「性的自己決定権を尊重するときは、大自然と心を通わせるようにして」ザリガニの鳴くところ f(unction)さんの映画レビュー(感想・評価)
性的自己決定権を尊重するときは、大自然と心を通わせるようにして
「ミステリー小説の映画化」と銘打ってはいるが、映画の主要な部分を占めるのは、美しい自然を謳歌する女性、そして愛する人とのロマンスの光景だ。その過程で、性的同意への尊重、女性の自立や、女性の生きがいに対する共鳴・理解・尊重を重要視する作品であることが描かれる。
主人公の性的自己決定権を尊重する男性は報われ、彼女の性的同意を蔑ろにする男性は罰を受ける。
男性の所有物ではない女性像。男性の意思だけが考慮されるのではなく、両性の(と書いてしまうと、性的多様性の観点からは誤解を招きそうだが)意思が平等に考慮されて欲しい、「男性の欲望から行為へ」という飛躍した2段階プロセスの間に、性的な意思決定の過程が存在することを大事にして欲しい、という願いが作品の原動力になっているようにも思える。
殺人事件の発生と、裁判の過程は、物語のきっかけづくりに過ぎない。「1人の女性の生き様を見せ、彼女にとって一体何が大切であるか」ということを観客に考えさせることが、まず第1に作品が尊重している点なのではないか。
それは、自然をありのままに愛するように少し難しいが、優しさと温かみに溢れたことなのかもしれない。そのような意味で、「カロライナの湿地帯が育む豊かな大自然と、そこに同化した女性」という舞台設定は、このコンテンツを、小説にとどまらず、映像化する価値のあるものに仕上げている。
このような「シチュエーション+女性の(性的)自己決定権への尊重」という内容は、最近だと『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』でも見た内容だ。『ザリガニの鳴くところ』と、『ラスト・ナイト・イン・ソーホー』は、性被害の顛末と真相という構成を取る点で似通っている
考え方は様々であると思うが、「自然を愛する姿勢でいることと、女性の(性的)自己決定を尊重することは、メンタリティ的に似ている」というアイデアが、原作および今作品の根幹にあるのではないだろうか。ーこれは男女関係に限らず、人間関係を、勝敗や上下関係(支配-隷属、指揮系統)に収束させてしまいがちな、伝統的な男性社会を癒し、解体するものなのかもしれない。
主人公という女性を、自然や、そこに生息する動植物と同一視してみよう。
【追記】自然は、美しく、喜びをもたらしてくれるものではありますが、悪天候の日もあり、必ずしも全てが人間の思い通りになるわけではありませんよね。恩寵ももたらしてくれるけれど、思い通りにはならない。思い通りにしようとするのは愚かなことだ...その感覚と同じようにして、女性や、他者の意思というものを尊重してみてはどうですか?という発想が今作の核にあると感じました。
★自然(恩寵と不快感、完全な支配の不可能性)=女性、他者
もーさん さま
コメントありがとうございます。
レビューをお褒めくださりとても光栄です!
映画の楽しみ方は多様ではあり、もーさん様のように感性を大事にされるのもまた素敵ですね
他作品のレビューも拙いですが、ご一読くださったようで恐縮です
研鑽して参りますので、こちらこそどうぞよろしくお願いします。
talisman さま
コメントくださり、とても嬉しいです。
私のレビューの要点をかいつまむと、おっしゃる通りになりますね
レビューサイト、そしてTwitterなど見ていても様々な解釈がある作品で、私もまだまだ他の方のご意見に学ぶところがたくさんある作品です
また、性に関するtalismanさまの価値観・考え方も尊重されて然るべきかとも思います
(f)unctionさん、こんにちは。もーさんです。変な共感の仕方で恐縮ですが、「考え方は…」以降の部分、大変共感しました。この小説・映画の本質をよく突かれていると思います。
私は故淀川長治先生の「映画は人間の感覚を磨く総合芸術」という言葉を座右の銘としているので、自分の感じたことに基づいて評価することに偏りがちなので、(f)unctionさんのように冷静に理論的に分析される方には到底及びませんが、他のレビューも興味深く読ませて頂きました(『スカイフォール』は全く違う理由でですが私も余り評価出来ません😅)。これからもちょくちょく覗かせて頂きます。宜しくお願いします。
「イニシェリン島」のレビュー、とても共感しました。簡単に言って申し訳ありませんが、男性性は暇故に戦争や争いするのでは。異性愛のレベルで単純に言えば子どもが出来たら男性いらないです。極端な言い方でごめんなさい。でも今の時代そうかなと思ったりします。