「さすがディズニーと言える安定感。しかしやはりディズニーと言える…。」ストレンジ・ワールド もうひとつの世界 callさんの映画レビュー(感想・評価)
さすがディズニーと言える安定感。しかしやはりディズニーと言える…。
冒険モノ。決して悪いデキではないし映画館で退屈せずに最後まで見ることができたのはさすがにディズニー。
ストーリー自体は親子間の確執と和解、環境問題が主役。
いま映画館でやっている映画で「どれを見るのがおすすめ?」と言われたら、とりあえずこれをおすすめすると思う。(RRR終わったし、かがみの狐城はまだだし、すずめはちょっと人によっては地雷っぽいし)
「今やっている中では一番無難に楽しいんじゃないかなぁ」と言いながら。
・まず、避けて通れないポリコレの話から。
謎のポリコレ要素をぶちこんで…、まあここらへんのポリコレ要素ぶちこんだからストーリーが壊れたわけではないのでそれは構わない。
マイノリティの方こそ正義なんだって叫んでいるわけでもない。
ポリコレアレルギーを持っている人は、それだけで敬遠の対象となるかもしれないだけだ。
そのポリコレ要素をあの雑さでつっこむ必要はない。あそこまでまとめて詰め込む必要があったんだろうか。
とはいえ、ここらへんは突き詰めると主人公が白人男性である必要もないし「このキャラがこの色の服を着る必要はない」みたいな話におよんでしまう気がする。
キャラクターの持つ属性(体格とかメガネとかヒゲの色とか)はすべて「その必要があって」構成されているのかというとそうでもない。
体格でいえばイェーガーはマッチョである必要があり、サーチャーはひょろっとしている必要があったが、それ以外のキャラクターの体格には意味はないだろう。
マイノリティという属性はただの生まれつきのモノや嗜好の話であって、
例えば主人公の髪の色が黒である必要はあったのか?赤毛じゃダメだったのか?とか、パスタが好きだという設定は必要だったのか?カレーじゃダメなのか?という議論がなされないように、
マイノリティ属性を持っている必要はあったのか? なんて議論する必要はない。
物語に一定の役割を担うキャラクターがいて、そのキャラクターのフレーバーのひとつに(髪型がショートだとかロングだとかと同じように)マイノリティとされる属性の個性を持っているだけだ。
同性愛者である必然性もレジェンドの足の欠損も「必然性」なんていらない。それはよくある個性のひとつだから。
……って言いたいんでしょう。
そういう点でポリコレ要素を持ち込んだ事に関してはそれほど忌避する気はない。
それはそれとして個人的にはポリコレ要素をなんでもかんでもてんこ盛りに詰め込みすぎのやりすぎという気はする。
これは普通、それも普通、あっちも普通。……いや、ひとつひとつは普通だというのはわかるんだが、そこまでごっちゃごちゃだと気になるがなー!
少なくとも「親子」「一家」がキーワードなのに家系の断絶が確定してしまう同性愛をイェーガーが当然のように許容するのはおかしいと感じてしまった。サーチャーならともかく。
・SDGsの話
ストレンジワールドの世界設定上、これも非難されるほど悪い要素ではない。
むしろ種明かしとストーリーを進める以上、イーサンのボドゲの時のようなSDGs的主張を描写して観客の意識をそちらに誘導しておくのは正しい布石だと思う。
・映画自体の感想
親子の確執と和解というテーマの話としては非常によくできている。
配給元がディズニーであり、夢と魔法を基調にして博愛を訴えかけるという手法。これは他のディズニー作品と比べても遜色はない。
元々の場所を含めてわけのわからん世界観だが、それも含めて「ストレンジワールド」であり、わくわくさせてくれる世界設定だった。
もう少し丁寧に「元の世界」の暮らしを描写し そこにラストに繋げる小さな違和感をバラまいておいてくれるとラストでカタルシスが味わえたんではないか。もったいない。
せっかくネタバレ設定にしたのでここを見ている人はもう見たという前提で。
あの鳥みたいなやつらがキラーT細胞で、触手のある丸いぶよぶよが白血球かな。貪食しそうだったし。
巣食っていた根っこがガン細胞みたいな扱いだろうか。
焼け跡に無限に生え続けたあの触手は柔毛だろうか。いやでも心臓にも生えてたしなぁ。
などと「二週目の冒険」を楽しめそうな映画でした。
総じて。
おいしい料理が作れそうな材料なのに、お酢を大量にぶっかけたような作品。
「これはこれでおいしいけど、このお酢いる?」「こっちの方が健康にいいのよ」「あ、そう」みたいな。