長崎の郵便配達のレビュー・感想・評価
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人から人へ、過去から現在へ、思いを繋ぐ。
英国王室に関心を持つ人なら、マーガレット王女とピーター・タウンゼンド大佐との悲恋はお馴染みだろう。Netflix「ザ・クラウン」でも描かれたこの逸話だが、まさかその後のタウンゼンド氏の人生をこのようなドキュメンタリーという形で、しかも「長崎で出会った日本人男性との交流」というテーマで窺い知ることができるとは思わなかった。父の遺した音声データを頼りにタウンゼンド氏の娘が長崎の街を巡る構成にとても胸打たれるが、さらに胸にしみるのはそこに鳥の鳴き声などの自然音が録音されていること。数々の過酷な証言を耳にした長崎の地で、タウンゼンド氏は何を思いながらこれらの音に耳を傾けていたのだろうか。そして彼は「谷口さん」の生き様に何を感じたのだろう。原爆投下時、谷口さんが従事していた「郵便配達」に重ねるかのごとく、人から人へ、過去から現在へ、”メッセージを伝え届けること”の尊さが、穏やかに浮かび上がる作品だ。
純なる決意が描くリアル。
ピーター・タウンゼント氏が残した著作『長崎の郵便配達』が、谷口稜瞭さんとの出会いから40年の時を超えて現代の日本に新たなメッセージを放つ。
この映画には、決して希望を捨てずに作家としての使命を自らに課して取材を続けた男の人間力がある。
同時に、被爆に直面して背中の皮膚を失い、床擦れで胸部の肉を腐らせた谷口稜瞭さんの、「こんな所で死んでなるものか、生き抜いてやる」と誓った生命力がある。
生きる力が未来を作る。そう信じたふたりが、生涯変わらぬ友情で結ばれたのは必然のことだった。
今から40年前、82年に収録された父の取材テープに耳を傾けながら、実の娘が長崎の道に立つ。目の前にある今の長崎に、父が歩いた長崎が、そして1945年8月9日に被爆した谷口さんの長崎が浮かび上がる。
書くことで伝えなければならないと決めた作家と、生きることで訴え続けなければならないと決意した被爆者。第二次世界大戦の英雄と敗戦国の汚点(敢えて汚点とする)を背負わされた平易の人。全く異なる境遇に生き、それぞれに戦禍にまみれたふたりが出会った時、未来への扉が生まれた。(扉は決して開かれてはいない。だからこの映画が作られなければならなかった)
父の遺志を伝えなければならないと感じた娘の元に、谷口稜瞭さんを知る映画監督が訪れる。タウンゼント氏と谷口さんの邂逅を、映画という伝達装置を使って飾ることなく描こうと試みる。ふたりの女性の出会いは時を超えて繋がれる奇跡の物語の始まりとなる。
この作品に通底するのは、強者による価値観のお仕着せが当たり前になった時代に対する問いかけである。誘導であってはならない。フェイクなんてナンセンス。過剰な装飾も必要ではない。等身大の姿を生々しく伝えるのだ。
今、世界が本当に必要としているのは、この純なる決意が描くリアルなのかも知れない。
イザベラさんのカルマを感じる、長崎案件
その昔、英王室のマーガレット王女と浮名を流したピーター・タウンゼンド大佐という将校がいました。王室との恋愛は周囲の反対で破談となりますが、タウンゼンドは後に作家となり、日本を訪れ、「長崎の郵便配達(Postman of Nagasaki)」という本を書きました。その後30年以上を経て、娘のイザベラ・タウンゼンドが、父の本「長崎の郵便配達」にインスパイアされ、そのモデルとなった谷口スミテルさんを訪ねて長崎にやって来るという話。「YOUは何しに日本へ?」の非常に高尚かつエモーショナルなバージョンといった趣で、とても引き込まれました。イザベラさんのカルマを感じます。
語り継がれるべき物語
被曝経験者が少なくなりつつある中で、語り継がれるべき物語の1つ。
海外の子供達が演劇を通してでも、
この物語に触れてくれているのは、
被爆国日本の救いになる。
我々も忘れては行けない物語。
派手さはない静かな作品
イギリスのピーター・タウンゼンド氏は、大戦時にパイロットとして名をはせ、戦後ジャーナリストになる。その時長崎で出会った、谷口スミテル氏を取材し「長崎の郵便配達」という本を出版。谷口氏は、14歳の時に被爆、後に核廃絶を世界に向かって訴えていた。タウンゼンド氏の娘で女優のイザベルさんは、残っていた資料のカセットテープを聞き、長崎にやってきて二人を偲ぶ。
ドキュメンタリー作品。ピーター・タウンゼンド氏は、マーガレット王女との交際が噂され、「ローマに休日」のモデルとのこと。谷口スミテル氏は、被爆当時の背中一面が赤くただれている有名な写真の人物です。
派手さはない静かな作品ですが、戦争の悲しさは伝わります。
よく当時の被爆者治療映像が残っていたなあ。
ドキュメンタリーなんで高掲することはないにせよ
もう少し映画ぽく撮れないものかなあ。
それにしても背中一面のやけどは強烈でした。
60点
0
京都みなみ会館 20220808
しみます
構成力の優れた力強いドキュメンタリーです。
撮影のアングルや構図など、ひとつひとつのカットに監督の映像センスの良さを感じました。それから編集のタイミングもいいですね。
日本の風物に彩られた夏。スクリーンに映し出される汗やその土地の空気……。
主人公のイザベルさんは父親の足跡をたどりながら、スミテルさんの人生もたどっていくわけですが、観ているこちらも一緒に長崎の街をめぐる旅に同行しているような気持ちになった。ちょうどお盆の時期に鑑賞したので、映画と重なって、より心にしみました。
とても素晴らしい作品なのですが、とても長く感じたのは、そこから伝わってくる「重さ」のせいでしょうか。
タウンゼンド氏の原作は『THE POSTMAN OF NAGASAKI』だけど、本作の英題は『THE POSTMAN FROM NAGASAKI』。
そこに監督たちの想いが込められているように感じます。
エンドロールのアニメーションもちょっと意味深ですね。
追記
僕は、長崎も広島も知覧も訪れたけれど、それらの旅であらためて思ったのは肌身で感じることの大切さです。やはりその土地・その場所に足を運ばないとわからないことがあります。
世界じゅうのひとりでも多くの人に、長崎や広島を訪れてほしいと思います。そして、感じてほしい。いろんなことを。
考えてみれば、もともと長崎は日本の出島だった。
主人公の女性とその父親のタウンゼント元大佐。今の自分・亡父と両者ともほぼ同い年だったこともあり、とても共感できた。若い頃は目の前のライブにとらわれて、親の人生に寄り添う追体験は結局死後になってしまうのです(泣)。もちろんNever too late!
谷口さんが被曝した時の具体的な状況説明が映像を結ぶ。きっと、思い出したくもない記憶を引き出すために、互いに汗をかいて信頼関係を結び、忍耐強くコミュニケーションを図った結果の賜物なのだろう。
戦争経験を「聴く」ことはもちろん大切。でも、自分の身体を使って「再現する」ことこそが一層「バトンを繋ぐ」ことなのかもしれないと思った。そんな「再現」が、海を越えてフランスの子どもたちの活動に結実していることに驚愕した。日本は大丈夫か?
長崎原爆で生き残った少年の、被ばく背中と、腐った胸。 英国人の渾身の実話書籍などから。
長崎原爆時に、その場にいた子供達? 30人は一晩で皆死んだ。
ただ一人生き残った少年。
原爆の酷さは、動く動画などしか実感がわかないが
通常、皆死んでしまうから存命者が少なく、話したがらない。
写真も、GHQが隠したり、モノクロで解りにくい。
語り部だった当事者もほとんど亡くなり、写真も世界へ公開されにくい。
この、世界中で観られる、日仏英語による「被ばくドキュメンタリー」は
米国で紹介された、外国マスコミの絶賛反応も映っている
『世界的な快挙』 であり、平和への貴重な聖書だ。
生き残った少年の
●ぶらさがった皮膚
●被ばくして三年動けなかった背中
●3年の床ずれで腐った胸から「あばら骨」が見える
●それを見て、彼の幼子は怖がって父から逃げた。
戦争はしてはいけない。 原爆は人類を破壊する。
ただ一人生き残った少年のリアルなお話を
「ローマの休日」のモデルになった英国人男性が、取材に来日し、渾身の書籍にしてくれた。
それを、女優になった男性のご令嬢が、家族でドキュメンタリー・朗読出演し
平和への願いを、家族や子供たちに繋げてくれている。
出演された、日仏のご家族方に、心から感謝します。
絵巻物
タウンゼント氏は 長崎で被曝し 核廃絶を訴える元郵便配達員の谷口さんを知り 親交を深め その物語を本にした。そのタウンゼント氏のことは、全く知らないが、多分 自然が好きで、彼自身と同じ様に静かで とても たおやかで優しい人柄なのだろう。映画も同じ様で色がついているのにモノトーンな感じで、絵巻物の様にも思えた。
女優でもある娘のイザベルは父が残した取材ヴォイスメモと共に かつて父が辿った長崎を訪れるという設定の映画だ。精霊船の場面があり非常に珍しく見た。
イザベルは父と共に時間を共有する事は出来なかったけれど、耳元にいつも父がいる。その父に対する濃密な想いが溢れていた。
そして 原爆の被害にあった谷口さんのすさまじい体験。背中全体にやけどを負い、うつ伏せで約一年いたため胸が床ずれになって 肋骨の間から心臓の動きが直接見えたと淡々と語り世界から核兵器を無くさなくちゃいけない、戦争が悪いと訴えていた。自身のやけどの跡を見せているにも関わらず、世界のリーダーの反応は鈍い。
改めて世界のリーダーには、人間としての叡智がないのだなと思う。
太古の昔から争いはあり、止む事はなく、恐るべき核を増やして 脅威を盾に己が力を誇るばかりで、権力者たちは誰も市井の人々の核兵器反対、戦争反対の声に耳を傾けてない現実。私たちの声は、ゴマメの歯軋りにしかすぎないのだろうか。が、それでも 私たちは言い続けなければならない。戦争反対、核兵器廃絶と。
被爆体験の語りの継承と、父と娘の対話という二つの糸がよりあわさった一作。
作家、ピート・タウンゼントの娘、イザベル・タウンゼントが、父が遺した長崎の被爆者についての作品『長崎の郵便配達』の足跡を辿る姿を追ったドキュメンタリー映画。
『ローマの休日』のモデルとして、ピート・タウンゼントの名前は聞いていたような記憶があったんですが、その後作家となり、『長崎の郵便配達』を著していたことは知りませんでした。本作は作品の足跡を忠実に辿るというよりも、イザベル・タウンゼントが作品を通じて父との対話を果たす過程を描いています。
作中ではあまり触れていないのですが、彼女は生前の父と、特に作家的な側面についてそれほど意見を交えてこなかったようです。この旅を通じて、ようやく作家としての父と向かい合うことができたことを何度か示唆しています。
「長崎の郵便配達の少年」こと谷口稜曄氏は、被曝直後に亡くなっていても不思議ではないほどの重傷を負いつつも奇跡的に一命を取り留めた方で、その治療の過程は長崎の被曝状況を記録した写真として、多くの資料に引用されています。その後被曝体験の証言活動など、核兵器廃絶を目指した運動に積極的に参加しており、その過程でタウンゼントと知り合うようになったようです。
本作では、タウンゼントの肉声がたびたび挿入されていますが、取材の過程でこれだけ多くの音声資料を残していたことは非常に驚くべきことで、作家としての彼の几帳面さ、取材対象に対する真摯さが伝わってきます。そしてこれだけ多くの、しかもクリアな音声が使われたことで、娘との対話という側面がより一層明瞭となっています。
奇跡ではなく意志が紡いだ縁
広島は訪れたが未だに縁の無い長崎。きっとこれが縁なのだろう。いや、縁にしなければならない。そう思った。
谷口氏の「生への意志」とピーター氏の「会いたい意志」。それが共鳴し響き合い、時を越えて娘を呼んだ。ピーター氏は良き父親でもあったのだろう。イザベルさん(娘)の立ち振る舞いや言動の健やかさは、ともすれば哀しみに覆われて感情に流されそうになる所で、冷静でありつつ優しくある事を促してくれる。お孫さんの行動を見ていてもその素晴らしさが滲んでいて、少し遺伝子に嫉妬した(笑顔)。
毎年夏に上映して欲しい一本がまた増えたし、苦しいシーンはあるものの基本的に静かで穏やかに進む物語は、戦争直球が苦手な方にも視聴に耐えうると感じた。広く皆が観てくれる事を祈りつつ。
長崎で被爆した少年のことをイギリス人が書いた一冊の本、その著者の娘が長崎の町を歩いて追体験するように当時を振り返る。そんな戦争ドキュメンタリー作品です。
戦争によって傷を負った人の記録となると
どうしても凄惨な映像を目にしてしまいます。
この作品もそうなのかと身構えて鑑賞したのですが
そこまで強烈な感じは受けませんでした。
被害者の生の姿や声 ではなく
対面で聞き取った人が話をまとめ
さらにその人の足跡を、娘が追いかけるスタイル。
そのためか
画面に映る映像としては、凄惨さは抑えられて
いるように感じました。
◇
本の著者は、ピーター・タウンゼンド
イギリス人の元空軍大佐。
空を飛ぶことに憧れた少年時代を経て
夢は叶うが、それは戦闘機のパイロットとしてだった。 うーん。
軍人のキャリアを終え
世界中を見て回るようになったピーター・タウンゼント。
原爆の被爆地「長崎」で一人の少年と出会います。
長崎で郵便配達中に被爆した「タニグチさん」
なんとか一命ををとりとめた14才の少年は
2年半もの療養を経て仕事に復帰する。
その話を本人から聞き取った作者がまとめ
「長崎の郵便配達」
として本にしました。
そして
この映画は、長崎を訪れたピーター・タウンゼントの娘
「イザベル・タウンゼント」が娘たちと一緒に
父の歩いた長崎の町を自分も歩くことで追体験するのを
ドキュメンタリーとして撮影したものです。
「被害者の生の声」 は
「聞き取った記録」 になり
「記録を追体験する」 形のため
だいぶ柔らかな内容のものになっているような
そんな気がしました。
生々しい映像はちょっと…
そんな方でも観られる内容の作品かと思います。
機会があればご覧ください。
私は観て良かったと思っています。
※キツイ画像やエピソードが全く出てこない訳でも無く
背中全体にヤケドを負った写真とか
長期のうつぶせ寝でできた床ずれのため
肋骨の間から心臓が見えた話(映像ナシ) とか (う~ん)
◇最後に
この本についてですが
「日本の原爆被害に関する記録を、
当時国(日・米)ではない国の人(英)が書き残してくれた」
という点で貴重なものという気がします。
客観性をもった戦争の記録って
存在すること自体が希かと思いますので。
☆映画の感想は人さまざまかとは思いますが、このように感じた映画ファンもいるということで
川瀬監督なので拝見!
ドキュメンタリー映画🎬
ずいぶん前に高校の修学旅行で訪れた
長崎☆彡
平和の像。。。。
大浦天主堂。。。
坂道からの眺望。。。
どれも懐かしく
そしてなんといっても
川瀬監督ならではの
ストーリー展開
期待以上でした!
長崎から来たポストマン
映画のタイトルが『A Postman From Nagasaki』です。
第二次大戦の英雄だったタウンゼンド大佐は、戦後作家となり、世界中を旅する中で、長崎の被爆者谷口さんと出会い、”A Postman Of Nagasaki”という本を記した。大佐の娘で女優のイザベラは、父の残した音声と共に旅をしながらその本を書いた父の想いをたどる。
谷口さんの体験は苛烈なものですが、直接的な描写ではないので、「はだしのゲン」が残酷過ぎて読みたくないという人でも観やすいと思います。
イザベラさんは若い時は父親の著作に興味が無かったそうで、川瀬監督のオファーが無ければ長崎に来ようとは思わなかったかもしれません。が、表現者である彼女は貴重な経験が出来たでしょうし、発信力があるから語り部になってくれるでしょう。
後の世代に語り継いでいく事、伝えるのは憎しみではなく理解し合うことの大切さ、だと思いました。
相手の気持ちを想像することが出来れば、こんなひどい事は出来ないわけで、私に子供はいませんが、教育の大切さも感じました。
ひとことReview!
反戦メッセージがひしひしと伝わるだけの左寄りの作品。「ローマの休日」のモデルになった...というのは、劇中にほとんど触れなかったから、何だか騙された感じ。
いろいろな人に観てほしい
単純に、幅広い世代に観てほしい。現在、ロシアがウクライナに侵攻、戦争が起きている。戦争はよくないことは、誰もがわかっている。そのうえで、核爆弾というものがもたらす脅威を改めて考えさせられる作品です。
なぜ、核爆弾廃棄が必要か、万が一、使われれば何が起きてしまうのか、考えてみる第一歩になればよいと思う。
被害者を食い物にする父娘
娘イザベラが、父がかつて訪れた長崎にて、父の小説を追体験していくお話。
ずーっと芝居がかった表情でイザベラさん喋るなあ〜…と思ったら、
児童演劇の演出も手がけておられて。
そこで長崎の郵便配達のお話を取り込む為の、取材が目的だったようですね。
その父が書いた小説の中で、被爆者であるスミテルさんと家族が海水浴に行くシーンがあり、
そこで裸のスミテルさんの被曝痕を見て、娘が大泣き…という場面に、
スミテルさんの娘は「そんな出来事なかったんだけどね…」と全否定。
また、フランスのTVにスミテルさんが出演した際は、
父ピーターが本番でいきなりスミテルさんを裸にするという暴挙。
イザベラさんは、父とスミテルさんは友情を育んだというが、
友人に対して、そんな仕打ちを果たしてするものだろうか?
友人が被爆して、背中に深い傷跡が残っているのをテレビの前で晒す??
結局のところ、父ピーター・タウンゼントは、小説のネタのために被爆者に擦り寄ったにすぎず、
その娘もまた自身が演出する演劇のネタのために長崎を訪れたようにしか思えない。
本当にスミテルさんの事を思っているなら、
彼が死ぬまで訴えていた核廃絶の精神を引き継いでいるはずで、
ならば、核保有国である、自身の国(フランス)、そして父の国イギリスに対して
何かアクションを起こす必要があるはずではないか。
被害者かわいそう〜、で終わらせて、根本的なところ=自分達の責任から目を逸らそうとしているように見えた。
ただただ感動!
耳に焼き付く、以下の言葉。
ノーモア・ヒロシマ!
ノーモア・ナガサキ!
ノーモア・ヒバクシャ!
ノーモア・ウオー!
世界は昔から戦争に明け暮れている。
何故なのか?
戦争ビジネスで大儲けし、戦争で人々を洗脳する悪い奴らがいる。
地球に住む人々は、仲良く暮らしていけないのか?
宗教を操る奴らは、宗教で洗脳もする。
ドキュメンタリーではあるけれども、谷口稜曄さんをインタビューし「The Postman of Nagasaki」を出版したピーター・タウンゼント氏の娘を通して、映画のような形になっている。
娘の女優は、イザベル・タウンゼント氏。
プロデューサーとしてこの映画に参加もしている。
イザベルの娘達も祖父の足跡を追いかけ、イザベルの演出の元、戦争の悲惨さをフランスで舞台で訴えている。
戦争とは悲惨なものだ・・・
この映画は、谷口さんとピーターの友情だけでなく、イザベルが父の足跡を辿り、長崎で父から娘へのメッセージでもありますね。
平和への願いは誠に尊いものです。
ただただ感動しました・・・
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