「観たい度◎鑑賞後の満足度◎ 裁判も終盤に差し掛かる頃静かに感動が込み上げ涙が出てきた。何故だ?頭ではまだ理解しようと奮闘中だったし、母と娘なんて分からない事だらけ…きっと心が先に感動したのだろう…」サントメール ある被告 もーさんさんの映画レビュー(感想・評価)
観たい度◎鑑賞後の満足度◎ 裁判も終盤に差し掛かる頃静かに感動が込み上げ涙が出てきた。何故だ?頭ではまだ理解しようと奮闘中だったし、母と娘なんて分からない事だらけ…きっと心が先に感動したのだろう…
①本作における映画の中の“映画の記憶”としては『ヒロシマモナムール(邦題:二十四時間の情事)』と『王女メディア』。この2作を観ることで本作を完璧に理解することは出来ないだろうけど、映画大好き人間としては観なくては!(恥ずかしながら2作とも未見)
②嬰児しかも我が子殺しなのだから本人も認めている以上、法治国家としては有罪になるのは当然。(フランスの法制度も知っとくべきだろうけど)
それ故本作は有罪か無罪かを争う法廷劇ではない。判決さえ示されない。
本作の肝は、どのような罪に問われるかということではなく、あくまで何故「我が子を殺めなくてはならなかった」のか、真実は何だったのか、ということ。
ところが、その真実も示されない。観ている者の想像・推理・解釈に委ねられている。
弁護士の最終弁論がそれを語っているようにも思えるし、それを聞いて被告は泣き崩れるが、あくまであれが本作の結論だとは思えない。
弁護士の弁論の中に、母親と子供の結び付きの不思議さの論拠として“胎児から母親に移る”キメラ細胞(正確には「マイクロキメリズム」というらしい)に触れているが、まだ現時点では医学的にはそこまでの証左にはなっていないみたいだし。
③弁護士だから被告に有利なことを言うのは当然だから、弁護士の弁論を鵜呑みにするのはどうかとも思うし、被告自体が証言をコロコロ変えるうえ“記憶にありません”とかしょっちゅう言う(まあ、弁護士が言わせているのかも知れないし、前言を翻したり証言を変えるのはよく有ることだし、某国の国会議員の先生方もしょっちゅうしているし)
被告台で“何故娘を手にかけたのか分からない。この裁判でそれを知りたい”と言ったのもある意味真実かもしれない。
優秀な彼女ですら(いや、だからこそ?)自分のなかで整理できてはいなかったのかも知れないし、本当は分かっていても認めたくなくて他の原因(になるかもしれないものを)を心の中で必死で探していたのかも知れない(これは実体験から)(まあ、彼女のしたことは取り返しのつかないことだけれども)。
それより被告席の被告が傍聴席にいるラマに向かってうっすらと笑みを漏らしたところが気になる。
まるでそれを目撃させる為にラマというキャラクターが必要だったみたいに。
それを目撃した後ラマは取材を放り出しそうになるくらい取り乱すし。
ラマ(とその姉妹たち)と母親との関係についても映画は明快な描き方はしていない。
全編まるで母と娘、女性にしかわからない暗号が張り巡らされているようだ。
④母国では高い教育を受け、それに値する優秀な人材だった被告。また、それ故に両親の期待が高く、それが重荷となっていた被告。
その重荷から逃れるためにフランスに来たのに、最初に頼った叔母さんとは間もなく上手くいかなくなり、親からの送金も途絶え(重荷から逃れても自立を目指した訳ではなかったようだ)、子守りを始めたが(雇い主は優秀な子守りだったと言うし、本人も子守りは合っていたと言うが、自ら勉強も出来て優秀だと言う被告にとっては屈辱的な仕事だった筈)やがて雇い主とも上手くいかなくなり(人間関係はあまり上手ではないようだ)、そのうち妻子のある男の愛人となり妊娠してしまう。
優秀な筈の勉学でさえ大学に行かず試験も受けず修士号も取れなかった。
誰もが言うように正しいフランス語を完璧に話せるということはかなり優秀な証拠だが、一方大学の教師の証言では書く方は話す程には完璧ではなかったようだ。
フランスに来てからは屈辱・恥辱まみれになり自分は呪われていると思いたくなるのも分からなくはない(日本で言えば前厄・厄年・後厄だと言っているようなものか?)。
妊娠したのも本当に偶々だったかも知れないし、本当にその時は相手の男の子供が欲しかったのかも知れないし、男が「陥れられた」と言うように欲得ずくだったのかもしれない。
相手の男も“愛していた”と言うかと思えば彼女の存在を隠していたし、“三人でいた時が一番幸せだった”という割には子供は認知していないし、随分胡散臭いけれど。
⑤裁判での色々な証言を聞いていると『王女メディア』のように不実な男への腹癒せに子供を殺したようには思えないけれども、「大きくなると邪魔になるから死なせた」という被告の言う通りかも知れないとも思える。
異国で知り合いもなく頼るものもなく、大きくなっていく一方の子供を抱えて生きていくのは確かに悪夢かもしれない。
一方彼女には自分は優秀だと言うプライドもあり、これ以上屈辱と恥辱にまみれた人生は送りたくないという思いか、或いは絶望の末最も恥辱に満ちた選択を敢えしたのか?(彼女くらい優秀であれば子殺しをすればどの様な罪に問われるか分かる筈だし)
⑥本当に母や女性というのは男にとっては死ぬまで分からないものかもしれない。
それでも魂を打つものがここには確かにある。
⑦アメリカのスタンダードナンバー(いわゆる懐メロ)である『Little Girl Blue 』が流れてきたのには少々驚いた(初めは何かのシャンソンかと思ったくらい)。
座って自分の指の数を数えるしかない、自分に降りかかってくる無数の雨粒を数えるしかない“Little Girl Blue”は被告の事なのか、広く女性の事なのか?
歌詞の最後:
“No use old girl
You might as well surrender
‘Cause your hopes are getting slender and slender
Why won’t somebody send a tender blue boy
To cheer up little girl blue”
をどんな想いで聴けば良いのだろう…