ザリガニの鳴くところのレビュー・感想・評価
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こんな『エデュケーション』(タラ・ウェストーバー)みたいな話とは。
こんな『エデュケーション』(タラ・ウェストーバー)みたいな話とは。
性的暴行描写が苦手な人は注意
原作小説は未読。
DV彼氏とのベッドシーン、また同人物によるレイプシーンが割としっかりと流されるので観ていて嫌だった。
明確なレイプシーンは映像として描かれないものの、主人公の表情等でその惨さが理解ができた「プロミシング・ヤング・ウーマン」が登場したことで、レイプの関わる映画作品に被害場面そのものは必要ないのでは、とも思っていたところで今作を鑑賞したので、さらにその思いは強まった。
DV彼氏の攻撃的な様子はレイプ以外の日常的なシーンからしっかり描かれていたので、それだけでも離れたくなる気持ち、追いかけられる恐怖を鑑賞者が感じることは可能だと思った。
明確にレイプの場面を映像化しないと、多くの鑑賞者は感情移入できないのだろうか…
ラストのどんでん返しは、映画をよく見る人ならば予測できる流れかと思うので意外性は無かった。
見えてるのに見ないふり
カイアの語りで彼女の気持ちを聞いてるのに、彼女の目線で見ているのに、私は見たいように見てしまう。何度目かの反省。
最後に答えを教えてくれるから認めざるを得ない。
社会では間違った選択でも、自然では間違いとはいえないことがあると思った。
人間のルールは自然界のルールではない。あくまでも私たちが作ったルール。
それに人間のルールも統一されてないしね。
ひたむきに生きた女性の生涯
1人の女の子の成長物語であり、恋愛もあり法廷ものでもある。色々な要素を1人の女性の生き様の中で表現して、見事に成功している。
これだけてんこ盛りの要素を組み込んで、過不足がないのは、脚本の素晴らしさかもしれない。
そして、唯一、彼女が一般の人と違っているのは、彼女は自然に育てられたということだ。そこには倫理観はない。自然の摂理に従って行動した彼女の行いを知ることになるラストには驚かされた。自然界では自分を脅かすものから守るためには相手を殺すことも正義なのだ。
小さい頃別れた母親が迎えにきてくれて、幸せな死を迎えるのだ。おかした罪への罪悪感などもちろんない。面白い視点だった。
印象的なタイトルにつられました
芯の強い女性の一代記。
法廷劇と、彼女の身の上が同時に語られる。
映画と言うよりは、法廷ドラマを見ているような印象だった。
ただし、とても印象に深い湿地帯の自然描写と、文字通り「独り」で生きてきたいたいけな少女の成長を、美しく儚く語っている。
原作があるらしいが、未読なので何とも言えないが、お話しには少々無理があると思わずにはいられなかった。
少女が未就学のまま大人に成長していくこと。
湿地帯で文明の恩恵を受けられないまま、どうやって病苦や自然災害を乗り越えたのか。
何しろ、テレビや新聞すら無いのだ。まして彼女は字も読めない。
それと、彼女と深いつながりを持つ二人の青年。
一人は地元の幼なじみで、大学進学の時に彼女のもとを去る。
もう一人はその劣化版のような男で、彼女にひどい仕打ちをする。
この二人が似ているので混乱する。
演出の一環なのか、私の認知能力に問題があるのか、白人の若い男性はみんな同じ顔に見えてしまう。
さらには、1960年代のアメリカの片田舎の物語なので、女性の権利も今とはずいぶん違っている。家庭内暴力も、泣き寝入りが当たり前の時代だったようだ。
最後には、蛇足のような後半生のことが駆け足に語られるが、そこで衝撃の秘密が打ち明けられる。知りたくなかったし、映像化する必要も無かったように思う。
タイトルバックに印象的な主題歌が重なるが、なんとテイラー・スイフトだった。
湿地の中に
原作は全米ベストセラー小説で、日本でも本屋大賞を受賞。
全く知らなかったが、昨夏アメリカで公開されるや批評は鈍かったがスマッシュヒット。日本でも昨秋大ヒットには至らなかったが、見た人の評判は上々。
この何とも風変わりなタイトル、ミステリーという食指そそるジャンルやあらすじなどからストーリーの面白さ、予告編などで主演の新進デイジー・エドガー=ジョーンズの魅力に惹かれ、結構気になってた作品。
1969年、米ノースカロライナ州。“ザリガニが鳴く”とも言われる自然に覆われた湿地帯で、一人の青年の変死体が発見される。町の人気者で裕福な家の息子、チェイス。
容疑者として浮上したのは、彼との交際歴があった一人の少女。この湿地帯でたった一人で暮らし、“湿地の娘”と呼ばれるカイア。
裁判が始まり、事件の行方が追われると共に、カイアの歩んできた半生が語られていく…。
殺人か他殺かを巡る法廷ミステリー。
一人の少女と二人の青年のラブストーリー。
法廷ミステリー要素は面白くもあるが、ちと白熱さが弱くもある。ラブストーリーは予想通りにも展開していく。
が、主軸のカイアの生い立ちドラマには引き込まれるものがある。それは想像以上に悲しく、壮絶なものであった…。
幼少時から家族と共にこの湿地帯で暮らしていた。
家族一緒の穏やかな暮らしは長くは続かず。父親の暴力により、母親が家を去る。続くように兄弟たちも…。
暫くは父親と二人で暮らしていたが、やがてその父親も…。
家族に捨てられ、大自然の中にまだ幼い少女がたった一人…。
が、誰に頼る事なく、この地に留まり、生きていく。
生きる術は全て自然から学ぶ。過酷だが、これ以上ない教えと学び。
自然に善悪はない。生存本能。これらは終盤に響く。
貧しくも人並みの生活をしていかないといけない。貝採りで微々たるほどだが、賃金を稼ぐ。
自然の中で暮らし、貝採りなどで、動植物の豊富な知識が身に付いていく。そしてそれは後々花開く事に。
自然の中でずっと暮らし、人のいる町にも来ず、人との関わりも一切絶つ…って訳ではない。
幼少時一日だけ学校に通った事がある。が、裸足のみすぼらしい格好で嘲笑され、すぐ逃げ出す。
学も無く野生児そのもので、それ故“人と猿の中間”“夜目が光る”などの噂。
後々のあるシーンの台詞。私が拒絶したんじゃなく、町の皆が拒絶した。
日本でも“村八分”なんてのがある。うら若い女性とは言え、皆と違う者は除外者。差別偏見は容赦なく。
が、町の住人全員がカイアを毛嫌いしている訳ではない。
雑貨店を営む夫婦。カイアが採った貝を買ったり、靴を作ってくれたり、常々気遣ってくれる。唯一の人との接点。夫婦の優しさと眼差しが温かい。
そんなカイアも年頃の乙女に。自然の中で暮らしているから出会いなど…いや、運命的な出会いが。
幼少時にも会っている兄弟の友達、テイト。成長した彼と再会。
この田舎の地から大学進学を目指すほど優秀。
カイアは彼から読み書きを教わる。
テイトの性格は優しく誠実。
一緒に過ごす時間が何より欠けがえのないものになっていく。お互いに。
若い二人は自然と惹かれ合っていく。が…
町を出て進学が決まったテイト。この湿地から出ようとしないカイア。
やがてテイトは町を出、また戻って来る日を約束し、カイアはその日を楽しみにしていたのだが…。
カイアはまた一人に…。
カイアは湿地帯の動植物を記録し続ける日々を送っていた。家や周囲が私的財産になるには滞納金を払わねばならず、スケッチや記録を本にする事を出版社とやり取りしていた。
一人で生きていく。もう恋なんてしない。が、そんな彼女の前に現れたのが…
チェイス。カイアの生活範囲にズケズケ入ってくるほど、性格は積極的でちと横柄。
失恋の痛手を癒すのは、全く違う相手。
チェイスと身体の関係も結び、結婚の話も持ち上がったある日…。
あれから何年も経って、テイトが帰ってきた。大学を卒業し、町近くの自然研究所で働いているという。
テイトは再会の約束を破った事を謝罪する。自身の将来とここでカイアと暮らす事を天秤に掛け、傾いたのは…。が、自分の人生は彼女ナシでは成り立たない事と自分の不甲斐なさを詫びるが…、カイアは拒絶。
ある時テイトは町で、チェイスがただ身体の関係のみでカイアに近付いた事を知る。
そしてカイアもチェイスに婚約者がいる事を知る。
険悪になる二人。チェイスは強引にカイアを○○○しようとするが、カイアは抵抗。チェイスは激昂し、カイアの家をメチャクチャにしたり、いつ何時襲い掛かってくるか付きまとう。
まるで父親の暴力と恐怖から逃れた母親と同じ。
ずっとそれに怯え、恐れて暮らしていかなければならないのか…?
出版社との話もあり、テイトの勧めもあって、カイアは珍しく町を出る。バスに乗り込むカイアの姿も目撃されている。
その夜、チェイスは湿地帯で…。
カイアには一見アリバイがある。が、その時間の絶対的なアリバイという訳ではない。
出版社の人たちと別のホテルに泊まり、深夜バスに乗り湿地帯に戻り、チェイスを殺した…と検察は主張。
弁護士は無理がある検察の主張に反論。陪審員に問う。差別偏見の色眼鏡を今こそ外すべきだと。
そして下された判決は…
ミステリー×ラブストーリー×波乱万丈なドラマで、非常にメロドラマチックな作りでもある。
が、湿地帯の雰囲気がそれにマッチ。ジメジメしながらも、ロマンチックさとドラマチックさが作品を駆り立てる。
湿地帯の美しい大自然映像は言うまでもなく。マイケル・ダナの音楽も美しく奏でる。
それほど有名俳優は出てないが、唯一のビッグネーム。カイアの弁護士役のデヴィッド・ストラザーンが渋い好助演。
しかし本作の特筆すべきはやはり、主演のデイジー・エドガー=ジョーンズだろう。
初めましての女優さんだが、美しさ、儚さ、脆さ、強さ、逞しさ、可愛らしさやいじらしさ…魅せる全ての表情や佇まいに魅了された。またまたこれから楽しみの逸材が。
カイアの幼少時の子役も達者な演技。
彼女の体現、プロデュースにリース・ウィザースプーン、監督も女性…メインスタッフの多くも女性で、ヒロインの心情にしっとりと寄り添う。
作品に魅了され、本作の為に書き下ろしたテイラー・スウィフトの主題歌が余韻を謳い上げる。
判決は、無罪。
カイアとテイトは結ばれ、この湿地で末長く暮らす。共に老い、カイアが天に召されるまで。
めでたしめでたしハッピーエンドだが、最後の最後に衝撃の事実。
もしそれが本当だとすると、一体どうやって…? 検察の主張通りなのか…?
不可解は残るが、テイトはその真実を…。
“ザリガニの鳴くところ”というタイトルからザリガニがキーパーソンになるのかと思いきや、ザリガニは一匹も登場しない。あくまでそういう場所に過ぎない。
ザリガニが鳴くなんて不思議な事。つまりは触手などが出す音が鳴き声のように聞こえる。何だかそれも神秘的。
そんな不思議な事すら起きる。
全ての秘密を抱き、包み込む。
真実を葬り去る。
愛と業の湿地の中に。
湿地の娘。のことを色々感じながら診てほしい。
操作ミスで吹替で見始めてしまったが、とても良かった♪
心理描写も分かりやすかった。
殺人事件の裁判を中心に、湿地の娘の人生を観ていくのだが、
どんだけ感情移入できるかによって、観え方が違う気がする。
私はこの娘の美しさ、境遇にガッツリ心を持ってかれたので、
観終わったときは、なかなかのなかなかでした。
犯人は誰か?
動機は?
色々考えながら、観ていってほしい。
ちなみに、ザリガニが鳴くシーンを期待したいが、
そういう作品ではなかった(笑)
生きるためには…
衝撃のラスト。カイヤがチェイスを殺害していたとは。自然界では善悪ではなく、生きるために必要なこと。父親に暴力をふるわれ、子供達を置き去りにして、逃げるしか無かった母親を見て育ったなら尚更。主演のデイジー・エドガー=ジョーンズの透明感、孤独から解放されたときの表情が輝きを放っていた。脇を固めるデビッド・ストラザーンが良い。
湿地の正義
湿地で孤独に少女が暮らすなんて、あり得ないし非現実的、と途中でやめてしまおうかと思ったが、映像の美しさに最後まで見てしまった。
鳥や虫たちがとても美しくて表現されている。
カイヤの世界は結局1.3km2の湿地の中にあったのだろう。
町のルールとは無縁で生きる。
自然には善悪はなく、ただ生きる知恵がある。
彼女も生きるために知恵を使ったのだろう。
町で暮らそうと言うチェイスではなく、一緒に湿地でくらしてくれるテイトを選んだのもそのためだろう。
だけど、そのために親切にしてくれる町の皆を騙したというのは、ちょっといただけない。テイトだけがその十字架を背負うのだが、それもね。
って事で、マイナス1です。
でもまぁ、女子供を殴る男は救いようがないので殺したくなる気持ちはよくわかる。警察を使えばいいのに、と思ってしまう私は町の人間なのでしょうね。
英語のタイトル見てびっくり
Where the crawdads sing.
crawって吐き気がするって時に使われるそうで、むかつく父親って意味でザリガニを選んでるのでは、と思った。
だとしたら、父親も殺されていたりして??なんて。家族が湿地から出ていくシーンは描かれてたけど、父親のシーンてあったっけ??
そうなると、彼女が頑なに湿地に執着したわけも、施設に行くのを拒んだ訳も違う意味合いに捉えられるし、カイアの姿が全く違く見えてくる。
ラスト2分前、、、
案の定、想像通り、というか期待どおりカイアがチェイスを殺してないと1000パーセント思っていたので、
裁判に勝って、無罪となってそりゃ無罪だわなー
と思っていたところ、
そういえば貝殻は結局どこにあったのだろー、、
と、ぼんやりモヤモヤとしていたが、
そのまま物語はすすみ、
想定通り、テイトと復縁し、
そのまま共に年を取り、
穏やかに暮らす風景が流れていながらも、
まだぼんやりと貝殻どこいったんだろー、、
と思っていたら、、、、
まさかのまさか!!!!!!!
びっくり仰天とはこのこと。
あの貝殻が本に挟まっていたとは、、、、
まてよ、、、、
貝殻がここにあるということは、、、😱😱😱😱😱😱😱😱😱😱
ひえーーーー
やられた。
私の頭の中がまだ混乱している。
だってラスト2分前くらいでこのままもう平和に終わるものだと思っていたから
あの貝殻は特に発見されないまま終わるんだろうなー、
貝殻の居場所、視聴者の想像に任せるパターンかー、
よくある想像させるやつねー、
と思っていたところ、、、
ラスト中のラストのどんでんがえし。
びっっくり。
カイアが殺めていたのか、、、、
ラストの衝撃の余韻がすっごい。
でも殺されるようなことをチェイスはしていたからね、、、うん、
「お母さんが出て行く理由が分かった、男というのは、最後には必ず自分が殴る」と言っていた。
チェイスはまた必ずやり返しにやってくる、と勘づいたからやられる前に何か手を打たなくては、とカイヤは思ったのだろう、
『殺る』という手を打っていなかったら、
今頃チェイスは復讐にきてカイヤが殺されていたかもしれない。
余談だが、
はじめテイトとチェイスの違いがわからず、
どことなく二人顔が似ているし名前も「イ」が同じで韻もなんか似てるし、
前髪の分け目も似てたけど(笑)
死んだ人がえ!?あらわれた?チェイスがテイトやっけ?え?え?(笑)テイトチェイス?(笑)
と、少し見慣れるまでに時間がかかった(笑)
原作に比べると深み不足、雰囲気感は良好
原作読了後の鑑賞です
Amazonプライムで鑑賞
やはり原作の重厚さを
2時間で表現するのには
無理がありました…
主人公カイアの感じる
家族から取り残された孤独
周りから差別される苦しみ
信じていた人に裏切られる悲しみ
は深みが足りない感じにはなってしまいました
それでも
一つの映画作品としては
見応えがアリです
映画全体を
うまく陰鬱な雰囲気に包まれており
カイアの語りも含めて
湿地、沼地の持つ雰囲気が
うまく表現されていました
これからは
映画を楽しくみるには
映画→原作
の方が良いかもしれませんねえ
ラストは
みなさん言っている通り
原作と同様の驚きシーンが待ってます
お楽しみに😊
深い。人として生きること。愛することとは。
わたしの単純な思考だと作品が本当に語りたかったことを感じ取れないため、ここのレビューには本当に助けられる。
そして今回も助けられた。
鑑賞しレビューを読む…
それを踏まえたうえでの感想は『なるほどーーー‼︎』だ。
幼い頃に家族に見捨てられた少女が1人で生活し、
生きていく中で2人の男性から見初められ、その1人が遺体となり発見される。
ここからの法廷劇から解決までの物語。
かと思っていた。
違う。ぜんっぜん違った!!
カイアが法廷であんなに平然としていたのも、無実だとわかってホッとしていたのも、自分の罪を隠していたからではなく、ただ純粋に“湿地に帰りたかったから”それだけ。
最後の最後、あの貝殻のネックレスが意味するもの。
あれは恐らく…殺人を意味するもの。
でも、本人は悪い事したとは思っていないかもしれない。
ただ湿地で植物や動物たちから学んだ身の守り方で自分を守っただけなのだろう。
そして、最後に本当に愛する人と平穏に暮らして生涯を終える。
その懺悔を夫にする必要はない。
彼女は学校にも行かず、ずっと1人だったから人としての善悪というものがないのかも。純粋に。
殺された男性と結婚した男性は対照的た2人だった。
体を重ねたときも、片方とはめっちゃ幸せそうで気持ちよさそうなのに、もう片方は独りよがりだしめっちゃ痛そうだし。
そこも男性の人となりが見て取れたなぁと思う。
でも貝殻のネックレスはずっとつけてたんだなぁー…
彼もかわいそうな人だったのかもしれない。
あんな母親だもんね。
だから何にも縛られず自由に生きるカイアに憧れて惹かれた。
そこで、自分の気持ちに素直になって、周りの目なんて気にせず、真っ直ぐにカイアへの気持ちをだしていたら違ったろうに…
小説も読んでみたいと思った。
真実に、圧倒、圧巻
息もできない、とは、この事かと思いました。
途中まで、私は主人公に寄り添っていました。
いや、寄り添った気になっていました。
しかし、本当に彼女を受け止め、包み込んでいたのは、
大いなる自然・彼女の愛した湿地だったことに気づき、
息が止まったかのような心地になりました。
この真実に、圧倒、圧巻。
"自然に善悪はない。
彼らが生きるための知恵なのかもしれない。"
そうか、そうだったんだ…。
うわぁぁぁ…しばらく呆然…。
(深呼吸…)
映画、開始10秒ほどで好きに。
緑豊かな湿地の映像が本当に綺麗。
舞い上がる赤や黄色の落ち葉たち、
空を埋め尽くさんばかりのハクガンの群れ。
水面を宝石のように輝かせる湿地、
動植物に虫たち。
自然が好きな方にもこの映画はお勧めしたい。
本当に、映像の美しさ、見事です。
鳴かぬなら
ヒロイン、編集者と会食時「自然に善悪なんてないのかもしれませんネ😃」とかしれっと言ってた時点で「こいつ、確実に""殺る""!!!!!」てなったのでなんなら売店のご夫婦とか元カレとかお兄さんとかも全員グルになってわるもん殺したのかなと思ってたら全部一人でがんばってたの???やばい
裁判も勝って、愛してくれるちゃんとした男(手紙くらいは送ってあげてよ🪶)と一緒に過ごせて、好きな場所で逝けてよかったね本当
才能が埋もれなかったのもよかった
湿地の女は強い
逆転のトライアングル見たばかりなのでカールがゴミの役をしていたのも面白かったです
クラスメイトの目の前でつづり言わせる教師頭足りなさすぎるだろとか、お母さん自身も大変だったとはいえあの旦那のもとに子供置いてけぼりなのはちょっと(弁護士費用を貯めてたというフォローはあったけども)よくないとか、濡れ場表現、少女漫画?とか、主人公の行動が最低男殺した以外あんまり共感できないとか、街の人が忌み嫌う理由が正直主人公がかわいすぎるせいでよくわかんないとか、、、ハマりきれなかったところはあったものの最後まで楽しくは観れた
原作読んだらまた印象変わるかも
これはとんでもなくいい作品
私ごとですが、昨年入院等と重なり
劇場公開の機を逸した作品。
早々にネット配信されて、
399ptにて鑑賞させていただきました。
あ〜、これで一件落着。
良かった、良かった。
と完全に油断していました。
最後の最後でまさかまさかの大どんでん返し。
自然の風景がとても綺麗に描かれていて
良かったです。
テイトを浜辺で待つシーンは
胸が締め付けられました。
原作既読からの感想
原作を読んで物語を好きになったので、映像化した作品も見てみたいと思い鑑賞。
結論からいうと
映像は綺麗に描写されているのですが、物語の綺麗な映像を綺麗に描こうとしすぎているのではないかという点と、どうしても原作を読んだ後の視点から見てしまうため映画の尺が足りていなという感想。特に前半部分の尺が全然足りていない。
個人的には主人公がどのように幼少期を過ごし、成長してきたかがこの物語の重要なポイントだと考えているので家族構成、家庭環境、生活環境等の背景を丁寧に表現して欲しかった。
この描写があることで綺麗な一面だけではなく、暗い一面も正確に読み取れ湿地の美しさと暗さという対比を表現できたのになと。
幼少期の尺が短いせいで主人公がどれだけ自分の家族を欲していたかが描き切れていない事と、兄ジョディとの関係もわからないじゃないかと寂しい気持ちになりました。
後半のテイトが戻ってきてカイアと口論する辺りからは良くなってきたなという印象。
チェイスに暴力を振るわれ何故母親が出ていったかという長年の疑問が解決するところは丁寧に描かれていたなと思います。
だけど裁判のやり取りあたりも少し描写が足りていなかったりもあったので結論がやはり尺が足りない為物語の良さを描き切れていないなという感想。
描き切れていない為、どれも中途半端な表現になってしまっていて結局どれを一番強く伝えることができなくなってしまっています。
役者のイメージも嵌っていて、映像も綺麗なのでもったいないな。
もうぶっちゃけ赤毛のアンみたいに長編3部作か2部作で丁寧に制作してほしかった。
全然作り直してくれてもいいんですよ?
最後に見えるものは?
作品は主人公が不幸な生い立ちの中から自分や大切な物を守りながら生き抜き幸せをつかみ取るという内容で、ストーリーも異国の異世界の話で面白くとても楽しめました。
女性が幸せになれるかなれないかのヒントがある作品だと思いました。
この作品を観た後に始めて鬼滅の刃・無限列車編を観ました。
両方の作品も主要登場人物が死の直前にそれぞれの最愛の人物であろう母親が現れます。
私の人生でも最後に最愛の人が現れるんだろうか?と思いました。
性的自己決定権を尊重するときは、大自然と心を通わせるようにして
「ミステリー小説の映画化」と銘打ってはいるが、映画の主要な部分を占めるのは、美しい自然を謳歌する女性、そして愛する人とのロマンスの光景だ。その過程で、性的同意への尊重、女性の自立や、女性の生きがいに対する共鳴・理解・尊重を重要視する作品であることが描かれる。
主人公の性的自己決定権を尊重する男性は報われ、彼女の性的同意を蔑ろにする男性は罰を受ける。
男性の所有物ではない女性像。男性の意思だけが考慮されるのではなく、両性の(と書いてしまうと、性的多様性の観点からは誤解を招きそうだが)意思が平等に考慮されて欲しい、「男性の欲望から行為へ」という飛躍した2段階プロセスの間に、性的な意思決定の過程が存在することを大事にして欲しい、という願いが作品の原動力になっているようにも思える。
殺人事件の発生と、裁判の過程は、物語のきっかけづくりに過ぎない。「1人の女性の生き様を見せ、彼女にとって一体何が大切であるか」ということを観客に考えさせることが、まず第1に作品が尊重している点なのではないか。
それは、自然をありのままに愛するように少し難しいが、優しさと温かみに溢れたことなのかもしれない。そのような意味で、「カロライナの湿地帯が育む豊かな大自然と、そこに同化した女性」という舞台設定は、このコンテンツを、小説にとどまらず、映像化する価値のあるものに仕上げている。
このような「シチュエーション+女性の(性的)自己決定権への尊重」という内容は、最近だと『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』でも見た内容だ。『ザリガニの鳴くところ』と、『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』は、性被害の顛末と真相という構成を取る点で似通っている
考え方は様々であると思うが、「自然を愛する姿勢でいることと、女性の(性的)自己決定を尊重することは、メンタリティ的に似ている」というアイデアが、原作および今作品の根幹にあるのではないだろうか。ーこれは男女関係に限らず、人間関係を、勝敗や上下関係(支配-隷属、指揮系統)に収束させてしまいがちな、伝統的な男性社会を癒し、解体するものなのかもしれない。
主人公という女性を、自然や、そこに生息する動植物と同一視してみよう。
【追記】自然は、美しく、喜びをもたらしてくれるものではありますが、悪天候の日もあり、必ずしも全てが人間の思い通りになるわけではありませんよね。恩寵ももたらしてくれるけれど、思い通りにはならない。思い通りにしようとするのは愚かなことだ...その感覚と同じようにして、女性や、他者の意思というものを尊重してみてはどうですか?という発想が今作の核にあると感じました。
★自然(恩寵と不快感、完全な支配の不可能性)=女性、他者
一番悪いのは煮えきらない駄目男と捨てた実母
ウ~ン。
今、第45章まで読み終わったが、犯人が分かってしまった。
頑固な白人の老女目線な寓話だと思う。現地を知っている者なら、その表現はリアルなのだろうと思ったが、やっぱり、火曜サス○ンス劇○だった。つまり、あまりサスペンス性は無いと思った。
小説は映画を見るようにスラスラ読めた。訳者の文章が良かったからだと思う。
一方、映画は動物をCGで描いていて最悪の表現。逆に自然を壊している。
突っ込み所は沢山あるが、一番悪いのは煮えきらない駄目男と捨てた実母だろうね。
日本の本屋大賞取る位だから、日本人好みの話になっている。ノースカロライナ州って、アメリカ独立13州で、南部連合に最後に加わった超保守的な土地柄。
つくづく、彼女が白人のカワイイ娘で良かったのだろう。映画を見て改めて思った事は、彼女に全く生活感が無い事(普通は髪の毛をショートにするはずだ)と彼女が余りにも男を見る目が無い事。やはり、白人の保守的老婆から見た理想の男像を『良い男』としている事が現実性に欠ける。
映画は7月2日 22時00分から見始める。
追記
黒人だから良い人とは限らない。都合よく話が大団円する少女終末旅行って所だ。原作読まずに、映画を見れば良いかと思う。
『自然には善悪はなく、全て生きる為』この理由で愚行を犯すべきではない。
この頃のこの地の黒人には『ストレンジ・フルーツ』になっていた者もいる。何も犯罪を犯していないのに。
『時には弱者が強者を葬る事もあっても良い』
自然界でそんな事は絶対に無い。人間界で時たま起きるだけ。しかも、結局は葬る側が強者になる。捕食者と捕食される側の関係が自然界で逆転する事は絶対に無い。
同じくノースカロライナの地
そのつながりで
『シルバー・ダラー・ロードの記憶』を見た。黒人だとこんな風になるのだと思った。2023年12/02 23時00分鑑賞。
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