「偉大な人物の後を継ぐという重圧」キャプテン・アメリカ ブレイブ・ニュー・ワールド 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0偉大な人物の後を継ぐという重圧

2025年2月16日
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鑑賞方法:映画館

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『キャプテン・アメリカ』シリーズ第4弾。『エンドゲーム』(19)のラストで、スティーブ・ロジャース(クリス・エヴァンス)からキャプテン・アメリカの象徴である盾を受け継ぎ、ドラマシリーズ『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』(21)での戦いを経て正式に3代目キャプテン・アメリカとなったサム・ウィルソン(アンソニー・マッキー)の新たな戦いが描かれる。
監督・脚本に『クローバーフィールド・パラドックス』のジュリアス・オナー、脚本に『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』のマルコム・スペル・マン※。その他脚本に、ロブ・エドワーズ、ダラン・ムッソン、ピーター・グランツ。
(※映画.comの規約に引っかかる為、ルとマの間に区切りを入れている。アホか。)

私はドラマシリーズ、本作と繋がりの強い『インクレディブル・ハルク』(08)も未鑑賞。あくまで“劇場公開されたMCUは大体観てます”程度の感想だという事をご了承ください。

率直な感想としては、“繰り返し行われた関係者試写で不評が相次ぎ、再撮影が行われた”、“監督・脚本共にまだ経験が浅い(特にアクション映画)人々”という点を考慮しても、そこまで悪くはない作品だったと思う。脚本家が全部で5人も居る為、リライトも相当数行われたのではないかと思うが、作品として表現したかったであろう「サムのキャプテン・アメリカとしての成長、ロスの過去の過ちに対する後悔と変化」については、概ねブレずに描いていたように思える。
また、個人的な評価ポイントとして、最近の主流且つ迷走への引き金ともなったマルチ・バース展開に頼らず、傑作として呼び声高いキャプテン・アメリカシリーズ第2弾『ウィンター・ソルジャー』(14)のような政治スリラーを目指し、地に足のついた堅実なストーリー展開をしていた事は嬉しい。

しかし、そのアクション演出の巧みさから、後に『シビル・ウォー』(16)や『インフィニティ・ウォー』(18)『エンドゲーム』を任される事になったルッソ兄弟による『ウィンター・ソルジャー』、それら全ての脚本を担当したクリストファー・マルクスとスティーヴン・マクフィーリーの黄金コンビの脚本力と比較すると、残念ながら及ばずといったところ。
政治スリラーとしても、特に作中の日本描写に関しては、日本人としてツッコまざるを得ない。日本は「軍隊」ではなく「自衛隊」であり、あのような軍事行動は出来ない事、総理大臣が合衆国大統領に凄むような真似は出来ない事は、日本人だからこそ違和感を覚えてしまう。しかし、これに関しては、諸外国の日本の政治や軍事力に対する関心や認識の薄さが起因している様子で、決して中国の代わりというわけではない様子。東日本大震災や日本の政治構造を巧みにエンタメ化してみせた『シン・ゴジラ』(16)が世界興行で大敗したように、皆そこまで日本の御国事情には関心がないのだろう。

だが、そんな本作を私は決して嫌いにはなれない。それは、サム・ウィルソンという新しいキャプテン・アメリカの魅力が存分に描かれていた作品だからだ。演じたアンソニー・マッキーには、貴方が新しいキャプテン・アメリカで本当に良かったと思っている。

本作は、サム・ウィルソンが新しいキャプテン・アメリカとして覚醒する物語だが、その上で彼が向き合わなければならなかったのは、ありのままの自分を受け入れる事だったのだ。
【スティーブは人々の希望だったが、お前は目標になれる。】
サムを励ましに現れたバッキーのこの台詞が、本作を象徴している。

スティーブ・ロジャースは崇高な“精神”の持ち主だったが、サムはそんなスティーブから盾を受け継いだ事に未だに迷いを抱えている。彼の中でスティーブは完璧なヒーローであり、その後を継ぐ以上は、「彼ように完璧でなくてはならない」という強迫観念があり、それに取り憑かれていた。人質の無傷での救出や、日米間の軍事衝突を防ぐ大活躍をしたにも関わらず、イザイアやトレスを守り切れなかった事を悔いて、「超人血清さえ打っていれば」と間違った解釈をしてしまう。しかし、それをバッキーというスティーブの最大の理解者が否定してみせる。「それ(全てを守る事)はスティーブでも出来ない」と。だからこそ、ラストの病室でトレスに「俺の目標はファルコンだ」と告げられた事で、「自分も誰かの道標になれていた」のだと、「俺は俺のやれる事をやっていくしかない」のだと、ようやく肩の荷を降ろせたのではないかと思う。

また、スティーブから受け継いだヴィブラニウム製の盾、ワカンダから提供された同じくヴィブラニウム製のウィングと、外付けハードのスペックこそ高い(ともすれば、ムジョルニアを手にしたスティーブ並の戦闘力)が、それを使うのはあくまでサム・ウィルソンという1人の人間に過ぎない。スティーブやバッキーのように超人血清を打っていないので、超人的な力は持たず、戦いの中で幾度も負傷する。スーツを身に付けていない時に襲撃されれば、いつ命を落としてもおかしくはないし、実際作中でサイドワインダーから襲撃を受けた際は生身で知恵を駆使して戦った。
しかし、そうしたハンデはかつてサノスの脅威から宇宙を救う為に犠牲となったアイアンマンことトニー・スタークも一緒だ。もし、スタークが生きていれば、同じような立場であるサムに何か声を掛けられたのかもしれないが。

しかし、サムの素晴らしさは単なる強さに頼る事ではないように思う。クライマックスでサムは、レッドハルクとなったロスに言葉で訴え、彼自身に戦いの幕を下ろさせてみせた。
大事なのは、どれだけ強いかではなく、どれだけ正しい道を歩もうとするかだ。そして、皆の為に常にそうあろうとし、苦悩するサムは、スティーブの見立て通り間違いなくキャプテン・アメリカを継ぐに相応しい人物なのだ。

そうして決意を新たにキャプテン・アメリカとなったサムが、これからどうアベンジャーズの面々を率いていくのか楽しみでならない。

他にも評価したいポイントとしては、『エターナルズ』(21)で登場して以降、まるでそんなもの無かったかのように触れられて来なかったティアマットを扱っていた点だ。彼を構成する新物質アダマンチウムを巡って、水面下で世界各国が熾烈な競争を繰り広げようとしている事を描いてみせたのが良かった。あまりにも他作品で触れられて来なかったので(笑)

残念なのは、本作のヴィランであるサミュエル・スターンズの企ての回りくどさだろう。彼の目的は、ロスの心臓病の治療薬に血中のガンマ線を蓄積させるよう仕込み、大衆の前でレッドハルク化させて世界に彼の醜さを暴いて復讐するというものだった。しかし、いつでも研究施設から脱走出来るのだったら、ロスの娘であるベティも元へ行き「貴方の父親のせいで私はこんな姿にされました」と、父親の非道な所業を語って見せ、娘との隔絶をより強固なものにした方が、余程ロスへの精神的ダメージはデカそうなものだが。この辺りは、“レッドハルクを出す”という脚本的な盛り上がりと、“トレスの犠牲によってサムが苦悩する”という展開を両立させる為に、それありきで脚本が書かれた弊害なのでは?と邪推してしまう。
とはいえ、先述した娘に父親の所業を見せ付ける事も、その上でレッドハルク化させる事も、トレスが犠牲となってサムが苦悩する事も、他に幾らでもやりようがあったのは間違いない。

主演のアンソニー・マッキーの熱演は勿論だが、本作はもう1人の主人公であるロスを演じたハリソン・フォードが素晴らしかった。前任のウィリアム・ハートが逝去した為、代役として出演する事になったわけだが、娘の為に善き人間になろうと、自身の過去の過ちと向き合う父親としての人間的な脆さが上手い。彼自身、若い頃は強面の2枚目俳優だったが、老齢となった今ではすっかり好々爺という見た目の為、本作での役柄は打ってつけだったと思う。

ラスト、病室でサムがトレスに語った「アベンジャーズが必要だ」という台詞や、エンドロール後のポスト・クレジットでスターンズが語る「世界はここだけだと思うか?」という台詞は、複数の作品で(現実のキャストの不祥事や世間のヒーロー映画疲れが祟って、若干、迷走しつつはあったものの)マルチ・バース展開を続けてきたMCUが、いよいよ『アベンジャーズ:ドゥームズ・デイ』へ向けて柱となる一本の筋を通せたように思う。

色々と粗は目立つ作品ではあるが、サム版キャップが大好きになった事、今後の展開が楽しみになった事は間違いないし、5月の『サンダーボルツ*』、恐らく別バースでありドクター・ドゥームと関わりを持つであろう夏の『ファンタスティック4:ファースト・ステップ』を心待ちにしたい。

緋里阿 純
ryoqedさんのコメント
2025年2月17日

前評判が非常に悪かったけど、そこまで悪くない印象でしたよね。
何がそこまで評価を下げる要因だったのかわからない感じでした。
元ウィドウメンバー役の人も小さいながらアクション頑張ってたし、
娯楽映画としてみれば自分も十分高得点だと思いました。

ryoqed