エゴイストのレビュー・感想・評価
全181件中、101~120件目を表示
自慢の息子です。
この物語になぜこのタイトルなのかずっと疑問だった。嘘には人を傷付ける嘘と傷付けないための嘘がある。そう。それはきっとエゴも同じこと。人を傷付けないためのエゴだってあるだろう。
体が悪い母親を支えながらまさに身ひとつで稼ぐ龍太。かつて母親に尽くせなかった後悔からそんな龍太に寄り添う浩輔。苦難も乗り越えてただ一緒にコーヒーを飲む幸せ。父親に打ち明けられないこと。母親に見透かされたこと。そして悲しい出来事が起こり、浩輔のエゴが加速してゆく。優しさ故の。
鈴木亮平が頭のてっぺんから爪先まで完璧に浩輔その人で、ちょっと鳥肌がたつような演技でした。母と息子。大切な人の命に触れながら、悲しくも美しい終着点へ。身勝手でもいいではないか。目の前の人に必要とされているのだから。
これが映画の醍醐味
経済的強者だからこそできること
前半の内容こそ「BL漫画でよくある展開」ではあるのだが、後半からの展開が完全に予想外だった。てっきり「わたしはロランス」のようにカップルが揉めた末に別れる話だと思っていた。性的描写が多いので子供には見せられないが、全体を通したテーマは恋愛映画としてわりと普遍的なもので、映画館では思ったより幅広い年齢層が観に来ていた。
面倒を見たいという親の元に生まれること、また相手の親の面倒を積極的にみたいと思えるパートナーと出会えることということは、それだけで恵まれているということなのかもしれない。
その一方で、浩輔の行いは立派に見えるが、これは彼が経済的強者だからこそできる愛情表現であり、例えばレズビアンカップルにそれが可能なのかといえば、まだまだ男女の賃金格差も大きい世の中では、よほど成功しているバリキャリの女性でない限りは難しいだろう。個人差はあるが、一般的にはゲイカップル>ヘテロカップル>レズビアンカップル、の順で経済格差は開いてくる。保守層であるトランプ大統領がLGBTに歩み寄りを示したのも、主な支持基盤である富裕層におけるゲイカップルの影響力に配慮したからである。
結婚した女性が義理の親の介護をするのは当たり前、と押し付けられる一方で、結婚できないゲイカップルが相手の親の面倒を見ることは美談として描かれる。
女性が相手の親の面倒をみるは、果たしてここまで感謝されてきただろうか?
もしゲイカップルが普通に結婚できるようになった場合、相手の親の面倒をみるかみないかで揉めたり、自分の親の面倒の面倒をみたいのに義実家の親を優先させなければならなくなったり、あるいは相手の親の介護のためにキャリアが閉ざされたりして苦しむ男性の問題がクローズアップされてくるのかもしれない。今まで女性だけに押し付けられてきた介護問題が、高齢化や少子化で女性だけでなく独身男性が高齢の親の面倒を見るようになってようやく「社会問題」とされたように。
浩輔と龍太は経済格差のあるカップルだが、もし浩輔の父親が倒れた場合、龍太は経済援助はできない。ではトレーナーの夢をあきらめて介護できるのか?経済的に浩輔の世話になっていたのだから、自分の母親の世話より浩輔の父親の世話を優先しろと言われたりしないのか?多くの女性は経済的に男性に依存してるゆえに義実家の介護を強いられてきた。
そもそもなぜ龍太と母親は貧困家庭なのに公的支援を受けられないのか、日本のシングルマザーの6割が貧困世帯だといわれるが、本来は売春したりパートナーに経済的に依存したりして解決すべき問題ではないはずだがそこが見えなくなってしまっている。
日本で世に出ている「LGBT作品」といわれるもののほとんどがGとTを扱ったものであることに対しては警鐘を鳴らしたい。LGBTだから必ずしも被差別属性であると考えてしまうと、男女差別の構造を見えなくするからだ。フェミニズム関連の書籍が最近ではLGBTばかりを扱っている風潮にも疑問を抱く。Gは関係ないし、BとTの半分は身体男性なのでフェミニズムの範疇ではないからだ。
ただただ「普通」の映画だった。
普通の人同士が、普通の恋愛をする、ただただ「普通」の映画だった。
パーソナルトレーナーとその利用者が仕事を通じて出会い、互いに魅力的だなと思ったからそれが恋愛になり、相手の仕事のことで問題があったり別れの危機もあったが乗り越えて愛になる。なんてこともない、普通の恋愛の話だと思う。
そうやって親密になったあとで、もし結婚していれば、稼いでいるほうが多く出して生活費を支援(折半)することも普通だし、お金を出し合って車を買うことも、きっと普通だ。
強いて言えばその相手を早くに突然亡くしたことは普通ではないかもしれないが、それも誰にでも起こり得る可能性があることだろう。
もしも結婚した相手が亡くなれば、体の調子が良くない義理の親の面倒を見たいと思うのは普通のことだし、一緒に住みたいと考えるのも普通のことだ。
この愛し合った2人もその親との関係も、異性同士だったらもっと普通のことだと思えたのだと思う。
そう思えない理由は、今の日本ではこの2人が婚姻関係を結ぶことができず、相手の親の病院でも「家族」「親戚」とは名乗れない「他人」になってしまうからではないだろうか。彼らがゲイであるからという理由だけで。
この映画を見ている間ずっと、「この2人が異性同士だったらどうなっていたのだろうか」と考えてしまっていた。それが失礼なことであるとわかっていながらも、もし異性出会ったら何も不自然でも不自由でもなかったし、「普通」に生きていけたのだと思ってしまった。
この2人のような物語が、ただの「普通」の物語にいつかなったらいいと、今は思っている。
響いた反面
当事者なりに思ったことをコメントしていきます。
知人が出ていることもあり、前半はフラットな状態で観ることができました。後半は私の恋人が数年前にパワハラに遭い、自尽しました。その点、ストーリーと自らの経験が重なってしまい、終始涙が止まりませんでした。鈴木さんがZeroのインタビューでお話をされていました。ゲイというだけで「オネエ」ではない、ただ「異性愛者」に寄せてしまうと、原作者のストーリーと合わなくなる。とお話をされていて役作りの大変さや一見、完全に異性愛者だけど、本当は恋人がいるなどと言ったことも十分にあり得ます。また既婚者だけどバイの可能性もある。この映画が監督やプロデューサー陣、俳優陣が真剣に向き合って創り上げた一本だと当事者ながら感じました。ただ前半のヌードシーンの多用や詳細な描写などは不快に思えました。
映画を通じて、展開する必要があったのか。甚だ疑問です。また昨今、マイノリティーを演じる場合、当事者が演じる場合が諸外国では多いそうです。しかし鈴木さんの顔の表情など相当創り込まれていました。ただもう少しオネエ感を削ってもよかったかな。このコメントを読んでいる方々に伝えたいのはゲイ=オネエではないということです。普通の見た目。喋り方や仕草も異性愛者と変わらない男性が大半です。第三者からみたメディアが作り出した少しステレオタイプのゲイ映画でした。ドリアンがいながらも、そこが徹底されてないのは残念でした。また個人の感想のためご了承ください。
色んな愛の形
夜へ急ぐ人
愛とはなにか
カメラワークの揺れで途中退席……
宮沢氷魚と鈴木亮平のラブシーンは美しいだろうなという期待を胸に映画館に行きました。確かにとても美しく撮れているし、2人の俳優さんの爽やかさもあって、2人の関係は自然と受け入れられるものでした。
ただ1つ残念だったのは映像が揺れ過ぎていて、三半規管の弱い私はほぼ最初から映像を見続けることができず、目をつぶって音を聞くのみ、大きな話の転換の場でついに途中退席してしまいました。気象状況による気圧の変化もあったのかもしれませんが『カメラを止めるな』以来の途中退席となってしまいました。最後まで見ていないので、どこかでまた見る機会があれば見るかもという気持ちです。
「エゴイスト」の意味は全体を俯瞰できていないので不明のまま。見ている途中で思ったのは、これがもし男同士じゃなくて宮沢氷魚が女だったらかなりチープな話になるのだろうなということでした。いや、もし鈴木亮平が女だったらかなり突飛な話に……と具合悪い中、妄想しましたがこれもそこまで。最後まで見てから採点したかったです。
カメラが揺れる映画は、事前に告知をしていただけるとありがたいです。次回は酔い止めの薬持参で一番後ろの席で見るか、家の小さい画面で見ることにします。
可愛い
劇中めまいが。。
『あのこと』と『百花』
友達になれないタイプ😅
タイトルの意味も含めて泣かされてしまった
ゲイに対する偏見や嫌悪感みたいなものは全くないが、自分とは違う世界の話なので映画やドラマでゲイの恋愛が描かれるとどう受け止めればいいのかわからなくなる。
本作での鈴木亮平と宮沢氷魚のベッドシーンがかなり攻めたものだったことに驚き、さらにとてもキレイだったから戸惑ってしまった。でもそこ止まりで他の感情が揺り動かされることはなかったから、自分の男色性は皆無であることを確認できた。
さて、この映画。ゲイの恋愛物語と思っていたが、途中から全くテイストが変わる。相手の力になりたいと思うわがままについて描かれる。それを果たして愛と呼べるのか。鈴木亮平演じる浩輔の行動に、それでいいのか?と思うところあったが、あそこまで突き抜けるとそれもありと感じてしまう不思議。
最後、お互いの思いをわかりあえたかのような終わり方とタイトルの意味に、自然と涙が流れてしまった。なんてこった。男色性が皆無なおじさんでも泣けるいい映画だった。
それにしても鈴木亮平のゲイ演技はすごかった。知り合いでゲイの人がそれほどいるわけではないが、ふとした瞬間に見せる仕草や言葉じりがとても自然に思えた。それに会話の内容。あれはアドリブなんだろうか。少し笑ってしまった。
調べると〈エゴイスト=他人のこうむる不利益を省みず、自らの利益だけ...
調べると〈エゴイスト=他人のこうむる不利益を省みず、自らの利益だけを求めて行動する人のこと〉だそうだ。映画を観ていても私には何がエゴイストなのか?という思いばかりだった。浩輔と龍太がたまたま男性だっただけで、お互いを思いやり大切に思う純粋な気持ちに心がキュッとなる。龍太の母、妙子が龍太を失って途方にくれる浩輔を母の愛で包み込むいくつものシーンや、浩輔が妙子を心配して世話するシーン。エゴイストの本来の意味の真逆で〈自分の不利益を省みず、相手の利益だけを考えて行動する人〉もエゴイストなのかもしれない・・と観終わって感じた。鈴木亮平の怪演にくぎ付けになる。最初から最後までどこを切り取っても、そこかしこにゲイの浩輔の姿が有って、観ているこちらの方が苦しくなったりもした。
夢と現実の狭間に
全181件中、101~120件目を表示