‼️
元々個性的なレビュアーの皆さまのそれぞれの解釈が、とても楽しめます。
この映画、それだけでも凄いことやってのけてますね。
kazzさんへ
コメントありがとうございました!
パードリックとコルムは、何処まで行っても平行線。パードリックが目醒めない限りは、死ぬまで平行線、でしょうねw
イイねコメントありがとうございました。コルムとパードリックの考え方の相違。意外と思慮深いドミニク。おっしゃるとおりですね。勉強になります。商売の件は描き方が金払ってんだか金払われてるのか紛らわしかったです。なんか牛乳なら少ないような気がしました。おっしゃるとおりですね。ありがとうございました。ただこんなユルイ生活1920だからできるという理屈なのかと思いました。基本的に上下水道、ガス、通信もなく、電気もわずかの時代なので、あんまりお金使わなくても済んだのかと思いました。ありがとうございました😊
kazzさん コメントありがとうございます
いろいろな見方ができる本作、おもしろかったですね
レビューも様々で、これまた価値観の多様性の続きをみているかのようです
正解など、ないのかも。。。