「それが愛と気付くまで」エゴイスト 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
それが愛と気付くまで
出会いはスポーツジム。相手はトレーナーだった。
トレーニングの傍ら交流を重ねる内、意識し合う。惹かれ合う。
魅力的な所に惹かれた。
ピュアさに惹かれた。
深い関係になっていく。
浩輔と龍太。
昨今映画で、LGBTを題材にした作品が自然に当たり前のように描かれるようになって久しい。
ジェンダー意識が低いと言われる日本映画に於いてはどうか…?
近年の作品に留めるが、『彼らが本気で編むときは、』『his』『窮鼠はチーズの夢を見る』『ミッドナイトスワン』、今年の話題作『怪物』も。TVドラマでは『おっさんずラブ』、漫画/アニメでは“BL(ボーイズラブ)”というジャンルも。
いずれも秀作であり、訴えるもの、考えさせるもの、感動を呼ぶものがあった。
本作は邦画に於ける同ジャンルのエポックメーキングになるんじゃないかと思わせるほど真に迫る作品であった。
松永大司監督の繊細でドキュメンタリータッチの演出。
手持ちカメラのような映像は人によっては画面酔いしそうでもあるが、アップや長回し多用で、二人の視線や心情に寄り添うように見つめていく。
鈴木亮平と宮沢氷魚の二人には脱帽。
ちょっとした仕草や言葉遣いまで。鈴木亮平の凝った巧さ。
鈴木亮平と言えば『孤狼の血 LEVEL2』の恐演。その他の作品でも変幻自在。そんな中で本作での難役名演は随一ではなかろうか。
宮沢氷魚は『his』に続く同性愛者役だが、それは彼もまた巧く、繊細な表現が出来るから。柔らかさや誰から見ても可愛らしさ愛おしさを感じさせる。
キスシーンやラブシーンはかなり激しい。息遣い、匂い立つもの、感触まで伝わってきそうなほど。
同性愛カップルの絡みはこれも人によっては抵抗あるだろう。どうしても生々しさや感情移入のしづらさなど。
しかし個人的には、美しさを見た。同性愛カップルを描いてこんなにも美しさを感じたのは『ブロークバック・マウンテン』以来ではなかろうか。
同性愛云々ではない。人と人が惹かれ合い、想い合ってゆく、ただただその美しさ。
体現と言うより、ナチュラルさ。松永監督の手腕と、鈴木亮平&宮沢氷魚に改めて脱帽圧巻。
浩輔が龍太に惹かれたのは、母性くすぐるような愛らしさもあるが、彼のその人となりだろう。
トレーナーの仕事だけでは食っていけない。肉体労働の仕事も掛け持ち。
その懸命さ。明るさや和やかさは失わない。ふとした時、儚さ滲ませ…。
必死なのは自分の為だけじゃない。母の為。母親を養っている。
ここが浩輔にとっては大きなポイント。
浩輔は早くに母親を亡くしている。実家には父一人、命日になると必ず帰郷。
母親に何もしてあげられなかった。母親の為に頑張る龍太に、自分が出来なかった事を重ね合わせ…。
龍太は母親に浩輔を紹介し、母親も交え会食など交流を深める。
あくまで“友人”として。
正直前半はちとタルかった。
確かに名演や繊細な演出は素晴らしいが、話自体にそれほど大きな展開はない。
強いて言えば、龍太から別れたいと。龍太は“売り”をしている。そんな穢れた自分は浩輔に相応しくないと、辛いと…。
どうしても龍太に会いたい浩輔は、客を装って龍太を呼ぶ。ある提案をする…。
浩輔と龍太の関係、龍太の母親も交えた交流が続く。
話が動いたのは、中盤の突然の出来事。
龍太が、死んだ。
あまりにも突然の事。それは見ているこちらさえ。
喪失感。いや、気持ちの整理が付かない。
混乱し、ただただ龍太の母親に謝る。
どうしてあなたが謝るの…?
母親は知っていた。浩輔が龍太のただの友人ではなく、“大切な人”である事を。
龍太にとって浩輔は大切な人。
では、浩輔にとって龍太は…?
無論その感情は同じであろう。大切で、欠けがえのない人。
しかし、その想いや気持ちの本当の意味…。
そこにネックになってくるのが、お金である。
生前の龍太への浩輔からの提案。
お金面での援助。
自分のみならず母親の為にも頑張る龍太に、少しだけでも応援したい。
定期的にまとまった金を渡す。助力くらいに言ってるが、10万円は渡しているだろう。
お金だけじゃなく、高級なお寿司やお菓子も。お母さんへ、と。
勿論龍太は当初は拒むが、受け取る。
龍太は“売り”もしているので、その筋の仕事としては正当な報酬かもしれない。
が、両者共、お金の為の関係ではない事は確か。ただただ純粋に。
浩輔の援助は龍太亡き後も。龍太の母親を援助しようとする。
母親は断る。浩輔は引かない。息子が亡くなって生活に苦しくなるのは否めない。申し訳なく、ありがたく受ける。
ある時はこんな提案すら。一緒に暮らしませんか…?
無償。献身。浩輔のやってる事はなかなか出来るもんじゃない。大切な人ならまだしも、その母親にまで。
でも見方を変えれば、ちと度が過ぎている。
これは本当にピュアな誠意、気持ちや想いなのか…?
浩輔の生い立ちが関係している気がした。
生まれは地方。地元ではゲイとして散々差別偏見を受けていた。
東京へ。ファッション誌の編集者として成功を収める。
一定の富も地位も手に入れた。蔑んできた奴らを見返した。
お金さえあれば何でも手に入れられる。
それは言い換えれば、お金で気持ちも想いも表し、繋ぎ留めておく事しか出来ない。
別に浩輔は金の亡者でも横暴振るう権力者でもない。それでしか気持ちや想いを伝える事の出来ない哀しい人なのかもしれない。
そんな時出会った、大切な人。
龍太の母親が突然入院する。ステージ4のがん。長くは持たないかもしれない、と本人。
浩輔はまたしても謝る。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…。
どうしてあなたが謝るの…?
気付いてあげられなかった。
龍太なら気付いてかもしれない。
でもその龍太を自分と過ごす時間に費やし、気付かせられなかったから…。
実の母親を早くに亡くした浩輔にとって、龍太の母親は予期せず現れた母親のような人。
龍太の分も含めて、お母さんをもっともっと大事にしたい。
その矢先…。実の母親を亡くし、龍太を亡くし、さらには龍太の母親まで…。
どんなに気持ちや想いを“形”で伝えても、それは本当に相手へ届いているのだろうか…?
悲しみに暮れる浩輔に、龍太の母親が掛けた言葉が温かく包み込む。
尚、龍太の母親役の阿川佐和子の好演も特筆すべきもの。思ってた以上に大きな役回りで、その演技、優しさに救われる。
「分からなくても、私たちがそう思っている」
“愛”が何なのか。
自分のしてきた事は“愛”と言えるのか…?
相手の断りも押し通してお金などで援助。
相手は本当に喜んでいるのか、自分のただの自己満足ではないのか。
相手が不快感を示したら、それは勿論自分のただの自己満足だ。その時の自分はエゴイストでしかない。
しかし、相手がそれに愛を感じたら、それは真の愛だ。
愛とエゴは時に紙一重。
相手を一人占めしたい。欲したい。
激しい愛の形でもあり、エゴでもある。
淀んだ独占欲なら問題だが、ただただ不器用ながらもピュアで大切な気持ちや想い。
それもまたエゴ=愛の形。
激しく、大きく、強いものから、ほんのささやかなワガママまで。
ラストシーンの龍太の母親の台詞=頼みだって。
同性愛ラブストーリーとして始まり、家族愛や人間愛。
大きな愛の形に気付けば感動していた。
それが愛と気付くまで。
邦画はあまり見ませんが「エゴイスト」はとてもよくて感動しました。
「オッペンハイマー」は8月は日本公開のいい時期ではないと思います。でもいい映画だと私は思いました。ドイツ語吹き替えで見たので日本語字幕でちゃんと見たいです!