「この映画にヘタな説明は要らない」イニシェリン島の精霊 グレシャムの法則さんの映画レビュー(感想・評価)
この映画にヘタな説明は要らない
と感じたのは確かなのですが、なんだかダラダラと書いてしまいました🙏🏻
私にとっては、類い稀なるホラー。
自分が生きてきた年代も国も社会環境も違うけれど、コリン・ファレル演じるパードリックの立ち位置は、恐ろしいほど似ている気がして。
(あなた、いい人だけど、人畜無害の〝ただのいい人〟よね。)
『退屈なお前といる時間がもったいない。残りの人生はお前とは関わりなく過ごすことにした』
と宣言された時、自分のことのようにグサっときました。
自分の生きているコミュニティーと離れたところで戦争(現在ならウクライナ、映画の中では内戦)という大勢の人を不幸にする痛ましい状況が現在進行形であっても、日常を生きている自分にとっての存立基盤はやはりコミュニティーの中にある。その支えがある日突然、一方的に外される。
想像してみてください。ある日突然、理由も告げられぬまま、こんなことを言われたら…
・明日からは、会社に来なくていいよ。引き継ぎとかそういうのもいらないから。
・私たち(妻と子供)出ていくね。もう、連絡もしないでね。
ある種の閉じられた社会の中で生きている人たちを大まかに分類すると、こんな感じでしょうか。
①その中の文化風習をごく自然に受け入れて、特段の疑問を抱くこともなく生きていける人
②その社会が外から隔絶されていることに気付き、読書などを通じて、外の世界を知ろう、いつかは見てみたい(出てみたい)と思ってる人
③そこから出ることまではしないけれども、閉じられた社会であることは認識。自分を縛っているものからは距離を置いて、そこでも実現可能な、そして、そこには無かったものを得ようとする人
②の人は何かで行き詰まることがあっても、外の世界に希望を抱くことができるし、外の世界に行けなくても、違う世界の自分を想像することで、「ま、仕方ないか」と分かったうえでのそれなりの選択の結果だと折り合いをつけることは可能です。
けれども①の人にとっては、そこが世界のすべてなので、行き詰まった挙句、破滅的な行動をとることがある。
コルムは③でありながら、自身も①であったことからの突然の変節に対して代償が必要だと思っていたのか。それはパードリックに対しての代償?
①の人から生じた破滅的で物悲しくもある狂気と折り合いをつけるためには、代償が必要だと思っていたのか?
ロバのジェニーに対してのコルムの哀悼の気持ちは本物だったので、①への共感にもウソはない。
コルムのことを、そういうことだったのか❗️
とわかる気がしないままです。
そうですよね。コルムの自傷は「代償」行為ですね。しかし、自分に向けたものか、パードリックに向けたものか、あるいは両方かを決めるのは難しいと思えます。いずれにせよ、過激な代償。
グレシャムさん、コメントありがとうありがとうございます。
パードリックが他人の気持ちを読めない人だと思わせる場面があった気がしたので、私なりに咀嚼してみました。
私自身、若い頃は友人が多い方だと思っていたのですが、年を取って振り返ると友人関係が希薄だったことに気づき、慌てています。パードリックと同じかも(笑)
でも、おっしゃる通り、この映画は色々な解釈ができて凄いですね。
グレシャムさんへ
コメントありがとうございました!
ワタクシの場合、女房と長年暮らす中で、感情でものを言わない・行動しない、って事を学びました。と言うか、叩き込まれましたw
失礼します
共感ボタンありがとうございます
正に私も主人公の立場です 本当に"退屈"側に属しています
自分が退屈に属する人間が唯一変われるスイッチはあれ程やらなければ・・・でしょうね
今作品を低評価に置いてる人は多分自分の姿が自覚していないのではと思います・・・
と言ったら語弊でしょうかw
本当に自分は他人を愉しませているのか、その真価を突きつける作品かと思います
と同時に、あれ程親友の為に犠牲を払う友がいることを神に感謝しなければなりません