TAR ターのレビュー・感想・評価
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2回観て分かったこと、分からなかったこと
今年の米国アカデミー賞で、作品賞ほか6部門でノミネートされた「TAR/ター」が、満を持して日本公開されましたので観に行って来ました。アカデミー賞では、本命「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」が作品賞や監督賞、主演女優賞などを獲得する結果となり、対抗馬と目された本作は無冠に終わってしまいました。しかし現実社会の諸問題とクラシック音楽業界の諸問題を見事に融合させた本作の出来栄えは、エブエブに負けず劣らず驚嘆すべき仕上がりとなっていました。
ただ、巷間言われているように、実に分かりにくい作品であることもまた事実。普通なら1回観て分からなければそれでお仕舞いなのですが、見落としたことがあるんじゃないか、見落とした部分に実は面白さが埋まっているのではないのかと思い、1週間置いて2回目の鑑賞をしてきた上での感想を述べたいと思います。
まず本作の「分かりにくさ」というのは、第一にジャンルが特定できないということが原因なのではないかと思います。公式パンフレットによれば、「サイコスリラー」とされていますが、この範疇だけに収まる作品では勿論ありません。それではどういう作品なのかと言えば、キャンセル・カルチャーやジェンダー論を扱った点では社会派ドラマであり、映像や音声の不気味さに注目すればホラー映画とも言えるし、権力を握った人物の横暴やそれに振り回される組織を描いた点を観れば政治ドラマでもあり、さらにはクラシック楽団の内輪話を克明に取材している点を観ればお仕事系ドラマであり、またこれが個人的には一番しっくり来るのですが、映画というツールを利用した芸術論でもあるとも言えるのではないかと思えました。こうした多様な要素を含んだ作品であるため、観る者によってはどこに注目していいのか分からず、結果的に理解不能、詰まらない作品だと思ったとしても不思議ではないと感じたところです。
また、英語が分かる人ならまだいいのかも知れませんが、基本的に字幕を追う当方のような観客にとっては、セリフを読むのに忙しくて、肝心の映像が頭に入って来ず、結果良く分からないというドツボに嵌るケースもあるんじゃないかと思えました。現に私も最初に観た時は、字幕を読むのに必死で、かつクラシック用語や作曲家、演奏家の名前がちょくちょく出てくることで、都度都度消化しきれない部分がありました。
何やらネガティブな要素を並べてしまいましたが、1回目の鑑賞後に各種解説を読んだり観たりした結果、前述の通り見落とした部分が多々あるのではないかと思うに至り、それを確かめるために2回目を観に行った次第です。その結果、各種解説の力を借りたことも手伝って、新しい気付きが結構あって、評価は一変しました。
というのも、1回目の時は、主役を演じたケイト・ブランシェットの熱演には大いに拍手を送りたいと思ったものの、彼女が演じたリディア・ターの傍若無人で自己中心的な振る舞いには正直不快感しかなく、全く感情移入できませんでした。ところが周辺知識を得て、さらにはストーリーも一通り頭に入った上で観ると、最終的にリディア・ターが実に魅力的な人物に観えて来るのだから面白いものです。
何故そうした変化が起こったのか?例えば劇中、ジュリアード音楽院での講義のシーンで、父権主義的で20人の子供がいたバッハを全否定する学生とディベートするリディア・ターは、「バッハに20人の子供がいたことと、彼の作品の芸術性に何の関係があるのか?」と言って大作曲家としてのバッハの作品と才能を称えます。この学生とのやり取りがスマートフォンで撮影され、後々リディアが窮地に追い込まれる原因となる訳ですが、芸術家の個人的な所業と作品の芸術性を紐付けていいのかというのは、実に興味深いテーマでした。勿論このやり取りを以ってリディアが良い人であるなどと言うつもりはありませんが、自身の芸術家としての自負をバッハに重ねる自信と、それを裏付ける実績には、一聴に値する論だと言わねばならないでしょう。
昨今過去の言動が掘り起こされてバッシングされるアーティストがいて、一時的に彼らの作品がメディアから忌避されるということがあります。これが「キャンセル・カルチャー」という奴ですが、バッハの個人的な生き方が断罪され、それによって彼の作品群が否定されるなら、現代音楽の根底が崩れる可能性すらある一大事となります。でも現代的なジェンダー論とか人権感覚を以ってバッハを断罪することが優先されるなら、それもまたあり得るということになる訳で、事は非常に複雑と言えるのではないかと思います。
折しも歌舞伎の市川猿之助さんが、週刊誌でゲイであることや、後輩やスタッフに対してセクハラやパワハラを行っていたことが暴露され、ご本人が自殺未遂を図り、ご両親が(恐らくは)自殺されるという事件が起きました。ゲイであることや、後輩やスタッフにセクハラ、パワハラしているというのは、まさにリディア・ターそのものな訳ですが、仮にこの自殺事件が起きなかったとして、明治座での公演はどうなったのか、来月公開される映画「緊急取調室」はどうなるのかなど、リディアの提示する芸術論は、まさに今現在起きている現実の問題であるというところが凄いところでした。
また、スリラー、ホラー的な部分に着目すると、リディアを追い詰めていく首謀者が誰であるかが、最後まで明かされずに映画は終わります。この辺りのモヤモヤ感が、評価を下げる一因にもなり得るようにも思えましたが、鑑賞後に観客に推理する自由を与えてくれたと思えば、逆にありがたいことだとも思えます(ちょっと強引だけど)。また、みんながスマートフォンを持っている現在、リディアほどの有名人ではなくとも、誰しもがネットに動画を晒されるリスクを持っているので、その辺りの怖さを改めて気付かせてくれる作品でもありました。
以上、2回観た感想を長々と書きました。2回観てすら、最後にリディアが舞台上で起こした暴力事件の経緯が理解できないのですが、それは3回目に観る時の課題としたいと思います(3回目がいつかは分からないけど)。いずれにしても、最初に書いたように一つのジャンルに絞れるような作品ではないため、感想も十人十色だと思います。私としては、特に芸術論の部分に興味が行ったのと、あとは何と言ってもケイト・ブランシェットの熱演に脱帽させられました。
そんな訳で、評価は文句なしの★5とします。
もっとクレイジーな
パワハラも相当理不尽かと思ったら相手をイラつかせていてそれほど勝手な先生とは思えない。精神疾患者にストーカーに遭うこと自体は明らかに被害者であるはずだが、その背景や経緯はぼやかされていて消化不良な印象はある。まあ肉体関係があったのでしょうが、どこまで搾取されてたのかフェアに描かれていない点もしたたかというか問題の難しさをちゃんと描いてるなと思いました。
納得や理解が難しい
自分は同性愛者でありながら、ジェンダーの批判的観点をもつ学生を圧迫する姿勢は納得できず、お気に入りの団員をわざわざオーディションにかけながら、他の団員の応募者はなく、非団員の応募者と天秤にかけるはめになったり、養子や恩師には親密な態度を示していたが、迷い込んだ家でけがをしてからは、ボタンのかけ違いのように不具合が次々と起き、パートナーとも行き違いになり、『地獄の黙示録』の舞台に行くことになってしまう。演奏場面が多かったのは良かった。
前後半で
違う作品かの様な感じです。前半は作曲家指揮者としてのプロセスや苦悩をドキュメンタリーの様に表して、後半はサスペンスの様な感じです。そう思うと作品が長くなるのは仕方ないかもしれませんが、自分には少し長かったです。
私の見た、「TARター」
「ター」の予告編は、マーラーの交響曲5番の冒頭を、ケイト・ブランシェット演じる主人公が指揮する場面で始まる。ベートーヴェンの交響曲5番、いわゆる「運命」の、あの旋律が、歪んで、肥大化して飛び出してきたような、エキセントリックなフレーズ。その鮮烈で、ある意味、グロテスクな音響と、両腕を鷲の両翼のように天に向かって突き上げる、ターのアクションが見事にシンクロし、同時に、マーラーの音楽の悪魔的な魅力と、ターという女性指揮者のカリスマ性も、シンクロして、圧倒的な印象を残す。映画のチラシに使用されている写真が、この場面。
映画の中でも、楽屋落ちのようにターのジョークとして、ヴィスコンティの名前が出てくるが、「ベニスに死す」で、この5番のアダージェットが印象的に使われて以来、マーラーの音楽を使用した映画はたくさんあるが、「ベニスに死す」に比肩するのは、「ター」くらいなのではないか。本編でも、ここは、ごく短いシーンだが、映画を見ている我々も、このワンシーンで、ターというキャラクターに魅了される。同時に、映画の中の演奏者や聴衆が、ターに、否応なく惹きつけられることも納得する。
この映画のあらすじは、おおよそ、次のように紹介されている。
リディア・ターは、アメリカの5大オーケストラで指揮者を務めた後、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に女性として初めて就任する。ターは、同性愛者で、オーケストラのコンサート・マスターの女性と、公認のカップルとして生活している。天才的能力と類まれなプロデュース力で、トップの座を築いた彼女だったが、今はマーラーの交響曲5番の演奏と録音の重圧と、新曲の創作に苦しんでいる。そんなある時、かつて彼女が指導した若手の女性指揮者が自殺したというニュースが飛び込んでくる。
観終わって、ネットで、この映画の感想を拾い読みしてみると、以上のおおすじ以外は、微妙に違う、時には、正反対のストーリーを、人それぞれが、「読み取って」いる。場合によっては、「この映画、意味不明」と投げ出してしまっているものも、少なくはない。エリート女性指揮者の、パワハラ・セクハラがらみの、心理サスペンスといったふうに売り込んでいて、そういう期待で見はじめると「意味不明」となって、評価は、星ひとつとなってしまう。
魅力的だが、いかにも傲慢な(こういう、なんとも難しい役どころを、ケイト・ブランシェットが見事に演じてみせる)ターが、中盤以降、ストレスから、次第に、周囲のものごと、特に、「音」に過敏になっていく。この「音」が、幻聴なのか、どうなのか、結局、はっきりとはしない。いや、意図的に、はっきりとさせていない。
公園を歩いていて聞こえてくる女性の悲鳴は、明らかに幻聴だろう。その一方、深夜、冷蔵庫の機械音らしきもので眠れないのは、我々も体験するような、現実だろう。ところが、同じく、深夜、メトロノームの音で目が覚めてしまい、それが、クローゼットの中で作動しているのを発見する。これは、現実なのか。サスペンス劇のように、「犯人」が確定するのかと思っていると、「犯人」は、結局、最後まで登場してこない。というか、客観的にみて、そんなことができそうなのは、同居している人間くらいだが、そんな話の展開には、全くならない。となると、あれは、まるごと、ターの幻聴であり、幻覚・妄想だったのか。
そう考えると、例えば、ターが強引に抜擢する女性チェロ奏者が、ターの送るクルマから降りて消えていった建物は、あれは果たして、現実なのか。あんな完全な廃墟のどこに、あの女性の入っていく部屋があるのか。話の中心となる、ターが精神的に追い詰めたとして非難される、スキャンダルとなる、自殺した女性指揮者との関係にしても、確かに、メールを助手に削除させる場面はあるが、本当のところはどうだったのか、映画の観客には、分かりはしない。いや、わかるように描いてはいない。
そのスキャンダルで、ターは解任され、代役を立てたコンサートにターが乱入して、大騒ぎとなり、ターは、追放されたというのが、大方が受け取るストーリーだろうが、果たして、そうだったのか。スキャンダルが大きくなり、呼び出されたターは、女性との関係をきっぱりと否定する。次の場面は、円卓にずらりと並んだ「幹部」たちが、いっせいに、再度、呼び出されたターの方を振り向くところで切れて、そのまま、ダイレクトに、ターが、コンサートに乱入する場面となる。断片をつなぎ合わせようとするなら、当然、上記のようなストーリーを推測することになるが、果たして、これは、みんな、現実なのか。
われわれは、ありもしないはずの「メトロノーム」を見せられて以来、ターを取り巻く、現実と、彼女の「幻聴」「幻覚」「妄想」を、ごちゃまぜに見せられているのではないだろうか。映画を見終わっても、確とした「解答」は与えられず、いや、それは、たぶん意図的に、放棄されている。
また、本筋とは何の関係もない、アパートの隣人の、理解を絶するような迷惑な行為が描かれていて、ターのストレスは、さらに高まるのだが、「こんな不条理とも言いたいような現実って、確かに存在しているよな」と思い、ますます、幻想と現実の境目があいまいになっていくように、映画は仕向けている。
決定的なのは、そのラストシーンで、追放された(らしい)ターが、東南アジアのどこかで、現地のアジア人のオーケストラを指揮し始める、と、スクリーンが舞台上に降りてきて、続けて、映し出される観客は、すべて、異様なコスチュームを着た男女の群れ。私は、ゲームというものに全く関心がない人間なので、ネットを見て、それが、ゲーム「モンスターハンター」のコスプレらしいという書き込みを発見して、ゲームの音楽の実演と映像を楽しむコンサートだったのかと、その設定が、やっとわかったのだが、だとしても、あの異様に押し黙った、半裸の男女の群れが、現実のものとは、とても思えない。
現実なのか、幻想なのか、分かりはしないし、分かるようにもなっていないが、ターは、一心に、指揮棒を振る。2時間半の間、われわれは、現実とも非現実とも判然としない、ターの内面にそのまま入り込んで、その分裂した世界をまるごと観て・体験する。そして、まるで、ターの「心の中の世界」にとり残されたような感覚で、映画館を後にする。
ターの師として設定されているバーンスタインは、マーラーの魅力を、分裂した、この現代の社会をまるごと、つまり、分裂したままに音楽にしてみせた所にあると解説している。ネット上やマスコミ、時には身の回りにも渦巻く、隣り合わせの「希望」と「絶望」、「美」と「醜」、「栄光」と「悲惨」、「いたわり」と「無慈悲」、「生」と「死」…それらを、分裂のままに描き出し、不思議なことに(バーンスタインは、「パラドキシカルに」と、表現している)われわれを「浄化」するのだ、と。
そのストーリーさえ判然としない、分裂したままの心の世界を見せる、ターという映画の不思議な魅力は、マーラーの音楽と通じるものがある。となると、マーラーの交響曲の演奏と録音を、ストーリーの中心に据えたのは、単なる思い付きや好みではない、周到なお膳立てなのかもしれない。
音楽は永遠に続く、でも人は
出だしからタイトル、いや、エンドロールみたいな始まりでびっくりです。
そして男性の説明というか、解説に少し長すぎないと少しうんざりしてしまったのですが、インタビューに答えるケイトの姿が凄く自信に溢れていて、格好いいと思ったのですが。
女だけど娘のいじめ問題に、自分はパパよと豪語する姿、自分は大人だ、子供が勝てる訳がないだろう、その姿は普通の人から見たら、ちょっとなんて思うだろうけど。
これは仕方ないというより、彼女にとっては普通なんだろうなあと思ってしまいました。
高みに上ると見方も多いけど、敵も絶体いるだろうから弱みなんて見せられないだろうから。
時々聞こえてくる奇妙で不快な音、同時に精神が不安定になっていく様、パートナーがいながらも心が揺れていくのは、これって仕方ないなあと思ってしまうのです。
いや、彼女みたいな人は男だから、女だからという言葉、括りって足枷というか、首に縄をつけられたみたいな重荷以外の何者ではないのかと思いました。
ラストがとても印象的です。
栄光の舞台から転落したけど、再生、復帰できるのか、観ている側が選択、答えをなんてという感じです。
でも、自分の行く先が天国か地獄かなんてわからない、船を下りるのも自由です、なんて言われて降りる人はいるの。
一度挫折したからまた同じ事になるかもしれない、迷うのは人なら当たり前、でも答えを出すのは自分しかいない。
こればっかりは他人に頼れない、残酷でも目がそらせないのです。
ひとり芝居で充分だった。
ひとり芝居で充分だった。
ケイト・ブランシェットは良かった。
シャロン、フランチェスカ、
ペトラ、そしてオルガ。
脇が全く機能していない。
それぞれ芝居は上手で、
なんとなくリディアの事を、
それぞれ考えているのであろうことは伝わってくるが、
リディアの崩壊に(または、
それを食い止める役含め)、
どう機能させるかまては至っていない。
シナリオというより、
演出というか、
リディアに頼りすぎ。
もともと、シナリオには、
オーケストラのシーンが、
多かったのかもしれない。
それぞれとの関係を、
コンタクトを振るターで、
魅せることはできたかもしれない。
コロナ禍での大人数での、
撮影の大変さは身に沁みて共感できる。
音の演出が素晴らしい
自分はクラシック音楽に明るくないというのもあるが、指揮者というともっぱら男性というイメージを持っていた。しかし、本作で描かれているように、数は少ないながら女性の指揮者もいるということである。古い伝統と格式が重んじられる世界なので指揮者=男性というイメージを抱きがちだが、確かに今の時代であれば、彼女のような天才的な女性の指揮者が登場しても不思議ではない。
リディア・ターは女性で初めてベルリンフィルの首席指揮者になった才女である。このキャラクターには、男尊女卑的な組織に対するアンチテーゼが込められているように思った。
序盤の公開対談や音大における講義のシーンからも、そのことは伺える。彼女はレズビアンのリベラリストである。そんな彼女がクラシック音楽の世界でトップの座に就いたというのは、強い女性像を象徴しているとも言える。
ただ、こうしたジェンダー論は、物語が進行するにつれて、それほど重要な要素ではなかったということが分かってくる。
結局、この映画は栄光からの転落を描く、よくあるドラマだったのである。
トップに輝いた者が背負う宿命と言えばいいだろうか。嫉妬や恨み、陰謀によって徐々に精神的に追い詰められ惨めに落ちぶれていくという破滅のドラマで、映画の冒頭で期待していたものとは異なる方向へドラマが展開されていったことにやや肩透かしを食らってしまった。主人公を女性にするのであれば、もう少し違ったアプローチの仕方があったのではないだろうか。
もちろん、女性にしたことによって、本作は一つの特色を出すことには成功していると思う。これが男性だったら、更に俗っぽいドラマになっていただろう。そういう意味ではケイト・ブランシェットをキャスティングした意義は大いにあるように思う。しかし、ジェンダー論はこの場合はノイズになるだけで、かえってドラマの芯をぼかしてしまっているような気がした。
そのケイト・ブランシェットの熱演は見事である。彼女を含めた周囲のキャストも全て魅力的で、とりわけ後半から登場するチェロ奏者オルガは一際印象に残った。演じたソフィー・カウアーは本職がチェリストで今回が映画初出演というのを後で知って驚いた。若さと才能に溢れた奔放なキャラクターは短い出番ながら強烈なインパクトを残す。
製作、監督、脚本を務めたトッド・フィールドも円熟味を帯びた演出を披露している。すべてを容易に”ひけらかさない”語り口が緊迫感を上手く醸造し、上映時間2時間半強を間延びすることなく見せ切ったあたりは見事である。寡作ながら改めて氏の演出力の高さが再確認できた。
音の演出も色々と工夫が凝らされていて面白かった。チャイムが鳴る音やメトロノーム、冷蔵庫のコンプレッサー、ドアをノックする音がリディアの不安定な精神状態を上手く表現していた。実際に鳴っているのか?それとも幻聴なのか?彼女の中で判然としないあたりがサイコスリラーのように楽しめた。
怖いと言えば、リディアの強迫観念が生み出した悪夢シーンも不条理ホラーさながらの怖さで、画面に異様な雰囲気を創り出していた。
尚、音の演出で重要だと思ったのはチャイムの音である。リディアは部屋の中でその音を度々耳にするが、どこから鳴っているのか分からずそのままにしてしまう。実はその音はチャイムの音ではなく、隣人が発する救命コールだった。映画を観た人なら分かると思うが、彼女がその音を気にかけていたなら、隣人は”ああいう事態”にはならなかったかもしれない。
このエピソードから分かる通り、彼女は基本的に他者の意見、声には耳を貸さないタイプの人間なのである。この情にほだされない非情さゆえに、彼女は現在の栄光を手に出来たのかもしれない。しかし、同時にそのせいで彼女は恨みや嫉妬を買い自身の立場を危うくしてしまった。このチャイムの音のエピソードは、そんなリディアの人間性を見事に表しているように思う。
主演女優賞はこちらにあげたかったと思う熱演。 一回見ただけではいろ...
主演女優賞はこちらにあげたかったと思う熱演。
一回見ただけではいろいろな情報を回収出来ていないんだと思います。
ホラーテイストも好きだけど、期待値が上がりすぎる予告はいただけませんね。
緊張感半端ない
こういうアーティストを扱った映画ってすごい癖があるものも多いよね。
アマデウスとかセッションとか(違うかもだけど
ストーリ的には、凄い展開があるわけでも無いんだけど、その中身がめっちゃ濃いんだよね。
その中で、それぞれの役者さんの演技が相まって、緊張感が半端ない。
気が抜けないんだよね、見ていて。
堕ちていく様も、話だけでなく顔つきが明らかに変わってるんだよね。
そして今作は音楽も注目点かな。
素晴らしいね。
まぁ、最後綺麗に解決とかはしないけど、つい見入ってしまう作品でした。
クソみたいな人間性のヤツが作るぶっ飛んだものに心を動かされたい。
ケイトブランシェットの演技は言うまでもなく素晴らしく。一度も気が抜ける瞬間がないような常に張り詰めている空気感が漂っていて素晴らしかった。
この作品に触れて、クリエイターや何かを作り出す人への社会適合性を求めすぎている世の中について考えるきっかけになった。
最近、ある記事を読んだ。それはピカソの作品の価値がここ数年で急落しているという記事だ。
ピカソは生前女性問題が荒れていたらしく、それがこのご時世に合わなく、価値が急落しているというものであった。
この作品でも同じようなことを感じた。
なんでもバレてしまう社会。多くのクリエイター、表現者には聖人君子でないといけないという世の中になっていると感じた、そんな環境で生まれてくるものは優等生なものしか生まれないのではと感じている。
そんな世の中でも私は、クリエイターのアウトプットのみをみて、自分の感じたことに正直に、作品に感情を動かされたりしていきたいと感じた。
クソみたいな人間性のヤツが作るぶっ飛んだものに心を動かされたい。
ミステリーホラー色々な問題を孕んでいる
あまり知識を入れず観たのだけど、
ミステリーホラーの雰囲気で、
謎が散りばめられてるので最後まで
頭がグルグル回りながら集中力高く観る事が出来た。
全てのカットに意味があり、
不自然な行動にも意図があるのは分かるのだけど、
それを汲み取ろうとしてもほとんど理解が出来なかった。
女性の立場、性的マイノリティに向けられる視線。
嫉妬、孤独、色々問題が孕んでいて
どんなエンディングが用意されているのかと、
観ていたのだけど、
ラストは何を意味していたのだろうか?
ただ堕ちていく主人公、と言うわけではないはず。
ケイトブランシェットの演技は言わずもがな、
傲慢なマエストロにも見えるけど、
孤高である事の孤独も感じられた。
彼女の隣には常にパートナーがいるのだけど、
孤立しているように見える。
映画館で観たのだけど、
帰りにスーパーマリオのお客さんと一緒になったのだけど、楽しげな客と、何が言いたかったんだろ?と
呟くお客さんのコントラストが面白かった。
解説を見て振り返りたいと思います。
ワケ分からん★★★(1回目)→なるほど★★★★(2回目)
2回観た感想です。
1回目 ★★★
終始ねむい、ワケわからん😪
サイコロジカル・スリラーって書いてあったので、もっとホラーっぽいかと思ったら、不穏な感じ、不可思議な演出、が少し…
期待していたが、開始そうそう眠くなる眠くなる(笑)
静かで退屈なオープニングで感じた予感どおり、静かで小難しい映画。
40分ぐらい切れるだろ!と思える、ムダに長く感じるシーンばっか。
2回目 ★★★★
なるほど🤔
YouTubeで、町山智浩さん&藤谷文子さんの解説動画、その他の方の解説動画、を観てから、再観賞。
細かい演出や物語の内容まで、よく分かり、面白かった。
ホラーも、けっこう入ってたのね(笑)
結論…
たぶん、1回じゃ分からないと思われ。
1回観てから解説も観て、2回観る事をオススメします。
冒頭で分かるので、ネタバレじゃなく言いますが、ターはレズビアンです。
それを念頭に、察しながら、目を見開き、頭を回転させながら、観て下さい(笑)
僕は、もう1回観たいです(笑)
ラスト10秒からエンディングロールラストまでが、凄すぎる!
クラッシック音楽🎵に疎い私には
ラストまで、難解な映画でした。
が、しかし
ラストシーンで、わかりました。👍😅
クラッシック音楽は
知識や作曲家を理解することではない
(楽器を操り、奏でることではない)
感覚の世界
こそが、醍醐味なんだと。
ラスト10秒で始まる演奏曲
(作曲者は大阪にいる人らしいです)
日本のアニメ世界観
の中で使われる音楽🎵
に、クラッシックの可能性を
示唆しているかのようです。
エンディングロールの最後の最後
の"終わり方"が
カッコ良すぎます😆
余談ですが
広告業界で"クリエイティブディレクター"
を、名乗っている
技無しの輩には
自害の念をこめて
見て欲しいものです(笑😆)
ケイトブランシェットに魅入った160分。
映画のオープニングにはいつもワクワクするのですが、黒い背景の中、いきなりエンドロールのような文字が流れ、タイトルも小さくTARと表示(その前の、日本語のTARがデカすぎたので、その対比に苦笑)、場面が切り替わるとインタビューシーン。いやぁ、ググッと惹きつけられるオープニングでした。
楽団の演奏以外は挿入音楽はほとんどなく、一方で、効果音は多用されており、臨場感や緊張感が半端なかった。
ターという人物が実在していて、その生活をのぞき見しているようなリアリティがありました。
そのリアルティを体現したケイトブランシェットの演技がすごい!
長い・わからない・面白くない 三拍子揃った大傑作
罰ゲームでした。上映開始一週間でお金払って観た人ばかりだから評価は高めですけど「何か面白い映画ない?」って聞かれて10人に薦めたら9人に背中から袈裟懸けで斬り殺されます。一部の評論家やマニア向け、一般的には面白くないということは自信を持って言い切れます。
①長い:2時間半は拷問、行きたくもないのにトイレに行って時間を潰しましたが、大勢に影響はありませんでした。1時間半で十分。
②わからない:あらすじ読んでから観たのに、なんだかさっぱりわからない。PTAやノーラン選手のような狙った分からなさではなく、下手くそでわからない。セクハラもパワハラもレズも、別に許容範囲の程度で 過剰反応しすぎ。「だから?」ってとこです。何言いたいの?
③面白くない:話に盛り上がり無く、ユーモアなし、平坦にグズグズ続くだけ。そして暗い。開始早々からつまらなさトップギア、1ミリの面白さもなくそのまま最後まで駆け抜けたのはお見事。
久しぶりの最高傑作、この素晴らしさ「パワーオブザドッグ」に似てる。
ター
クラッシック音楽の知識必須。最低でも学校の演奏部くらいの経験が必要。
それくらい敷居が高い。
いわゆる「映画コメンテーター」とか自称している輩のレビューはシカトで観る/観ないを判断することをお勧めする。
「ブランシェト」の演技だけを観に行くのは可。10年に1回の演技。素晴らしい。あそこまではなかなかできない。
主演女優賞は「ブランシェト」だったな。最近は変な忖度は付き纏って更に映画がつまらなくなったが、あそこまでやって賞を貰えなくなると役者が可哀想だし将来の映画の内容が低下するだろう。
トッドフィールドは人の内面を掘り下げるとか曝け出すのが好きだが、これはかなりピンポイントな人の掘り下げ。なので作り手の取材もかなり高い。
交響楽団の指揮者の話なので徹底的な指揮者のリサーチに基づく「ブランシェト」の演技は重ねて必見である。(但し、前述のとおり楽団関係者でないと所作の意味合いまでは理解出来ない。)
無知でも楽しめる「アマデウス」とは違いこれは交響楽団に関わるくらいの人間でないとついていけず飽きる。
俺も不覚にも2回寝てしまった。
あっちの映画も2度寝したが・・・。
俺みたいな「映画音楽かじり」くらいな奴では理解は出来ない。
なんたって、「ジェリー・ゴールドスミスの『猿の惑星』は〇〇の盗作よね。」ってマニアな台詞の中の“〇〇”を知らない俺は、思わずスルーしてしまい今だにピンときていない。
「ゴールドスミス先生」の代表作でアカデミー音楽賞ノミネートの曲に対しての台詞に何の反応も出来ないのは非常にまずいので、勉強しに再度映画館に行かせて頂きますよ。
出る杭は打たれる
クラシックに詳しいわけではないけれど
いくつか楽器を演奏してきた経験があるので
オーケストラの練習シーンや迫力ある演奏シーンには
酔いしれます。むしろもっと聴きたい・見たいとさえ
思いました。ステージの上のあの緊張感を思い出し
懐かしさも感じたので、その辺は物足りません。
ター(ケイトブランシェット)が天才であるが故に
絶対君主的な言動が鼻に付く人も多いみたいですが
女性がそこまでの地位に立つには、
能力があるだけでは無理な世界だと思うので
如何に努力を積み重ねてきたか視点を変えてみると
もっと違った見え方があるのではないかと思います。
.
.
全体的にターの悪評ばかり目に付きますが
ジュリアード音楽院での授業で、
頑なにバッハを認めない
男子学生(音楽的理由ではなく)に、
懇々と辛抱強く指導するシーンは
むしろ学生のためを思っての指導であり、
そこを理解しきれない学生が悪態をついて
退出する時には「お前に指揮者は向かん!!」と思ったし、
おまけに緊張か苛立ちからか終始貧乏ゆすりをする彼に
わたしならブチギレる自信があります🤣(笑)
.
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副指揮者セバスチャンを更迭も、理にかなっていたし
一方的な更迭ではなく、きちんと対面で会話をし
理由は明言しなかったけれども、とても良心的な配慮が
見て取れた。
※副指揮者なるものが存在するという事を本作で
知りました。
.
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要するに、彼女の才能に嫉妬し、己の才を過大評価する
何者かたち(複数だと思っています)によって陥れられた。
そんな印象です。
まぁ多少のセクハラはあっただろうし、自分の立場が危ぶまれる相手
クリスタの存在は目の上のたんこぶだったため
各楽団に批判的なメールを送り付けていたのもどうかとは思うが…。
それでもそんなことをするなんて、格式高い業界こそ普通にあるでしょ
(偏見ですw)
.
.
自信と誇りをもっていたベルリンの指揮者としてのプライドから
あの行動に出たのは至極納得する。自分の首を絞めるはめには
なったけれども、それでも彼女は強い。
クラシック界から新しいジャンルの音楽の世界でまたその名を
轟かせるスタートになったと思う。
究極の演技と エッ!てなるラストについて
サスペンスや心霊現象やホラー要素まである人間ドラマで内容がクラシックの指揮者ですがEGOTを成し遂げてる人物という事なので説得力のある人物って相当難しいし普通に考えて適合者がほぼ居ないと思いますのでケイトブランシェトで完全に正解だったと思います。
2回見ないと理解出来ない構造になっているしクリスタが赤毛とか言っててそれが前半結構映ってるみたいですが全くわからなかったんですが2回目の鑑賞だとクリスタが居るのを確認できましたが初見で気づく訳無いように仕掛けられていて複数回見る事で新しい発見があるように作品が作られているのは凄いですね!
あとクライマックスのブン殴りに行く時のあのヤバイ顔は撮影スタートって言われて作れる表情じゃなくて多分二日位寝ないであのシーンの撮影してるんじゃないですかね演技で出来るレベル超えてますよ!
あと2回目の鑑賞で気付いたんですが
最初にクリスタがターに送った本に書いてた模様と
クリスタが死んだ後にターが寝てたらメトロノームが勝手に作動していたシーンのメトロノームのフタの裏の模様が一緒なんですね! 心霊現象と捉えるか無意識のうちにターが自分でメトロノームを動かしていたのかはハッキリとは描かれていませんが クリスタの件で精神が病んで来てるのは間違い無い描写ですね。
シーンをとうして深掘り出来る部分が多くて 監督天才過ぎというか変人です
あとエンドクレジットをわざわざ最初にやってまでオチをモンスターハンター元ネタでほとんどの観客が分からなくて困惑してる状態で勢いよく終わらせて観客を置いていく演出は凄かったですね。
まあアレを単にへーって言って終わるかだから何?ってなるのかアジアを見下した終わり方って思うか何故いきなりコスプレ劇場で終わり?ってなるのか答えを明確に示して無いからみんな違う意見の時点で監督の意図通りだと思いますので作戦成功でしょうが大抵の人が良いって言う手堅い作品にはなっては居ないとは思います。
とりあえずケイトのミリ単位の演技を延々と堪能出来るだけでも価値のある作品なのですが逆に演技の上手さなどを映画を見る際に注目してない人は見なくていい作品だとおもいますし考察部分が相当多く画面をよくみないと気づかないヒントがあるし最初の30分くらい延々とクラシックを知らないと完全に分からない会話を無限にしてるので辛いし眠いしあまり考えないで見るとわけわからんしつまらない単調な映画ととらえられてもしょうがない作品なので全くお勧めできません。
とはいえ自分は今年見た作品では対峙とターは恐らくこれからまだまだ新作の映画みるだろうけど ほぼ年間ベスト3には絶対入るってくらい凄い作品だと思ってます、久しぶりにカッコいい悪のカリスマに出会った感あって近年ならホアキンジョーカーくらい凄かったです!
相当な玄人向けの作品なのは間違いないです。
あとさっき町山&藤谷のアメTUBEってやつのネタバレ解説見たんですが完璧に全く気づいて無い事だらけで
ビックリしました。
まあそんなの絶対にわからないしセリフ見て言った人物の事を細かく全部調べないとわからないレベルの解説あるんで好きな人は絶対見たほうが良いですよ
お主ナトゥはご存じかの後継ぎですがそっちにかなり具体的に書いているのでよろしくです。
これサブスクで配信開始になるか販売されたらブルーレイなどで
一時停止とかして検証しないとダメなくらいの情報量の作品なのがどんどん浮き彫りになってきてるので
今後そういう作業するのが楽しみですね。
しかしこんなに長い時間の作品で群像劇でもないのに
ターのみを追っかけている割には無駄なシーン全く無いのも驚異的だと思うっす。
あと2回目を見ると ラストの強烈さが更に際立ちますね!
更に言うと娘ちゃんがカーテンの中に居る時にお化け見てたっぽいシーンの前にも娘ちゃんはオモチャでクリスタがターに送った本の模様を作っていて完全に心霊現象ですねアレは!
ナトゥとナトゥ2のターの感想合わせて見たらターの3割くらいは分かるのではないでしょうか。
最後に パンフレットを買って無いので購入がてら2回目の鑑賞に近日中に行こうとおもいます。
色々調子悪い事起こって前のところに戻れなくなったのでナトゥ2でこれから感想書いていきます!
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