TAR ターのレビュー・感想・評価
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『ブルー・ジャスミン』のケイトが帰ってきた
ケイト・ブランシェットは、『ブルー・ジャスミン』でセレブから真っ逆さまに堕ちていく女性を演じた。本作との女性指揮者リディア・ター役との大きな違いは、ターには自分を偽る嘘がないということだ。
嘘がない。自分にも他人にも極めて厳しい。思い込みとこだわりの究極の完璧主義者。だから頂点に立った。究極の真を追求しすぎた。いつしか自己肯定は他者否定につながり、パワハラ、スキャンダルに発展していく。
嘘があってもよかったのだ。虚栄心に溺れてもよかったはずだ。彼女の鬼気迫る演技は、そう思わせるほどの人としての意地が炸裂していた。音と映像が見事にマッチした空間で、彼女の孤高は際立っていた。
同性愛者のリディアの唯一の癒しは、妻シャロンとその娘との静かな生活。シャロンの控えめな存在感が光る。シャロンを演じたアンナ・ホスはドイツ映画の至宝。「東ベルリンから来た女」、「あの日のように抱きしめて」など秀作の主演に抜擢されている。あのケイト、ルーニーの同性愛を描いた「キャロル」とはまた違った視点で、ふたりのコラボの妙味を味わうことができる。
リディアの字幕のテロップが、すべて男性の口調で出てくるところも効果的だ。
リディアが失意のどん底の中、実家の部屋でバースタインのビデオに涙を流すシーン。
原点に帰る、初心に帰るっていいなあ。素顔のリディアがとても可愛かった。
張り巡らせてある伏線に疲弊。。。
冒頭のインタビューシーンは、なかなか印象的だ。
インタビュワーがター(ケイト・ブランシェット)の経歴を延々と話すのだが、ターはリラックスした様子で終わるのを待つ。
すべてについて自信たっぷりだ。
ジュリアード音楽院での講義では、バッハを嫌う一人の学生を完膚なきまで論破する。学生の″止まらない貧乏ゆすり″が、ストレスの大きさを表している。
とにかく、すべてのシーンに「伏線と思わせられる映像や音」がびっしりと張り巡らせてあり、見るのに大変な集中が必要になる。
気になったのは、
玄関チャイムの単調な繰り返し
ジョギング中に聞こえた女性の悲鳴
など。
観る側にも高いテンションがかかる作品だ。
終わった後、どっと疲れが残った。。。
サスペンス映画いやホラーに近い恐怖
始まりから、主人公のターが盗撮されている?
事件が始まる予感がありましたね。
オーケストラの指揮者のターが頂点にいる。
テレビのインタビューで、堂々としたたずまいで終盤私は愛を,選ぶと返事しています。
いや、そんな人間じゃないよねー🫵
もう、ケイトの演技が最高ですね。
ターはレズビアンを、公表していてお気に入りの可愛がりが、まぁ酷い。
ターに尽くす人間には、まぁ冷たい😱
そして、完璧主義、潔癖症であるターにとって事件をきっかけに、落ちて行く様子がまさにホラー映画さながらでしたね。
最終は、バカにしていたアジアに足を運び、潔癖症のターが自然に触れ、何かを感じ取ったかのようにも思わされました。
ラストにモンスターハンターの楽曲の演奏の指揮者の後ろ姿には、カッケーと思いましたね。
素晴らしい映画ですね👀
ハラスメントとか不適切な言動とかする人の観察だと思う
この映画はハラスメントとか不適切な言動とかする人の観察だと思う。それが美しい描写とか迫力のある音楽とか迫真の演技とかがてんこ盛りで、ドキドキさせる演出もあるし、「なんか嫌だなー」とか「うわー」とか思いながら楽しむことができる。見てるとター自身はそんなに悪い人ではなくて、ただ色々間違ったことをしたんだなというのがわかる。それも突飛な理由とか背景がある訳ではなくて、誰でもターみたいな間違いを冒すかもと思わされる。
社会的な部分は社会のことをよくわかってないのであまりよくわからないけど、これが男の異性愛者の指揮者の話だったら、どんな職種・業界・職位でもよくある話で何も面白くないと思う。女でも、同性愛者でも、権力構造の上位に位置するときに間違い冒すし、権力者だからこそ厳しい目で見られたり悪意の的になったりする。男の異性愛者の指揮者という設定よりこの部分が際立つし、男の異性愛者にパワハラ、セクハラされたことのある人達が実際に多いことを考えると、女の同性愛者の指揮者の話の方がより多くの人にとって見やすいように思う。でも女や同性愛者は現実では男や異性愛者より冷遇を受けやすいと思うので、そういうのがあまり描かれてなかったのは違和感がある。それとも男性指揮者がキャンセルされても異国でゲーム音楽の指揮の仕事を受けなきゃいけない窮地には陥らないのかな(笑)。
あと見てて思ったのは、ターは自分の本名を捨てて指揮者としてキャリアアップして、ショボいアメリカの実家からは想像できないようなお洒落なヨーロッパ風の生き方をしていて、権力ではなくて「いい暮らし」とか社会的に高い評価を受けるとか、そういうことと自分のルーツとの折り合いを付けるのは難しいのだなと思った。ターほどの金も地位も無いけども、実家と自分個人との生き方や経済状況の違いは、なかなかスッキリとした説明がつかないし、家族だからって資産を統一するわけじゃないし、人間て決定的に寂しいなと思わされる映画だった。
希有な女優ケイト・ブランシェットに酔え!
わたしはクラシック音楽は門外漢ですから、頂点を極めた女性指揮者がとあることから落ちぶれていき、そこから再生していく兆しを見せたところで終わるドラマとして鑑賞しました。
ドラマの表現としてはさほど激しくはないもののケイト・ブランシェットの立ち居振る舞いに魅せられて2間40分ほどが短く感じてしまいました。
あらためて彼女の力量に感心しきりでございました。
DVDで観るものではなかった
映画館で観ていれば集中してもっと楽しめたかもしれんがこれは家では観てはいけなかった…。
つまらなくて集中が途切れてついスマホをいじり出し内容が頭に全く入らなかった。。
真剣に観れば面白いのかもしれんが
音楽の専門用語や人物の名前がやたらたくさん出てきてついていけないのとセリフが多く、やたらずーーと単調でありこれは眠くなる。
急に主人公が殺人犯になり出したりしてサスペンスミステリー的な流れになり出したら面白かったが、、
戦闘ものばかり観てるとこういう映画がついつまらないと感じてしまう。
ストーリー的にもこれは本当に楽しいのか??
ちょっと個人的には微妙すぎると思った。
ケイトの演技が上手いのは分かるが、内容をもっと面白くしてくれ。
最後も訳がわからなかった。
唯一良かったシーンはブラウン管のテレビを観ている時の出演者の人の音楽に対するすごくいいセリフ。
ここはノートにメモしました。
ヨーロッパの巨匠監督の映画を見る脳ミソで鑑賞
個人評価:3.5
ミヒャエル・ハネケの作品を見ているかのような、不思議な旋律なストーリーだったが、最初から最後まで出ずっぱりなケイト・ブランシェットを、余すことなく堪能できる。
あまり情報をいれず鑑賞した為、掴みどころのないストーリーに戸惑ったが、最初からヨーロッパの巨匠監督の映画を見る脳ミソで鑑賞すれば、すっと入ってくる作品だったと感じる。
リディア・ター交狂曲
鬼才トッド・フィールドの16年ぶりの新作で、ケイト・ブランシェットが天才指揮者を演じる。その栄光、苦悩、狂気、没落…。
フィールドの作家性とケイトの完璧な名演。2時間半超えの長尺。数々の賞も受賞。察しのいい方ならすぐ分かる。
批評家や玄人向きの芸術作品。分かる人や通な人には今年ベスト級の傑作だろうが、分からない人や単純エンタメが好きな人には退屈で2時間半の耐久レース。
天才や芸術ってそんなもん。例えばピカソの画を見てあなたはどう感じる…? 理解出来る人には理解出来るし、理解出来ない人には理解出来ない。
だからと言ってどっちがいい悪いなんてない。理解出来たから見る目があり、理解出来ないのなら見る目がないなんて事は断じてない。それは劇中の主人公同様の慢心だ。受け止め方、感性、好みは人それぞれだ。
ちなみに私は、作品で描かれた事や展開はざっくばらんに分かった気がするが、もっともっと深くは理解出来ていないだろう。私もどちらかと言うと“分からない/エンタメ好き”側なので。
つまり何が言いたいかと言うと、本作は高尚で敷居が高い作品かもしれないが、臆する事なく自分の見方で見て欲しいという事。
私はこう見た。少し前だったら、難解な芸術作品。でも今見たら、連日ワイドショーを賑わしている渦中の問題とタイムリー。
リディア・ター。
世界随一のオーケストラ、ベルリン・フィルハーモニーで女性として初めて主席指揮者に。
エンタメ業界でも“EGOT”(エミー賞、グラミー賞、オスカー、トニー賞)を制覇。
インタビューや講義にも引っ張りだこ、近々自伝も出版。
栄えある地位や名声に君臨。絶対的な存在。
しかしその華々しい功績の一方…
冒頭約10分に及ぶインタビューシーンからも分かる。
わざわざ難しい言葉や言い回しをし、天才だが、何処か嫌みで偉そうで鼻に付く。プライドの高さ、高慢、傲慢…これら該当する言葉が幾つでも思い付く。
展開していくとそれはどんどん。
ある講義。一人の学生と意見が対立。相手に反論を許さぬほど論破。
楽団に於いても。依怙贔屓。他の楽団員からの反発も何処吹く風。
物申してきた副指揮者やある命令に背いたアシスタントをクビに。
自分の“楽譜”通りに1mmのズレも許さない完璧な“演奏”を続ける。
映画の世界でも黒澤やキューブリックなど一切妥協しない天才がいた。しかし、それとは違う。彼らは自分にも厳しい完全主義者だが、リディアの場合は自分に思い上がる慢心者で独裁者。陰湿さや恐ろしさすら感じる。
リディアには家族がいる。妻と娘。
同性愛者。しかしその立ち位置は、女性同士が愛し合っていると言うより、家父長制的。娘をいじめた同級生に「私がパパよ」と威圧。
周囲からも“マエストロ”と呼ばれ、スカートは一度も履かず、パンツ姿。中性的な雰囲気漂う。それを感じさせるケイトの演技もスゲェ…。
“大黒柱”として家族を愛している。が、家族一筋ではなく…。
多くの若い女性と関係を持つ。それも惹かれ合い合意の上ではなく、自分の権力を行使して。パワハラ、セクハラ紛い。これって…。
依怙贔屓も単に奏者の才能だけではなく、私的な感情も入り交じって。
言うまでもなく家族にバレる。“妻”シャロンはヴァイオリン奏者でもあり、公私共にリディアを支えていたが…。
今リディアが頭を悩ましているのは、マーラー交響曲5番の演奏と録音。なかなか思い通り行かず、天才でもプレッシャーや苛立ち露にする。
そこに家族や周囲との不和、自身の好き勝手、さらにある事が事件となって…。
かつて教えていた若い女性指揮者が自殺。無論彼女とも関係を…。
自殺の原因はリディアとの憶測。彼女ら受けたセクハラや権力威圧…。
もみ消そうとするが、すでに噂は広まり…。
SNSでは先の学生とのいざこざやこれまでの蛮行がアップロードされ…。
転倒怪我により幻聴、難聴も…。
告発され、遂には演奏の指揮を下ろされる。
終盤、別指揮者の演奏に殴り込んだリディアの姿は、もはや天才ではなく、狂気の極み。
ラストもどう捉えていいか。第一線から転落した成れの果てか、どんな地どんな音楽でも異常な情熱で再起を目指そうとしているのか。
自分の身の程を知っている者が堕ちた時は人によっては諦めも付くが、自分の身の程を知らぬ者が堕ちた時はこれほどまでに醜く愚かなのか。
偉大で尊敬を集めていた人の闇、本当の顔…。
自分の絶対的権力を使ってパワハラ、セクハラ、依怙贔屓…。
もうズバリ、ワイドショーで渦中の“アレ”ではないか。
聖人君子なんていない。人誰しも必ず影や闇はある。
多くの人はそれに気付く。過ちや間違いを起こさない前に踏み留まる。
が、リディアは自分が絶対的な存在であると思い上がり、周囲も制止出来ない。彼女が恐ろしいからだ。
“アレ”も同様。
無論全員がそうではない。高潔な人物も多くいる。古今東西尊敬され続ける。
天才が天才で在るが故に背負った宿命。凡人には計り知れない。
羨望であると同時に同情。
天才ともてはやされ、神格化される危うさに戦慄した。
本作の二人の“天才”には称賛でしかない。
難解で重厚な人間ドラマでありつつ、次第に心理スリラーへ。これが監督3本目、16年ぶりのブランクを全く感じさせないトッド・フィールドの圧巻の演出。
輝かしい側面だけではなく寧ろ、醜悪な内面こそ露見。代表名演の一つ、『ブルージャスミン』にも通じる。英語やドイツ語を交差させ、指揮も自ら執り、求めた完璧な演奏を終えた時の酔いしれた表情には美しさも魅せる。また一つ、この稀代の名優=ケイト・ブランシェットに神がかりな名演と代表作が。
やはり、天才はいるのだ。
観た後に読んでください。
冒頭、スマホのメッセージで悪口を言われてるTAR。女性指揮者として、恐らく数々の困難を乗り越えて頂点に立つ彼女。スーツはオーダーメイド、飛行機はファーストクラス。指揮者の他、大学でも教えたり、とにかく日々多忙な中、少しづつまずいことが起こり、転落していく。正直な彼女は大学での講義で、考えたことを後先考えずそのまま伝えてしまう。それが学生を追い詰めてしまい、その学生は教室から出て行ってしまう。
さらに推薦してあげなかった若い女性指揮者の自殺、その才能に夢中になってしまったオルガの登場から、周囲の人々がTARから離れてしまう。オルガもスマホでTARの悪口を書いている。
指揮者の仕事も奪われて、実家に帰って、昔録画して貯めていた、沢山の好きな指揮者のビデオの一つを見て泣くTAR。本当に昔から指揮者になりたかったのがよくわかる。
アジアに渡り、アニメイベント?のオーケストラ指揮者をするTAR。残念だけどよかったねと思った。また復活する日が来るかもしれない。
皆さんが言うように、もう一度観たい映画ですね。
DVD初見。 尤もらしいが。 大物のスキャンダルを今風に捻っただけ...
DVD初見。
尤もらしいが。
大物のスキャンダルを今風に捻っただけの凡庸。
大女優の毎度の激演も、肝心の指揮動作が指揮っぽいでしょ?感丸出しで見てられぬ。
演り損。
Wの悲劇三田佳子の風格尊大繊細に軍配。
オチの据わりも悪い。
要するにツマラン。
にしても3時間
ケイト・ウィンスレット自身最高の演技、みたいに囃されてたから若干楽しみな気持ちもありながら鑑賞したが正直複雑だった。
ただ彼女の演技にだけ関して言うと、ワンカットが長かったり、セリフや立ち振る舞いも凄みを感じるものがあってなるほどな、と思えた。
ストーリー自体は複雑で難解な印象を抱いた。
出てくるワードが馴染みのないものばかりだったからか、登場人物の顔と名前が一致しないからか、とにかく分かりづらかった。
私の集中力不足ということも充分考えられるので、考察サイトを読んで細かい描写の意味する所に追いついたが、にしても3時間もかけて鑑賞した末に辿り着いたのがこんな感じかーという感じ。
部屋のインテリアや建物の内装、服装や車といった映画の世界観を彩る部分に関しては綺麗なものばかりでいいなと思った。
未来からのメッセージ
Q:姉さん、もしこれがヘテロの白人男性を主人公にしていたらどうだったでせうね?
A:たぶんヘビーではあるけどフツー、だったはず。
それを性的少数者の女性(しかし白人)にしたところにひねりがあって企画として目新しいし、権力もってる人間の暴力性に性別や性志向の差はない、って視点の徹底ぶりは「多様性」ガチ勢の考えた企画という印象。
冒頭からだいぶ長い時間、意図がわからないままただ映像を眺めるしかないシーンが続くので集中力が必要だし、会話で出てきた名前が何個かシーンを跨いで出てきたりするので記憶力も求められるのでつかれる。でもずっとジョーカーが出てるダークナイトみたいに、ケイト・ブランシェットから目が離せない。
しかし早い。早すぎる。人類にはまだ早すぎる。
よくエンタメは時代の半歩先くらいが丁度いいとか言われるけど、その点これは余裕で2歩先くらい先を行っていた。
旧世界の人間としては我が身を振り返ってほんのりと(かつての価値観に迎合して生きてきた)後ろめたさと同時に過渡期を生きるつらみを感じたりもした。冒頭のシーンとかなー、つい気持ちはわかる。ってなるもんなー。。
今このネタをやるんなら、180度逆のオチだったらもっとわかりやすかったんじゃないのかな、と思う。
でもきっと、こちとらそんな半端な覚悟じゃねぇ!って気合の入った人たちが作ってるんでせうね。
だからこれは目先のエンタメに満足しない未来からのメッセージで、今よりも5年、10年寝かした方がもっと良くなるんじゃないのかな。
ちなみに私はエンタメ映画が好きなんですねー(反省の色なし)。
正直、お腹のちょーしが悪く終始ゴロゴロしてたのもあり、割とがまん比べではあった。でも音の鋭敏さや画面の緊張感など、没入度は高いし劇場で見るべき作品なのは間違いない。
ラストは観客に委ねる系エンドかもですが、仮に「サンセット大通り」みたいな意図だとしたら、あれだけではちょっとわかりにくかったかな。。
選択肢が多すぎても困る
楽団で指揮者として活躍からのミステリー作品。
まず、序盤は鑑賞者に催眠術の耐久レースを仕掛けてくる。
無事突破すれば話は進んでゆき、不穏、そして最後は明後日の方向に飛んで行く。
メッセージ性などもあるので、
内容がよく分からない場合は解説サイトを見ることを勧める。
★評価+1くらいはされるかもしれない。
良い点
・楽団と話の掛け合わせ
・程々に怖い
悪い点
・眠い
・長い
ケイト・ブランシェットの演技はすごいけど……
ケイト・ブランシェットが凄い演技をしているようなのは分かるのだけど、自分はノリ切れなかった(^^;
物語としては、頂点を極めつつある指揮者リディア・ター(ケイト・ブランシェット)が世界最高峰のベルリンフェスで指揮するのだが、子供いじめ被害から始まって、副指揮者の馘切り問題、チェロ奏者のエコひいき⇒オーケストラとの不調和、若手指揮者の自殺⇒告発などなど様々な事が起こって精神崩壊状態となっていく感じなのだが、過去映画の『ブラックスワン』などと同系統の作品に見えたが、本作はやっぱり入り込めない感が強かった😥
なぜノリ切れなかったかを思うと、やはり登場人物の関係性が序盤で明確に把握できなかったことではないだろうか?
また、時々、リディアのドイツ語会話が字幕なしとなるのも、「アメリカ人が観ているのと同じ環境にするため日本語字幕を付けなかったのだろう」が良く分からない。
あと、尺が長めの割に[ツボ]らしいエピソードが無い……など不満が沢山出て来る。
自分に合わなかった映画であった…とするしかない感じであり、本作について今後いろいろ調べたりしてもう一回観よう…などという気は起こらない(^^;
なんだこれは
わからない。何かを暗示させることが次々と起きるが、はっきりした事件が起きるわけではない。マエストロと言われる世界的な指揮者で、他者を寄せ付けず、圧倒的な力を誇示する女性が崩壊していく様を淡々と描いていく。だが、決して短いとはいえない映画なのに、中弛みはしない。
それというのも、ケイト・ブランシェットだ。彼女の演技が凄まじい。監督の手腕もあるだろうが、彼女の演技から片時も目を離すことができないのだ。
ラストシーンを観たあと、思わず「なんだこれは」と呟いてしまった。やはり、わからない。でも凄いものを観たという気がする。
ラストが拙速では?
出だしはとても緻密で素晴らしい。特にジュリアードでのレッスンのシーン。本筋に入るまで少し冗長な気もするが、綿密さに免じて問題なし。でも問題が発覚して転落していくところから、その綿密さが崩れていく感じがする。特にラスト20分ぐらいはB級映画のような展開では?(私がしっかり理解できていないのかもしれないが)
ただ、この映画はクラシック音楽好きにはたまらないディテール(というかスキャンダル)で満たされている。登場人物からしてカプラン(ギルバート・カプランですよね?マラ2専門の実業家アマチュア指揮者、故人)、アバド、カラヤン、(早世した女性チェリストの)デュプレ、(その元旦那の)バレンボイム、それにレバインやデュトワのセクハラ話も出てきて、カラヤンがザビーネ・マイヤーを入団させようとした事件も題材になってる!ここまであけすけにクラシック音楽業界の暗部?を描いた度量には感服します。日本で芸能界の暗部をリアルに描いた映画なんてないでしょう?クラシック音楽ファンは必見です!
ケイト・ブランシェット
に陶酔し、震撼させられる。
孤高の指揮者そのものというよりそれ以上、彼女だけであれば満点。
ストーリー展開はやや散漫ですっきりしない。
数々の問題が降りかかるが、その真偽もはっきりしない。
どこまでが錯乱なのか、仕組まれたのか、モヤモヤが残る。
こういう観賞者に投げかける展開は個人的には余り好みではない。
ラストもどうなんだろうか。
途中にもどんな名音楽も価値観が違えば騒音という場面があったが、
ラストもそれに近い意味なのだろうか。
どうにもすっきりしない分、☆を減じた。
それにしてもケイト・ブランシェットは凄かった。
それだけでも大スクリーンで観る価値はあった。
残念。
異世界
オケの人事によるわだかまりからやがて追われる指揮者の話。
リディア(ケイトブランシェット)には思いやりが欠けているが思いやりがないといけない──わけではない。
いけなかったのは人をないがしろにしたときどうなるかを予測できなかったことあるいは予測しなかったこと。
長く忠にかしずいてきた秘書のフランチェスカを選任せず、副指揮者セバスチャンをあっさり解任し、主任チェリストにソロをやらせず、かつて楽団にいた教え子のクリスタは心を病んで自死してしまう。
強い権力を有する者あるいは天才。往往にして実力や才能を有する者は人としての倫理が抜け落ちていることがある。それが大丈夫な時代もあったが現代の公ではだめだ。そういうキャンセル文化についての映画でもある。Tár=リディアは悪人というわけではないが、独裁的でえこひいきをする癖もあり、それが自身を追い詰めていく──という話を見たことのない雰囲気とカメラで追っていく。
絵に高級と成熟があった。いわゆる富者の気配だが金満な気配ではなく洗練された豊かさの気配。
前段の部分で、すこしめんどうな一介のファンと話すシーンがある。その女性がバーキンをもっていてすてきなバックねとリディアがほめるのだがリディアの生活環境はバーキンを持たなければならないようなSNS的金満とはランクがちがう。すべてがSFのように美しかった。
特大書棚のある住居、仕事用のフラット、テーラーメイドの服、ポルシェタイカン、ピアノ、調度品や装飾品、間接照明、高級家具、トールスピーカー、打放しコンクリートのミニマル感、プライベートジェット、レストランの高級感。トンネルを走っている絵は惑星ソラリスのようだ。モノトーンとブランシェットの彫像のような顔立ちとブロンド髪と寒色のベルリン。個人的には見たことのない映画だった。
Little Childrenから16年ぶりの監督作品でトッドフィールドがブランシェットにあて書きした映画だそう。
ブランシェットがTárになりきっていることと撮影によってこのわけのわからないような雰囲気が生じてしまっている。
Little Childrenとはぜんぜん違うのでトッドフィールドのカラーはわからないがおそらくキューブリックのような完璧主義者なのだろう。
理知で精力的だが、直球で物怖じしないリディアの人となりが魅力的に描かれる。ふつうあからさまに貧乏揺すりをしている者に雄弁をふるわないし、功労者にさらっと解雇を告げたりしないし、いじめっ子を直接脅しつけたりしない。
強行な姿勢がかのじょをじわじわ窮地へおいやっていくことと、それに対する警告のような強迫観念や夢判断の描写が同時に描かれる。
映画が人間(庶民)生活へ下野するのは、隣家に請われて瀕死の母親を介護用便座へもどす作業を手伝ったとき、ぬいぐるみを渡そうとして暗い建物へ入ったとき、仕事を追われて実家へもどったとき──ぐらいであとはすべてがハイクラス生活風景になっている。その対比が“いびつ”でもあり生活環境においても心理スリラーになっていた──と感じた。
Tárの命題のひとつとしてあるのは人間感情と楽曲の関係性──である。
大学の講義をしているときある黒人学生がバッハが嫌いと言った。その理由をバッハはノン気(同性愛者から見た異性愛者を指す)だから男尊女卑であり子供が20人もいるから嫌いなんだ──と述べる。
偏屈な理由だがそこから敷衍して人間性は作品にあらわれるか否かということをリディアは縷説していく。簡単に言うと嫌いな人間がつくった曲ならば、その曲を聴いたとき、人間同様嫌いの反応をするだろうか?おそらくそんなことはないだろうし、そうでないなら作者と曲を同視するのはまちがいだ。
にもかかわらず指揮者はマーラーの感情──そこにあるのは歓びなのか悲しみなのかについて──あるていど解釈していかなければならない。
よって解釈を書いた彼女のスコアは彼女自身のようなものだ。
が、リディアは人間関係を指揮ほど巧くは解釈できなかった。
ラスト、彼女はコスプレした観客あいてにモンハン用のオケを指揮している。さてどんな解釈をしているのか。・・・。
まえにとある日本映画のレビューで日本映画は二回りほどばかがみる想定で映画をつくる──とけなしたことがあるが、それと逆で理知を絵にしたような映画だった。が、観衆側に権威者がわきそうな映画でもあった。いずれにしろ見たことのない映画だった。
全359件中、61~80件目を表示