ザリガニの鳴くところのレビュー・感想・評価
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井の中の蛙でも大海は知っとこう
親、姉妹に恵まれなかったが捨てる神あれば拾う神あり♪ 見てくれてる人はいる。 人と関わり始めると孤独を感じてしまう。だけど悪いことばかりではない。 今、人と関わることが当たり前だけどこの映画を通じて関わる人を自分で選ばなければいけないことを考えさせられた。 本当に愛した人と人生を共に生きられたことで彼女は幸せだったのか… 最後【君に読む物語】思い出したくらい泣きました!
事件の真相は初恋のなかにある!!
1969年のノースカロライナ州 静けさの中で川から飛び立つ鳥の羽ばたき 湿地帯を覆う木々の自然界。 ある日、少年2人が見つけた沼に横たわる 男性の死体。 死体はチェイスでした。 カイアにチェイス殺害の容疑がかかります。 ストーリーは、孤独と初恋を主軸に描かれています。 父親に暴力を振るわれて、家を去る母親 それに続いて次々と家を出ていくきょうだいたち。 学校に通うことが出来なかったカイア。 何かあったらザリガニの鳴くところまで 逃げろと助言を受けていたカイア。 6歳の少女が孤独を抱えながら必死で 生きていく強い生命力を感じました。 湿地帯の地面に根付いた森林。 朝霧の靄がかかる中で水面に浮かぶボートを漕ぐカイア。 羽ばたいていく雁を見て、カイアがどんな人生 だったかを考えさせられるストーリーでした。
鳴かぬなら
ヒロイン、編集者と会食時「自然に善悪なんてないのかもしれませんネ😃」とかしれっと言ってた時点で「こいつ、確実に""殺る""!!!!!」てなったのでなんなら売店のご夫婦とか元カレとかお兄さんとかも全員グルになってわるもん殺したのかなと思ってたら全部一人でがんばってたの???やばい
裁判も勝って、愛してくれるちゃんとした男(手紙くらいは送ってあげてよ🪶)と一緒に過ごせて、好きな場所で逝けてよかったね本当
才能が埋もれなかったのもよかった
湿地の女は強い
逆転のトライアングル見たばかりなのでカールがゴミの役をしていたのも面白かったです
クラスメイトの目の前でつづり言わせる教師頭足りなさすぎるだろとか、お母さん自身も大変だったとはいえあの旦那のもとに子供置いてけぼりなのはちょっと(弁護士費用を貯めてたというフォローはあったけども)よくないとか、濡れ場表現、少女漫画?とか、主人公の行動が最低男殺した以外あんまり共感できないとか、街の人が忌み嫌う理由が正直主人公がかわいすぎるせいでよくわかんないとか、、、ハマりきれなかったところはあったものの最後まで楽しくは観れた
原作読んだらまた印象変わるかも
世捨て人
世間と距離を置き、男を通じて社会での身の置き所のなさにもがく女性が描かれている。どこで生きるか、どこで死ぬかってのにとらわれると人生はぎゅっと難しくなる。ただしこの人の場合は自分が1番生きる場所を最初から知っていたので、苦しさも増すし、木と木の間の「世間」の風穴から、火の粉もふりまくってくる。 しかし、作品は引き込まれない。サスペンス風だが話を動かしているのは愚かな男のようで、サスペンスの必然性がない。女性も男も幼稚に見える。マジカルニグロもまだやっている。
映画という総合芸術の高みを堪能できる名作
封切り当時、チラシ&ポスターのビジュアルやちらほら見ていたレビュー、コメントからなんとなくホラー色を感じてしまい、迷っている間に終わってしまいました。 それでも、映画仲間の人たちにも評判がよく、中には2022ベストムービーと言う人もいたので、ようやく下北沢トリウッドで。 2/11〜すでに上映していたのに気が付かず、3/10(金)で終わるところ、週末駆け込みで。 これは、観れてよかった! ミステリー要素も映像美の要素も、普遍的な偏見や差別への警鐘も、自然(そのものも、それを体現する主人公という存在)への畏敬も全部入っていてあの完成度は凄い! ストーリーや映像から芸術への昇華のさせ方などいろんな意味で実に「ビックリ」なクオリティ。 あまりの余韻にパンフレットを求め、映画館のスタッフさんに話しかけ、帰宅途中でじっくりと読んで映画を噛みしめました。 これはもう一度、もう二度見てもまだまだ映画の深みにハマる気がしました。 また、2014年に公開された『MUD』という、、マシュー・マコノヒー主演の少し設定の似た映画を思い出しました。(当時この映画にもいたく感動しました) ちょっとエキセントリックなタイトルからは全く想像できない、こんなに美しく深層のあるドラマが描かれていたとは(墓場まで持って行く秘密はともかく)、原作にもそれを映像化したプロデューサーのR・ウィーザースプーンと制作チームにも、ただただ脱帽です。 ラストは、流れから「もしかして」と思ったらその通りでした。だからこそ、自然(とそれを体現した主人公)への畏敬がもう一つのテーマになっていると感じました。 主人公のmarsh girlは、荒ぶる自然そのものだった…ということが、映画の最後でわかるのです。 良い映画でした。語りたいです。
原作を読んでとても素敵で美しい作品だと思ったので映画も見た。 映画...
原作を読んでとても素敵で美しい作品だと思ったので映画も見た。 映画のロケ地はノースカロライナではなくルイジアナ州だそうだけど、小説を読みながら想像していた、カイアが生まれ育った湿地帯の美しい姿を映像で見られてとてもよかった。 この小説には様々な要素があって、素晴らしいミステリとしても有名だけど、貧困や差別を描いた社会派文学性もあり、親に捨てられた少女カイアが美しく聡明に成長する姿を描く成長譚でもある。 映画ではその要素が広く浅く取り入れられていて、カイアと恋人たちの恋愛シーンとミステリ要素を主軸にしている。あの濃厚な小説を2時間の映画にするために、やはりいろいろな要素が細切れにされていて、目まぐるしくいろいろな事が起こる。拘置所のサンディ・ジャスティスを映像に詰め込んでくれたのは良かった。 この小説で一番心に残ったのはカイアの成長譚としての要素で、一人の少女が差別や貧困に苦しみながらも賢明に生き、よい人達に出会いながら美しく育ち、そして秘密を残しながら去ってゆくところまでを丁寧に描いていて、それが最後に余韻となって響いていたと思う。 なのでその過程を丁寧に描いている小説のほうが最後の余韻も深く感じた。 あと自然は映像化してもその美しさは変わらないが、人物については映像化するとイメージが固定化してしまうので、文章で読んでいる方が想像力が良い方に働いて自由に読むことができ楽しく感じると思った。
原作を読みたくなる
面白かった。自然の美しさの中で育つも、人間の醜い部分の対比を見せられ、気持ちが入っていく。 小さい頃から孤立する環境に置かれ、それでも支援してくれる人がいる中で大人になり、恋や失恋を重ねていく。彼女の淡々とした演技がいい。 演出が上手いのか。 ディキンソンの存在感大きかったな。若手有望格らしく堂々とした中に繊細さが垣間見える。 ラストは原作どうなるのかな、是非読みたい。
これはとんでもなくいい作品
私ごとですが、昨年入院等と重なり
劇場公開の機を逸した作品。
早々にネット配信されて、
399ptにて鑑賞させていただきました。
あ〜、これで一件落着。
良かった、良かった。
と完全に油断していました。
最後の最後でまさかまさかの大どんでん返し。
自然の風景がとても綺麗に描かれていて
良かったです。
テイトを浜辺で待つシーンは
胸が締め付けられました。
美しい湿地帯
そこが隠すものは、生きるすべてのことだった。 寓話のような童話のような雰囲気を湛える作品でした。 テイトの部分をどう見るか。ということは、ミステリーをどう捉えるかによって少し評価は分かれるのかも知れないけど、法廷部分は厚めに表現してるので、この作品にミステリーをそこまで求めてない私にはこれで十分だった。 欲を言うなら、幼少期の描き方がもう少し欲しかったところです。それでも、とても好きな作品となりました。是非デレクターズカットを観てカイアの世界にまた浸りたい。
原作既読からの感想
原作を読んで物語を好きになったので、映像化した作品も見てみたいと思い鑑賞。
結論からいうと
映像は綺麗に描写されているのですが、物語の綺麗な映像を綺麗に描こうとしすぎているのではないかという点と、どうしても原作を読んだ後の視点から見てしまうため映画の尺が足りていなという感想。特に前半部分の尺が全然足りていない。
個人的には主人公がどのように幼少期を過ごし、成長してきたかがこの物語の重要なポイントだと考えているので家族構成、家庭環境、生活環境等の背景を丁寧に表現して欲しかった。
この描写があることで綺麗な一面だけではなく、暗い一面も正確に読み取れ湿地の美しさと暗さという対比を表現できたのになと。
幼少期の尺が短いせいで主人公がどれだけ自分の家族を欲していたかが描き切れていない事と、兄ジョディとの関係もわからないじゃないかと寂しい気持ちになりました。
後半のテイトが戻ってきてカイアと口論する辺りからは良くなってきたなという印象。
チェイスに暴力を振るわれ何故母親が出ていったかという長年の疑問が解決するところは丁寧に描かれていたなと思います。
だけど裁判のやり取りあたりも少し描写が足りていなかったりもあったので結論がやはり尺が足りない為物語の良さを描き切れていないなという感想。
描き切れていない為、どれも中途半端な表現になってしまっていて結局どれを一番強く伝えることができなくなってしまっています。
役者のイメージも嵌っていて、映像も綺麗なのでもったいないな。
もうぶっちゃけ赤毛のアンみたいに長編3部作か2部作で丁寧に制作してほしかった。
全然作り直してくれてもいいんですよ?
最後に見えるものは?
作品は主人公が不幸な生い立ちの中から自分や大切な物を守りながら生き抜き幸せをつかみ取るという内容で、ストーリーも異国の異世界の話で面白くとても楽しめました。
女性が幸せになれるかなれないかのヒントがある作品だと思いました。
この作品を観た後に始めて鬼滅の刃・無限列車編を観ました。
両方の作品も主要登場人物が死の直前にそれぞれの最愛の人物であろう母親が現れます。
私の人生でも最後に最愛の人が現れるんだろうか?と思いました。
沼地とドラマ
IMdbが7.1。 RottenTomatoesが34%と96%。 批評家評が異常に低かったが、なにが悪いのか解らなかった。 なにが悪いのか解らなかっただけでなく、RottenTomatoesの批評家がどんなことをダメだと言っているのか想像がつかなかった。 なので批評家の言い分を興味をもって読んだ。 ①メロドラマ②原作にくらべて浅い③脚本がよくない──という三つの主張が多かった。が、いずれにしても34%は低すぎて納得できなかった。 そこであっちの批評家評の低さを考察してみた。 おそらく②のことは大きいだろう。 Delia OwensのWhere the Crawdads Singはあっちで1,500万部売れたベストセラーだそうだ。すごく売れた本の映画化なので、精度の高い変換値が要求された結果、拒絶されてしまった感じ。日本で例えるならアニメの実写化で引き起こされたアニメファンの悲鳴のようなもの。ソースが愛されているばあい、総じてソースの愛好者から嫌われる。 また批評家の言説を読み解いていくと原作のWhere the Crawdads Singはもっと性的で禍々しいミステリーを提供していたようだ。marshという環境も含め、もっと沼地と血汗の匂い立つ気配が小説にはあった。(のではなかろうか。)それが綺麗な画に収まってしまったことへの不満が多く、インスタ的(映え狙い)という声も幾つかあった。 ②と③は連鎖して、脚本家Lucy Alibarも槍玉にあげられ、何人かがto kill a mockingbird(アラバマ物語)、テネシーウィリアムズ、ニコラススパークスを引き合いにして、それらに比べて浅いと述べていた。 さらに多数の批評家がこれをメロドラマだと指摘しているがメロドラマの定義がアメリカとこちらではちがうので①の指摘がまるでピンとこなかった。 われわれ日本人がメロドラマを感じるのは(たとえば)おしんや渡る世間は鬼ばかりや昼ドラ。演歌のように悲哀を背負って泥臭く辛苦がするのがメロドラマ。対してアメリカではなんらかの障害によって結ばれない恋愛話をメロドラマと言うようだ。ウィキペディアの「メロドラマ」に代表的なメロドラマ映画として嵐が丘風と共に去りぬブロークバックマウンテン逢びき哀愁フィラデルフィアマディソン郡の橋若草の頃私の秘密の花悲しみは空の彼方に、などが挙がっていた。 たしかに尽くしてくれた善人テイトと結ばれず金持ちのぼんぼんで女たらしのチェイスと結ばれてしまうのはメロドラマ的だった。最愛の人がいるのに茨の道をいく──そういうのをメロドラマと言うようだ。 ただしRottenTomatoesの批評家の中には絶賛している人もいた。 以前からRottenTomatoesのトマトメーターに思うことだが、批評家にはひねくれた奴が多い。日本もそうだから驚きはしないが、これが34%ってそりゃねえわ。原作と比べてどうのこうのあるにしても、とりあえず演出技量で測っていいとしたら、本作の演出は手堅いし、撮影も良かった。評点が半分以下というのはあり得ない。 (ただしこれはミステリーというよりファンタジーだった。そこに焦慮している意見が多かった──のは感じた。) デイジーエドガージョーンズはダコタジョンソンに似ていた。それにともなってぜんぜんちがう話/映画なんだがピーナッツバターファルコンを思わせた。個人的にはそれくらいいい映画だった。 ところで他の人のレビューにもあったのだが、映画のセールストークが本作の価値を貶めているという指摘があった。 どういうことかというとトレーラのキャッチコピーに「最後まで推理が止まらない」とか「結末は正真正銘の衝撃」とかの文言があり、それらを期待して見るとフーダニット映画じゃないから肩すかしを食らうということ。 そのとおりだと思う。 これは謂わばbayouのムードをたのしむ映画であり、カイヤがチェイスをやったんかやってないんかということはどうでもよかった。 カイヤは悲劇的な境遇を背負っているが、攻撃性向のある女でもあるだろう。過酷な家庭環境を生き延びる過程で、相手をやっつける狡賢さも学んだにちがいない。 ただしその非情や心理や推理や衝撃をOlivia Newman監督は、翻案の最前線にポジションさせていない。 沼地の自然で育った少女が人間社会と出会うという話。 だから謎解きというよりピーナッツバターファルコンに近いっていうわたしの感想にご同意いただける方もきっといるにちがいない。
性的自己決定権を尊重するときは、大自然と心を通わせるようにして
「ミステリー小説の映画化」と銘打ってはいるが、映画の主要な部分を占めるのは、美しい自然を謳歌する女性、そして愛する人とのロマンスの光景だ。その過程で、性的同意への尊重、女性の自立や、女性の生きがいに対する共鳴・理解・尊重を重要視する作品であることが描かれる。
主人公の性的自己決定権を尊重する男性は報われ、彼女の性的同意を蔑ろにする男性は罰を受ける。
男性の所有物ではない女性像。男性の意思だけが考慮されるのではなく、両性の(と書いてしまうと、性的多様性の観点からは誤解を招きそうだが)意思が平等に考慮されて欲しい、「男性の欲望から行為へ」という飛躍した2段階プロセスの間に、性的な意思決定の過程が存在することを大事にして欲しい、という願いが作品の原動力になっているようにも思える。
殺人事件の発生と、裁判の過程は、物語のきっかけづくりに過ぎない。「1人の女性の生き様を見せ、彼女にとって一体何が大切であるか」ということを観客に考えさせることが、まず第1に作品が尊重している点なのではないか。
それは、自然をありのままに愛するように少し難しいが、優しさと温かみに溢れたことなのかもしれない。そのような意味で、「カロライナの湿地帯が育む豊かな大自然と、そこに同化した女性」という舞台設定は、このコンテンツを、小説にとどまらず、映像化する価値のあるものに仕上げている。
このような「シチュエーション+女性の(性的)自己決定権への尊重」という内容は、最近だと『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』でも見た内容だ。『ザリガニの鳴くところ』と、『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』は、性被害の顛末と真相という構成を取る点で似通っている
考え方は様々であると思うが、「自然を愛する姿勢でいることと、女性の(性的)自己決定を尊重することは、メンタリティ的に似ている」というアイデアが、原作および今作品の根幹にあるのではないだろうか。ーこれは男女関係に限らず、人間関係を、勝敗や上下関係(支配-隷属、指揮系統)に収束させてしまいがちな、伝統的な男性社会を癒し、解体するものなのかもしれない。
主人公という女性を、自然や、そこに生息する動植物と同一視してみよう。
【追記】自然は、美しく、喜びをもたらしてくれるものではありますが、悪天候の日もあり、必ずしも全てが人間の思い通りになるわけではありませんよね。恩寵ももたらしてくれるけれど、思い通りにはならない。思い通りにしようとするのは愚かなことだ...その感覚と同じようにして、女性や、他者の意思というものを尊重してみてはどうですか?という発想が今作の核にあると感じました。
★自然(恩寵と不快感、完全な支配の不可能性)=女性、他者
一番悪いのは煮えきらない駄目男と捨てた実母
ウ~ン。
今、第45章まで読み終わったが、犯人が分かってしまった。
頑固な白人の老女目線な寓話だと思う。現地を知っている者なら、その表現はリアルなのだろうと思ったが、やっぱり、火曜サス○ンス劇○だった。つまり、あまりサスペンス性は無いと思った。
小説は映画を見るようにスラスラ読めた。訳者の文章が良かったからだと思う。
一方、映画は動物をCGで描いていて最悪の表現。逆に自然を壊している。
突っ込み所は沢山あるが、一番悪いのは煮えきらない駄目男と捨てた実母だろうね。
日本の本屋大賞取る位だから、日本人好みの話になっている。ノースカロライナ州って、アメリカ独立13州で、南部連合に最後に加わった超保守的な土地柄。
つくづく、彼女が白人のカワイイ娘で良かったのだろう。映画を見て改めて思った事は、彼女に全く生活感が無い事(普通は髪の毛をショートにするはずだ)と彼女が余りにも男を見る目が無い事。やはり、白人の保守的老婆から見た理想の男像を『良い男』としている事が現実性に欠ける。
映画は7月2日 22時00分から見始める。
追記
黒人だから良い人とは限らない。都合よく話が大団円する少女終末旅行って所だ。原作読まずに、映画を見れば良いかと思う。
『自然には善悪はなく、全て生きる為』この理由で愚行を犯すべきではない。
この頃のこの地の黒人には『ストレンジ・フルーツ』になっていた者もいる。何も犯罪を犯していないのに。
『時には弱者が強者を葬る事もあっても良い』
自然界でそんな事は絶対に無い。人間界で時たま起きるだけ。しかも、結局は葬る側が強者になる。捕食者と捕食される側の関係が自然界で逆転する事は絶対に無い。
同じくノースカロライナの地
そのつながりで
『シルバー・ダラー・ロードの記憶』を見た。黒人だとこんな風になるのだと思った。2023年12/02 23時00分鑑賞。
マザー ネーチャーズ ドーター
はい。良く私のやんちゃレビューを覗きに来て頂きましたね。ありがとうございます。
私が住む江戸川区は全域が海抜0メートル地帯なんですよ。だから私は湿地の少女 カイア(デイジー・エドガー=ジョーンズ)の気持ちに共感してしまいました。
江戸川区は金魚の養殖が盛んでした。しかしどんどん傾いて金魚池が放置されて普通の池だらけになったんです。
そこに良くザリガニ釣りに行ったよなー。いわゆるアメリカザリガニ。言っておきますが鳴きませんよ。ザリガニは。でも池にはウシガエルがいて、それは鳴いてたなあ。
戦後食料事情が厳しかった頃、ウシガエルを食料ガエルとして輸入して、餌としてアメリカザリガニも輸入したんですね。
結果論は承知ですが・・・浅知恵だったかなあ。奄美大島でマングースを放ったのも・・・
やはり例え少しであっても人が自然体系を壊すのは良くないのかなあ。魚のブラックバスとかブルーギルとかもそうですよね。
さて長々と面白くない事を語ってごめんなさい。オチもなくてごめんなさい。
さてと・・・もう少しだけ語らせて頂きます。私の近所の池はやがて埋め立てられ空き地になったんです。小学校の校庭くらいあります。
やがて近隣の住民はそこに粗大ゴミを捨て始め、さらに廃車が捨てられます。
一回カウントしたんですが、アバウト50台!さらにですよ・・・あり得ないものが・・・なんと!
死体‼️
うちにも警察が来たもん。
ホラーな話しですいません。
いやね、今は平和な住宅地ですからね。ただね・・・割と最近の話です。近所の道が通行止めになっていたんですね。
なんと!マンホールの作業員が地下で爆発に巻き込まれ、不幸にあいました。都市ガスではなくメタンガスです。
私の地域は海抜ゼロメートル地帯です。過去、地下には生物や植物の死骸が堆積しているのです。
それがメタンガスの発生源になった。
いやねあの日はヘリコプターの音で目が覚めたもん。他人事じゃない。
これまたホラーな話しで申し訳ない。
普通の住宅地の地下にメタンガス。視界がぐにゃりと歪み、足元が崩れる。
さてと枕は終わりです。
物語はお金持ちの青年、チェイス(ハリス・ディキンソン)の墜落死体から幕を開けます。被疑者は湿地の少女、カイア(デイジー・エドガー=ジョーンズ)時は1969年。
そして回想。少女時代。父親はDVで母を始終殴りつけます。また湿地の家は貧しく、カイアは常に裸足なんですよ。もうね不憫だし可哀想だし見てられない。
いいですか!裸足だと破傷風、つつが虫病と危険がいっぱい。さらにノースカロライナには蠍がいます。
裸足ダメ!絶対ダメ!
おいおい松田聖子聞いてるか?
裸足の季節じゃねえよ‼️
失礼しました。カイアは1日だけ裸足で学校に行きます。もちろん勉強はわかりません。すぐに行かなくなります。
そして母は耐えきれず出て行き。兄弟も出て行きます。父親も出て行き。とうとう一人ぼっち。寂しい。悲しい。そんなカイアを救ったのは湿地。ムール貝を採って雑貨屋に売ることで、禄を得ます。いやこの雑貨屋の黒人夫婦が本当に良い人。カイアは町の人に疎まれていますが常に寄り添ってね。靴も作ってくれた!
あー良かった!安堵した。どうでも良い話しなんだけど、この映画を観てから何回も夢を見る。私が裸足で、靴屋が見つからない。どうしよう?
おいおい!聞いてるか?B'zさんよー
裸足の女神じゃねえ‼️
すいません。カイアはハイティーンになりました。
そこに現れた美青年。テイト(テイラー・ジョン・スミス). 子供時代から顔馴染みです。鳥の羽根を介して恋仲になります。
しかも文盲のカイアに言葉を教えてくれます。そしてカイアの描く精緻なイラストに感銘して図鑑を出す事を提言。
しかしテイトは大学に進学してカイアとは疎遠になるんですね。長い長い待ち時間。テイトはあらゆる意味でカイアの全て。四年ですよ。四年。
そして待ち合わせ。久しぶりの邂逅。しかしながら待てど暮らせど、こねえ‼️いやこいよ。おいテイト!
あみんを見習えよ‼️
そこに、現れたのが稀代のクソ野朗、チェイス。
いやね湿地の描写が繊細でね、そして様々な生き物。素晴らしいんです。
カイアは過酷な湿地で育った少女。沢山の生き物は友人であり師匠であり生きる糧。
私はカイアだし、カイアは私だ!生き物大好きな私としてはシンパシーしかない!
閑話休題、リーガルサスペンス。さて陪審員裁判が始まります。そして評決は・・・,
はい。ここで、筆を擱くところ・・・
ここから激烈ネタバレに入ります。完全に!
良いですか?言いましたよ。ネタバレ言いますよ?
ノーリターン ポイントですよ。
えーーと・・・
実は・・・
早よ言えや‼️
犯人はヤス。
ポートピアか‼️
評決はナット ギルティ!無罪!良かったー信じてたよー、カイア。
カイアは結局、テイトと結婚して老衰でなくなりました。天寿ですね。しかし・・・
チェイスに渡した貝殻のネックレス(キーチェーンかも)
を遺品整理の時にテイトが発見。つまり・・・
カイアはチェイスを殺していました。
いやね大混乱だよ。私はカイアが無罪だと信じていたんです。だから無罪評決の時にホロリとね・・・
さらにネタバレの先なんですが。このドラマになんか不自然な部分は有りませんか?それはね・.・・
なんで父親出て行った?
他の人たちは映像で見せてるのに、ナレーションのみって変でしょ?
うん。カイアはやってる。
視界がぐにゃりと歪み、足元が崩れる。
父親の死体は湿地の家の下に有ります。それこそが湿地に拘る理由。
ザリガニの鳴くところ。
2回目だったらハードルは低い。
カイアはスナネコ。スナネコは砂漠の天使と言われるネコ。しかし人口保育でも飼育員さんに威嚇。
水は飲まない。水分補給は獲物から摂る。
自分の身は自分で守る。スナネコは見た目はもの凄く可愛い。しかしペットにはならない。猛獣。
足元が崩れそう。
言っておきますが私の妄想です。
クリエイターは全員女性。意味深長。
そんなこんなで、楽しい映画・・・か?
ジェンダーバリバリの映画かな?
お付き合い頂きありがとうございました。
湿地の娘
ノースカロライナ州の湿地に長く1人で生きる少女。
町の人は、
“狼が混ざっている“
“人と猿の中間のミッシング・リンク“
“暗闇で眼が光る“
そう言って蔑み仲間外れにした。
親に見捨てられ家族に捨てられた少女が、
自然を親友に強く生き抜くストーリー。
ラブロマンスと、ひとりの男性の死の真相を裁く
法廷ミステリーでもある。
1950年代初め。
6歳のキャサリン・クラーク(カイア)は、
父親の暴力に耐えかねた母親が、湿地の家を出ていった。
姉や兄まで次々と去り、カイアは父親と2人きりになる。
心を保てたのは《湿地の自然・・・鳥や貝や羽根や植物》と
戯れる時間。
(湿地は全てを洗い流し、心を癒した)
そして父親まで湿地を去る。
しかしカイアはミル貝をドラッグ・ストアの黒人店主夫妻に売って
生活を保っていた。
カメラが美しい。
湿地の樹々や沼に渡ってくる白雁。
沼を泳ぐカイア、モーター付きのボートで移動するカイア。
カイアのモノローグは、詩のように知的で心に沁みる。
そして美しく成長したカイアをデイジー・エドガー・ジョーンズが、
逞しくて感情豊かな野性の娘を、情感込めて演じています。
幾ら沼地が好きでも、カイアもひとりの女性。
兄の友達だったテイトは、なにかと面倒をみてくれて、
学校に行かないカイアに字を教える。
そしてカイアには貝や鳥を描く才能があった。
大学へ進学して町を去るテイトは、カイアに出版社の連絡先を
メモして渡してくれる。
「きっと本にしてくれる、お金になるよ」
しかしそれっきりテイトは帰ってこなかった。
そして第2の男性=裕福な家庭のどら息子チェイスが近づいて来る。
結婚を匂わせて恋人関係になるが、婚約者の存在を知り傷付くカイア。
別れを告げると暴力が始まった。
チェイスはカイアの父親と同じ種類の男。
カイアの部屋をめちゃめちゃに荒らして、生活を壊す。
《生物は生きるために生命を懸けて闘う》
《生死は罪ではない、生存本能》
・・・カイアの言葉です。
ラストの見せ方がとても素晴らしい。
どんでん返しの衝撃!!
全世界で1500万部をセールスした大ベストセラー。
動物学者のディーリア・オーウェンズの処女作。
日本でも「本屋大賞」の外国書部門の1位を受賞。
私は正直の所。
ミステリーとしては、内容が乏しいと思います。
1960年代。
真剣な捜査は行われたのでしょうか?
女性が犯行を実行するにはかなりの無理がある。
185センチ85キロ位の男を、高所から突き落とす。
短時間の間にトンボ帰りして、編集者と打ち合わせをする。
靴も服も汚れなかったのでしょうか?
バスやホテルの目撃証言ひとつも無いなんて?
違和感といえば、「狼少女、猿のミックス・リンク」
そう呼ばれるにはあまりに清潔感あるお姿。
そして彼女の家は、後半にはアンティーク調のまるで
絵本のような可愛らしいインテリア雑誌に載るような家と家具です。
お風呂に入るのもままならないなら、髪は絡まり、
洋服や身体は垢まみれのはず。
まず風呂に入れてゴシゴシ洗い流すシーンからはじめるべき。
ライトノベル的ラブストーリー。
「君に読む物語」が大好きな私に、アレコレ言う資格もないのですが、
撮影の素晴らしさに較べて、内容の軽さが気になりました。
ザリガニって英語でcrawdadって言うんだね
この直前に観た「ザ・メニュー」が完全に期待はずれだったからか思っていた以上にこっちに持っていかれた感あり。 本格ミステリーでも刑事が出てくるわけではない、ただとにかく静かに沼にて暮らす少女の生活を覗いていくうえて謎が一枚一枚めくられていく感覚。 でも最後には覚悟を決めて絆創膏を一気に剥がしちゃう潔さもあり。忘れた頃に原作読みたいな。
多様性のひとつの形
この物語のバックボーンはタイトルに象徴される湿地帯の自然である。主人公はそこで家族から取り残され一人孤独に、しかし自力で生きていく。やがて、若い男の遺体が発見され、「湿地の女」として蔑まれてきた主人公が犯人とされる。主人公が弁護士にその来歴を語る形で物語は展開し、観客は主人公に感情移入しながら、主人公の生をともに生きていく。テイトとやり取りする鳥の羽や主人公の描く昆虫たちの細密画なども含め、豊かな水の自然は繊細で十分にエモーショナルであり、観客の共感を引き出す。だから私たちは結末を穏やかな気持ちで受け入れることができる。 昨今流行りのダイバーシティという言葉がある。多様性を意味するこの言葉は「みんなちがって、みんないい」(金子みすゞ)というように肯定的なものとして捉えられがちである。しかし、生物の多様性という概念は人間だけでなく自然、ひいては地球環境全体を指すべきものであるし、善や悪という概念を超えたものである。湿地帯の自然とともに生きた主人公は人間の矮小さ、邪悪な性質を退け、観るものにカタルシスと癒しをもたらすのだ。
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