「鼻につくイニャリトゥ自省の旅 =『バードマン』×『8 2/1』」バルド、偽りの記録と一握りの真実 とぽとぽさんの映画レビュー(感想・評価)
鼻につくイニャリトゥ自省の旅 =『バードマン』×『8 2/1』
ここにいるけどいない音と夢…長すぎ詰め込みすぎ?いい父親になれなかった自分への戒め・後悔、自責の念か。不思議な光景が繰り広げられては歳を重ね、年を取ること。
そういう夢を見てるドキュフィクション。シルベリオ…心理ドラマで何よりイニャリトゥ監督自身についての内省的でシュールなコメディ。(国際的)成功の弊害について。現実離れした成功の裏に、庶民・民衆の代弁者などでは決してない。愛されてなどいない。一人でろくに電車にも乗れないブルジョワの贅沢な悩み。腹の足しにもならない賞を取って時の人として祭り上げられるような、公私を晒されては好き勝手に食い荒らされ、勝手に頭の中の考えを読まれては笑いものにされるセレブリティ、有名人、公人。事ある事に槍玉にも上げられる。ここで繰り広げられる心象風景は、頭で考えてしまえば退屈で、"一体自分は今何を長々と見せられているのだ"と。ただ、うまくハマって感じられればきっと何か違うものになるはずだとも思える。
国の歴史と共に時を超える己との対話。マルティン!気取った監督のよく分からん映画の小難しい話。ヌードという生まれたままの姿で自伝的要素、長回し、ハリウッドで学び培ってきたこと。圧巻のロケーションを捉える卓越した美しい撮影による鼻につくけどストーリーテリングの巧さ。例えば近年のテレンス・マリック作品も思い出すような(一歩間違えれば眠くなるような?)トーンと距離感。
スピーチは考えた?カネにしか興味がない国が賞をくれて、何を語るのか楽しみだ。生まれて間もなく亡くなった赤子の存在、あるいは不在という象徴。酷い世の中だから外に出たくない赤ちゃんマテオ。何か言いたそうによく出てくる。人は亡くなるけど概念は残り続ける。例えばただの負け戦が英雄として誇張して語り継がれたり、なにか変なメキシコという国もまた曲名の分からない曲のように。メスカルを。
ここにそんなもの無いはずなのに!白昼夢でも見ているかのように夢見心地よい浮遊・酩酊感と共に、見ていると不思議な感覚に陥るよう…まるで自分を見失い、人(他者)の人生を生きる。伸びる影に実体はない、付き纏っては彷徨い歩く。そのさまに時に息を呑み、魅せられる。幻想的で悪夢にもなり得る魅惑的なショットを積み重ねては浸る。庭、鏡、霊、銅像と(生き)地獄、歌や踊りに口笛という音楽。
自分をメキシコ人だと?今の私は無国籍だ。自分を責めるダブルスタンダード。自分が批判するのはいいけど他者からあれこれと批判されるのは許しがたい、そんな祖国への矛盾した思いを抱えて。内世界・夢と現実の境界が曖昧に溶け合い、入り混じるような己との対話セルフセラピー。騒がしく入り乱れる人、人、人の中でここにいるけど行方不明なアイデンティティー・クライシス。白人でも黒人でもない褐色の肌、肌の色から"プリエト(黒んぼ)"と呼ばれる。ここはあんたの家じゃない。
いい父親になるチャンスを棒に振って、確かに存在している…?ジャーナリズムは何を信じるかでなく、どこに注目するか。考えに何の意味がある?目の前を通り過ぎていく人生は、記憶の断片が絡み合う騒乱。そんなことを思う歳だ。昨今の軽薄さをはじめ主張が過ぎる。自分を不確定な立ち位置に置くことに意固地になっている。貧しい移民を撮って、自分を語る。知った風なつもりになって、パラドックスの中心にいる気取った知識人。"もったいぶってて意味もなく幻想的"、監督自身が今まで言われてきたようなこと。足を取られ虚構の中に埋没する被写体。カメラを向けること、虚構あるいは作られた真実。
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