「価値観」ザリガニの鳴くところ hiroさんの映画レビュー(感想・評価)
価値観
ノースカロライナの湿地を舞台に起こる、ヒューマンミステリー。地元の人から「湿地の女」と呼ばれるカイヤの逮捕から、湿地で孤独に生きてきたカイヤの物語が紡がれていく。
この話の主題は「価値観」だと思う。「価値観」とは「生きる」「善悪」に象徴された我々が培ってきたものだ。法廷という「善悪」を裁く場で「生きる」ことを望んだカイヤの話が展開されることで、観客・読み手に「価値観」を通してミスリードを発生させることが出来ていた。
結末に向かうまでのストーリーとしては一貫性があった。父親の暴力によって引き裂かれた家族。孤独に生きてきた彼女の支えとなったテイト、チェイスの裏切りと暴力。
ラストで明らかになる真実は、カイヤの人生を振り返れば合点がいく。湿地で生き、自然の摂理の中で育った彼女にすれば「生きる」ための防衛反応であり、「善悪」とは我々の尺度で測られたものでしかないのだ。
振り返れば、暴力に屈しないと決めたカイヤは、ボートの音に気付き草むらに隠れ、石を握っていた。そして一度も無実は訴えていない。ただ湿地=homeに帰りたかっただけなのだ。
クライマックスでは、カイヤが「裁くのは彼ら自身よ」と陪審員への感情を弁護士に伝える。弁護士はカイヤの思いを受けて、「我々が持ってきた偏見を捨てて、事実のみで判決を下してほしい。今一人の人間としてカイヤを見るチャンスなのだ」と訴えかける。
このシーンを含めて弁護士を我々に重ねることが出来る。これまでに救うことが出来なかった彼女の言葉を自身の「価値観」で判断して弁護する。そこには、生い立ちを知った同情や目を背けた後ろめたさが渦巻く。そして、判決でやっぱりカイヤは「無実」なのだと安堵する。
今作の小説が高く評価された部分はこの「価値観」を描く上で、自然の摂理、生物の描写が細かく、クライマックスに向けてカイヤの生き方とリンクしていくところだろう。
だが映像では描き切れているとは言えない。最後にペンダントが出てきたところで、「カイヤが殺していたんだ」という驚きで終わってしまう。時間に限りがある中で、人間模様に時間を割かざるを得ず、自然の摂理を描く時間が足りなかったように思う。
今作を通して我々はあらゆる「価値観」で生きていることを思い知らされる。ミステリー要素は薄いかもしれないが、ヒューマンドラマとしては中々の見ごたえがある作品になっている。
主演のデイジー・エドガー=ジョーンズの演技は表情も豊かで素晴らしく、生物や植物のイラスト美も一見の価値はあるだろう。