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ストレートな映像が衝撃的だ。
そして日本の統治は昔も今も棄民を前提のようにする、そのことを強く感じた。
たまたま、上映をしり、イザイホーの記録映画を見るような気持ちで予備知識なしにイメージフォーラムに来たのだが、、、、この衝撃、特異さ、ストレートさ。
八重山諸島西表島古見。コミという集落。
元からコミに住むひとと、旅してくるひと、交わるひと、交わらないひと、島を出るひと、、、
冒頭の、島の人々子どもたち、カメラを避け顔を隠し走り去る。男は、カメラを向けるものがいたら殴るという。そこからどのように北村監督のクルーは受け入れられる、な生身の島の人々を撮影したのか。
イザイホーのように、神事を司る家に生まれた女性、たしか旅の人と婚姻し、生まれたばかりの赤子より神事を優先したがやがて夫に言い含められ神事の役割を止め、さらには夫と創価学会に入る。
昔は強制されて天皇の写真が飾られてかもしれねいそこには池田大作の写真。
アカマタ、クロマタシロマタと、この西表島独自の、男性のイニシエーションのような、でもはっきりと宗教といっている。イザイホーのように、アカマタに参加できる年齢になったら毎年参加する、アカマタの宗教を信じるものら、毎年会えることをたのしみにしているとの証言。しかし旅してきたこの島にきた人は、この島で区別され虐められたりなかまはずれがあるようで、ようやく年月を経てアカマタに誘われても、嫌だ行きたくない入りたくないという人も居る。
その間に、創価学会に、日蓮宗に入るのだ。
集落は島を出て行く人、旅してくる人の出入りがあるが、いずれアカマタか創価学会にはいり、一人だけどちらもやめてはいらず孤立の人がいる、、というようにひとりひとり、ひと家族ごとに、来歴や仕事家族構成などを聞き込み生きるための苦労が滲み出る表情をとらえている。
そして、ドキュメンタリー緑の牢獄で知った、島の炭鉱、そこへ連れてこられ強制労働、奴隷労働させられて台湾人。借金がなくならないシステム。逃亡できないシステム、逃亡者を仲間に追わせる、、、辛い日常を淡々と語る。この台湾の元炭鉱労働者と、アカマタ創価学会にわれる無良の人々の交わりは映されない。
昭和天皇、戦争、徴兵
日本の時代はひどくアメリカの時代になって良くなった嬉しかった、また日本の時代になりうれしくもない、と。日本の時代は恐ろしかったと。
別の党から立候補して議員になり当選したらすぐ自民党に鞍替えし、1番島でうまくやってると言われているひと
家族で家財道具をすべて船に積んで島を出て行く家族、
その人たちがでていくからかいつもより賑やかだという^祭の様子。踊り太鼓を叩き酒を飲み、笑っているがこの島の人々は笑って祭りをしていてもなな中に縛られているような抑圧下にあることを感じさせる。
税金取立て、昔話や時代劇の年貢のような取立て。
農協と称する男が米の検査をして、天候が悪かったため、作った米を不合格と判定する。米は売るために作り芋は自分らが食べるために作る、コメしか作ってない家は不合格にされたら一年どう暮らすのか。
トラックで、パイナップルの出荷。パイナップルも個人ではなく、小規模ながら農園経営なのかもしれない。食い詰めて島に旅してきたひとがパイナップルの仕事をしているようだった。
農業と、牧場。
水牛のような牛を荷車につないで海の浅瀬へ。そこで棒を振り下ろし泳ぐ魚をたたいて獲る。プリミティブな捕り方。それでも海の幸あり畑ができほぼ自給自足で、食い詰めても旅してきた人はなんとか食うていけるのか、、、
自給自足が前提なのか商店は映画の中になかった。
それにしても1973年。華やかだった札幌オリンピックが1972年、と思うと、あの農協の職員の年貢の取り立てのような検査、島の人々への収奪、基本的に平気で棄民の日本の統治システムを強く思う。
笑っていても飲んで踊っても、心から笑うようなふうには見えない抑圧を感じたが、アカマタに一年に一度会えることを楽しみにしていると語る人、島から出て行ってもアカマタに戻りアカマタと再会するという男らの表情は明るく、また、日本の時代は恐ろしかったがアメリカの時代になってよかったというときかすかに顔の表情がほころふおばあさんが印象的、、、、
ここに台湾から連れてこられた炭鉱労働者、天皇の名のもと徴兵され軍隊でも沖縄は差別され戦死した人たち、食い詰めて旅して島を渡る人、
逃れられない、避けられない、目をつぶれないことが2024年きなくささとうさんくささ、気持ち悪さが広がり続ける日本の時代、今の日本の統治、政治、社会のあり方、共同体のあり方、、、を考える。なんかそんな言い方ダサいけど。
この映画が撮られた時の西表島とその頃の東京や札幌の繁栄、今の零落した国家、社会を比して、怖いと思う。
このような映画を特集上映するイメージフォーラムさんに感謝する。