ザリガニの鳴くところのレビュー・感想・評価
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深い。人として生きること。愛することとは。
わたしの単純な思考だと作品が本当に語りたかったことを感じ取れないため、ここのレビューには本当に助けられる。
そして今回も助けられた。
鑑賞しレビューを読む…
それを踏まえたうえでの感想は『なるほどーーー‼︎』だ。
幼い頃に家族に見捨てられた少女が1人で生活し、
生きていく中で2人の男性から見初められ、その1人が遺体となり発見される。
ここからの法廷劇から解決までの物語。
かと思っていた。
違う。ぜんっぜん違った!!
カイアが法廷であんなに平然としていたのも、無実だとわかってホッとしていたのも、自分の罪を隠していたからではなく、ただ純粋に“湿地に帰りたかったから”それだけ。
最後の最後、あの貝殻のネックレスが意味するもの。
あれは恐らく…殺人を意味するもの。
でも、本人は悪い事したとは思っていないかもしれない。
ただ湿地で植物や動物たちから学んだ身の守り方で自分を守っただけなのだろう。
そして、最後に本当に愛する人と平穏に暮らして生涯を終える。
その懺悔を夫にする必要はない。
彼女は学校にも行かず、ずっと1人だったから人としての善悪というものがないのかも。純粋に。
殺された男性と結婚した男性は対照的た2人だった。
体を重ねたときも、片方とはめっちゃ幸せそうで気持ちよさそうなのに、もう片方は独りよがりだしめっちゃ痛そうだし。
そこも男性の人となりが見て取れたなぁと思う。
でも貝殻のネックレスはずっとつけてたんだなぁー…
彼もかわいそうな人だったのかもしれない。
あんな母親だもんね。
だから何にも縛られず自由に生きるカイアに憧れて惹かれた。
そこで、自分の気持ちに素直になって、周りの目なんて気にせず、真っ直ぐにカイアへの気持ちをだしていたら違ったろうに…
小説も読んでみたいと思った。
真実に、圧倒、圧巻
息もできない、とは、この事かと思いました。
途中まで、私は主人公に寄り添っていました。
いや、寄り添った気になっていました。
しかし、本当に彼女を受け止め、包み込んでいたのは、
大いなる自然・彼女の愛した湿地だったことに気づき、
息が止まったかのような心地になりました。
この真実に、圧倒、圧巻。
"自然に善悪はない。
彼らが生きるための知恵なのかもしれない。"
そうか、そうだったんだ…。
うわぁぁぁ…しばらく呆然…。
(深呼吸…)
映画、開始10秒ほどで好きに。
緑豊かな湿地の映像が本当に綺麗。
舞い上がる赤や黄色の落ち葉たち、
空を埋め尽くさんばかりのハクガンの群れ。
水面を宝石のように輝かせる湿地、
動植物に虫たち。
自然が好きな方にもこの映画はお勧めしたい。
本当に、映像の美しさ、見事です。
何通りも考えられるラスト
カイヤが湿地を離れなかったのは、母親が迎えに来てくれるのを待っていたからなのだろうか?
井の中の蛙でも大海は知っとこう
事件の真相は初恋のなかにある!!
1969年のノースカロライナ州
静けさの中で川から飛び立つ鳥の羽ばたき
湿地帯を覆う木々の自然界。
ある日、少年2人が見つけた沼に横たわる
男性の死体。
死体はチェイスでした。
カイアにチェイス殺害の容疑がかかります。
ストーリーは、孤独と初恋を主軸に描かれています。
父親に暴力を振るわれて、家を去る母親
それに続いて次々と家を出ていくきょうだいたち。
学校に通うことが出来なかったカイア。
何かあったらザリガニの鳴くところまで
逃げろと助言を受けていたカイア。
6歳の少女が孤独を抱えながら必死で
生きていく強い生命力を感じました。
湿地帯の地面に根付いた森林。
朝霧の靄がかかる中で水面に浮かぶボートを漕ぐカイア。
羽ばたいていく雁を見て、カイアがどんな人生
だったかを考えさせられるストーリーでした。
鳴かぬなら
ヒロイン、編集者と会食時「自然に善悪なんてないのかもしれませんネ😃」とかしれっと言ってた時点で「こいつ、確実に""殺る""!!!!!」てなったのでなんなら売店のご夫婦とか元カレとかお兄さんとかも全員グルになってわるもん殺したのかなと思ってたら全部一人でがんばってたの???やばい
裁判も勝って、愛してくれるちゃんとした男(手紙くらいは送ってあげてよ🪶)と一緒に過ごせて、好きな場所で逝けてよかったね本当
才能が埋もれなかったのもよかった
湿地の女は強い
逆転のトライアングル見たばかりなのでカールがゴミの役をしていたのも面白かったです
クラスメイトの目の前でつづり言わせる教師頭足りなさすぎるだろとか、お母さん自身も大変だったとはいえあの旦那のもとに子供置いてけぼりなのはちょっと(弁護士費用を貯めてたというフォローはあったけども)よくないとか、濡れ場表現、少女漫画?とか、主人公の行動が最低男殺した以外あんまり共感できないとか、街の人が忌み嫌う理由が正直主人公がかわいすぎるせいでよくわかんないとか、、、ハマりきれなかったところはあったものの最後まで楽しくは観れた
原作読んだらまた印象変わるかも
世捨て人
映画という総合芸術の高みを堪能できる名作
封切り当時、チラシ&ポスターのビジュアルやちらほら見ていたレビュー、コメントからなんとなくホラー色を感じてしまい、迷っている間に終わってしまいました。
それでも、映画仲間の人たちにも評判がよく、中には2022ベストムービーと言う人もいたので、ようやく下北沢トリウッドで。
2/11〜すでに上映していたのに気が付かず、3/10(金)で終わるところ、週末駆け込みで。
これは、観れてよかった!
ミステリー要素も映像美の要素も、普遍的な偏見や差別への警鐘も、自然(そのものも、それを体現する主人公という存在)への畏敬も全部入っていてあの完成度は凄い!
ストーリーや映像から芸術への昇華のさせ方などいろんな意味で実に「ビックリ」なクオリティ。
あまりの余韻にパンフレットを求め、映画館のスタッフさんに話しかけ、帰宅途中でじっくりと読んで映画を噛みしめました。
これはもう一度、もう二度見てもまだまだ映画の深みにハマる気がしました。
また、2014年に公開された『MUD』という、、マシュー・マコノヒー主演の少し設定の似た映画を思い出しました。(当時この映画にもいたく感動しました)
ちょっとエキセントリックなタイトルからは全く想像できない、こんなに美しく深層のあるドラマが描かれていたとは(墓場まで持って行く秘密はともかく)、原作にもそれを映像化したプロデューサーのR・ウィーザースプーンと制作チームにも、ただただ脱帽です。
ラストは、流れから「もしかして」と思ったらその通りでした。だからこそ、自然(とそれを体現した主人公)への畏敬がもう一つのテーマになっていると感じました。
主人公のmarsh girlは、荒ぶる自然そのものだった…ということが、映画の最後でわかるのです。
良い映画でした。語りたいです。
原作を読んでとても素敵で美しい作品だと思ったので映画も見た。 映画...
原作を読んでとても素敵で美しい作品だと思ったので映画も見た。
映画のロケ地はノースカロライナではなくルイジアナ州だそうだけど、小説を読みながら想像していた、カイアが生まれ育った湿地帯の美しい姿を映像で見られてとてもよかった。
この小説には様々な要素があって、素晴らしいミステリとしても有名だけど、貧困や差別を描いた社会派文学性もあり、親に捨てられた少女カイアが美しく聡明に成長する姿を描く成長譚でもある。
映画ではその要素が広く浅く取り入れられていて、カイアと恋人たちの恋愛シーンとミステリ要素を主軸にしている。あの濃厚な小説を2時間の映画にするために、やはりいろいろな要素が細切れにされていて、目まぐるしくいろいろな事が起こる。拘置所のサンディ・ジャスティスを映像に詰め込んでくれたのは良かった。
この小説で一番心に残ったのはカイアの成長譚としての要素で、一人の少女が差別や貧困に苦しみながらも賢明に生き、よい人達に出会いながら美しく育ち、そして秘密を残しながら去ってゆくところまでを丁寧に描いていて、それが最後に余韻となって響いていたと思う。
なのでその過程を丁寧に描いている小説のほうが最後の余韻も深く感じた。
あと自然は映像化してもその美しさは変わらないが、人物については映像化するとイメージが固定化してしまうので、文章で読んでいる方が想像力が良い方に働いて自由に読むことができ楽しく感じると思った。
原作を読みたくなる
これはとんでもなくいい作品
私ごとですが、昨年入院等と重なり
劇場公開の機を逸した作品。
早々にネット配信されて、
399ptにて鑑賞させていただきました。
あ〜、これで一件落着。
良かった、良かった。
と完全に油断していました。
最後の最後でまさかまさかの大どんでん返し。
自然の風景がとても綺麗に描かれていて
良かったです。
テイトを浜辺で待つシーンは
胸が締め付けられました。
美しい湿地帯
原作既読からの感想
原作を読んで物語を好きになったので、映像化した作品も見てみたいと思い鑑賞。
結論からいうと
映像は綺麗に描写されているのですが、物語の綺麗な映像を綺麗に描こうとしすぎているのではないかという点と、どうしても原作を読んだ後の視点から見てしまうため映画の尺が足りていなという感想。特に前半部分の尺が全然足りていない。
個人的には主人公がどのように幼少期を過ごし、成長してきたかがこの物語の重要なポイントだと考えているので家族構成、家庭環境、生活環境等の背景を丁寧に表現して欲しかった。
この描写があることで綺麗な一面だけではなく、暗い一面も正確に読み取れ湿地の美しさと暗さという対比を表現できたのになと。
幼少期の尺が短いせいで主人公がどれだけ自分の家族を欲していたかが描き切れていない事と、兄ジョディとの関係もわからないじゃないかと寂しい気持ちになりました。
後半のテイトが戻ってきてカイアと口論する辺りからは良くなってきたなという印象。
チェイスに暴力を振るわれ何故母親が出ていったかという長年の疑問が解決するところは丁寧に描かれていたなと思います。
だけど裁判のやり取りあたりも少し描写が足りていなかったりもあったので結論がやはり尺が足りない為物語の良さを描き切れていないなという感想。
描き切れていない為、どれも中途半端な表現になってしまっていて結局どれを一番強く伝えることができなくなってしまっています。
役者のイメージも嵌っていて、映像も綺麗なのでもったいないな。
もうぶっちゃけ赤毛のアンみたいに長編3部作か2部作で丁寧に制作してほしかった。
全然作り直してくれてもいいんですよ?
最後に見えるものは?
作品は主人公が不幸な生い立ちの中から自分や大切な物を守りながら生き抜き幸せをつかみ取るという内容で、ストーリーも異国の異世界の話で面白くとても楽しめました。
女性が幸せになれるかなれないかのヒントがある作品だと思いました。
この作品を観た後に始めて鬼滅の刃・無限列車編を観ました。
両方の作品も主要登場人物が死の直前にそれぞれの最愛の人物であろう母親が現れます。
私の人生でも最後に最愛の人が現れるんだろうか?と思いました。
沼地とドラマ
IMdbが7.1。
RottenTomatoesが34%と96%。
批評家評が異常に低かったが、なにが悪いのか解らなかった。
なにが悪いのか解らなかっただけでなく、RottenTomatoesの批評家がどんなことをダメだと言っているのか想像がつかなかった。
なので批評家の言い分を興味をもって読んだ。
①メロドラマ②原作にくらべて浅い③脚本がよくない──という三つの主張が多かった。が、いずれにしても34%は低すぎて納得できなかった。
そこであっちの批評家評の低さを考察してみた。
おそらく②のことは大きいだろう。
Delia OwensのWhere the Crawdads Singはあっちで1,500万部売れたベストセラーだそうだ。すごく売れた本の映画化なので、精度の高い変換値が要求された結果、拒絶されてしまった感じ。日本で例えるならアニメの実写化で引き起こされたアニメファンの悲鳴のようなもの。ソースが愛されているばあい、総じてソースの愛好者から嫌われる。
また批評家の言説を読み解いていくと原作のWhere the Crawdads Singはもっと性的で禍々しいミステリーを提供していたようだ。marshという環境も含め、もっと沼地と血汗の匂い立つ気配が小説にはあった。(のではなかろうか。)それが綺麗な画に収まってしまったことへの不満が多く、インスタ的(映え狙い)という声も幾つかあった。
②と③は連鎖して、脚本家Lucy Alibarも槍玉にあげられ、何人かがto kill a mockingbird(アラバマ物語)、テネシーウィリアムズ、ニコラススパークスを引き合いにして、それらに比べて浅いと述べていた。
さらに多数の批評家がこれをメロドラマだと指摘しているがメロドラマの定義がアメリカとこちらではちがうので①の指摘がまるでピンとこなかった。
われわれ日本人がメロドラマを感じるのは(たとえば)おしんや渡る世間は鬼ばかりや昼ドラ。演歌のように悲哀を背負って泥臭く辛苦がするのがメロドラマ。対してアメリカではなんらかの障害によって結ばれない恋愛話をメロドラマと言うようだ。ウィキペディアの「メロドラマ」に代表的なメロドラマ映画として嵐が丘風と共に去りぬブロークバックマウンテン逢びき哀愁フィラデルフィアマディソン郡の橋若草の頃私の秘密の花悲しみは空の彼方に、などが挙がっていた。
たしかに尽くしてくれた善人テイトと結ばれず金持ちのぼんぼんで女たらしのチェイスと結ばれてしまうのはメロドラマ的だった。最愛の人がいるのに茨の道をいく──そういうのをメロドラマと言うようだ。
ただしRottenTomatoesの批評家の中には絶賛している人もいた。
以前からRottenTomatoesのトマトメーターに思うことだが、批評家にはひねくれた奴が多い。日本もそうだから驚きはしないが、これが34%ってそりゃねえわ。原作と比べてどうのこうのあるにしても、とりあえず演出技量で測っていいとしたら、本作の演出は手堅いし、撮影も良かった。評点が半分以下というのはあり得ない。
(ただしこれはミステリーというよりファンタジーだった。そこに焦慮している意見が多かった──のは感じた。)
デイジーエドガージョーンズはダコタジョンソンに似ていた。それにともなってぜんぜんちがう話/映画なんだがピーナッツバターファルコンを思わせた。個人的にはそれくらいいい映画だった。
ところで他の人のレビューにもあったのだが、映画のセールストークが本作の価値を貶めているという指摘があった。
どういうことかというとトレーラのキャッチコピーに「最後まで推理が止まらない」とか「結末は正真正銘の衝撃」とかの文言があり、それらを期待して見るとフーダニット映画じゃないから肩すかしを食らうということ。
そのとおりだと思う。
これは謂わばbayouのムードをたのしむ映画であり、カイヤがチェイスをやったんかやってないんかということはどうでもよかった。
カイヤは悲劇的な境遇を背負っているが、攻撃性向のある女でもあるだろう。過酷な家庭環境を生き延びる過程で、相手をやっつける狡賢さも学んだにちがいない。
ただしその非情や心理や推理や衝撃をOlivia Newman監督は、翻案の最前線にポジションさせていない。
沼地の自然で育った少女が人間社会と出会うという話。
だから謎解きというよりピーナッツバターファルコンに近いっていうわたしの感想にご同意いただける方もきっといるにちがいない。
性的自己決定権を尊重するときは、大自然と心を通わせるようにして
「ミステリー小説の映画化」と銘打ってはいるが、映画の主要な部分を占めるのは、美しい自然を謳歌する女性、そして愛する人とのロマンスの光景だ。その過程で、性的同意への尊重、女性の自立や、女性の生きがいに対する共鳴・理解・尊重を重要視する作品であることが描かれる。
主人公の性的自己決定権を尊重する男性は報われ、彼女の性的同意を蔑ろにする男性は罰を受ける。
男性の所有物ではない女性像。男性の意思だけが考慮されるのではなく、両性の(と書いてしまうと、性的多様性の観点からは誤解を招きそうだが)意思が平等に考慮されて欲しい、「男性の欲望から行為へ」という飛躍した2段階プロセスの間に、性的な意思決定の過程が存在することを大事にして欲しい、という願いが作品の原動力になっているようにも思える。
殺人事件の発生と、裁判の過程は、物語のきっかけづくりに過ぎない。「1人の女性の生き様を見せ、彼女にとって一体何が大切であるか」ということを観客に考えさせることが、まず第1に作品が尊重している点なのではないか。
それは、自然をありのままに愛するように少し難しいが、優しさと温かみに溢れたことなのかもしれない。そのような意味で、「カロライナの湿地帯が育む豊かな大自然と、そこに同化した女性」という舞台設定は、このコンテンツを、小説にとどまらず、映像化する価値のあるものに仕上げている。
このような「シチュエーション+女性の(性的)自己決定権への尊重」という内容は、最近だと『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』でも見た内容だ。『ザリガニの鳴くところ』と、『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』は、性被害の顛末と真相という構成を取る点で似通っている
考え方は様々であると思うが、「自然を愛する姿勢でいることと、女性の(性的)自己決定を尊重することは、メンタリティ的に似ている」というアイデアが、原作および今作品の根幹にあるのではないだろうか。ーこれは男女関係に限らず、人間関係を、勝敗や上下関係(支配-隷属、指揮系統)に収束させてしまいがちな、伝統的な男性社会を癒し、解体するものなのかもしれない。
主人公という女性を、自然や、そこに生息する動植物と同一視してみよう。
【追記】自然は、美しく、喜びをもたらしてくれるものではありますが、悪天候の日もあり、必ずしも全てが人間の思い通りになるわけではありませんよね。恩寵ももたらしてくれるけれど、思い通りにはならない。思い通りにしようとするのは愚かなことだ...その感覚と同じようにして、女性や、他者の意思というものを尊重してみてはどうですか?という発想が今作の核にあると感じました。
★自然(恩寵と不快感、完全な支配の不可能性)=女性、他者
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