スーパー30 アーナンド先生の教室のレビュー・感想・評価
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「インド映画世界一」
今年185本目。
2022年9月23日公開の作品なんですがこの映画館で「週末インド24夏」特集で。
インド映画やっぱり世界一だなあと。
音楽と情景、音楽とダンスのように琴線に触れまくり凄過ぎる。そして音楽と情景、ダンスの組み合わせが世界でインド映画しかないと思います。
映画館着いて1時間後だったのでどうしようかなあと、少し暇つぶしてチケット買ったらとんでもない作品。たまに大当たり引く事がある感じです。
溢れる勉強する意欲やインドの底力
リティクローシャン扮するアーナンドクマールはビハール州数学大会で優勝し、大臣から賞賛された。アーナンドはケンブリッジかオックスフォードで数学の単位を取る事を目指していた。
なんと一部はミュージカル調みたいになってたね。
凄いな、論文でケンブリッジ入学を勝ち取ったよ。しかし経済支援が得られないと大学へ行けない。貧乏は才能を潰すのか。運命の出会いがあるもんだね。予備校講師からのスタートだ。教育論での戦いもあって貧乏人の塾を作った。素晴らしいね。勉強する意欲やインドの底力が溢れているね。きっとうまくいくもそうだったけど、インド映画は時々素晴らしいヒットを飛ばすね。
50~60年前の日本を思い起こさせる映画
家が貧しかったが、数学の天才肌であったアーナンドは、イギリスへ留学する切符を手にしたが、旅費が工面できず、断念した。塾の講師をして貯めたお金で、貧困で学ぶことができない優秀な子供30人を集めて、インド工科大学を目指す塾「スーパー30」(無料)を開校した。お金と食料の工面に苦労しながら、映画は進んでいく。
映画の中でアーナンドが塾生に言った次の言葉が記憶に残っている。
「君たちは失うものは何もない」、「出来ないのではなく、何故出来ないのかを考えろ」など、今の日本人に欠けている精神です。
発展著しいインドと言われているが、現実のインドには億単位の底辺層がおり、上流階級との交流はまずありません。
何度もインドを旅しているが、インドの混沌さに再び触れたい気にさせてくれた映画であった。
内発的な知識欲を引き出す
<映画のことば>
頭を悩ます全ての疑問
ひとつひとつ取り出せ
解けない疑問も、頭を絞って考えろ
疑問なしに、人生は闇
明るくするのは、クエスチョンマーク
学校のように、クラスの全体に同じ学習進度が求められる教育方法では難しいのですけれども。しかし、30人程度の、しかもアーナンド先生の「お眼鏡」に叶った生徒だけが集まった私塾なので実現可能だったことのように思われました。評論子には。
そのことを割り引いて考えるとしても、子供たちの内発的な知識欲を引き出そうとするアーナンド先生の教育方法は、観ていて清々しいものがあったと思います。
(評論子自身も、自分の知識欲を十二分に引き出すような自学自習ができれば、これに過ぎたる幸せはないと思います。)
(追記)
余談ですが、インド工科大学でも、講義は英語なのですね。
評論子がそうだったように、日本の大学では、当たり前のように日本語で講義が行われています(英語でないことに、外国人留学生は目を丸くしている)。
英語は世界の公用語であることの他、英語で講義をしたほうが講師に人材を得やすいという事情もあるのでしょう。
母国語(日本語)で専門科目の講義を受けることができたことを、評論子は幸せに思います。
高等教育機関の講義を母国語(日本語)ですることの意義について関心のある方は『学校をつくろう』が参考になると思います。
私的教育論
まず、今回は本作よりもタイトルの“私的教育論”の話に終始すると思います。
とりあえず本作の感想を手短に書いておくと、さすがインド映画でありエンタテイメントと社会問題との融合が相変わらず巧く、映画を楽しみながら社会の仕組みや問題点を考えさせてくれるという、大衆映画の最も重要な役割に対して非常に優れた映画作りをしている様に思えました。
本作は教育問題がテーマであり、教育に貧富の差を持ち込まないという現代社会の基本的な問題点を取り上げていましたが、国家としての成熟度を測る要素でもあり、この問題が解決されていない国こそ、本当の意味での後進国なのでしょうね。
そういう意味で本作のメッセージは非常に心に響きましたが、私も昔から“教育”という事柄に対して色々な疑問があり、常々関心を寄せるテーマの一つでもあります。
で、ここからは映画とはかけ離れた内容になってしまいますが、そもそも教育とは何ぞやという話から考えなければ話が進まない様な気がします。
まあ、そんなに壮大な話をする気もないのですが、時代や国によって意味も異なってくるので日本だけに絞って考えると江戸時代位から“寺子屋”なんてあったようですが、国家として国民に対して行われたのは明治に入ってからだと思います。その当時は“富国強兵”という国家的指針があったので教育=国の兵隊を作るのが目的だったのでしょう。それは昭和の世界大戦が終わるまで続いていたので、ついこの前まではこんな感じだったと思います。
終戦後の敗戦国である日本の教育の目的はアメリカの資本主義の影響で、教育=労働者&消費者を生み出すのに目的が変わりました。私世代はその渦中の教育で育てられました。
本当は今現在までの変化を続けて書きたいのですが、いったん中断して私世代の教育がどんなものだったのか?を簡単にまとめておくと、基本的に国家のビジョンとしては経済成長することを目標としていたので、この時点で目標達成後の予測などは全くしていなかった様に思われます。(というか無かったから今現在の病が発症している訳です)
経済成長の為の教育とは=受験教育という形となり、教育を受ける者は全て義務教育だけでなく最終学歴までを目標にさせられたのです。終戦後78年が経過しますが、社会自体は大きく変化したにも関わらず、人々の教育に関しての観念がまだ当時の教育目的のままで、大きな変化が見られないところに国家の衰退が見えてしまいます。
ちょっと話を映画に戻すと、このアーナンド先生が貧しい子供を無作為に30人選び最高学府・インド工科大学に受かった訳ではなく、当然ながらその30人は恐らくIQ125以上位の子供たちを何らかの方法で人選していたハズです。本作の核になるメッセージは、貧富によって才能がある子供に教育を受けるチャンスが閉ざされることに対しての抗議であって、人間の資質に対しての適性を探り出すことが真の教育機関の役割だということを言ってるのです。
知能指数(IQ)の出現比率というものがあり、綺麗なベル状分布図となるのですが、それは時代や国や教育に関係ない人間の生まれ持った特性であって、教育することによって多少は度数は上がるかも知れませんが、この分布を完全に無視して全員が同じ目標に向かって目指す教育なんて馬鹿げているし無謀でもある筈なのですが、約80年間そのことに目隠しして同じ様なシステムをし続けている無能さは何なのでしょう。
しかし、知能指数というのもあくまでも人間の資質の一つの要素であり、人間にはそれだけではなく他にも様々な特性(体質、運動能力、芸術的感性等々)があり、個別に何の能力があるのかを探り、社会生活にその特性を適応させることが、今の時代の教育目標でなければならないのですが、現実は全くそうなってはいませんよね。
本来は、上記した私世代の教育=労働者&消費者を生み出す目的はバブルがはじけた30年前にとっくに終了させ、新しい目標の教育に変換しなければならなかったのに、それをしなかったツケが今爆発しかけているのでしょう。
60年前にあった人間の仕事の8割は今は機械化やAI化によってなくなっています。新しい仕事(若しくは社会的役割り)を新しい教育で考え直さなければならない時代は何十年前から始まっているのに何も変えなかった罪と罰が今の日本の厳しい状況なのでしょうね。
私がこんなことを語っても老害でしかないのかも知れませんが、まだ現役の人達はもっと先見性を磨いて頑張って欲しいです。
日本の現状をふと思い出す
実話ベースの映画。実在のアーナンド先生も2022年に訪日してくれたらしい。
金はないが学ぶ意欲はある学生に対し無慈悲に言い放たれる「制度はない」。
奨学金(scholarship)とは本来返還不要なものだ。返す必要があるもの、まして利子を取るものはただの「学生ローン」であり、奨学金と呼ぶのが間違いなのだ。
多くの学生が奨学金を背負って大学進学を目指すのはひとえに四大卒を求める企業がほとんどだからである。しかし、入社条件に四大卒を求める企業は、果たして子供を大学に入れられるだけの給料を雇用者に払っているのか?
日本の現状もインドと大して変わらないのではないか。
アーナンド先生は、自分が果たせなかった夢の代わりに、金はないが学ぶ意欲のある子供たちを救済しようとする。
教え方もユニークで、単なる試験対策の学習塾の指導法を超えている。
ごく最近まで劇中のような襲撃を受けていると知って驚く。環境に恵まれないものには、教育を受ける前段階で戦いが必要になるのだ。
DV父親の目を盗んで、子供にわずかな旅費を握らせ、アーナンド先生の塾へと向かわせる母親のシーンだけで泣きそうになる。
劇中音楽もインド映画らしく派手だが耳に残るフレーズで良い。
おおむね立派なアーナンド先生だが、「黄金比でないから美人じゃない」と恋人に言う点はぶん殴られても良いと思う。これはフィクションだよね?
また、せっかく一度は息子が高給取りになって家政婦まで雇ってくれたのに、無料塾でおさんどんに駆り出される母親にも同情した。今は右手うちわだといいのだけど。
横顔は美人
インド映画。実話がベースのよう。
天才貧乏先生が多少周りに迷惑をかけつつ、貧乏だが有望な30人に無料で塾を開講する。
勉強の重要さやありがたみなどを描く。それ以外にも愛やらダンスやらマフィアやら様々な要素を詰め込んでいる。
良い点
・良い人。人望が厚い。
・英語縛りのパフォーマンス
悪い点
・序盤は良いが、段々詰め込み過ぎ感がでてくる。
危険と犯罪が当たり前の世界での物語
「出来ない」を「なぜ出来ない?」に変えよ!
貧困地域の勉強させて貰えない子供達を
最高学府インド工科大学へ合格させる実話。
日本と犯罪の濃度が違うので「え?」って箇所、ある。
助かる為には正義じゃなくていい箇所…多々ある!
恩を仇で…ある!!!それでいいらしい(^_^;)!!
それが当たり前、危険と犯罪が当たり前。
インド映画らしい壮大な音楽と熱い物語に
何度も血が遡った!あっという間の154分!
ここんとこインド映画がちゃんと公開する様になって来た。
(もちろんほんの一部だが)
流行りで終わらず
インド映画が観れて当たり前
になって欲しい!
おまえの顔はフィーだ‼
インドのある村にて数学の天才がケンブリッジ大学入学のチャンスを得るも、資金が集まらず留学は頓挫・・・。
しかたなく物売りで生計をたてていた所、ひょんなことから予備校講師に。そして、かつての自分と同じように貧しさから教育を受けられない子どもたちを助けたいと思うようになり・・・といった物語。
実在した青年と無料塾をもとにしたドラマ作品。
尺は2時間半、長い‼まぁインド映画ですからね。
序盤は苦難の連続。燃ゆる許可証は胸が張り裂けそうになりますね。さらにお父さんも倒れてしまい。。
無料塾を始めてからは面白さが急加速‼妨害がありながらも生き生きと勉強する子どもたち。ってかあんなもの自作できるとか天才すぎだろ…。
ラッラン塾との勝負は・・・ちょっと正攻法じゃなくない・・・?
そんなこと思いつつ、やっぱりインド、最後に分かり合うのにはコレか。
コレで大団円かと思ったら、ここからまさかのサスペンスフルな展開‼
なかなか度肝を抜かれましたね。知恵と知識を武器に闘う皆の姿にアツくなった。
ラッランさんもおバカよね。電気と女までならまだ可愛いもんだけど。。
まぁ確かに気持ちはわかるし、アーナンドが完全正義とも思わなかったけど、変な事しなきゃむしろアーナンドの救世主、恩人として良い思いできたろうに。
まぁまさかこんなに成功するなんて最初は思わなかったか。
そしておまけにヒロインは超美人‼
アーナンドさん、フィーじゃないからなんて・・・いらないならワタクシがもらいますよッ‼
さておき、悲しかったり熱くなったり緊張感もあったりで、☆4でも過小評価かもってくらいの傑作だった。強いて言えばもうちょっと生徒達の背景を観たかったかな。
キャラクターも皆良いし、何より今現在も教え続けているっていう事実がグッときますね。
近く人口世界一になるインドですから、より優秀な人材がボンボン出てきそうですね。
是非今後も無事に、それに一役かってほしいと思った作品だった。
最近気づいたのですが、インド映画って長くて敬遠しがちだけど、自分が見た作品ではハズレが一作もないんですよね。今後も要注目‼
スーパー30アーナンド先生の教室
凄く良かった!実話にインド的演出がてんこ盛りだったけど、インドのカースト制度を数学によって打ち破る話で、神さまはこういう形で現代のインドに天使を派遣されたんだなぁ〜!と感動した!以前観たインド映画の奇跡がくれた数式を思い出した!
最後の字幕に、今でも既得権益を守る政治家、そこに癒着している民間企業からの襲撃を受けていると書いてあり、びっくりしたが、どの国も同じ、いつだって国を変え希望の未来を拓くのは無欲で理想と信念を持った人なのだ!と改めて確信した映画だ。大人から子供まで見て欲しい映画だ!
久し振りにインド映画
踊りあり歌ありのインド映画、大分洗練されたなぁ。
合格した30人のうち何人が入学し、そして卒業まで行けたのかぁ。合格してからも試練の道のり。でも、決まっていた未来を変えるチャンスを得られただけでも大きいよ。
僕の先生はフィーバー🎶
この曲が頭から離れないっ💦
…ある年齢以上の方にしか分からないですよね😅
「僕の先生は嵐を巻き起こす〜」
意地になって命まで狙われるなんて…
嵐を巻き起こし過ぎ!
「どんな時だってぇくじけない男ぉ」
アーナンド先生は間違いなくそうでしょう!
驚異的な頭脳を持ち教育界の大物相手に嵐を巻き起こしたり、くどい程の熱量を生徒1人1人に注ぐ…
このグレート・ティーチャーが実在の人物とは
驚くばかりでした
ずっと命を、狙われているとの事だから
現在もご健在と知り本当に安心しました
インド映画はいつも正義と悪がひともんちゃく大騒動を巻き起こしながら
最後には正義が勝つ!!と
実に単純で分かりやすいのが気持ちいい!
お約束の歌と踊りも絶妙なタイミングで流れるので眠気に襲われる暇も無い!
英語劇のシーンでのヒンドゥ語のラップはいい重さとキレが新鮮で足踏みが止まらなくなった
一番印象に残ったシーンでした⭐️
長くても、くどくても、熱過ぎててもいい!
しっかり笑えて、泣けて感動出来る
ズッシリと見応えあるインド映画が大好きだ!
インド映画を観るのは、初めて。ちょっとついて行けない
ある週刊誌が褒めていたので、鑑賞してみた。インド映画には、踊りと歌の場面が必ず挿入されると聞いていたが、本当だった。やたら、音がデカい。
実話を元にしているそうだか、脚色を盛りすぎて娯楽映画にしてしまった。阿呆らしくて、何度か出て行きたくなった。娯楽映画に文句を言っても仕方がない。映画代に見合っていれば、合格点だ。
インド工科大学(ITT)は、マサチューセッツ工科大学(MIT)よりレベルが高いと本で読んだ。
この先生は、想像力を使いあらゆる面から考えよと教えている。記憶力優先の勉強とは、正反対だ。
素晴らしい実話を、折角だから非現実的に煮詰める
もぅこれだからインド映画は堪らん
インドの Super 30プログラム
経済的な理由でケンブリッジへの進学を諦めた天賦の数学的才覚を持つアーナンド•クマールが、似た境遇に潜む若い力を救けるべく、無償で賄い付きの私塾を開き、最高学府インド工科大学にバカスカ合格させる、という世に知られた実話
この素晴らしい素材を、折角だからって破茶滅茶に煮込んで非現実的にするインド映画の懐、えぇそんな馬鹿なっていうやりすぎ感がすごい、けど前提として、カーストの最下位でグログロと渦巻く勉強がしたいという熱量、ここに可能性を見出す客観性がとても美しい
われわれ日本人も、スポーツの才を贔屓して選抜すんのには大分慣れてきたから基本それと一緒、学問的に破壊的な才をみんなで育てる社会を
ゼロが見つかったのは、ゼロ以外の数字が出揃ったから
メル・ギブソンと伊東四朗、 時々コリン・ファレル(若しくはカツシン)
派手派手なムトゥの頃からインド映画は好きでしたが、最近は世界配給を意識しているのか、熟れた感じが出てきましたね。少し寂しかったりもします笑
そう考えると良心的な時間(本国仕様だと長かったりするのかな?)ですが、「インターミッション」て入るんだから5分位は休憩あっても良いんじゃない??って思っちゃいました。まぁ、ハリウッドが3時間近くを連発してくる昨今は麻痺しちゃいそうですけども。
世界には平等なものなんて一つもない。時間や知識ですらそう。何ならチャンスすらも平等ではない。そこもちゃんと垣間見えるのが好感触。但し、知ることは全てのきっかけになり得る。だからこの先生を皆に紹介します。そんな感じだった。学ぶこと考えることの大事さに奮えました。
あらゆる手段を使って無料塾へと向かう姿に涙
論文を書いてケンブリッジ大学に入学が決まるもイギリスへの渡航費が工面できずに断念。
塾の人気講師になるも、貧しい子たちが貧しいままの人生を送らざるを得ない事に疑問を抱き、私財を投げうって貧しい子たちに無料で勉強を教える塾を開校する。
まず、貧しい子たちがあらゆる手段を使って無料塾へと向かう姿に涙。
ただ教科書で勉強するのでは無く、普段のあらゆる疑問を勉強につなげていく姿に涙。
受験発表に涙ですよ。
他人事ではない
めちゃくちゃ大事な話をやってるのに、主人公と彼女の間の男尊女卑的なところは置き去りだったり、予備校経営があまりにもいきあたりばったりだったり、最大の課題の経費調達問題が解決されないままだったり、粗とか穴は多い映画だった。
けど視点を生徒たちに移すと、能力を持ちながら選択肢もなく親と同じ職業で這いずって生きてゆくのか、海外に飛躍してカーストを抜け出すのか、というインド特有(とまでは言わなくても根強い) の痛切で切実な選択が、そしておそらく唯一の脱出法が可能になるかという信じたい奇蹟が、きっと彼らにはカンタダの目の前に降りてきた蜘蛛の糸のように見えたんだろうなと思うとやり切れない。
彼らはどんな想いでノーノーと叫び続けたのか。
それを思うと、こども食堂に来る子供たちのことまで考えてしまう。けして『サードワールド』の話ではないのだ…
長すぎ
事実の映画化という事で胸熱になるだろうと思い、鑑賞。
しかし、インド映画らしさを出すためなのかミュージカルシーンも多く冗長(インターミッションという表示もあったので、本来はもっと長かったのか)。
ただ、実際にこんな教育者がいたのはびっくり
ただ、生徒が大学へ行った後の授業料は気になる。
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