「「先のことはおいといて、そのまんまでいいんじゃない?」というふたりの何でも先延ばしの考え方には、納得いきませでした。」夜、鳥たちが啼く 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
「先のことはおいといて、そのまんまでいいんじゃない?」というふたりの何でも先延ばしの考え方には、納得いきませでした。
原作は佐藤泰志の短編小説。佐藤の原作の映画化は「海炭市叙景」「きみの鳥はうたえる」などが知られるが、「夜、鳥たちがI」は、どの映画よりも官能的。成人映画なども手掛けた城定秀夫監督ならではの作品です。
青みがかった夜の気配が男と女を包み込む。その姿は、盛りがつき夜に鳴くという鳥たちのように、淫靡で美しいものでした。
物語の主人公は、若くして小説家となった慎一。しかし、その後は鳴かず飛ばずの状態で付き合っていた恋人も離れていき、鬱屈した日々を送っていました。
そんなある日、職場の先輩の妻だった裕子(松本まりか)が一人息子のアキラ(森優理斗)とともに慎一の家に引っ越してきたのです。先輩の妻として顔見知りだった裕子が離婚したため、慎一が自宅に招いたのです。離婚の原因は、夫の浮気のため。しかもその夫の浮気相手というのが、慎一の元カノという偶然。パートナーに去られた男女が、傷をなめ合うように接近し、新たな関係を築くまでが描かれます。
こうして自分が住んでいた家を裕子と子供に与え、慎一はプレハブに住むことになるという奇妙な共同生活を送ることになります。自分の身勝手な性格が災いして他人を傷つけた経緯のある慎一は夜になると、 かつての自分自身の姿を投影するような小説を書く日々を送るようになっていいました。自らの無様な姿を、夜ごと終わりのない物語へと綴ってゆくのです。けれども書いては止まり、原稿を破り捨て、また書き始める。それはまるで自傷行為のようでもあったのです。
一方、一人息子とともに慎一のところに身を寄せた裕子は息子が寝静まった頃に外へと繰り出し、夜ごと男たちと逢瀬を繰り返していました。
親として人として強くあらねばと言う思いと、埋めがたい孤独との間で彼女もまた苦しんでいたのです。
そんな生活をしていく中で父親がいなくなった淋しさで傷心していたアキラは慎一を慕い始めます。慎一と裕子は互いを刺激し合わぬように共同生活を送りますが、それぞれに前に進むきっかけを掴めずにいました。
失敗に懲り、恋愛に臆病になっているのが、彼らの共通点。慎一は、孤独を愛し、自身の魂の救済として私小説を書くことにこだわっています。裕子は、自戒を込めて、男に期待をし過ぎない。一緒になりたい気持ちはあるのに、新しい生活をスタートする勇気がない2人だったのです。
そんな男女の関係性を象徴しているのが、慎一の住まいです。平屋建ての一軒家があり、すぐそばにプレハブ住宅が建っています。慎一は裕子たちに平屋建てを明け渡し、プレハブで小説を書き、寝泊まりするようになります。男と女は、一つ屋根の下で暮らすのではなく、二つの建物を行き来します。まるで通い婚のような関係ですが、決して男と女の関係に深入りしようとしないところが、見ていて奇妙でした。この距離感が、どう縮まり、解消されていくのか。そこに不思議なサスペンスを感じさせてくれたのです。
けれども微妙な関係が煮詰まっていき、煮え切らないふたりの感情が上下していくなかで、さすがにふたりの気持も頂点を迎えることになります。そこが物語でもクライマックスとなりました。かつてのロマンポルノ映画のような、男女の感情の機微を描いたドラマです。松本まりかの脱ぎっぷりも素晴らしく、濃密な濡れ場が描かれます。けれどもそんなに厭らしく感じられませんでした。濡れ場にいたるふたりの抱えた心の傷が本当に重く描かれてきたため、ふたりが交わるシーンも、劣情をかき立てるよりも、心の傷が刹那に癒されていくような安堵の気持ちと、このふたりの幸せを願う気持ちを強く感じさせる濡れ場でした。
特に印象に残るのは、アキラに遊んであげる時の慎一のよきパパぶり。母親の裕子はどうあれ、アキラの父親に慎一がうまく収まってほしいものだと思いました。それを暗示するかのように、作品の終盤では、打ち上げ花火を見上げた3人の笑顔が、青々とした夜の孤独を打ち消すほど美しく描かれていました。
だからこそ、「先のことはおいといて、そのまんまでいいんじゃない?」というふたりの何でも先延ばしの考え方には、納得いきませでした。
城定監督の長回しを多用したエモーショナルな映像と夜の鳥の鳴き声をメタファーとした闇の妖しさの表現など演出面では、高度なテクニックを感じさせてくれました。また脚本面でも、ふたりの過去をタイミングよくカットバックさせて、現在の孤独に結びつけるところなど、巧みな構成がよく練られています。問題があるとしたら佐藤泰志の原作そのものです。どの作品にも、夢も希望もなくすようなネクラな話ばかりなのです。しかし本作ではそのネクラさも中途半端。主演2人が健闘しているだけに、いっそ抱える闇がもっと濃ければ、より強い陰影が生まれたのではないでしょうか。