「経験という、先を歩く人の背中が教えるもの。」愛する人に伝える言葉 humさんの映画レビュー(感想・評価)
経験という、先を歩く人の背中が教えるもの。
"僕を赦して”
”僕は赦す”
”ありがとう”
”さようなら”
”愛している”
病床の息子バンジャマンは
母にそう伝えることができた。
カトリーヌ・ドヌーブ演ずる
哀しみに堪える母の姿を
自分の親そして親としての自分に重ね観て
死に面した息子の言葉は
温度のある愛の形になったとおもった。
それによって
両者が報われたのが痛いほど伝わってきたから。
ドクター・エデは患者の人生に対する尊厳を
非常に大切にする。
一貫しているそのスタンスは頼もしく
患者の立場で考えるとそんな医師に出会えるのは
とても幸せなことなのではないかとおもった。
彼が週末のオフにバンジャマンの死の報告を
出先で受けるシーンがある。
いろいろな見かたがあるとはおもうが
私は、「人生はそれぞれの道をたどる」という考えを
ベースにした表現だと思う。
立場とルールの中で
誰かの人生に重なったり離れたりしながら
その人もまた自分の道をたどる。
たどるべきだと。
ある域までの関わりを全うしていれば
その先は薄情でも無責任でもなく
それでよいのだと。
だから
ドクター・エデは淡々と報告を受けとめる。
そして死の間際、自分の息子が近くに居たこと
バンジャマンがそれを感じていただろうということを
確かめ安堵の笑みをみせる。
ここにドクター・エデの医師としての
立ち位置の測りかた、個人の思いやりや
人間味がみられるのだ。
また、緩和ケアについてのシーンも多かったが
本人やまわりが哀しみにくれるだけではなく
残りの時間の質を
前向きに変えていくためにあることや
その効果に興味が湧いた。
決して甘くないドキュメンタリー風作品。
手の打ちようがない病に向かう
演劇学校の講師の男と
とりまく人々(母親、別れた妻と息子、生徒たち、看護師、、ケアスタッフ、医師)のこころの動きは
作り込むことなくストレートに飛んで来て
胸にぶつかってくる。
生きることは
かけがえのない「今」という時であり
そこには逃してはいけないチャンスがあることを
経験という先を歩く人の背中が教えてくれるなら
私もありがたくそこから学びたいとおもう。