TAR ターのレビュー・感想・評価
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天才はこう潰されゆく
ケイト・ブランシェット
1969年オーストラリア
メルボルン生まれ
舞台女優からキャリアをスタート
1998年の「エリザベス」で主役を演じ
大ブレイク
「ロードオブザリング(2004)」
のガラドリエル
「アビエイター(2004)」
のキャサリン・ヘプバーン
など主役を食いかねない存在感
を常に発揮しスクリーンを
常に引き締める存在である
近年でも
「ドント・ルック・アップ」
「ナイトメア・アリー」
などでも印象的な
演技を見せつけている
そんな天才が
天才女性指揮者リディア・ター
を演じる今作
どうだったか
かなり特異な構成で序盤は
置いてけぼり感が半端ない
ものの徐々に理屈が
わかってくるとリディアへの
共感性が上がっていき
何とも言えない気分になって
いく展開は知らず知らず
引き込まれっぱなしでした
女性指揮者として
その才能をほしいままにする
リディア・ターは
インタビューでもマーラーの
音楽性について
インテリジェントに語り
音楽に対する妥協のない姿勢は
音楽学校においての指導に
ついても思想にとらわれない
音楽性への理解を生徒に促すなど
徹底していました
うわーこんな人絶対
共感できんわという導入
しかしかたや私生活では
レズビアンで同性婚カップル
と移民の養子を引き受けながら
その娘のいじめに対しても
真摯に向き合う姿勢を見せる
親としての使命をれっきと
果たしている人の親な側面が
描かれるごとに徐々に
この天才に対する共感性も
出てくるのです
ところが
そのリディアに依存する
同じ女性指揮者クリスタを
精神的に不安定で
仕事ができる状態ではないと
プログラムから外す意見を
秘密裏にしていた
ことで見放されたと思った
クリスタは自殺
それによって残されたメール
等によってその自殺がリディアの
態度によって起こされたものだ
という遺族からの告発など
予想外の事態に巻き込まれ
信頼していた秘書の
フランチェスカもその概要の
公表に加担してしまいます
そこにはリディアに対する
あまりに高い情愛の念からくる
嫉妬などといった感情も含まれて
いるのでしょう
リディアの思わぬ方向に事態は
進んでいきやがて
精神的に追い詰められ
立場をも失っていきます
印象的なのはリディアが
心血を注いで追及した
音楽の世界も
世間一般の人からすれば
アパートの隣の部屋から
聞こえてくる「騒音」
であることなど
それが現実だよねと思いつつ
他意なく直接言われると
堪えるものなんだろうなと
思わされる場面がありました
孤高の天才の立ち振る舞い
一般人には理解されないところ
あると思います
天才という表現も
畏敬の念でありながら
あいつは普通じゃないと世間が
その人を突き放すものです
大谷翔平もそうでしょう
彼のストイックなまでの
野球に対する姿勢は常人の
理解を超えているところが
あると思いますが
きっと大谷翔平にも
なんら普通の人間と変わらない
人隣りがあると思います
でも世間は突き放してしまう
面白いのはこの映画における
「指揮者」要素がどんどん
なくなっていくあたり
もはや天才の世界の話に
なくなっていってる展開
この辺はあえて
そうしているんでしょうね
そんな才能を持った人間の
苦悩がきちんと描かれている
作品だったと思います
序盤の展開が置いてけぼり過ぎて
評価は上がりにくいかもしれませんが
個人的には普段見ている
映画と違った変化球的で
なかなかいい作品でした
評価の高いのも低いのも理解はできるかな…。
今年158本目(合計809本目/今月(2023年5月度)15本目)。
※ 当方の前側にとても背の高い方がいて、字幕が読み取れていないところがあります。
女性天才指揮者にまつわるお話ですが、特に前半、クラシックに関する語がたくさん出てくるので、そこの理解度でかなりの差が生じると思います。映画そのものはそれさえ乗り越えればあとは一本調子…ではないですが…進みますが(ネタバレ回避)、この映画も3時間ないものの2.75時間級なのですよね…。インド映画でもないのに3時間級は厳しいです。ただ、どこを削ったらよいか…というのは一度見ただけではわかりづらいです。この手の映画はできるだけ当人を尊重して描かれなけばならず(さもないと裁判になってしまう)、そうするとインド映画級になってしまうことは言えてしまうからです。
個人的にはこういう映画は好きですが、音楽映画として見た場合、「もう30分くらい短くならなかったかな」と、音楽グッズ等の販売がなかったのが残念でした(ただ、後者は映画館帰責理由)。
そうですね…。昔も今もエレクトーン・ピアノ等、音楽に何らか親しんでいる、市民の音楽会等(プロアマ問わない)等の方にはおすすめですが、そうでないと特に前半は音楽用語や専門用語が飛び交うのでちょっと厳しいが、好きな人には好きという分野の別れが激しいタイプかなと思います。
なお採点にあたっては、下記の4.7を4.5まで切り下げたものです。
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(減点0.3/どうしても一定の音楽的教養が必要)
・ 私も字幕がよく見えなかった(最初に書いた事情)こともありますが、かなりマニアックな字幕が特に最初のほうに出るのが厳しいかな…というところです。音楽といえばクラシックだのジャズだのありますが、この映画はクラシックであるところ、クラシック一般の深い知識が要求されるので、「途中わからない部分もあるけど、これは音楽映画なんだ、音楽をききながら楽しんでなんぼなんだ」としないと本当につまりが生じてしまいます。
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「そんな単純じゃない」
この映画の宣伝につられたのか、主人公のパワハラが自明であるかのような感想を書いている人がいますが、ちゃんと見てもらえばそんなことはないとわかるはずです。
そんな自明なものは何もない世界の話です。
それだけがテーマではないのですが、SNSのなかで起こることやSNSのなかで通る論理にしか興味がない、あるいはそれしか知らない人たちばかりの世界で、芸術や芸術家の占める位置はどんなものだろうかとちょっと考えてしまう映画でした。
車の中で横を見るとずっとスマートフォンをいじってこちらを見ようともしない人物。
その人物をフックアップした主人公の方が、いつのまにかあとに取り残されている。
でも世界はそれだけじゃないだろう!!
と思っていたら、最後の音楽はタイトルが「WORLD」っていうんですね。
もちろん、この音楽の指揮にもまったく手を抜かない彼女。そんな彼女に新局面が開けるといい。
ベルリンフィルのリハーサルをしながら、「そんな単純じゃない、もっと複雑よ」という彼女の言葉は、音楽の解釈のことだけを指しているのではないのでしょう。
ケイト・ブランシェットは座って会話しているだけのシーンでもまったく目を離せない演技をします。
力のない役者と演出家がそれをやるとただの動きのない画になるんですけどね。
EGOT
エミー賞、グラミー賞、オスカー、トニー賞の頭文字を取ったもので、エンタメ界における主要な4つの賞すべてを獲得した人とのこと 間違いなくアート&エンタメでのラスボスって感じのポジションである
では、本作の主人公はその評価を間違いなく甘受する人物なのだろうか?というのが本作に於いて問われる筋立てである
権力闘争、政治力等々、人間社会に於いて自分にとって本当に苦手な分野での作品である 事前情報でパワハラシーンの羅列ということだが、テレビドラマのようなあからさまな内容では無く、リアリティを伴った"さもありなん"的出来事なのが、今作の深みを際立たせてる 男女の差がもし無くなったとしたら、次に訪れる格差は老若であろう そこも示唆している件もあり、サイコホラー的要素も含めた、まぁてんこ盛りの展開であった なので一言では言い表し難い数々の視点を散りばめられた出来である 初めの冗長部分も、後半への布石としての罠の張り巡らせ方の用意周到さ、それを演じる俳優の非凡さに構成の緻密さを感じざるを得ないのである
人に拠っては、単に頂点まで上り詰めた人間のしっぺ返しを朗々と紡いだ、平家物語的な流れと思うだろうが、しかし昔と違って、そう簡単に人は殺されないし、死にはしない 何度目かのチャンスを目論んでサバイヴする人間の強かさを表現する作りとして本作は興味深いのである それが喩えエンタメの極北であるゲーム音楽だとしてもだ 芸術とエンタメ、これが邂逅する未来が訪れるかもしれない示唆に富んだ作品だと思うのは見当違いだろうか?
大オチが解せない
作品の世界観や、主人公「リディア・ター」役のケイト・ブランシェットの怪演はとても良かった。
個人的にお気に入りのシーンは、終盤にリディア・ターの精神が崩壊して、アコーディオンを弾きながら狂った歌を歌うシーン。あれはよかった。
一方で、大オチはどうも解せない。ここまで培ってきた作品の世界観と似つかわしくない、急に奇をてらったようなブラックジョーク!この手のブラックジョークや社会風刺はリューベン・オストルンドに任せておけば良いので、もう少しこの作品なりの落とし所を見つけて欲しかった。
(因みに、ベトナム(?)のオケメンバーへ「作曲者の意図を理解しなさい…」と、ベルリンフィルのメンバーと同じ説明をしていたシーンは、振り返って考えると皮肉がたっぷり効いていて確かに笑えた。)
評価が高いのが理解できます
前半の冗長なシーンでなかなか乗れないし、ターというか、ケイトの神々しい出立ちと話し方で今ひとつターを批判的に見れなく、即ち話しに着いていけなかった。が、後半展開がどんどん早くなりラストに。
鑑賞後もう一度伏線を意識しながら見てみたいと思ったけど、2時間半あると思うと多分見ないような気がする。ラストも驚愕!って言うけど冷静にターの立場を見ていけば、まあそういう事もあるよね。って私は思いました。
それと、音楽の映画と思っていたので真ん中の席で鑑賞しましたが終始静かな映画で、むしろ繊細な小さな音や、静寂こそこの映画の肝でした。
ケイトの演技、脚本などとても素晴らしい作品で返す反す、前半もう少し短ければ、と感じました。
ケイト・ブランシェット劇場
頂点まで登り詰めたマエストロ(指揮者)の転落を描いた話。まずケイト・ブランシェットの存在感が圧巻です。そしてカッコいい。全編張りつめた緊張感で、主人公の孤高感が上手く表現されてます。他人の評価なんてわからない、手のひら返し。怖い映画です。(冒頭のスマホ画像の伏線回収とかね)主人公の隣人のエピソードもいいスパイス。ただ、破滅で終わらないのが救いです。
会話シーンが多く、登場人物の説明もされないので、誰の話してるんだ?になりますがそのうちわかります。クラシックの話も多く、詳しいと尚楽しめるかもしれませんが、クラシック詳しくなくても大丈夫!
貴い、ということ…
主人公の行動・考え方に決定的な間違いはない。だけど周囲とのほんの少しのズレが、幾つも重なってしまうと、いつの間にか思いもよらない場所に、自分がいることに気づく。
主人公の音楽に対する向き合い方は一貫している。
人との距離感は常に不安定かもしれないけど、自分の信じる「音楽」に対する距離感は、この主人公にとっては不変なんだと思った。
そこに貴さを感じた。
時間の支配者!!
ケイト・ブランシェット演じるリディア、ターがベルリン、フィルハーモニー管弦楽団に
女性として初めて指揮者に就任した後の
苦悩を描いたストーリーでした。
LGBTであるターは女性でありながら男性の性質を持ち、女性と暮らしながら男性の役割をしているように見えました。
重圧、周囲への抵抗、音を聴きながら感じてしまう不穏な雰囲気、天才的な能力を持ちながら、自分が崩れ去る瞬間!
人が亡くなることがあっても正義と向き合う事はなく、見る人によって賛否のある作品でした。指揮をするときは自分を出さずに
作曲家の思いだけを乗せて指揮をしているように見えました。
メトロノーム、ピアノの旋律、狂わしきアコーディオンの弾き語りが印象に残りました。
衝撃のラスト…
女性天才指揮者としての地位を確立し、交響曲の指揮も第五のみを残すところまで自分のキャリアを進める(クラシック詳しくないが凄いことなのだろう)
しかしながらその驕りから徐々に人が離れてゆく。
過去指導していたと思われる、将来有望だった女性指揮者の自殺を受けて両親が主人公を告発し、転落の人生を歩み始める…
ラストの描き方は、落ちるところまで落ちたことの表現なのか、それとも才能があればまた這い上がれることの表現だったのかは分からない
前者として捉えるなら、東南アジアの人々を、オーケストラの崇高さを理解できない野蛮人と思っている事にもなりかねず、後者であったと願いたい
面白かったが、元の英語が難解なのか訳がイマイチな気がした
泥舟に乗ってるのはいったいどちらか?
実際長い長い映画でしたが(笑)、久々ケイト・ブランシェットさんの熱演、怪演がみれたのは大変な収穫でした。画面吸引力が凄まじい女優さんです。その一挙手一投足に刮目せざるを得ません!
今回の作品において、こと音楽に関する自らの審美眼には1ミリたりとて妥協しないし私的感情を持ち込まない、そして旧態依然とした組織に対して全く忖度しない非常に男性的な側面が際立っていて、男が惚れる男っぷりを発揮されていたのが印象的でした。
能力がある無いに関わらず、女性地位向上ばかり声高に叫ぶ輩、性的マイノリティが悪影響し色眼鏡でしか芸術を評価できない者、他人の足を引っ張る事でしか浮上出来ない凡人達など・・・彼らと比較したら、その孤高の天才ぶりが浮き上がって見えるようです。
ただ、たぶん仕事以外の部分でもその「男っぷり」を遺憾無く発揮した結果(笑)その凡人らの妬み嫉みを全身で受けてしまいました。
あることないこと、いやー怖いもんです・・・特に女性からの嫉妬は(あー言っちゃった)。
権威からの失墜も、ド派手にまるで狂人の様に描かれていましたが、ここの演技も凄まじかったです。
しかし!なんで彼女が楽団での職を失い、失墜した後の後日談がまるで敗者の傷口に塩塗るように痛々しくしかも案外丁寧に描かれたのか・・・良く考えてみたんですわ。
これ、なんか違和感ありませんか?
私は、今やCDが売れない、コンサートで人が集客出来なくなった音楽業界で、どこぞの有名楽団の指揮者にしがみつくことが本当に自身の芸術の世界規模での発信に役立つのか・・・甚だ疑問に感じるのです。
5年、10年先、どちらが泥舟か考えた時、これは決して悪い結末じゃないな、と真面目に思いました。
では。
反芻と余韻を楽しむ
ケイトブランシェットの最高傑作と呼び声高い本作、アカデミー賞でも大注目だった作品ということでワクワクで観賞しました。
観終わってすぐの今、感想は「わ、わからん…」。笑
クラシック界のトップに君臨するマエストロの苦悩や闇がとても繊細なタッチで描き出されており、些細な物音一つも聴き逃してはいけない、とても集中力が求められる作品。わかりやすく答えや結末が提示されるわけではないし、クラシック演奏シーンもほとんどありません。
予想していたタイプの作品ではなくちょっと拍子抜けな部分も正直ありますが、本作に込められた様々な意図を汲み取り反芻することでまた魅力が増していくのかなとも思います。
しばらく余韻に浸って、一つ一つのシーンの理解を深めていけるのが楽しみです。
ケイトブランシェットの演技は、噂通り素晴らしく強烈。そしてひたすらに美しかったです。
息苦しい、観てるこっちが吐きそうだ
SNSが発達し過ぎてしまった現代
成功者へのやっかみは過剰で、まるで蜘蛛の糸みたい。成功者が登る蜘蛛の糸に、すきあらば引摺り落としてやろうとする亡者たちが襲いかかる様は人間としての理性を忘れたかのように動物的で、もはや我欲まみれのケダモノの様、こんな便利なんだか不自由なんだかわからない世の中は、なんて息苦しいんだとあらためて思った。
セクハラ、パワハラ、ジェンダー、コロナ禍
今流行のものを全て詰め込み、ネチネチと神経質に画く159分は疲れますが、ケイト・ブランシェットの独演会だと思って観ればいいかも。
映画史上最も衝撃的なラストって? ケイト・ブランシェットの演技は圧...
映画史上最も衝撃的なラストって?
ケイト・ブランシェットの演技は圧巻
エンドロールみたいなのが最初から流れる
いかにも何かが起こりそう、個々のエピソードも詳しく語られる事は無く...
チェリストさんち誰も住んでなさそうだしまさかの夢落ち?かと思ったのですが、冒頭の飛行機のシーンは誰かにはめられたってこと?結局よく分かりませんでした
武装音楽祭
この映画はトッドとケイトから世界中の観客に投げかけられたメッセージだ。
人類史の黎明期から人間が直面してきた「権力」というテーマについて今こそ思索し、大いに語り合いましょう!
という投げかけだ。
物語の舞台をクラシックオーケストラ、主役をベルリンフィル主席指揮者としたのは世界を牽引する「最高権威」の象徴であり「権力の行使」などを画面の雰囲気や空気感といった感覚的なものでも伝えやすいからだと思う。
権威ある立場というのは気楽なものではない。バッシング対象になりやすいし、延焼速度は一般人より遥かに速い。
だから権威の座に立つ者は、常に己のパブリックイメージをコントロールする必要がある。
リディア・ターはそのコントロール能力に長けていた。さながら鎧を纏って武装するが如くだ。
しかし、風の噂にリディアが怖いとか職権濫用だとか聞いたのでよほど傲慢で気の強い棘のある人物かと思ったらかなり違うではないか。
悪意の編集でリディアを陥れたジュリアードの授業は客観的に見ると非常に親切な教師だと思う。
曲がりなりにも米国最高峰の音楽大学に指揮を学びにきていて、音楽とまったく関係ない理由から頑なにバッハを学ぼうとしない男子学生だ。嫌な教師ならばこんな不心得者はまともに相手にしない。しかしリディアは「指揮を学ぶならバッハにも向き合う方がよい」と辛抱強く諭す。
男子学生が性癖に対する偏見でバッハを否定するから「あなたが同様の理由であなたの音楽性を公正に評価されなかったらどうか?」と考えさせたのではないか。
子供のイジメの件だってそうだ。
相手の親や教師に言いつけてイジメ相手を追い詰めたりはせず、まずは
「もう二度とやらないように。今度やったら、わかるね?」と釘を刺しただけじゃないか。脅しちゃいるが、関係者を増やすよりは非常に優しい対応だと思うが。イジメっ子も親には知られたくないはずだ。
クリスタの件は「過去の過ち」だとしても「実際にはどこまでの事があったのか、或いはなかったのか」「どこまでがクリスタの勝手な解釈」なのかは不明である。
仕事に私情を挟んでいるのはリディアではなく周囲だと感じる。
副指揮者セバスチャンの更迭は、彼がその任に相応しい能力をすでに失っていたからだ。
市井のアットホームな楽団ならば温情優先だろうけど、世界最高峰のベルリンフィルですよ?
伝える言葉には配慮と労わりがあったしね。
リディアがフランチェスカを副指揮者に選ばなかったのは、彼女とフランチェスカの「仲」を疑う噂が楽団に蔓延していたからであり、リスクを避ける為であった。(実際シャロンの前に「関係」はあったようだし)
その点は可哀想だがフランチェスカだって「副指揮者になれたのはリディアの情婦だからだ」などとスキャンダラスなデマが蔓延ったなら未来は暗かったはずだ。
リディアを信じてもう少し待てばベルリンフィルのトップに立てただろうに、リディアに不利な情報をリークしたのは残念だ。
オルガの抜擢だって筋を通した根回しはしている。演者が誰かわからない公正なブラインドオーディションにて満場一致で彼女の技術が証明されたじゃないか。
トップチェリストの彼女だけがおかしな逆恨みはせずに大人の対応をしてくれて助かった。面子を潰されてショックではあっただろうけど、カラヤンでもバーンスタインでもない新しいベルリン・フィルをクリエイトするのが「仕事」なんだからさぁ。
1番哀しく思ったのはシャロンの言動だ。元々情緒不安定ではあるが、猜疑心から「嫉妬」にかられ、悪意の罠でボロボロのリディアから最後の救い(ペトラ)まで奪りあげて。
リディアが危機を相談しなかったのは心理的負荷が心臓などの変調を招くシャロンへの配慮もあっただろう。
打算が強かったのはリディアよりもシャロンやフランチェスカの方だ。シャロンはコンマス、フランチェスカは副指揮者の座を得る為に「権力者」と特別な関係になる事を受け入れた。
リディアは奔放な恋愛を楽しんだかもしれないが強要ではない。リディアだけが責められるべきではないと思う。
(5番4楽章はオルガをビョルン・アンドレセンになぞらえた隠喩だとは思いたくない。監督は「クラシックの中ではマーラー5番4楽章が1番好き」だそうなので、ヴィスコンティの事は「本当に気にしないで欲しい。本作とは関係ない」というメッセージな気がする)
トップに立つ者は常に孤独である。パートナーや家族、慕ってくれる仲間でさえも、その重責の凄まじさは決して理解出来はしない。
「権威」の椅子がいかに脆弱なものかを、本作は教えてくれる。
「悪意の捏造動画」や流言飛語一つで瞬く間に転落する砂上の楼閣なのだ。
攻撃のツールがSNSなど非常に現代的なのが観客の危機意識を喚起してくれる。
ラストは「落ちぶれた絶望」ではなく「次なる階梯に進んだ希望」だ。
「権力の楔」から解放されたリディアはもう重すぎる鎧をまとう必要はない。
「過去の音楽」ではなく「生の活気に躍動するこれからの時代の音楽」が彼女を迎え入れてくれた。元々、アフリカの音楽にもヨーロッパの古典音楽にも等しく価値を見いだすリディアだ。
登り詰めた者だからこそ見える次の草原が、彼女の前に広がっていることだろう。
監督はアジアやゲーム音楽を「田舎」「格調低いもの」だとは一切捉えていない。むしろクラシックという「権威の象徴たる過去の亡霊」に対し「今を生きる人達が作り上げる情熱的音楽」と見做している。コスプレは「音楽の為にわざわざ着替える(ドレスアップする)ほどの熱量を持って、音楽に向き合っている」という解釈だ。監督自身がそう語っている。
(モンハンが大好きで、その音楽にも高い価値を見出しているらしい。サブカルを蔑視する傾向はむしろ日本人特有の偏見かもしれない)
ここに記した「テーマ」と「ラストシーン」の解釈は監督とケイト・ブランシェッドのインタビューを参考にしているので彼らが表現したかったものと乖離してはいないはずだ。
彼らがターを通して描きたかったのは傲慢な女性の転落劇ではなくて「権力というものの本質」だ。
さて、ここからはトッド&ケイトへの私なりの回答。
彼らと同様に私もここ数年は「権力」について思索してきた。
私は昔から「7つの大罪」や「マズローの欲求階層説」が「人間と動物を分けるもの」を見いだす鍵になっていると思っている。
原罪やマズローだと少なくとも社会的欲求辺りまでは生命の進化の過程において自己の命を守り、種を保存する種を次世代に残す為に必要な能力が本能的欲求という形でDNAに刻み込まれていると思う。
そこでぶつかったのが「権力・支配欲の謎」という壁だったのだ。
人間関係のトラブル原因は大半がこの「支配欲」ではないか?という気がする。大きいところでは戦争だの、組織だの、イジメだの、ボスだの部下だの奴隷だのって話で誰でも納得だと思うが、小さいところでは「他者に対して腹が立つ」「なんかムカつく」というのも実はこれだ。
「相手が、自分が正しいと思っている行動をとらないから腹が立つ」のだ。
親が子供を叱るのもそう。パートナーに不満が溜まるのもそう。大抵は
「どうしてこうしてくれないの!」という感情に起因するのではないだろうか。
「自分の規範に他者を従わせたい気持ち」それはすなわち小さな「支配欲」なのだ。
この「権力欲・支配欲」というものは、一体なぜ私たちのDNAに刻まれているのだろう?進化の過程で命を繋ぐためのどのような役割があったのだろう?必ず何か「必要」があったはずだ。
その謎を解き明かせた時、我々人類は「権力欲」という罪を克服する事が出来るのではないだろうか?
そうすれば戦争も小さな諍いもない、平和な世界を築けるんじゃないだろうか?
この映画が多様な解釈が可能というのは具体的な案件に関してだ。
「権力」というものをウイルスに置き換えるとジェンダーやら差別やらパワハラやらそんなものは「咳」「鼻水」「発疹」などの「症状」なのだ。
症状への療法については千差万別で多様な解釈や議論が可能だが、本当に重要なのはそこじゃないんだ。
大元の「権力・支配欲」そのものの構造について俯瞰し、大局からその真実を解き明かす為の議論を重ねたい。
トッドやケイトと語り明かしてみたいものである。
トッドは64年、ケイトは69年生まれ。円熟した技量と最高の熱量。
今後、知性、心、技術は更に高みに向かうだろうが、創作にここまでの凄まじい熱量を注ぐ事は次第に困難になってくるだろう。
本作は2人それぞれにとって、彼らの人生における最高傑作になる気がする。
【追記】
最高傑作と言えばヒドゥル・グドナドッティルがこんなに凄いとは驚かされた!ウン十年ぶりにサントラ買うことにする。クラシックではマーラーが1番好きだからターの振る5番が収録されているのも嬉しい♪
大テーマ以外の部分では冒頭からラストまで全編通してユーモアも含む知的小ネタが散りばめられており、興味深いトピック満載でとても面白かった!
「過去の相手」から送られてきたサックヴィル・ウェストの「change」。読んでみたいと思ったけど邦訳でてないや。
レズビアン嗜好は理解し難いがサックヴィル・ウェストとヴァージニア・ウルフは読もうと思った。まぁ、愛の前に性別は些細なことなのかもしれんしなぁ、、、。
ケイト・ブランシェッドの【完璧】な仕事ぶりは驚愕した。生半可なプロ意識では出来るもんじゃない。
私もまだまだ頑張らねば、、、と喝を入れてもらった。うん、がんばろーっとw
ちなみに日本のモンハンコンサート「狩猟音楽祭」にてタクトを取るのは第1回シベリウス国際指揮者コンクールの最高位に輝く栗田博文。演奏は東京フィルハーモニー(大阪公演は大阪交響楽団)
(レビュータイトルは、これと個人的に好きな野阿梓の小説を絡めたものですw)
頂点から転げ落ちる
トップに上りつめた指揮者リディア・ターの栄枯盛衰を描いた、ヒューマンドラマ。
冒頭、いきなりエンドロールのように真っ黒のスクリーンに字幕、そして歌声。
上映ミスったのかと思った。
コロナの話もあるので、時代は現代。
頂点に上りつめた天才指揮者のター、セクハラ、パワハラ、そして告発されて・・・
3時間近い、長編の映画であったが、次から次へと展開され、
あわただしいけど、なんだかあまり理解もできず、
だんだん落ちぶれ、最期はアジアのどこぞへ。。。
途中で退屈になってしまった。
おまけに、英語の字幕は出ていたが、ドイツ語の字幕は少しで、結構省略され、
何を話しているのか、と気になった。
もっとクラシック音楽を聴きたかったかな、演奏しているシーンも。
観る前は、内容良ければ、サントラのCDでも買うか、と思っていたが、
買わずに退場となった。
ただ、これだけは言える。
主人公ターを演じたケイト・ブランシェット、演技はすごかった。
こればかりは拍手もの。
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