ザリガニの鳴くところのレビュー・感想・評価
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独創的なストーリーとカイアに引き込まれる
沼地にひっそり佇む一軒家に、6歳からたったひとりで生きてきた少女カイア。学校にも行けず、沼地の貝を獲りながら人目を避けて暮らしていた。楽しみは沼地の生物の観察とそれらのスケッチ。そんな少女に救いの手を差し延べた人もいた。文字を教え、本を与えてくれた青年と雑貨屋の夫婦。そして美しく聡明に成長した少女。 今作は沼地の少女カイアが、一人のある青年の殺人容疑をかけられ、心優しい弁護士との会話で物語が進んでいく。 独特な設定と映像、カイアの存在感にどんどん引き込まれていった。そして最後になんて素敵なお話!ミステリーか?と思っていたら、最後の最後に驚愕の事実が明らかに…しっかりミステリーでした。
ひたむきに生きた女性の生涯
1人の女の子の成長物語であり、恋愛もあり法廷ものでもある。色々な要素を1人の女性の生き様の中で表現して、見事に成功している。
これだけてんこ盛りの要素を組み込んで、過不足がないのは、脚本の素晴らしさかもしれない。
そして、唯一、彼女が一般の人と違っているのは、彼女は自然に育てられたということだ。そこには倫理観はない。自然の摂理に従って行動した彼女の行いを知ることになるラストには驚かされた。自然界では自分を脅かすものから守るためには相手を殺すことも正義なのだ。
小さい頃別れた母親が迎えにきてくれて、幸せな死を迎えるのだ。おかした罪への罪悪感などもちろんない。面白い視点だった。
サスペンスでもなければ法廷ものでもなく、人間ドラマ。
暴力を振るう父に耐えかねて母が出ていき兄弟も次々いなくなりそして父にも捨てられ6歳にして1人で生活を始める主人公。 皆に蔑まれ、村で唯一親切にしてくれるのは貝を買い取ってくれる黒人夫婦のみだった。 やがてテイトと知り合い字を教えて貰う。彼は彼女に研究を出版するよう勧めるが大学に行くため村から出ていってしまう。5年間全く連絡が無いテイトに彼女は傷つきチェイスと付き合い出すがチェイスに婚約者がいることが分かる。 チェイスと別れようとするがしつこくつきまとうチェイス。 ある日チェイスが死に彼女が疑われる。彼女は町で出版社の人と会ってアリバイが有るのだがそれでも無理やり犯人に仕立て上げられる。陪審員の全員が彼女を蔑み馬鹿にしてきた村の人々だ。魔女裁判に近いものがある。無実を勝ち取れるのかというのが定石だがこの映画は裁判はあくまでも添え物に過ぎない。湿地の少女がどう生きたかを丁寧に描いた作品。 ラストは観客に委ねる形にはなっているものの多くの観客がやっぱり殺していたのだと思うのだろう。 でもそれだとテイトがあまりにも可哀想だと思うのでやっぱり殺してはいなかった説を唱えてみよう。先ず深夜にバスで戻るって深夜にバスなんか走ってないよ。深夜バスがあったとしてあんな村行きの深夜バスに乗る人なんていないからバスの運転手が彼女を覚えてないなんて有り得ないね。戻ったとしてどうやってチェイスの居場所が分かるのか?誘きだしたら誰かにカイルに会いに行くと喋るかもしれない。限りなく犯行は不可能な気がするんだけどな。大体殺したとしてそれを日記に書いて証拠のネックレス保存するなんて有り得ないよ。それにしても何故ネックレスを隠し持ってた?証拠でなくてもチェイスとの思い出の品なんか女性は一番先に捨ててしまうと思うんだけどなあ。 殺したとしたらテイトがあまりにも可哀想。何も知らず殺人犯と暮らしてきたのだ。殺してなくてもテイトが可哀想。妻が別れた恋人の想いでの品を後生大事に隠し持っていたのだから。カイルの人生を思ってカイルに感情移入すべき映画なのだとは分かっているが私はカイルに感情移入出来ない。テイトの気持ちになってやりきれない思いでラストを観た。
印象的なタイトルにつられました
芯の強い女性の一代記。
法廷劇と、彼女の身の上が同時に語られる。
映画と言うよりは、法廷ドラマを見ているような印象だった。
ただし、とても印象に深い湿地帯の自然描写と、文字通り「独り」で生きてきたいたいけな少女の成長を、美しく儚く語っている。
原作があるらしいが、未読なので何とも言えないが、お話しには少々無理があると思わずにはいられなかった。
少女が未就学のまま大人に成長していくこと。
湿地帯で文明の恩恵を受けられないまま、どうやって病苦や自然災害を乗り越えたのか。
何しろ、テレビや新聞すら無いのだ。まして彼女は字も読めない。
それと、彼女と深いつながりを持つ二人の青年。
一人は地元の幼なじみで、大学進学の時に彼女のもとを去る。
もう一人はその劣化版のような男で、彼女にひどい仕打ちをする。
この二人が似ているので混乱する。
演出の一環なのか、私の認知能力に問題があるのか、白人の若い男性はみんな同じ顔に見えてしまう。
さらには、1960年代のアメリカの片田舎の物語なので、女性の権利も今とはずいぶん違っている。家庭内暴力も、泣き寝入りが当たり前の時代だったようだ。
最後には、蛇足のような後半生のことが駆け足に語られるが、そこで衝撃の秘密が打ち明けられる。知りたくなかったし、映像化する必要も無かったように思う。
タイトルバックに印象的な主題歌が重なるが、なんとテイラー・スイフトだった。
カイアの成長
アメリカの田舎の湿地帯で、1人少女が家族に捨てられる。 小さなカイアが選んだ選択が、ミステリーへと繋がっていく。 湿地帯の自然の美しい景色の中で、雑貨屋の黒人夫婦に助けてもらいながら、美しい女性へと成長して行く。 1人で暮らす、美しい女性を男が放っておくわけが無く、恋愛、失恋、殺人事件へと繋がり、カイアは容疑者にされ、法定劇に発展。 裁判の結果、本当に殺人事件が起こったのか? 本当の真実は、カイアのみぞ知る映画でしたが、素敵なミステリー作品でした。
湿地の中に
原作は全米ベストセラー小説で、日本でも本屋大賞を受賞。
全く知らなかったが、昨夏アメリカで公開されるや批評は鈍かったがスマッシュヒット。日本でも昨秋大ヒットには至らなかったが、見た人の評判は上々。
この何とも風変わりなタイトル、ミステリーという食指そそるジャンルやあらすじなどからストーリーの面白さ、予告編などで主演の新進デイジー・エドガー=ジョーンズの魅力に惹かれ、結構気になってた作品。
1969年、米ノースカロライナ州。“ザリガニが鳴く”とも言われる自然に覆われた湿地帯で、一人の青年の変死体が発見される。町の人気者で裕福な家の息子、チェイス。
容疑者として浮上したのは、彼との交際歴があった一人の少女。この湿地帯でたった一人で暮らし、“湿地の娘”と呼ばれるカイア。
裁判が始まり、事件の行方が追われると共に、カイアの歩んできた半生が語られていく…。
殺人か他殺かを巡る法廷ミステリー。
一人の少女と二人の青年のラブストーリー。
法廷ミステリー要素は面白くもあるが、ちと白熱さが弱くもある。ラブストーリーは予想通りにも展開していく。
が、主軸のカイアの生い立ちドラマには引き込まれるものがある。それは想像以上に悲しく、壮絶なものであった…。
幼少時から家族と共にこの湿地帯で暮らしていた。
家族一緒の穏やかな暮らしは長くは続かず。父親の暴力により、母親が家を去る。続くように兄弟たちも…。
暫くは父親と二人で暮らしていたが、やがてその父親も…。
家族に捨てられ、大自然の中にまだ幼い少女がたった一人…。
が、誰に頼る事なく、この地に留まり、生きていく。
生きる術は全て自然から学ぶ。過酷だが、これ以上ない教えと学び。
自然に善悪はない。生存本能。これらは終盤に響く。
貧しくも人並みの生活をしていかないといけない。貝採りで微々たるほどだが、賃金を稼ぐ。
自然の中で暮らし、貝採りなどで、動植物の豊富な知識が身に付いていく。そしてそれは後々花開く事に。
自然の中でずっと暮らし、人のいる町にも来ず、人との関わりも一切絶つ…って訳ではない。
幼少時一日だけ学校に通った事がある。が、裸足のみすぼらしい格好で嘲笑され、すぐ逃げ出す。
学も無く野生児そのもので、それ故“人と猿の中間”“夜目が光る”などの噂。
後々のあるシーンの台詞。私が拒絶したんじゃなく、町の皆が拒絶した。
日本でも“村八分”なんてのがある。うら若い女性とは言え、皆と違う者は除外者。差別偏見は容赦なく。
が、町の住人全員がカイアを毛嫌いしている訳ではない。
雑貨店を営む夫婦。カイアが採った貝を買ったり、靴を作ってくれたり、常々気遣ってくれる。唯一の人との接点。夫婦の優しさと眼差しが温かい。
そんなカイアも年頃の乙女に。自然の中で暮らしているから出会いなど…いや、運命的な出会いが。
幼少時にも会っている兄弟の友達、テイト。成長した彼と再会。
この田舎の地から大学進学を目指すほど優秀。
カイアは彼から読み書きを教わる。
テイトの性格は優しく誠実。
一緒に過ごす時間が何より欠けがえのないものになっていく。お互いに。
若い二人は自然と惹かれ合っていく。が…
町を出て進学が決まったテイト。この湿地から出ようとしないカイア。
やがてテイトは町を出、また戻って来る日を約束し、カイアはその日を楽しみにしていたのだが…。
カイアはまた一人に…。
カイアは湿地帯の動植物を記録し続ける日々を送っていた。家や周囲が私的財産になるには滞納金を払わねばならず、スケッチや記録を本にする事を出版社とやり取りしていた。
一人で生きていく。もう恋なんてしない。が、そんな彼女の前に現れたのが…
チェイス。カイアの生活範囲にズケズケ入ってくるほど、性格は積極的でちと横柄。
失恋の痛手を癒すのは、全く違う相手。
チェイスと身体の関係も結び、結婚の話も持ち上がったある日…。
あれから何年も経って、テイトが帰ってきた。大学を卒業し、町近くの自然研究所で働いているという。
テイトは再会の約束を破った事を謝罪する。自身の将来とここでカイアと暮らす事を天秤に掛け、傾いたのは…。が、自分の人生は彼女ナシでは成り立たない事と自分の不甲斐なさを詫びるが…、カイアは拒絶。
ある時テイトは町で、チェイスがただ身体の関係のみでカイアに近付いた事を知る。
そしてカイアもチェイスに婚約者がいる事を知る。
険悪になる二人。チェイスは強引にカイアを○○○しようとするが、カイアは抵抗。チェイスは激昂し、カイアの家をメチャクチャにしたり、いつ何時襲い掛かってくるか付きまとう。
まるで父親の暴力と恐怖から逃れた母親と同じ。
ずっとそれに怯え、恐れて暮らしていかなければならないのか…?
出版社との話もあり、テイトの勧めもあって、カイアは珍しく町を出る。バスに乗り込むカイアの姿も目撃されている。
その夜、チェイスは湿地帯で…。
カイアには一見アリバイがある。が、その時間の絶対的なアリバイという訳ではない。
出版社の人たちと別のホテルに泊まり、深夜バスに乗り湿地帯に戻り、チェイスを殺した…と検察は主張。
弁護士は無理がある検察の主張に反論。陪審員に問う。差別偏見の色眼鏡を今こそ外すべきだと。
そして下された判決は…
ミステリー×ラブストーリー×波乱万丈なドラマで、非常にメロドラマチックな作りでもある。
が、湿地帯の雰囲気がそれにマッチ。ジメジメしながらも、ロマンチックさとドラマチックさが作品を駆り立てる。
湿地帯の美しい大自然映像は言うまでもなく。マイケル・ダナの音楽も美しく奏でる。
それほど有名俳優は出てないが、唯一のビッグネーム。カイアの弁護士役のデヴィッド・ストラザーンが渋い好助演。
しかし本作の特筆すべきはやはり、主演のデイジー・エドガー=ジョーンズだろう。
初めましての女優さんだが、美しさ、儚さ、脆さ、強さ、逞しさ、可愛らしさやいじらしさ…魅せる全ての表情や佇まいに魅了された。またまたこれから楽しみの逸材が。
カイアの幼少時の子役も達者な演技。
彼女の体現、プロデュースにリース・ウィザースプーン、監督も女性…メインスタッフの多くも女性で、ヒロインの心情にしっとりと寄り添う。
作品に魅了され、本作の為に書き下ろしたテイラー・スウィフトの主題歌が余韻を謳い上げる。
判決は、無罪。
カイアとテイトは結ばれ、この湿地で末長く暮らす。共に老い、カイアが天に召されるまで。
めでたしめでたしハッピーエンドだが、最後の最後に衝撃の事実。
もしそれが本当だとすると、一体どうやって…? 検察の主張通りなのか…?
不可解は残るが、テイトはその真実を…。
“ザリガニの鳴くところ”というタイトルからザリガニがキーパーソンになるのかと思いきや、ザリガニは一匹も登場しない。あくまでそういう場所に過ぎない。
ザリガニが鳴くなんて不思議な事。つまりは触手などが出す音が鳴き声のように聞こえる。何だかそれも神秘的。
そんな不思議な事すら起きる。
全ての秘密を抱き、包み込む。
真実を葬り去る。
愛と業の湿地の中に。
湿地の娘。のことを色々感じながら診てほしい。
操作ミスで吹替で見始めてしまったが、とても良かった♪
心理描写も分かりやすかった。
殺人事件の裁判を中心に、湿地の娘の人生を観ていくのだが、
どんだけ感情移入できるかによって、観え方が違う気がする。
私はこの娘の美しさ、境遇にガッツリ心を持ってかれたので、
観終わったときは、なかなかのなかなかでした。
犯人は誰か?
動機は?
色々考えながら、観ていってほしい。
ちなみに、ザリガニが鳴くシーンを期待したいが、
そういう作品ではなかった(笑)
広大なる湿地帯での、生の連環
原作はディーリア・オーウェンズの同名小説。 【ストーリー】 1969年、ノースカロライナ州。 湿地帯の物見やぐらの足元で、チェイス・アンドリュースの墜死体が発見される。 物見やぐらは足場の一部が外されており、保安官たちはそこから落下したと判断する。 チェイスは田舎町の上流階級に属する男で、彼と交流があり、殺害の動機もあるキャサリン・クラーク、通称「湿地の娘」が容疑者としてあげられる。 この片田舎の町に溶け込めず異物としてあつかわれてきたキャサリン。 彼女が幼いころ、飲んだくれのろくでなしの父親から絶え間ないDVを受け、母は去り兄もついて出ていった。 やがて父もその姿を消し、彼女は広大なる湿地のあばら屋で、たった一人で生きてきた。 収入は採取したムール貝を売る事で得ていた。 店を営むジャンピンとメイベル夫妻は情にあつく、幼い頃から裸足で貝を売りにくるキャサリンを、事ごと世話してやっていた。 思春期が訪れて美しく成長したキャサリンのところに、兄の友人のテイト・ウォーカーが訪問するようになる。 優柔不断だが優しいテイトは、彼女に読み書きを教える。 勉強が楽しくなり、生物のスケッチをためている彼女の成果を、テイトは出版社へと送る。 「詳細なスケッチに、見入ってしまいました」 好意的な返事があり、出版に前向きになるキャサリン。 だがテイトも、再会の約束を守らず、彼女の前から姿を消す。 孤独をもてあますキャサリンの前に現れたのが、傲慢さを隠しもしないチェイスだった。 とまどいながらチェイスと深い仲になるキャサリン。 だがチェイスには婚約者がいた。 それを知ったキャサリンがチェイスを避けると、チェイスはその横暴な本性をあらわす。 あわやのところで反撃して逃げたものの、チェイスに家を荒らされ、キャサリンは怯えて暮らすようになる。 町に戻ったテイトがキャサリンの身を案じるも、彼女はテイトを寄せ付けようとしない。 ——そして、チェイスが物見台から謎の墜死を遂げる。 果たしてこれは殺人なのか事故なのか。 すべての情報が詳らかになり、評決の時がおとずれる。 舟でしか移動できないような、ノースカロライナ大湿地を舞台に、一人の女性が歩んできた人生がえがかれます。 美しい自然の中で、身を切られるような孤独と辛さ悲しさを描きつつ、生命に対する賛歌となっております。 それにしても主演のデイジー・エドガー=ジョーンズ、美しい。 大自然に負けず美しくて、彼女がいるだけで、風景を一葉の絵にしております。 アイテム面でも、貝のペンダントの使い方、巧かったなあ。 アメリカ南部の湿地帯という珍しい舞台の、抒情あふれるミステリ。 湿地の特異なる生態も楽しみつつ、じっくりと味わえる作品ですよ。
少しハードなファンタジー?
映像がきれいだったし思ったよりハラハラドキドキで全然楽しめたが、リアリティとしてはどうだろうか。湿地で子供が独りで成長していく様は、よくよく考えると結構無理ある展開では。 とは言えデイジー・エドガー=ジョーンズ演じるカイアは魅力的だったし、彼女を支える人たちの無償の愛情の深さは心に刺さる。 ところでザリガニって鳴くんだっけ?いずれにしてもこの邦題は適切なのだろうか?
野性少女の出会った湿地帯の自然とバイオレンス男たち
本作は、米国南部の湿地帯で親の監護も教育もろくに受けないまま成長した少女の一代記でである。エピソードとしては彼女が巻き込まれた殺人事件の公判の行方が中心のようだが、それは添え物で、主に彼女の付き合ってきた2つのもの、バイオレンス男たちと湿地帯の自然との関わりを描いている。 バイオレンス男たちとは、第一に父親、第二に強引に言い寄ってきて彼女を弄んだ若い男性である。この描写に映画はかなりの比重を割いていて、彼らが母親や子供たちをいかに虐待し家族を離散に追い込んだか、婚約者がいるにも拘わらず結婚を匂わせて、いかに性欲のはけ口としたかを延々と描いている。 これは原作者の境遇に近いものがあったせいかもしれないが、別にそこに特殊なものがあるわけではないから、実は映画としては結構退屈させられる。 それより学校に行かなかった彼女に文字を教え、独学の方法を身につけさせ男のおかげで、やがて彼女が自然観察の書籍を何冊も刊行できる教養を身につけていく過程の方が遥かに面白い。 その根底にあるのは湿地帯での、水と魚や貝、鳥たちに囲まれた生活、ムール貝を採って売っては生活費を捻出するという生活、移動は常にボートで行う興味深い風景である。 その2つの中で彼女を弄んだバイオレンス男が死亡したことから彼女に嫌疑がかけられ、公判で真相が追及されるという展開だが、検察側は馬鹿げた状況証拠しか提示できないし、特に意外な事実が出てきたり、証拠がひっくり返ったり…という緊迫したものもなく、さほど惹きつけられはしない。 映画の最後になって、ようやく一つの事実が明らかになってサスペンス風味を添えていて面白い。これはまあ、オマケみたいなものだろうw
文芸エロス調で撮るべき素材。
法廷サスペンス調でなく文芸エロス調で撮るべき素材だろう。 主人公だけが全て知る中、ベタな三角関係かと少し分かる毎に興味が徐々に減じて幕。 この境遇の主人公が絶世の才色兼備じゃあどうにでも生きられるよな。 当時のフィービー・ケイツで見たかったかな。 非支持。
丁寧に
ゆったりと 美しい そして 驚きの事実… 設定、キャストそして、美術 素晴らしい作品に出会えた。 chatGPTでは、あの生物画は描けないかな。 湿地の娘、いや、カイヤの知的で孤独で美しい芯の強い女性の姿が説得力があった
タイトルに興味がなく見なかったが驚く程に良かった!
全体を通しての自然の樹々や沼の水なんかの色彩が 凄く好き。家の中の家具類も何気ないが考えられているように思った。 孤独は寂しい物と思いがちだけど本来は自分を見つめる素晴らしい時間こそ孤独の持つ別の意味かと思う。 人の優しさと自然の厳しさの対比。 報われない家族愛。 ラストも素晴らしい👍 とても考え深い作品でした。
湿地の自然豊かな情景とミステリーが静かに溶け込む作品
湿地がメインの舞台ということで、全体的に自然が豊かでゆったりとした雰囲気が漂います。そんな場所にミステリーの要素が入り、全体的にバランスが良いように感じました。また主人公の女性を支えてくれた方々が素晴らしくて心温まりました。
独女カマキリ
理不尽な暴力を受け続けてきた者が、それを法によらずに強制排除することは自然の摂理にかなっているのではないか。この映画ならびに動物学者ディーリア・オーエンズがしたためた“湿地”ベストセラーミステリーが掲げたテーマは見た目以上に重く、ややもすると戦争や革命を助長する危険な思想といえなくもないのである。ゆえに本作に対する体制擁護の立場をつらぬく評論家たちの評価は例によって一様に芳しくない。 戦地から戻ってきたPTSD父さんのドメバイのせいで一家が離散してしまい、人里離れた湿地に一人取り残されたカイヤ(デイジー・エドガー=ジョーンズ)。やがてそのドメバイ父親も死に、学校にも通わず孤独な生活を強いられてきたカイヤだったが、沼で偶然知り合った同じ年頃の青年テイトと意気投合、将来を約束した2人だったが... この後テイトに捨てられたと思ったカイヤは、町でみかけた青年チェイスと知り合うのだが、これが父親とおんなじとんでもないドメバイ男。ある日、チェイスの死体が湿地の家付近で発見されたために、チェイスと付き合っていたカイヤに容疑がかけられてしまう。映画はチェイス事件の法廷劇に、事件にいたるカイヤのボッチ物語がカットバックされる構成になっている。 動物観察の才能を持つカイヤが劇中こんなことを述べるのだ。「カマキリのメスは2つの目的のためオスに誘いにかける。ひとつは生殖のため、ひとつはオスを食べるため。自然に善悪の区別はないわ」と。原作小説には、オスを補食するために光るホタルのメスの話もしつこく登場するらしく、自分の身を守るための暴力を肯定するような発言が、やたらと目につく映画ないし小説なのである。 それもそのはず、原作者ディーリア・オーエンズの夫は、自然保護の立場から移住先のアフリカで密猟者を容赦なく撃ち殺していたらしく、ザンビア政府からも出頭を求められているのだそう。力ではかなわない相手に暴力を振るわれ続けてきた時は、周囲が何も助けてくれない以上、暴力に訴えるしかないではないか。そもそも自然とはそういう摂理で成り立っているのだから、カイヤがおかした◯◯は正当防衛として許されて当然だ、と。 しかしこの考えを容認してしまうと、ロシアのウクライナ侵行や無差別テロ、エコテロリズムも正当防衛で一様に片付けられてしまうおそれもあるわけで、世の中がマッドマックスのようなカオス状態に陥ることを世の支配者層は最もおそれているのである。それ故、現代の御用哲学者連中は今更“スピノザ”の道徳論なんぞを持ち出したりするのだが、むしろその(自然界には存在しない)道徳心自体が差別や格差、疎外を生んでいる気がするのである。 自然の中で育ったカイヤが、父親やBFの暴力や、地元住民の疎外から逃れるためには、ザリガニの鳴くところ=人間界の道徳ルールが及ばない場所に逃げ込むしか無かったのがいい証拠である。それは、この世界のシステム自体が自然のメカニズムに反して作られているからではないのだろうか。ディーリア・オーエンズが投げ掛ける命題は、平和になれすぎた私たちに重苦しくのしかかるのである。
比較的キレイなサスペンス映画。
湿地帯という過酷な環境にいながら 比較的キレイな生活をしている。 イジメも比較的に軽く、過激に見えない。 危険な野生動物も、毒虫もいない世界。 比較的キレイな彼女の周りの世界は 小説を書くときに美化したか? 映画化したときに美化したか? 湿地帯は花畑よりも安全だった。 ただ彼女を取り巻く環境には注目した。 独りぼっちのそこで彼女は何を感じ、 何を思い、何を目指し、 幸せのために何をしたのか。 それが良い悪いは別として、 その一歩の魅力は外せない。 ※
映画館で見なかったことを後悔しました。
何でこんな題名をつけたんだろう。もちろん意味はわかるが・・・。 その題名のおかげで、映画館に行く気をなくしてしまった。とても後悔している。 ひとつ、言えることは「彼女は一人じゃなかった」ということ。 いい映画でした。
なんでこんなに
小説を読んでないせいなのか、 正直いって何でこんなに世間で高評価なのか分からない作品だった。 まず湿地で暮らしているのに、ボートの上で一晩を明かしたときも 砂浜で駆け回ったときも、服が常に新品のような見た目。 「被害者に付着していた繊維がー」とか言い出すのもあって、 もう開始30分でそこにしか目がいかなくなって、全く話が入って来ないっていう。 似たようなストーリー(?)なら『ウインド・リバー』がとても良かったし まぁ弁護士のおじさんが良い人だったっていう感想だけかな。僕は。
生きるためには…
衝撃のラスト。カイヤがチェイスを殺害していたとは。自然界では善悪ではなく、生きるために必要なこと。父親に暴力をふるわれ、子供達を置き去りにして、逃げるしか無かった母親を見て育ったなら尚更。主演のデイジー・エドガー=ジョーンズの透明感、孤独から解放されたときの表情が輝きを放っていた。脇を固めるデビッド・ストラザーンが良い。
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