「コルムは僕と友達をやめるって。」イニシェリン島の精霊 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
コルムは僕と友達をやめるって。
やめるって言ったって、桐島が部活をやめるのとは違う。唯一無二と疑うことがなかった友に、「友達をやめる」と通告された純朴な善人は、戸惑い、悩み、悲しんだ。その感情は当然だ。たしかにコルムの意志の強さは、激しいはずの痛みにさえも平然(を装っているのかも)とできるほどだ。そりゃ誰だって、このまま無駄に歳をとって死んでいくだけの人生なんてまっぴらだ。だけど、それまでの付き合いをチャラに、いや完全否定するほどに、ばっさりと切り捨てるっていうのはどうなのか。そりゃ代り映えのしない生活なのだから話題はいつも同じだ。退屈だろうよ。今の自分の周りだって、酒とパチンコと飲み屋のネエチャンの話しかしてこない同僚との会話は、とてつもなく退屈だよ。だけど、あれじゃパードリックが気の毒だ。それまで付き合ってきた義理ってもんがあるだろうよ。だけど。それさえも無慈悲にも捨て去れる決意、そんななにかを秘めたコルムの堅い表情が、どことなく痛々しかった。
アイルランドと言えば、「ライアンの娘」だな。たしかに、退屈そうで、話題がないゆえに、すぐ他人を気にしたがる。妬む。あの映画の空気と似ている。コリン・ファレルも溶け込んでいた。ふとキャストを見てみたら、メインキャスト、全員アイルランド人だった。映画の中以外の事をいろいろ考えてしまった。
コルムが言う、「時々思う、人生は死ぬまでの暇つぶしだと」。この言葉はよく聞く。仏教的死生観なのかと思っていたが、彼らもそうなのだな。みうらじゅんは「生まれてから死ぬまでが余生」だと言う。その静けさを、コラムは求めたかったのだろうか。じゃあそれは、退屈とは違うのか。たぶん、違うのだろうな。「静けさ」の中には、心の平穏や安らぎがあるが、「退屈」の中にあるのは、「つまらない」という無意味な時間だろうから。コルムは気付いたのだ、それは無駄で無意味だと。おおいなる代償と引き換えにして。
この映画、パードリックに寄り添おうとすると、絶望と悲しみに襲われてくるが、コルムに寄り添ってみると、傷つきながらも何かを残せた達成感がある。