TAR ターのレビュー・感想・評価
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音楽は永遠に続く、でも人は
出だしからタイトル、いや、エンドロールみたいな始まりでびっくりです。
そして男性の説明というか、解説に少し長すぎないと少しうんざりしてしまったのですが、インタビューに答えるケイトの姿が凄く自信に溢れていて、格好いいと思ったのですが。
女だけど娘のいじめ問題に、自分はパパよと豪語する姿、自分は大人だ、子供が勝てる訳がないだろう、その姿は普通の人から見たら、ちょっとなんて思うだろうけど。
これは仕方ないというより、彼女にとっては普通なんだろうなあと思ってしまいました。
高みに上ると見方も多いけど、敵も絶体いるだろうから弱みなんて見せられないだろうから。
時々聞こえてくる奇妙で不快な音、同時に精神が不安定になっていく様、パートナーがいながらも心が揺れていくのは、これって仕方ないなあと思ってしまうのです。
いや、彼女みたいな人は男だから、女だからという言葉、括りって足枷というか、首に縄をつけられたみたいな重荷以外の何者ではないのかと思いました。
ラストがとても印象的です。
栄光の舞台から転落したけど、再生、復帰できるのか、観ている側が選択、答えをなんてという感じです。
でも、自分の行く先が天国か地獄かなんてわからない、船を下りるのも自由です、なんて言われて降りる人はいるの。
一度挫折したからまた同じ事になるかもしれない、迷うのは人なら当たり前、でも答えを出すのは自分しかいない。
こればっかりは他人に頼れない、残酷でも目がそらせないのです。
ひとり芝居で充分だった。
ひとり芝居で充分だった。
ケイト・ブランシェットは良かった。
シャロン、フランチェスカ、
ペトラ、そしてオルガ。
脇が全く機能していない。
それぞれ芝居は上手で、
なんとなくリディアの事を、
それぞれ考えているのであろうことは伝わってくるが、
リディアの崩壊に(または、
それを食い止める役含め)、
どう機能させるかまては至っていない。
シナリオというより、
演出というか、
リディアに頼りすぎ。
もともと、シナリオには、
オーケストラのシーンが、
多かったのかもしれない。
それぞれとの関係を、
コンタクトを振るターで、
魅せることはできたかもしれない。
コロナ禍での大人数での、
撮影の大変さは身に沁みて共感できる。
音の演出が素晴らしい
自分はクラシック音楽に明るくないというのもあるが、指揮者というともっぱら男性というイメージを持っていた。しかし、本作で描かれているように、数は少ないながら女性の指揮者もいるということである。古い伝統と格式が重んじられる世界なので指揮者=男性というイメージを抱きがちだが、確かに今の時代であれば、彼女のような天才的な女性の指揮者が登場しても不思議ではない。
リディア・ターは女性で初めてベルリンフィルの首席指揮者になった才女である。このキャラクターには、男尊女卑的な組織に対するアンチテーゼが込められているように思った。
序盤の公開対談や音大における講義のシーンからも、そのことは伺える。彼女はレズビアンのリベラリストである。そんな彼女がクラシック音楽の世界でトップの座に就いたというのは、強い女性像を象徴しているとも言える。
ただ、こうしたジェンダー論は、物語が進行するにつれて、それほど重要な要素ではなかったということが分かってくる。
結局、この映画は栄光からの転落を描く、よくあるドラマだったのである。
トップに輝いた者が背負う宿命と言えばいいだろうか。嫉妬や恨み、陰謀によって徐々に精神的に追い詰められ惨めに落ちぶれていくという破滅のドラマで、映画の冒頭で期待していたものとは異なる方向へドラマが展開されていったことにやや肩透かしを食らってしまった。主人公を女性にするのであれば、もう少し違ったアプローチの仕方があったのではないだろうか。
もちろん、女性にしたことによって、本作は一つの特色を出すことには成功していると思う。これが男性だったら、更に俗っぽいドラマになっていただろう。そういう意味ではケイト・ブランシェットをキャスティングした意義は大いにあるように思う。しかし、ジェンダー論はこの場合はノイズになるだけで、かえってドラマの芯をぼかしてしまっているような気がした。
そのケイト・ブランシェットの熱演は見事である。彼女を含めた周囲のキャストも全て魅力的で、とりわけ後半から登場するチェロ奏者オルガは一際印象に残った。演じたソフィー・カウアーは本職がチェリストで今回が映画初出演というのを後で知って驚いた。若さと才能に溢れた奔放なキャラクターは短い出番ながら強烈なインパクトを残す。
製作、監督、脚本を務めたトッド・フィールドも円熟味を帯びた演出を披露している。すべてを容易に”ひけらかさない”語り口が緊迫感を上手く醸造し、上映時間2時間半強を間延びすることなく見せ切ったあたりは見事である。寡作ながら改めて氏の演出力の高さが再確認できた。
音の演出も色々と工夫が凝らされていて面白かった。チャイムが鳴る音やメトロノーム、冷蔵庫のコンプレッサー、ドアをノックする音がリディアの不安定な精神状態を上手く表現していた。実際に鳴っているのか?それとも幻聴なのか?彼女の中で判然としないあたりがサイコスリラーのように楽しめた。
怖いと言えば、リディアの強迫観念が生み出した悪夢シーンも不条理ホラーさながらの怖さで、画面に異様な雰囲気を創り出していた。
尚、音の演出で重要だと思ったのはチャイムの音である。リディアは部屋の中でその音を度々耳にするが、どこから鳴っているのか分からずそのままにしてしまう。実はその音はチャイムの音ではなく、隣人が発する救命コールだった。映画を観た人なら分かると思うが、彼女がその音を気にかけていたなら、隣人は”ああいう事態”にはならなかったかもしれない。
このエピソードから分かる通り、彼女は基本的に他者の意見、声には耳を貸さないタイプの人間なのである。この情にほだされない非情さゆえに、彼女は現在の栄光を手に出来たのかもしれない。しかし、同時にそのせいで彼女は恨みや嫉妬を買い自身の立場を危うくしてしまった。このチャイムの音のエピソードは、そんなリディアの人間性を見事に表しているように思う。
主演女優賞はこちらにあげたかったと思う熱演。 一回見ただけではいろ...
主演女優賞はこちらにあげたかったと思う熱演。
一回見ただけではいろいろな情報を回収出来ていないんだと思います。
ホラーテイストも好きだけど、期待値が上がりすぎる予告はいただけませんね。
緊張感半端ない
こういうアーティストを扱った映画ってすごい癖があるものも多いよね。
アマデウスとかセッションとか(違うかもだけど
ストーリ的には、凄い展開があるわけでも無いんだけど、その中身がめっちゃ濃いんだよね。
その中で、それぞれの役者さんの演技が相まって、緊張感が半端ない。
気が抜けないんだよね、見ていて。
堕ちていく様も、話だけでなく顔つきが明らかに変わってるんだよね。
そして今作は音楽も注目点かな。
素晴らしいね。
まぁ、最後綺麗に解決とかはしないけど、つい見入ってしまう作品でした。
クソみたいな人間性のヤツが作るぶっ飛んだものに心を動かされたい。
ケイトブランシェットの演技は言うまでもなく素晴らしく。一度も気が抜ける瞬間がないような常に張り詰めている空気感が漂っていて素晴らしかった。
この作品に触れて、クリエイターや何かを作り出す人への社会適合性を求めすぎている世の中について考えるきっかけになった。
最近、ある記事を読んだ。それはピカソの作品の価値がここ数年で急落しているという記事だ。
ピカソは生前女性問題が荒れていたらしく、それがこのご時世に合わなく、価値が急落しているというものであった。
この作品でも同じようなことを感じた。
なんでもバレてしまう社会。多くのクリエイター、表現者には聖人君子でないといけないという世の中になっていると感じた、そんな環境で生まれてくるものは優等生なものしか生まれないのではと感じている。
そんな世の中でも私は、クリエイターのアウトプットのみをみて、自分の感じたことに正直に、作品に感情を動かされたりしていきたいと感じた。
クソみたいな人間性のヤツが作るぶっ飛んだものに心を動かされたい。
ミステリーホラー色々な問題を孕んでいる
あまり知識を入れず観たのだけど、
ミステリーホラーの雰囲気で、
謎が散りばめられてるので最後まで
頭がグルグル回りながら集中力高く観る事が出来た。
全てのカットに意味があり、
不自然な行動にも意図があるのは分かるのだけど、
それを汲み取ろうとしてもほとんど理解が出来なかった。
女性の立場、性的マイノリティに向けられる視線。
嫉妬、孤独、色々問題が孕んでいて
どんなエンディングが用意されているのかと、
観ていたのだけど、
ラストは何を意味していたのだろうか?
ただ堕ちていく主人公、と言うわけではないはず。
ケイトブランシェットの演技は言わずもがな、
傲慢なマエストロにも見えるけど、
孤高である事の孤独も感じられた。
彼女の隣には常にパートナーがいるのだけど、
孤立しているように見える。
映画館で観たのだけど、
帰りにスーパーマリオのお客さんと一緒になったのだけど、楽しげな客と、何が言いたかったんだろ?と
呟くお客さんのコントラストが面白かった。
解説を見て振り返りたいと思います。
ワケ分からん★★★(1回目)→なるほど★★★★(2回目)
2回観た感想です。
1回目 ★★★
終始ねむい、ワケわからん😪
サイコロジカル・スリラーって書いてあったので、もっとホラーっぽいかと思ったら、不穏な感じ、不可思議な演出、が少し…
期待していたが、開始そうそう眠くなる眠くなる(笑)
静かで退屈なオープニングで感じた予感どおり、静かで小難しい映画。
40分ぐらい切れるだろ!と思える、ムダに長く感じるシーンばっか。
2回目 ★★★★
なるほど🤔
YouTubeで、町山智浩さん&藤谷文子さんの解説動画、その他の方の解説動画、を観てから、再観賞。
細かい演出や物語の内容まで、よく分かり、面白かった。
ホラーも、けっこう入ってたのね(笑)
結論…
たぶん、1回じゃ分からないと思われ。
1回観てから解説も観て、2回観る事をオススメします。
冒頭で分かるので、ネタバレじゃなく言いますが、ターはレズビアンです。
それを念頭に、察しながら、目を見開き、頭を回転させながら、観て下さい(笑)
僕は、もう1回観たいです(笑)
ラスト10秒からエンディングロールラストまでが、凄すぎる!
クラッシック音楽🎵に疎い私には
ラストまで、難解な映画でした。
が、しかし
ラストシーンで、わかりました。👍😅
クラッシック音楽は
知識や作曲家を理解することではない
(楽器を操り、奏でることではない)
感覚の世界
こそが、醍醐味なんだと。
ラスト10秒で始まる演奏曲
(作曲者は大阪にいる人らしいです)
日本のアニメ世界観
の中で使われる音楽🎵
に、クラッシックの可能性を
示唆しているかのようです。
エンディングロールの最後の最後
の"終わり方"が
カッコ良すぎます😆
余談ですが
広告業界で"クリエイティブディレクター"
を、名乗っている
技無しの輩には
自害の念をこめて
見て欲しいものです(笑😆)
ケイトブランシェットに魅入った160分。
映画のオープニングにはいつもワクワクするのですが、黒い背景の中、いきなりエンドロールのような文字が流れ、タイトルも小さくTARと表示(その前の、日本語のTARがデカすぎたので、その対比に苦笑)、場面が切り替わるとインタビューシーン。いやぁ、ググッと惹きつけられるオープニングでした。
楽団の演奏以外は挿入音楽はほとんどなく、一方で、効果音は多用されており、臨場感や緊張感が半端なかった。
ターという人物が実在していて、その生活をのぞき見しているようなリアリティがありました。
そのリアルティを体現したケイトブランシェットの演技がすごい!
長い・わからない・面白くない 三拍子揃った大傑作
罰ゲームでした。上映開始一週間でお金払って観た人ばかりだから評価は高めですけど「何か面白い映画ない?」って聞かれて10人に薦めたら9人に背中から袈裟懸けで斬り殺されます。一部の評論家やマニア向け、一般的には面白くないということは自信を持って言い切れます。
①長い:2時間半は拷問、行きたくもないのにトイレに行って時間を潰しましたが、大勢に影響はありませんでした。1時間半で十分。
②わからない:あらすじ読んでから観たのに、なんだかさっぱりわからない。PTAやノーラン選手のような狙った分からなさではなく、下手くそでわからない。セクハラもパワハラもレズも、別に許容範囲の程度で 過剰反応しすぎ。「だから?」ってとこです。何言いたいの?
③面白くない:話に盛り上がり無く、ユーモアなし、平坦にグズグズ続くだけ。そして暗い。開始早々からつまらなさトップギア、1ミリの面白さもなくそのまま最後まで駆け抜けたのはお見事。
久しぶりの最高傑作、この素晴らしさ「パワーオブザドッグ」に似てる。
ター
クラッシック音楽の知識必須。最低でも学校の演奏部くらいの経験が必要。
それくらい敷居が高い。
いわゆる「映画コメンテーター」とか自称している輩のレビューはシカトで観る/観ないを判断することをお勧めする。
「ブランシェト」の演技だけを観に行くのは可。10年に1回の演技。素晴らしい。あそこまではなかなかできない。
主演女優賞は「ブランシェト」だったな。最近は変な忖度は付き纏って更に映画がつまらなくなったが、あそこまでやって賞を貰えなくなると役者が可哀想だし将来の映画の内容が低下するだろう。
トッドフィールドは人の内面を掘り下げるとか曝け出すのが好きだが、これはかなりピンポイントな人の掘り下げ。なので作り手の取材もかなり高い。
交響楽団の指揮者の話なので徹底的な指揮者のリサーチに基づく「ブランシェト」の演技は重ねて必見である。(但し、前述のとおり楽団関係者でないと所作の意味合いまでは理解出来ない。)
無知でも楽しめる「アマデウス」とは違いこれは交響楽団に関わるくらいの人間でないとついていけず飽きる。
俺も不覚にも2回寝てしまった。
あっちの映画も2度寝したが・・・。
俺みたいな「映画音楽かじり」くらいな奴では理解は出来ない。
なんたって、「ジェリー・ゴールドスミスの『猿の惑星』は〇〇の盗作よね。」ってマニアな台詞の中の“〇〇”を知らない俺は、思わずスルーしてしまい今だにピンときていない。
「ゴールドスミス先生」の代表作でアカデミー音楽賞ノミネートの曲に対しての台詞に何の反応も出来ないのは非常にまずいので、勉強しに再度映画館に行かせて頂きますよ。
出る杭は打たれる
クラシックに詳しいわけではないけれど
いくつか楽器を演奏してきた経験があるので
オーケストラの練習シーンや迫力ある演奏シーンには
酔いしれます。むしろもっと聴きたい・見たいとさえ
思いました。ステージの上のあの緊張感を思い出し
懐かしさも感じたので、その辺は物足りません。
ター(ケイトブランシェット)が天才であるが故に
絶対君主的な言動が鼻に付く人も多いみたいですが
女性がそこまでの地位に立つには、
能力があるだけでは無理な世界だと思うので
如何に努力を積み重ねてきたか視点を変えてみると
もっと違った見え方があるのではないかと思います。
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全体的にターの悪評ばかり目に付きますが
ジュリアード音楽院での授業で、
頑なにバッハを認めない
男子学生(音楽的理由ではなく)に、
懇々と辛抱強く指導するシーンは
むしろ学生のためを思っての指導であり、
そこを理解しきれない学生が悪態をついて
退出する時には「お前に指揮者は向かん!!」と思ったし、
おまけに緊張か苛立ちからか終始貧乏ゆすりをする彼に
わたしならブチギレる自信があります🤣(笑)
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副指揮者セバスチャンを更迭も、理にかなっていたし
一方的な更迭ではなく、きちんと対面で会話をし
理由は明言しなかったけれども、とても良心的な配慮が
見て取れた。
※副指揮者なるものが存在するという事を本作で
知りました。
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要するに、彼女の才能に嫉妬し、己の才を過大評価する
何者かたち(複数だと思っています)によって陥れられた。
そんな印象です。
まぁ多少のセクハラはあっただろうし、自分の立場が危ぶまれる相手
クリスタの存在は目の上のたんこぶだったため
各楽団に批判的なメールを送り付けていたのもどうかとは思うが…。
それでもそんなことをするなんて、格式高い業界こそ普通にあるでしょ
(偏見ですw)
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自信と誇りをもっていたベルリンの指揮者としてのプライドから
あの行動に出たのは至極納得する。自分の首を絞めるはめには
なったけれども、それでも彼女は強い。
クラシック界から新しいジャンルの音楽の世界でまたその名を
轟かせるスタートになったと思う。
究極の演技と エッ!てなるラストについて
サスペンスや心霊現象やホラー要素まである人間ドラマで内容がクラシックの指揮者ですがEGOTを成し遂げてる人物という事なので説得力のある人物って相当難しいし普通に考えて適合者がほぼ居ないと思いますのでケイトブランシェトで完全に正解だったと思います。
2回見ないと理解出来ない構造になっているしクリスタが赤毛とか言っててそれが前半結構映ってるみたいですが全くわからなかったんですが2回目の鑑賞だとクリスタが居るのを確認できましたが初見で気づく訳無いように仕掛けられていて複数回見る事で新しい発見があるように作品が作られているのは凄いですね!
あとクライマックスのブン殴りに行く時のあのヤバイ顔は撮影スタートって言われて作れる表情じゃなくて多分二日位寝ないであのシーンの撮影してるんじゃないですかね演技で出来るレベル超えてますよ!
あと2回目の鑑賞で気付いたんですが
最初にクリスタがターに送った本に書いてた模様と
クリスタが死んだ後にターが寝てたらメトロノームが勝手に作動していたシーンのメトロノームのフタの裏の模様が一緒なんですね! 心霊現象と捉えるか無意識のうちにターが自分でメトロノームを動かしていたのかはハッキリとは描かれていませんが クリスタの件で精神が病んで来てるのは間違い無い描写ですね。
シーンをとうして深掘り出来る部分が多くて 監督天才過ぎというか変人です
あとエンドクレジットをわざわざ最初にやってまでオチをモンスターハンター元ネタでほとんどの観客が分からなくて困惑してる状態で勢いよく終わらせて観客を置いていく演出は凄かったですね。
まあアレを単にへーって言って終わるかだから何?ってなるのかアジアを見下した終わり方って思うか何故いきなりコスプレ劇場で終わり?ってなるのか答えを明確に示して無いからみんな違う意見の時点で監督の意図通りだと思いますので作戦成功でしょうが大抵の人が良いって言う手堅い作品にはなっては居ないとは思います。
とりあえずケイトのミリ単位の演技を延々と堪能出来るだけでも価値のある作品なのですが逆に演技の上手さなどを映画を見る際に注目してない人は見なくていい作品だとおもいますし考察部分が相当多く画面をよくみないと気づかないヒントがあるし最初の30分くらい延々とクラシックを知らないと完全に分からない会話を無限にしてるので辛いし眠いしあまり考えないで見るとわけわからんしつまらない単調な映画ととらえられてもしょうがない作品なので全くお勧めできません。
とはいえ自分は今年見た作品では対峙とターは恐らくこれからまだまだ新作の映画みるだろうけど ほぼ年間ベスト3には絶対入るってくらい凄い作品だと思ってます、久しぶりにカッコいい悪のカリスマに出会った感あって近年ならホアキンジョーカーくらい凄かったです!
相当な玄人向けの作品なのは間違いないです。
あとさっき町山&藤谷のアメTUBEってやつのネタバレ解説見たんですが完璧に全く気づいて無い事だらけで
ビックリしました。
まあそんなの絶対にわからないしセリフ見て言った人物の事を細かく全部調べないとわからないレベルの解説あるんで好きな人は絶対見たほうが良いですよ
お主ナトゥはご存じかの後継ぎですがそっちにかなり具体的に書いているのでよろしくです。
これサブスクで配信開始になるか販売されたらブルーレイなどで
一時停止とかして検証しないとダメなくらいの情報量の作品なのがどんどん浮き彫りになってきてるので
今後そういう作業するのが楽しみですね。
しかしこんなに長い時間の作品で群像劇でもないのに
ターのみを追っかけている割には無駄なシーン全く無いのも驚異的だと思うっす。
あと2回目を見ると ラストの強烈さが更に際立ちますね!
更に言うと娘ちゃんがカーテンの中に居る時にお化け見てたっぽいシーンの前にも娘ちゃんはオモチャでクリスタがターに送った本の模様を作っていて完全に心霊現象ですねアレは!
ナトゥとナトゥ2のターの感想合わせて見たらターの3割くらいは分かるのではないでしょうか。
最後に パンフレットを買って無いので購入がてら2回目の鑑賞に近日中に行こうとおもいます。
色々調子悪い事起こって前のところに戻れなくなったのでナトゥ2でこれから感想書いていきます!
まさかのモ○ハ○エンド
何だろう?一言でいうと中途半端。
孤高の女性指揮者リディアが冒頭トークショーで何言ってるか全然わからん高尚な音楽理論?思想?を足組んでダラダラお喋りになりーの、娘を虐めてたガキンチョに圧をかけーの、指導先音大で意識高い系貧乏ユスリ音大生ニキの鼻先をボリッとへし折りーのと、まー此処まではヤリ手女の(意地悪)充実ライフだったんですが、若手女性指揮者を自殺に追い込んだ事を切っ掛けに、信頼していた助手の裏切りやらパートナーに愛想付かされ娘とも会えなくなりーの、追い詰められて知り合いオッサン指揮者に突如殴りかかってベルリンを去る事に。
途中メトロノームの音が気になったり、ロシア女の後追って地下廃墟で襲われたりするのって何かの伏線かと思いきや何もなし、、、。
挙げ句、どこぞの東南アジアでモンハンコスのコンサートで終わるって何ですかコレ?
ハッキリ言って、しょーもない映画だったが、隣人に騒音の苦情言われてヤケクソになりアコーディオン掻き鳴らして隣人の悪口歌うシーンだけは涙が出る程笑ってしまったw。
行ったタイミングが悪かった(タイムリー過ぎた…)
まったく予習無しでいったのだが、観続けるにつてれ歌舞伎の猿之助さんスキャンダル&事件が頭の中で巡り続けて、いまいち作品に没頭できなかった(笑)
前半のセリフも長くて字幕追いきれなかったし、有料パンフレットも欲しいしのでもう一回観に行くしかないな
ケイトが全身全霊で魅せる
ダイナミックで繊細なひとつの芸術品のように、タクトの先から広がりホールを駆け巡る音のきらめき
作り手と受け手のその場の空気を一体化させ束ね織りなす天才的カリスマ指揮者のストイックさが産む技
それは脚光の裏にある妬み嫉みを跳ね除ける類稀な集中力と努力の賜物でもある
反面、孤高の闇が本人も知らないうちに疲弊させる心
現実と妄想が入り混じる緊迫感あふれる場面が重なり暗雲が立ち込める
加えて消えないイメージは肥大し続け形のない凶器となり突き刺さる
それでも止まない精神力はそれすら燃料にして走る
積もる灰にうもれていくのはあどけなき夢の跡
あのときTARがこぼす涙
その穴は誰が掘ったのか
その影は何がつくったのか
自分を離れ勝手に育っていくオーラに、見失わないものを保つのがいかに難しいことなのかを感じる
そして、そんな荒波をも超え遂げていく稀有なひとびとの存在も頭をかすめる
すうっと一呼吸おくとそこには讃えるべき同じにおいがすることに気がつく
純粋なものに触れて再生するはじまりの記憶
TARは確かにチャンスの前にいる
私たちは、他を傷つける愚かさに呑まれやすい人間だ
知らぬ間に加害者になっていないか
前を向き過去から進もうとする人を見守ることを忘れてはいないか
身近なことにも置き換え、そんなことも問われている気がした
リアリティのあるクラシック映画だが、あまりにネタが生臭くてくたびれました……
先に観に行った会社の後輩に「まさに●●さんのための映画ですよ」とか言われて、じゃあなるべく早く観るよ、と慌てて行ってきた。
たしかに、僕はマーラーをこよなく愛している。
年間100回を超えるクラシック鑑賞のうち、10%はマーラーの演奏会だ。
1980年代までのマーラー演奏のCD音源も、90%くらいは蒐集できたと自負している。
交響曲第5番は、第9番ほどではないにせよ、とても好きな交響曲だ。
しかも、主人公のリディア・ターは、レナード・バーンスタイン(愛称レニー)の弟子という触れ込みらしい。
さて、あの若い男が大好きだったレニーが女の弟子なんかとるもんかしらん、と思わないでもなかったが、いざ観てみたら、思っていた以上に「そっち方面」の話に深く食い込んだスキャンダラスな映画だった。
結論からいうと、さすがにちょっと生臭かったかな?(笑)
あまりにセクシャリティとMeTooの問題にのめり込み過ぎてて、音楽家としての苦悩とかの「ぜひ観てみたかった」話が3、同性愛やら告発絡みの「僕にとっては関心の薄い」話が7くらいの割合になってしまっている。
このバランスが逆くらいの仕上がりなら、もっと素直に楽しめたんだろうけど。
なんか、よりによって猿之助があんなことになっちゃった日に、
よもやこんな内容の映画を観るはめになるとはなあ、と
ちょっともやもやした気分に。
単なる同時性ってやつかもしれないし、ジャニーズ、歌舞伎、クラシックなど、旧弊な芸事における「支配者による性的搾取/表面化しにくい同性愛の性被害」に世界的にメスが入り始めた時代のただ中にいるということかもしれないが、現実ですでに猛烈にいたたまれない、報われない気分になってるのに、さらに追い打ちをかけるように映画でまでおんなじような話を観させられるとね……。
この映画の前提として、
●クラシック業界には星の数ほど同性愛者がいて、無視できない勢力を形成していること。
●レニーもバイセクシャルで、自ら「芸術家はホミンテルンじゃないとな」(ホモ+コミンテルン)とか言ってたこと(弟子も大植英次とか佐渡裕とか……)。
●近年、女性指揮者の進出が目覚ましく、ようやく女性の常任指揮者も増えてきたこと(昔はシモーネ・ヤングくらいしかいなかった)。
●ベルリン・フィルの常任指揮者は、大戦中のフルトヴェングラーから、カラヤン→アバド→ラトル→ペトレンコと引き継がれていて(映画で出てくるリディア・ターの前任者は架空の人物)、フルトヴェングラーは戦争協力者として訴追されたこと。
●カラヤンは1982年にクラリネット奏者のザビーネ・マイヤーを強引にベルリン・フィルに入団させようとして、当時100年近く「男性だけのオケ」でやってきた楽団員と対立し、マイヤーは入団できず、カラヤンとオケの蜜月も終わったという事件があったこと。
●ベルリン・フィルは自主運営の団体で、指揮者の選定から広報まですべてを楽団員自身が民主的に決定し、自ら業務にあたっていること。
●MeTooの流れはクラシック界でも席捲して、アメリカではドミンゴ、デュトワ、レヴァインなどの追放者が出て、コンセルトヘボウでもガッティが追い出されるなどしたこと。
といった、業界基礎知識がないと、なんでこんな話になっているのかよくわからないんじゃないか。ちなみに、目覚まし代わりに流れるショスタコーヴィチの交響曲第5番「革命」のオーラスで、リタルダンドをかけてリディア・ターに「性行為の喘ぎ声じゃないんだから」みたいなネタをかまされているマイケル・ティルソン・トーマスも、バーンスタインの弟子であり、かつカミングアウトゲイである。
全体に、実在の演奏家に対して、ずいぶんと「失礼」な映画ではある。
「失礼」だという言い方が耳障りならば、えらく「攻めてる」映画だなあと。
リディア・ターが脚でマーラー5番のレコード盤を「仕分け」していく印象的な冒頭のシーン(最後に残されているのは、レニーとアバド)や、実名で性犯罪者呼ばわりされるドミンゴ、デュトワ、レヴァイン、明らかに男色ネタを匂わせながら名前を引き合いに出されるレニーやMTTなど、個人的な印象でいえば、存命者もいるのに「よくこんな失礼な取り上げ方、実名出しながらできるな」と思わざるを得ない。
ベルリン・フィルも(映画内でモロの実名が出てたかは定かではないが)よくこんな映画で自分のオケが使われること許可したよなあ、と。たぶん、逆に長年女人禁制でやってきたことへの贖罪とか、ちゃんと近年のポリコレ機運には対応してるよとアピールしたかったんだろうけど(ちなみに実際に演奏したりしているのはドレスデン・フィル。マーラーだとケーゲルとの第1番のセッション盤と第3番のライブ盤がつとに名高い)。
なんにせよ、ニューロティックだとかひりひりするだとか、サスペンス的要素を評価する以前のところで、とにかく監督の「底意地の悪さ」がじゅくじゅくとにじみ出てるんだよね(笑)。
なんで、この文脈で実名出さないといけないの、みたいなのもそうだけど、
話のつくりにしても、全体にわたってかなり嫌~な話で、出てくるやつはみんな勝手なうえに精神不安定のメンヘラばっかり、どいつもこいつもターへの依存度が高いわりに、簡単に裏切るし、寝返る。「情」を感じさせる人間がどこにもでてこない。
あまりに同性愛絡みの話にねちねちと執着しているのも観ていてしんどいし、ちょっとでも問題が明るみに出たら寄ってたかって引きずりおろしにかかるキャンセルカルチャーも十分気持ち悪く描かれていて、このノリを150分の長きにわたって観ていると、だんだん心がうんざりしてくる。
観る前はダーレン・アロノフスキーの『ブラック・スワン』(2010)みたいな映画なのかな、と思ってたんだけど、あの作品ほどヒロインに感情移入させてから揺さぶって来る作りじゃないから、超優秀だけど高圧的なオバちゃんが、はめられてボロボロになってくのを観てても、そこまではまれないんだよなあ。いや、ケイト・ブランシェットはマジで凄いけど。
とはいえ、声高に性的虐待やLGBTQやMeTooを主張する側の論理と、それによってキャンセルカルチャーに攻撃される側の論理については、どちらも相応にバランスよく配されていた気はする。
たとえば、ジュリアード音楽院のレクチャーで、バッハが20人子供を作ったドイツ人男性だから受け入れられないと主張する黒人のゲイは、明らかに「ばか」で「くだらないやつ」として描かれていて、リディア・ターにこてんぱんにいじり倒されて留飲がさがる(あとあとここにも落とし穴が待っているのだが)。
また、フルトヴェングラーのナチ協力者疑惑についても、それなりに擁護者側からの反論が紹介されていて、視聴者に最終判断を預ける形をとっている。
とはいえ、「こんな話ばっかり頭から終わりまでしつづけている」こと自体が、観ていてしんどくなる理由だともいえる。
― ― ― ―
肝心のマーラー交響曲第5番のリハーサル・シーンは、なかなか見ごたえがあった。
大学生時代、学内オケに所属していた先ほどの会社の後輩も、「リハーサルシーンはすごい臨場感で、ほんとのリハの現場に居るみたいでした!!」と言っていた。
マーラー5番のリハについては、レニーがウィーン・フィルとの映像全集を作ったときのものが残っているので、たぶん映画製作者も結構参考にしていると思う。
あのレニーのリハ映像で、第一楽章冒頭のトランペットソロの12小節目、一般に「吹き癖」で直前の付点につられて「タッタタター↗」と節をつけがちなのを、ここは三連符だからちゃんと「タタタター↗」と吹くようにとレニーが指示する印象的なシーンがあるのだが、一応リディア・ターの演奏でもちゃんと「タタタター↗]となっていた気がする(少し怪しいけど)。
終盤出てくる「別の指揮者」の演奏だと、思い切り「タッタタター↗」になって聴こえるので、そこはやはり「わざと」差異を強調してあるのかもしれない。
ただ、冒頭のトランペットを下手袖のバンダ(別動隊)にするアイディアは、スコアや演奏効果を考えるかぎり、個人的にはあまりいいアイディアとは思えないけど……(最初のffのところでやっぱりTpの音は壇上から客席に突き刺さらないとダメでしょう)。これまでに誰か、こういう趣向やったことがあるんだろうか? たぶん、交響曲第1番の第1楽章のバンダに発想を得ているのかもしれないが。
ターのアプローチは、フレーズが引き伸ばされていてアタックも激烈で(とくに2楽章の入り)、アバドやラトル以降の趨勢から比べるとかなり主情的だ。師匠とされるレニーのスーパーロマンティシズムを引き継いでいるといえるだろう。
ライブの前半で演奏するエルガーのチェロ協奏曲は、劇中でロシア人チェリストが憧れていると言及してきたジャクリーヌ・デュ・プレの得意曲。彼女は難病に犯され早逝したが、リディア・ターが名前を挙げた、当時の夫ダニエル・バレンボイムとフィラデルフィア管がバックを支えたライブが残っている(バルビローリとのスタジオ録音もある)。
いずれにせよ、クラシックを題材とした作品だと、なんでこんな設定にするのだろう? という映画もたくさんあるなか(なぜかコンサートのメインが協奏曲になってる『オーケストラ!』とか、指揮者の勝負曲が「マタイ受難曲」の『ポンポさん』とか)、ちゃんとリアルな演奏シーンを緊迫感をもって仕上げてくれたのは素晴らしいと思う。
また、オケが崩壊したり指揮者が退任するのが、たいてい「人間関係」か「性的なもめごと」だという「クラシックあるある」をきちんと踏まえた内容になっているのも良い感じだ。基本、クラシック業界ネタ映画としては、今までないくらいの完成度だと思う。
その他、気づいた細かなことなどを。パンフを買い損ねたのでよくわからないことも多いんですが。
●会社の後輩から「TAR」が「ART」のアナグラムじゃないか、という話は事前に聞いていたが、作中で何度も実際に、ターや助手がアナグラムで人名を綴り変えるシーンが出てくるのね。これ、レニー由来で、ユダヤのカバラと関係あるんだろうか?
●冒頭からしきりにターが手を洗う描写や、おまじないの九字みたいなのを切るしぐさ、不眠、薬漬け、冷蔵庫の音が気になる描写などがあって、彼女の潔癖症ぶりや虚勢、神経質な部分、支配欲などが端々の描き方でうまく出るように作られている。
●音響はいろいろすごかった。とくに異音やノックの音、咳などが、映画館の右後方から飛んでくるので、最初ほんとに観客のノイズかと。今はこんなことできるんだね。
●各シーンのつながりをぶつっとした感じにして不安を煽る編集や、廃墟の怪しげな描写、奇怪な隣人など、アロノフスキーやデイヴィッド・リンチぽい部分も含めて、雰囲気は良く出ていたと思う。ただ、いまいち意味のとりにくいショットが多いんだよな。
●最終盤に、ターが自宅の隠し部屋みたいなところで、レニーの「ヤング・ピープルズ・コンサート」のビデオを見て涙を流すシーンがあるが、あれ再現だよね?(声も顔もレニーとちがう気が) 総じて、ターがレニーの弟子っていうのも「眉唾」というつくりに映画はなってて、もしかするとこの録画テープを何度も何度も見ただけかもという疑念も……。
あと、家族の呼びかけで「リディア」が本名ではないふうな描写があって(それとも綽名で呼ぶのをやめただけ?)、リディア・ターというミューズが、片田舎の少女が背伸びをしてつくりあげた「虚像」であることがよく伝わる。
●ラストは最初虚をつかれてトンデモエンドかと思ったが、そのままエンドロールを見ていて「どういうコンサートで客が誰なのか」は理解した。なるほどその手のをやるところまで……って話なのね。そんな曲でも「作曲家の意図は?」とか言ってるのがまた切ない。でも、ポリコレの重要な本作で『地獄の黙示録』みたいな流れになるのっていいの?(笑) レズ性風俗も含めて、70年代映画の東洋見下してるトンデモ感がプンプンするけど。
強い者イジメ
今回は一部ネタバレしていますが、元々ネタバレという概念が意味を成さない作品でした。
いやぁ~、中々の曲者映画でしたねぇ。
なんか、鑑賞者(社会)をかなり挑発している様にも思える作品で、まるで映画鑑賞偏差値を測られている様にも感じられ、映画ファンにとっては下手な感想は書けないというプレッシャーまで感じてしまう作品でした。
なので、そこそこ映画好きを自称している人たちは褒めるしかない様な構造の作品でもあって、私も観終わって思わず唸ってしまった一人です(苦笑)
本作の主人公であるターという人物像は、映画の情報でちゃんと見せていてそこに嘘はないが、それはあくまでも断片的なピースであって、観客はその情報を繋げて全体像を想像するのであって、下手に断定的な解釈の感想になると「こいつ、なにを見ているんだよ」って話になってしまう怖さがある作品なのです。
そこで、今回は何故こんなにも観客にとって意地悪な作品を撮ったのか?を、私なりに考えてみました。ちょっと長くなるかも知れませんので悪しからず。
それはけっこう単純に、今のマスメディアやネット社会の全世界的に共通した問題に対する問題提起であり、異議申し立てだったように思えるのです。
まず、その問題点を箇条書きで挙げると
・信憑性のない情報
・情報の漏洩
・プライバシーの侵害
・匿名性の悪用
・依存症の問題
などが代表的な問題点ですが、本作でも上の4項目でターの精神は壊されてしまいました。
ネット社会ではこれを“キャンセルカルチャー”と表現している様で、意味合いとしては「特定の著名人などを糾弾し社会から排除しようとする動き」のことで、現実社会でも下種な芸能不倫ネタから“ミートゥー運動”まで様々な事例で溢れています。
ターは人格的に見るとかなり問題はありそうだし、全面的に応援したくなるようなタイプでもないが、ここまでやられなければならないのか?を考えると、やはりやられる側よりもやる側の方が病み(闇)が大きいと思います。
本作ではターの仕事とプライベートが交互に映し出され、仕事に於いては才能を遺憾なく発揮し大きな問題はなく、むしろ周辺の愚鈍さが目立つほどで、プライベートの方は曖昧な情報しか映画では得られないが、彼女に関わって不幸になったとしてもその責任は五分五分の筈。
それでも普通の(才能)の人々は、特別な(才能)にヤッカミ、嫉妬し抹殺しようとする。
私は彼女の様な人間に好意は持てないかも知れないが、才能は才能として認めたい方の人間なので、例えば冒頭の生徒への指導のエピソードも真っ当な指導だと思えたし、逆に生徒の方が何百年前の大作曲家に対し、その当時の文化や世相や常識を無視し、今現在の己の価値観だけで作品までも全否定する姿こそ、上記の問題点を象徴するようなネット民寄りに感じてしまいました。音楽偏差値の低い私でもそう思ってしまいましたよ。でも、あのシーンを見てあの子が可哀想と思った(映画偏差値の低い)観客も結構いるのでしょうね。
正論に対して“クソ女”としか返せない幼稚さや、周囲の学生もあとで盗み撮りの編集動画をUPする矮小さなど、音楽の超名門校の生徒ですら、特別な才能との違いにはこの程度の行動を起こしてしまう情けなさに加えて憐憫まで描かれていました。
まあ、刺さるか刺さらないか別にして、とにかく今を描いた傑作であることは間違いないのでしょうね。
とりあえず、私はケイト・ブランシェットのファンなので、彼女の演技を堪能できただけでも満足でした。
ラストシーンは意味が分からなかったのですが、後で別の人のレビューを読んで理解しました。どうせなら、あのシーンは日本で撮って貰いたかったですねぇ。
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