「「象徴」ではなく「個人」の生き様を描く」サンダーボルツ* エビフライヤーさんの映画レビュー(感想・評価)
「象徴」ではなく「個人」の生き様を描く
MCUシリーズをすべて網羅してるわけではないし、映画館で観たはずなのに内容をさっぱり忘れてしまっているタイトルだって複数ある。そんな中で、新たなフェーズに突入したMCU最新作『サンダーボルツ*』を観てきたが、個人的にはかなり好きな作品だった。MUCからちょっと離れていたひとにもぜひ鑑賞をおすすめしたい。
これまで、MCUに登場するヒーローたちの人生は「正義の象徴」として消費されてきた。その極地に達したのが『アベンジャーズ エンド・ゲーム』だったと思う。キャプテン・アメリカは人間兵器として戦場で活躍させるというより、プロパガンダのため人為的に生み出されたキャラクターだ。人々はスティーブに「正義の象徴」であり続けることを求める。スティーブも孤独であるがゆえに「社会の秩序を守ること」にしか自身の存在意義を見出だせず、ひたすら「正義の象徴」であることに打ち込む。そんなキャップの奮闘をずっと観てきたからこそ、『エンドゲーム』でようやく個人としての人生と幸せを獲得できた姿に切なさを感じたし、彼のヒーローとしての物語は終わったのだと悟らされた。
この『エンド・ゲーム』以降、MCUの描くヒーロー像は大きく変わったと思う。ドラマ『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』でキャプテン・アメリカの盾を引き継いだサム・ウィルソンは「超人」ではなく、アメリカ社会で暮らす一般的な黒人男性として描かれる。両親が遺した船の処分をめぐって姉と口論するし、銀行ですげなく融資を断られ憤慨だってする。彼の人並み外れた努力は知っているけど、なんだかその所帯染みた姿にクスリとさせられるし、親近感が湧いてくる。彼だってわたしたちと同じ、些細なことで迷ったり悩んだりする人間なのだと。
そして今作の『サンダーボルツ*』も新フェーズの新しいヒーロー像、もといヴィラン像で描かれていると感じる部分が多々あった。与えられた任務を淡々とこなす日々のなかで、虚無感と孤独感に苛まれるエレーナ。キャプテン・アメリカの名を剥奪され、家庭を顧みず妻子と別れたウォーカー。幼い頃から家庭内暴力を受け、薬物中毒になりながら世界を放浪していたボブ。作中で描かれる彼らの悩みや葛藤は、置かれている環境は特殊であるものの、現代社会を生きるわたしたちと共通している部分は多い。「象徴」ではなく「個人」として生き、ときには挫折し、傷つき、悩んで、笑って、悪態をつきながら誰かのために戦う彼らはとても魅力的だと感じた。
満を持してのバッキー活躍シーンは本当に格好よかった。次回はもっとみんなのアクションシーンが見たいと思う。それと、ボブの能力で過去のトラウマ世界に飛ばされるシーンはドラマ『ムーンナイト』を思い出した。恐らく順分満帆とはいかないであろう、新アベンジャーズのこれからの活躍が楽しみだ。(ドラマ『ムーンナイト』の続編も待ってます)
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